IF10・Forget-me-not


515 名前:Forget-me-not :04/07/15 19:15 ID:vXRG4.EA
耳を澄ますと、小鳥の囀りが聞こえる。
窓から差し込む柔らかな木漏れ日と、階下から漂ってくる、朝食用のパンが焼ける香ばしい香りが、緩やかに覚醒を促す。

「……朝に、なっちゃったわね」
私はそう呟くと、十分な睡眠が得られずに、不満気な声を上げようとする自らの体に鞭打ち、半身を起こした。

体が重い。
……使い古された表現ではあるが、恰も自分の……よく馴染んだ沢近愛理の体ではないようだ。
それほどまでに違和感を感じる。

「予想はしていたけれど……やっぱり体は正直ね……ここまで眠れないなんて」
普段は滅多に口にすることの無い独り言を繰り返している自分に気が付き、思わず苦笑する。

――精神が大分参っているハズなのに笑えるなんて……ホント、人間の体って良く出来ているわ――

空元気だということは分かっている。
そして、それも長くは続かないであろう事も。

――私……こんなに弱かったかしら――

予想通りに押し寄せてきた涙腺への刺激に耐えられず、思わず俯く。
お気に入りの毛布が濡れてしまうのも忘れ、私は静かに嗚咽を漏らした。



516 名前:Forget-me-not :04/07/15 19:16 ID:vXRG4.EA
きっかけは、クラスメイトであり、親友でもある周防美琴の言葉だった。

「播磨ってさ、塚本に惚れてるんじゃねーか?」
これから始まる気だるい午後の授業に対し、ささやかではあるが鋭気を養おうと、いつものように四人で机を囲んでいた昼休みのことだ。
「ほえ? 何で? どして?」
唐突な振りに、真っ赤になって過剰な反応を見せる、同じく親友の塚本天満。

同様に私は、自分の体もびくっと反応するのが分かった。

「だってさー、そう考えないと、辻褄が合わないんだよなー」
組んだ手を頭の後ろに回し、仰け反った姿勢を取りながら美琴は言う。
「一応あいつは不良だろ? 
一般的に考えて、あたしらといる時間が長すぎないかなーってさ。
どこにでも付いて来るし。
……それに普通不良ってのは、もっとこう、硬派なものなんだろ?」
「あら、別に普通じゃない? 
今時の不良は、自分の体裁や格好よりも、連れている女の子がステイタスだって聞いたわよ」
私は美琴の目を見ずに答えた。
「……お前な、暗に自分を褒めるような発言はよしといたほうがいいぞ」
「私だけじゃないわ。あなたも含めて皆よ」

私は自分の容姿に少しばかり自信を持っている。
それは単に生まれながらのものではなく、自分を綺麗に見せようと、精一杯の努力をしているという自負から来るものだ。

美琴はそういう私の性格を理解しているのだろう。
それ以上の言及はしてこなかった。



517 名前:Forget-me-not :04/07/15 19:17 ID:vXRG4.EA
「……でも、どうして天満なワケよ?」
取るに足らない冗談だと思って流すことも出来た。
しかし、自分自身が一抹の不安を抱えていたからであろう
――私は思わず尋ねた。

「そうだよ美琴ちゃん、急に言われたらびっくりするよ」
横では、天満が少し頬を染めて困ったような顔をしている。

――何? その反応は! いつも烏丸君の事しか頭に無いくせに――

無意識に首をもたげようとする私の中の黒い衝動。
自虐的にも残酷な夢想を繰り返し、結果として膨れ上がってしまった、親友に対する汚らわしい嫉妬……

思わずカチンときてしまう頭を落ち着けようと、冷静に美琴の言葉を待つ。

「いや、何となくだよ。けど、塚本の方を見てることが多いのは、気のせいじゃないな」
「それは……」
反論しようと言いかけた言葉を、私は飲み込んだ。

――皆、怪訝そうにこっちを見ている……下手に食い下がれば、疑念を持たれるだけだわ――



518 名前:Forget-me-not :04/07/15 19:19 ID:vXRG4.EA
私は、自分の胸に芽生えた恋心を、未だ誰にも言えないでいた。

別に、初めから隠そうとしていたわけじゃない。
自らが親友と認める相手に、隠す必要も無い。

以前の自分ならば、アイツに惚れたことを自分のプライドが許さず、それ故にひた隠しにしていた可能性はあった。
しかし、そんなの関係ない。
恋心っていうのは、プライドとかそんなものには束縛されないということを、現在進行形で理解している。

ただ、アイツが好きなのは、自分じゃないかもしれないということは考えていた。

好きであって欲しい。
あの時の告白が、何の間違いでも無く、自分に向けられたものであって欲しい。
ただそれだけを願った夜が幾晩あっただろうか。

自分の気持ちが傾いたことを自覚した去年の体育祭以降、何度かそれとなくアプローチを試みたりもしたのだが、まさに暖簾に腕押し状態。
鈍感なのか、分かっててはぐらかしているのか……

アイツが天満のことをよく見ていたのも知っている。
何とも思ってなかった頃は気が付かなかったのに、いざ注目してみると、アイツの目が自分を見ていないことに気付かされる。
それが、堪らなく哀しい……

それでも、天満よりは自分の方が女性として魅力的よねなどと、根拠の無い自信で自らを取り戻そうとしたこともあった。
……恋に理屈や一般概念は通用しないことを実体験しているはずなのに、楽観主義な希望的観測はしてしまうパラドックス。



519 名前:Forget-me-not :04/07/15 19:20 ID:vXRG4.EA
「と、とにかく! 美琴も変な話題で気分悪くさせないでよね!」
沈黙に気付き、赤面しているのを悟られまいと、殊更大きい声を張り上げてしまった。
「わ、悪かったよ……」
なんでそんなに怒るんだとごにょごにょ言いながら、美琴が頭を掻く。

――これで何とか凌げたわね――
思わず安堵のため息を吐く。

これも、情けないけどちっぽけなプライド。
アイツの想い人かもしれない天満には、まだ聞かせたくない自分の本音――



520 名前:Forget-me-not :04/07/15 19:24 ID:vXRG4.EA
「……困るよ」
俯いた天満が搾り出した。
「は?」
「……だって、私は烏丸君のことが……」

――あぁそう。あなたはそれしか言うことがないの――

か細い声を絞り出すようにして訴える天満。
同性の私から見ても、はっとするほど「可愛い」表情。
さっきも感じた、思わず自己嫌悪に陥りそうな醜い嫉妬。
……視界がさまざまな想いとなって、一瞬のうちに錯綜する。

そして……

瞬間、自分の中で大切な何かが砕ける音がした。

「いい加減にしなさいよっ!」
両手で机を思い切り叩き付け、立ち上がっていた。
教室中の視線が集まっているのにも気が付かず、天満の胸倉を掴んでいた。

「ええ、あんたは彼のことを考えていればいいでしょうよ。
だけど、あんたのことを好きかも知れない誰かさんは、それを聞いてどう思うのよ。
惚れた相手にその気持ちまで迷惑がられて……答えなさいよっ!」

「お、おい……沢近、落ち着けって」
よほど激昂していたのだろう。
美琴が青くなって掛けたとりなしの言葉も、ただ頭の中を通り抜けていくだけだった。




521 名前:Forget-me-not :04/07/15 19:28 ID:vXRG4.EA
「可哀想じゃない……気付かないの? 
馬鹿なりに一生懸命あんたのコト想って……傷ついて……」
涙が頬を伝うのが分かった。
人前では決して見せまいと思っていたのに……

「沢近……お前まさか……」
美琴の目が驚愕で見開かれている。

そして……
「愛理ちゃん……」
全てを理解した顔だった。
そして、天満の目にも涙があった。

私はそれを見て、全身の力が急速に抜けていくのを感じた。

「……馬鹿みたいね。完全に独り相撲だわ」
天満に背を向け、呟いた。

帰ろう.
……少なくとも今日は、このクラスの誰とも顔を合わせたくない。
涙を理由に、哀れみの目で見て欲しくない。
……例え理由は分からないにしても。



522 名前:Forget-me-not :04/07/15 19:29 ID:vXRG4.EA
「……早退する」

鞄を掴んで、走った。
文字通りに逃げる自分が許せなかった。
……でも、逃げるしかなかった。

「愛理!」
教室の出口のところで呼び止められた。思わず立ち止まる。
晶らしくもない……少し切羽詰ったような語気だった。

「私達はあなたの味方だよ。美琴さんも、……塚本さんも」
達観した晶のことだ。全てお見通しなんだろう。
その言葉は嬉しかった。
でも、今の自分には振り返る勇気も、お礼を言う勇気も無かった。

「……そうね」

私は、天満が机に伏して肩を震わせるのを視界の片隅で捕らえながら、教室を後にした。
  



523 名前:Forget-me-not :04/07/15 19:30 ID:vXRG4.EA
自然と足は屋上へと向かっていた。

アイツがいつも居る場所。
いつしか、アイツと居られることをとても至福に感じられるようになった場所……

会って何か話したい内容があるわけではない。
あまつさえ、気持ちを思い切り吐露することなど出来るわけもない……

ただ……
少しでもいいからアイツの姿を、声を、表情を……脳裏に焼き付けておきたかった。




524 名前:Forget-me-not :04/07/15 19:31 ID:vXRG4.EA
「……で、結局どうするんだ?」

はたと足を止める。
屋上へと続くかんぬきの扉は開け放たれていて、もう一つ階段を昇れば、容易にそこの情景を捉えることが出来ただろう。

足を止めたのは何故だろう? 
聞こえてきた声が、知っているもののような気がしたからであろうか? 
それとも、本能的にそれから紡ぎ出されるであろう会話を避けたのだろうか? 
……今となっては分からない。

「どうするのかと聞いている」
確認するまでもない。
声の主はクラスの大黒柱であり、アイツを少しでも理解している数少ない学友であろう、花井春樹のものであった。

と、いうことは、会話の相手は――

「……何のことだよ」

――やっぱり――

今、最も聞きたい声を聞くことが出来た。
大きな体躯と、不良と呼ばれる外見に似つかわしい、その低く重厚な声を。

「……塚本君のことだ。好きなのだろう?」

落雷が体を抜けたかのような衝撃が走った。
安堵の感情が体を支配し、教室から引きずってきていた緊張感が弛緩したせいかもしれない。
反動は、強烈だった。



525 名前:Forget-me-not :04/07/15 19:35 ID:vXRG4.EA
「……」

アイツは何も言わない。
否定して欲しい。
いつもの照れ隠しのように、ふざけ半分でもいいから否定して欲しい。

「……余計なお世話かも知れんがな。半年ぐらい前から感じていたことだが……最近のお前は特に辛そうだ。その根源がどこにあるのかは、僕の与り知ることではないが……」
彼は続ける。
「理由が恋煩いにあるのならば、解決策は簡単だ。告白してしまえば良い。……結果はともあれ、な。遥かに楽になる」
「ふ……」
「む……何が可笑しい?」
少し憤慨した花井君を見上げ、寝転んだまま微笑むアイツ。

いつの間にか、私は扉の影に身を隠して、二人の会話を伺っていた。

「塚本のことを言っているのか?」
「当たり前だ。違うのか?」
「……」

沈黙が形成する張り詰めた静寂。
まるで、一度だけ掛けたアイツへの電話のよう。
お互いの共通の話題の少なさ故に、話し始めてすぐに経験してしまった沈黙。
ひたすら沈黙を恐れて、その後は話題を振り続けた。



526 名前:Forget-me-not :04/07/15 19:37 ID:vXRG4.EA
「……やっぱ、オメーの目から見ても、そう見えるか」

決定打。
堰を切ったように涙が溢れる。
頬の筋肉が緊張していく。
感情とは反比例して、笑顔を造り出そうとしているのだ。
こんなときにすら、感情のままに行動できない、哀しい習性。

「……その想いが、感情があるから。……いや、あったからこそ、ツレーんだよ」
「? 何を言っている?」
「さあ、な……」

――もうダメだ。何も出来ないうちに終わってしまった。
それも、盗み聞きなんていう、サイテーの状況で――

踵を返し、今度こそ帰ろうと、階段に向かう。



527 名前:Forget-me-not :04/07/15 19:37 ID:vXRG4.EA
その時、私の携帯電話が派手に着信音を響かせた。
はっとして振り向く。

二人とも、こちらを見ていた。
アイツのサングラス越しに、目が合った気がした。

「さ、沢近君!」
恐らく涙に仰天したのだろう、花井君は、どう対処していいのか分からないみたいで、おろおろしている。

――アイツは――
少し動じた感はあったが、それも花井君ほどではなく、ただ一言、「お嬢……」とだけ漏らした。

私は、笑顔を作った。
涙を流しながら笑う姿は、ひょっとしたら滑稽なものだったかもしれないが。
とにかく、最高の笑顔を見せてやろう――唐突に、そんな気持ちになった。

――そして――
「さようなら」
精一杯の感情を込めて、私は言った。

529 名前:Forget-me-not :04/07/15 19:39 ID:vXRG4.EA
その後、どうやって家に帰ってきたのか、記憶が定かではない。
気が付くと、ベッドに伏して、慟哭していた。
家の者に心配を懸けないよう、ただ静かに……静かに……


夕刻頃、目を真っ赤にしながら、天満がやってきた。
部屋に招き入れると、いきなり私の胸に顔を埋め、しゃくり上げながらただ、「ごめんね……ごめんね……」と、繰り返した。

元より天満に悪気があったわけじゃない。
感情を押し殺し、ふとしたきっかけで、あの場で暴発してしまった自分が悪いのだ。
私は、あんな形で、親友を傷つけてしまった自分を恥じた。

――全て自分の責任、あなたは何も悪くないわ――
――気に病まないで。隠していた私が悪いのよ――

言いたいこと、言わなければならないことは沢山あった。
けれど、今は何も言えず、天満の直情的な優しさに感謝して、ただ、震える肩を抱きしめることしか出来なかった。

普段の私の考え方からはかけ離れているが、心のどこかに、同情されたいという気持ちがあったのかもしれない。
私が何も言わないでいることが、天満にどういう影響をもたらすか分かっているはずなのに……



530 名前:Forget-me-not :04/07/15 19:40 ID:vXRG4.EA
小一時間ほどそうしていただろうか。
最後に「ごめんね……」と、もう一言だけ呟くと、天満はドアのノブを回した。

「天満……」
振り向いた。

「……ごめん。余計な心配掛けちゃったわね。
悪いのは全部私。そして……ありがとう」
やっと言えた。

その瞬間、天満の顔に見る見る満面の笑顔が戻る。

やっぱり、この娘には笑顔が一番似合う。
 

別れ際に交わした言葉。
「私たち、明日からも友達だよね?」
「あら、当然のことを訊くのね?」
それだけで、救われる気がした。




531 名前:Forget-me-not :04/07/15 19:41 ID:vXRG4.EA
――そして――

朝、私は感情に整理をつけることが出来ずに、昨日の出来事を引きずり、反芻していた。

「学校……行きたくないな……」

再び仰向けになり、窓から差し込んでくる優しい光すら嫌がるように、両腕で目を覆う。

美琴や天満、晶たちに訊かれれば、答えるつもりで腹は括った。
しかし、アイツに対する想いが、一晩だけで消え去るはずも無い。
……恐らく、アイツもはっきりと理解してしまっただろう。
もう、今までのように軽口を叩き合ったりすることは出来ない。

どんな顔をしてアイツに会えばいいのか……
どんな表情で、アイツの目を見ればいいのか……

時間は待ってはくれない。
あと数分もすれば、起き出して、支度を整えなければならない。
少なくとも、制服を着て家を出なければ、家の者に、要らぬ詮索と、余計な心配を懸けてしまう。



532 名前:Forget-me-not :04/07/15 19:43 ID:vXRG4.EA
「……コン」
躊躇いがちに、ドアをノックする音がした。
「……何?」
思わず身構え、自分におかしいところが無いか確認する。

「お早うございます、お嬢様。
……大変申し上げにくいのですが、突然先方から依頼が参りまして。
……宜しければ旦那様の代理として、会食に参加していただきたいのですが……」
執事の中村が、さも自分の責任のように、申し訳なさそうに言う。
「……従いまして、本日の午前中は学校をお休みされなければならなく」
「いいわ」
即答した。
「ありがとうございます。
午後からは出席出来ますので……
では、学校のほうにはそのように連絡を……」
最後に「では……」と残すと、中村は去っていった。

まさに渡りに船だった。
僅かな時間ではあるが、もう少し自分を見つめ直すことが出来る。
少なくとも、初めにアイツに会うまでに、自分のスタンスを決定しておく必要があった。それには、時間が必要――

予想外のことではあったが、兎にも角にも運命に感謝した。
時間を有効に活用するためにも、私の思考は、フルスピードで回転していった。



533 名前:Forget-me-not :04/07/15 19:44 ID:vXRG4.EA
時間は、あっという間に過ぎていった。

自分の倍以上は生きている人たちとの、取り留めの無い会話にただ相槌を打ち、時には笑顔を振るまいた。
本来ならば酔いしれる価値があるのだろうが、全く味のしないフルコースを、機械的に口へと運んだ。

一旦家に帰り、着替えて学校に向かうまでの時間は、意識的にゆっくりと歩いているのにも拘らず、
まるで飛行機にでも乗ってきたかのような錯覚を覚えるほど、あっという間だった。



534 名前:Forget-me-not :04/07/15 19:45 ID:vXRG4.EA
私は、依然として心を決しかねていた。
どういう態度を取ったらいいのだろう。
……このままでは、顔を見たとたんに爆発してしまいそうだ。
どういう行動を取ってしまうか、自分でも予測が出来ない……

――私がこんなに悩んでいるのに、アイツは平和な顔をして寝ているんでしょうね――
ふと、自嘲気味に嗤う。

――考えてみれば、アイツはいつもサングラスをかけているんだし、直接目を見ることは無いわね。
……気休めだけど、なんとか自分を保つしかない、か――

「……よし」
思わず呟いた。心を決めて、地を踏みしめる力を強めた。



535 名前:Forget-me-not :04/07/15 19:46 ID:vXRG4.EA
――瞬間――

「……おい」
不意に呼び止められた。思わず足が止まる。

ずっと俯きながら歩いてきたから気が付かなかったのだろう。
視線を上げると、既に校門を過ぎていた。

声は、背後から聞こえた。
その声には、聞き覚えがあった。と、いうよりも、ここ半年、意識して胸に留めていたものだった。

ゆっくりと振り向く。
決心したはずなのに、心音は早まり、鼓動は高まっていく。

アイツは校門に凭れて、腕を組んでいた。
そして、私の目をじっと見つめていた。

……サングラスは、掛けていなかった。



536 名前:Forget-me-not :04/07/15 19:48 ID:vXRG4.EA
「……何よ」
顔が紅潮していくのが分かる。
それを隠そうとするかのように、思わず喧嘩腰になってしまう。
……この半年続いていた状況。
素直になれない自分に苦笑しつつも、居心地のいい雰囲気に浸っていたことの繰り返し。

しかし、今は違う。
決定的に違う。
頬を染める要因となっているのは、照れや恥ずかしさなんかじゃない。
哀しみに起因する負の感情を抑制し、ともすれば爆発しかねない自分を押さえ込もうと、脳が必死に稼動している結果だ。

――決めたじゃない。サングラスをしていないのは予定外だったけど。
……頑張るのよ――



537 名前:Forget-me-not :04/07/15 19:50 ID:vXRG4.EA
「……遅かったじゃねぇか」
私は、目を逸らさずにするので精一杯だった。
「……家の用事でね」
「チッ……今日に限ってかよ」
そう言って、アイツは頭を掻く。

「……知ってりゃ他の方法も考えたのに。
……おかげで変な目で見られっぱなしだぜ」
「は? まさか、朝からそこでそうやっていたの?」
――私を待って?――
その言葉は発せずに飲み込んだ。

「……ああ」
成程、言いたいことがあるのか。
迷惑? それとも嫌悪? 
どちらにせよ、昨日の今日なのに……私は覚悟を決めた。

一瞬、昨日天満にぶつけてしまった自分の台詞が脳裏を過ぎった。
――やっぱり、想いを否定されるのは堪えるわね――



538 名前:Forget-me-not :04/07/15 19:52 ID:vXRG4.EA
アイツが近づいてくる。
コツコツという革靴の音が近づいてくる。

私は無意識に、俯いていた。

靴音が、私の手前で止まった。視線が、アイツの靴を捉えた。

「これを」
私は視線を戻した。
万全とは言えなかったけど、全てを受け入れる決意で。

アイツは、不器用ながらも綺麗に包装された、バスケットボールくらいの大きさのものを差し出していた。



539 名前:Forget-me-not :04/07/15 19:56 ID:vXRG4.EA
「……私に?」
どういうつもりだろう。
私は訝しげな表情を隠すことも出来ないまま、渡された包みを開けた。
「これは……」

出てきたものは、小さな鉢植えだった。
そして、丁度良い具合に盛られた土の上、蒲公英のように葉を横に伸ばし、紫色の花が、風に揺られていた。

「……忘れな草じゃない。……でも、どうして?」
忘れな草は本来秋の花だ。
何故、今頃コイツが持っているのだろう。
……そもそも、私にこれを渡す意図は……?

「……これは、俺の決意だ」
「……どういうこと? プレゼントなら、天満に渡せば良いじゃない」
自虐的な言葉が次々に出てきそうだ。
自分が発しているはずなのに、耳を塞ぎたくなる。

「……やっぱり、メガネとの話を聞いていたんだな」
「……そうよ。悪かったとは思っているわ」
「……」
アイツは、何か言いたそうな顔をしていたが、言葉が出てこないみたい。
必死で言葉を探しているように見えた。



540 名前:Forget-me-not :04/07/15 19:58 ID:vXRG4.EA
どのくらいそうしていただろうか。
私は理不尽にも、自分からは言葉を発してやるものかと決めていた。

「時々僕は、無理に君を、僕の形にはめてしまいそうになるけれど……」
突然、アイツは節をつけて、少し調子の外れた歌を歌いだした。

「な、何よ。突然……」
何を言われるかと戦々恐々としていた私は、見事に予想を外してくれたアイツの行動を、あっけに取られて見ているしかなかった。
「……昔、誰かが歌っていた歌だ。……これが、俺の気持ちを代弁してくれている」
「……え?」
「……お前、昨日の話を聞いていたんだろう?」
「天満のことを好きな気持ちがあるから、苦しいんだとか何とか……恋煩いなんでしょ?」
何を今更……そう思い、私は噛み付くように返した。
「……やっぱり勘違いしてやがったか。まあ、仕方がねーけどよ」

――勘違い?何を言っているの?――



541 名前:Forget-me-not :04/07/15 19:59 ID:vXRG4.EA
「確かに塚……天満ちゃんに惚れていたのは事実だ。……この学校に入ったのも、それが目的だったって言ってもおかしくねーからよ」
アイツは頬を人差し指で掻き、視線をあちこちに彷徨わせながら続ける。
「でも、俺は昨日、その想いを過去形にして言ったはずだ」

――あ……そういえば――

恐る恐る、封印した記憶の引き出しを開けてみる。確かにアイツは、「あったからこそ」と言っていた。
「つまりは、そういうこった」

――え……どういうこと? そんな話を今ここで、私にしているってコトは……それって、つまり――

「……俺は器用じゃねーし、飾る言葉も知らねぇ。
徹夜でこの花を探してくるぐらいしか思いつかなかったけどよ……」

私の中の時間が止まる。
心を満たしていた靄が霧散し、決して溶けることは無いだろうと思っていた氷塊が、静かに融解していくのを感じる。

「いつからだったかは忘れたし、そんなことはさして重要じゃねぇ」

思わず、組んだ両手を胸の前に持っていく。
……アイツの言葉を待っている自分が居る。

「……俺はお嬢が……愛理のことが……好きなんだよ」



542 名前:Forget-me-not :04/07/15 20:00 ID:vXRG4.EA
搾り出すようにして発せられた言葉。
アイツの口から大切に紡ぎだされた、私の名前。
……待っていたはずなのに、予想をしていたはずなのに、その言葉を理解し、体が歓喜を感じるまでに、時間を要した。

「……天満ちゃんを好きだった気持ちは、軽いもんじゃなかった。
……だからこそ、今、お前を好きだという気持ちが本物なのか、テメーがそう簡単に心変わりするような軽いヤローなのか、悩んでたんだよ」

アイツが心の中に溜め込み、蓄積された想い。
それをゆっくりと溶かしながら吐き出していくのを、私は黙って聞いていた。

「……けど、やっと吹っ切れた。きっかけは……お前の涙だけどな」

何て馬鹿な早とちり。
一人で突っ走って、暴走して。
――何のことは無い、答えは勇気を出して踏み込めば届くほど、近くにあったというのに……



543 名前:Forget-me-not :04/07/15 20:01 ID:vXRG4.EA
「……一つだけ教えて」
カラカラに乾いた喉の奥から、掠れてしまって殆ど聞こえないぐらいの声で、私は訊いた。
「……どうして忘れな草?」
「ん? あぁ、さっきの歌だ」
「え?」
「……俺はこんなんだからよ。
たまに独りよがりになって、お前の色を……お前らしさを消していることがあるだろうと思ってだな……」
すっかり、心の中の闇は消失していた。
「……さっきの歌詞そのままだろ? んで、この歌の題名は「Forget-me-not」、つまりはこの花のことだな。……だからだ」
「……馬鹿ね。似合わないコトしちゃって」
もう耐えられない。我慢できない。
「……んなこたぁ分かってんだよ。……で、どうなんだよ、返事は」
真っ赤になって照れるアイツ。
アイツの視線が私を捉え、その表情がびっくりしたものに変化するのを、駆け出した私の視界が微かに捉えた。

――決まってるじゃない――

私の呟きが、聞こえたかどうかは定かではない。

私は、アイツの厚い胸板に顔を埋め、背中に腕を回していた。
「……大好き」
その言葉に呼応するように、アイツの腕が肩越しに、躊躇いがちに私の背中に回された。



544 名前:Forget-me-not :04/07/15 20:02 ID:vXRG4.EA
背後でわっと歓声が上がった。
昼休みを暇で持て余していた面々が、こちらを注目していたのだろう。
しかし、何故か不思議と、恥ずかしさは感じられなかった。

顔を後ろに向けると、大勢の興味と好奇の視線の中、大切な人たちの、それぞれの慈愛に満ちた表情が伺えた。

美琴の、少し照れくさそうな、それでいて全てを優しく包容してくれるかのような表情が。
晶の、いつも通りに泰然としながら、全てを理解してくれるかのような表情が。
天満の、純粋で、ただ一直線に祝福してくれているであろう、その表情が。

全てに感謝しながら、私は再びアイツの胸に顔を埋め、ただ、至福の感動を味わった。




545 名前:Forget-me-not :04/07/15 20:03 ID:vXRG4.EA
最後に

私にとって、最も辛く、苦しく……嬉しかった二日。
アイツからの初めてのプレゼント。……ずっと大切にしよう。

――二人が育む愛の名前は、街に埋もれそうな小さな忘れな草――
アイツが歌っていた歌……
歌のように、この忘れな草が、私たちの象徴になればいい。

アイツは知っているだろうか? この花の花言葉を。
「私を忘れないで」
私は忘れない。
差し出してくれた傘を。掛けてくれたジャージを。
不器用で、決して真直ぐではない、アイツの優しさの全てを……

……願わくば
いつまでも、この想いが通じていますように――


五月十三日、十四日
生涯で最も波乱に満ちて、そして、幸せを感じることが出来た日を記して

                            沢近 愛理
2007年02月16日(金) 00:00:59 Modified by aile_irise




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