IF10・Take A Look Around


192 名前:Take A Look Around :04/07/07 11:08 ID:nUoXiSLg
 翌日も八雲は学校に出た。姉が無理をしないようにと止めたにも関わらずだ。
 さすがに一日で噂が消えるわけがなく、相変わらず八雲には少年達の遠慮の無い心の声が視えた。
いやむしろ、徐々に強まる力に呼応して、ますますはっきりと視えるようになっている。
 八雲とて、辛くないわけではなかった。向けられる声の刃は容赦なく乙女の心を嬲り、傷つけて
いく。
 それでも彼女は、屈することなく授業を受け続ける。漠然と、ここで逃げてはいけない、そう感
じていたから。

School Rumble
 ♭−λ Take A Look Around

「やあ、八雲君」
「……花井先輩」
 放課後。旧校舎に向かう廊下、その角を曲がったすぐ先に彼は立っていた。眼鏡を外した彼は、
どこか遠い目で彼女を見つめてくる。常と違うその雰囲気に、八雲は居心地の悪さを感じて黙って
しまう。
 そして花井もまた、口を閉ざしたまま。そのまましばし、二人は向かいあう。
「どうしたんですか?先輩」
 八雲の隣にいたサラも、彼の異変に気付いたのだろう。思い切って声をかけるが、
「すまない……サラ君……八雲君と二人にさせてもらえないか?」
 静かな、しかし強い言葉に気圧されてしまう。
 チラリ。向けられた友の視線に、八雲は小さく頷いて見せた。微かに不安げな色を顔に残しては
いたが、サラは彼女に頷き返して歩き出す。
「八雲君、悪いな、貴重な時間を割いてもらって」
「いえ……」
 その答えを聞いて、微かに目を伏せた後、花井は歩き出す。何も言われはしなかったが、八雲は
彼の後を追った。
 旧校舎の裏を抜けて、どんどんと彼は歩く。遠くから運動部の掛け声が微かに聞こえてくるが、
辺りに人はいない。
 そして彼が歩みを止めたのは、校庭の隅の花壇の前だった。腰をかがめて膝を地面について、彼
は咲き誇るコスモスの一つに手を添えた。
 そのまま愛でるように、花を撫でる彼の背中を、八雲はただ黙って見つめていた。


193 名前:Take A Look Around :04/07/07 11:08 ID:nUoXiSLg
「いつだったか」
 時を置かず、花井は口を開く。風と虫の音に耳を奪われていた八雲だったが、その言葉に彼に目
を向ける。相変わらず彼は背中を見せていて、その表情を隠している。
「君に悪いことを言った。そのことを謝ろうと思って、な」
 強い風が吹いた。渦を巻くそれに乗って落ちた葉が舞い上がる。
 八雲はたなびく髪を手で抑えながら考える。彼がいったい何を言っているのかと。
 花井は確かに、八雲と事あるごとに接触を図ろうとしてきた。そのために費やしてきた言葉は莫
大な量だろう。だがその中に、悪く言われたということはなかった、そう断言できる。
「体育祭の翌日のことだよ。君の前で、播磨を悪く言った」

『奴が色々と、迷惑をかけていたんじゃないかい?』
『まあこれで、播磨が八雲君にちょっかいを出してくることもないだろうし』
『良かったな、八雲君。もう無理にあいつと顔を合わせる必要はないんだ』

「あ……」
 忘れかけていた言葉の数々が記憶の海から浮かび上がる。
 あれはきっかけだった。彼の言葉に感じた反発、そこから自分の中に眠っていた想いに気付かさ
れた。
「本当にすまなかった。君の気持ちも考えないで」
 その声には普段の意気が感じられず、丸めた背中はとても小さく見えた。
「……いえ……」
 しばし迷った後、八雲はそれだけを口にする。
 また一陣の風が吹いた。コスモスの花が揺れて、花びらが一枚、飛んだ。
「あの画像を見たよ」
「…………!!」
 しばしの沈黙の後に彼が口にした言葉に、八雲は身を強張らせる。彼はしかし、振り向くことな
く続ける。
「僕は、馬鹿だ。八雲君をいつも見ていたのに、君の気持ちに気付けなかった」
 花井は顔を上げて、空を見上げる。そして、もう一度。
「僕は、馬鹿だ」
 何も言えない八雲がつられて見上げた空には、鰯雲が群れをつくっていた。


194 名前:Take A Look Around :04/07/07 11:09 ID:nUoXiSLg
「君が奴の……播磨のことを好きだったとはね。正直、予想外だったよ」
 立ち上がった彼は膝の土を手で払う。
「いや、予想していたことでもあったか。体育祭が始まる前までは確かに、君が播磨の事を好きだ
と思っていたんだからな」
 そして花井はまた空を見上げる。鰯達は風に流されて、遠くへと去っていく。
「あ、あの……」
 彼の背中に、八雲は声をかけた。言わなければいけないことがある、そう思ったから。
「私は……播磨さんのことを……好きじゃありませんから」
 再び沈黙が落ちる。二人の間を満たすのはただ、風の通る音と、微かに鳴く虫の鳴き声だけ。
「……冗談だろう?」
 身じろぎ一つしなかった花井が振り向いた時、八雲は思わず、後ずさりをしてしまった。
 彼の顔に浮かんでいた表情に、恐怖を感じたから。
 それは花井が、八雲の前で初めて見せる怒りだった。いや、もっと正確に言うならば、それは憤
怒だった。
 眉を吊り上げ、瞳には鋭い光が爛々と燃え盛り、唇を引き締め……例えるならば、吽の仁王。
「……冗談じゃ……ありません」
 か細い声で、しかし八雲は反論する。
 認めるわけにはいかなかった。誓ったのだから。この想いは終わったのだと。
「ならば……もしここで僕が君に告白すれば、君は受けてくれるのかね?」
「……!!」
 唐突な言葉に、八雲は目を大きく見開いた。

 それもいいかもしれない。心のどこかで、そう呟く声がした。
 彼もまた一途な人だ。裏表がない、というのは彼のためにある言葉だろう。彼に想われるのは幸
せなことではないのか……

 だけど、彼は彼じゃない。

 別の声が響いた。心の中に走り来て、走り去る影があった。サングラスをかけ、動物達と言葉を
交わすその人の姿と、目の前の男とを入れ替えることは出来なかった。
 出来なかったのだ。


195 名前:Take A Look Around :04/07/07 11:10 ID:nUoXiSLg
「八雲君」
 気が付くと、彼の顔からは鬼気が抜けていた。憑き物が落ちたかのように、花井は穏やかな表情
を八雲に見せる。
「すまない。少し自制出来ていなかったようだ。君が播磨を好きでないのと、僕を好きかどうかと
いうのは全く別物なのに、な……忘れてくれ」
 言って莞爾と笑う彼は、いつもの花井春樹だった。胸を張り、自信に満ち溢れている。
 だが何かが違った。それに思い至る前に、彼が話しかけてくる。
「僕は先に失礼させてもらう。八雲君」
 差し出された彼の手を、八雲はきょとんとして見つめた。やがて、握手を求められているのだと
気付いた。
 おずおずと差し出した手を、彼は優しく握り締めてきた。
「ありがとう」

 ありがとう

 声と声が重なった。そして初めて、八雲は気が付いた。今日は、今にいたるまで一度も、彼の心
を視る事が出来なかった。
 その意味を理解するよりも前に、花井は手を離す。一瞬、名残惜しそうな顔をしたが、すぐに彼
は笑顔を見せる。その顔はとても輝いていると、八雲は感じた。
「それじゃ……」
 言って背を向ける彼の後姿を、彼女はじっと見つめていた。
 その視線に気付いたわけではないだろうが、ふと立ち止まって、彼は振り向いて言った。

「八雲君。あの画像の中の君の顔は、とても素敵だったよ」
「…………」
「その想いを大事にしたまえ。これが僕が君に贈る、最後の言葉だ」

 ありがとう そして さよなら

 彼の心に涙は無かった。
 それを最後に、八雲には花井の心が視えなくなった。


196 名前:Take A Look Around :04/07/07 11:09 ID:nUoXiSLg
 花井が立ち去った後の花壇で、八雲は一人たたずむ。
 彼が愛でていたコスモスの花に、同じように手を触れてみる。風に吹かれてお辞儀をするかのよ
うに揺れる花々を、八雲はじっと見つめる。そして目を閉じて、自分の心の中を覗く。

 自分と花井が、同じ立場であったことに気が付く。
 花井が自分に向けてくれていた想いを、八雲はやっと理解することが出来た。それは彼女自身が、
播磨を想うようになったからだろう。
 想うことを知れば、想われることが少しだけ、わかったような気がしたから。
 八雲が播磨を想いながら、播磨に好きな人がいるのを知って諦めようとしたように、花井もまた、
彼女に想い人がいることを知って身を引いた。
 違うのは、八雲が未だ惑うのに対し、花井はすでに己の心に決着をつけていたことだろう。
 もう一度、彼女は思い出す。
 そう、あの時、手を繋ぐその時まで彼の心は見えなかった。それはつまり、彼が激昂し、そして
告白をしようかと言った時には、八雲を想っていなかったこと。
 八雲はつい先ほどまで彼が座っていた場所に立って、空を見上げる。
 同じ色のはずなのに、何故か今は青よりも蒼だと、八雲は感じた。

 しばらくの間、そうしていてから、八雲は立ち上がる。スカートの裾を払い、八雲は来た道を戻
り始める。
 その彼女の頭の中をしめていたのは、一つの思いだった。

『その想いを大事にしたまえ』

 花井の言葉がぐるぐると頭の中で回り続ける。
 誰もが、八雲の想いを認めようとする。間違いじゃないと言ってくる。サラも、姉ヶ崎も、天満
も、そして花井でさえも。
 誰よりも忘れたい、そして想いを捨て去りたいと願っているのは自分。なのに、その周りはそれ
を押し止めようとする。
 その妙な矛盾に、八雲は頭を振る。ではどうして欲しいというのだろう、私は。
 そして皆は、私にどうして欲しいと願っているのだろう。
 八雲は声に出さずに、宙に問いかける。
 もちろん、答えはどこからも帰ってこなかった。


197 名前:Take A Look Around :04/07/07 11:13 ID:nUoXiSLg
 旧校舎の中にある茶道部の部室、その扉の前に立った八雲は、中に二つの気配を感じた。
 ゆっくりと扉を開けると、重苦しい空気が溢れ出てくる。そして彼女に向けられる、四つの瞳。
 テーブルを挟んで向かい合うのは、二人の金髪の少女。
 輝くそれを片方は編みこみ、片方は二つにまとめて左右に垂らしている。
「あ、八雲」
 立ち上がって彼女を迎えるのは、先ほど別れたばかりのサラ。そして、もう一人は。
「こんにちは。ちょっとお邪魔してるわよ」
 沢近愛理だった。

「座ったら?そんなとこに突っ立ってないで」
 茶道部員でもないのに、妙に強気な愛理に促され、八雲は慌てて椅子に座る。ほとんど同時に、
サラが紅茶をカップに注いで、八雲の前に置いた。
 漂う香りはダージリンか。口を付ける前に、匂いを楽しもうとするが、
「あの……」
 じっとこちらを見つめてくる愛理の視線が気になって、八雲はおずおずと声をかける。が、
「ああ、気にしないで。いつものようにしててよ」
 取り合わず愛理は足を組んだまま、見るのを止めようとしない。その顔には笑顔の欠片もない。
綺麗な顔だけに余計に、その迫力はすさまじかった。
 仕方なく八雲は言われるがままにするが、サラがせっかく入れてくれたものだというのに、味は
ちっともわからなかった。
 そして重い沈黙が、肩に落ちてくる。八雲は落ち着かないように視線を彷徨わせ、サラはいつも
の笑顔を見せているが、どこかぎこちない。
 ただ一人、愛理だけが何も感じないかのように、じっと八雲の顔を見つめていた。
 コンコン。ノックと同時に扉が開き、顔を出したのは、
「失礼。高野君はいるかね?」
「先生!!」
 茶道部顧問の刑部絃子だった。流れ込む新鮮な空気に、ほっと息を漏らすサラと八雲だったが、
次に愛理と絃子の間で交わされた会話に顔を見合わせる。
「先生、昨日はお邪魔しました」
「ん?沢近君か。いや、こちらこそ。家の馬鹿従兄弟が世話になった」
 そう言って絃子は、軽く頭を下げた。


198 名前:Take A Look Around :04/07/07 11:14 ID:nUoXiSLg
 二学期が始まってすぐの、動物達を巻き込んだ騒動の中で、八雲とサラは刑部絃子と播磨拳児が
従兄弟同士であることを知った。そして、二人が同居していることも。
 詳しいことは、家庭の事情という言葉で曖昧に誤魔化されてしまったが。
 ただその際、誰にも言わないでいてくれ、と厳重に釘を刺された。それがどうしてのなのかも詳
しくは教えてもらえなかったが、二人と、そしてここにはいない高野晶は、しっかりと約束した。
 なのに、今、愛理は絃子と播磨が同居していることを知っている。あまつさえ、二人の家に訪れ
たかのような口調だ。
 不思議そうな顔をしているサラと八雲に気付いたのか、絃子が頭をかきながら説明を始める。
 彼女の語るところによると、こういうことだった。
 一昨日の夜、大雨の中、傘もささず帰ってきた播磨は、まるで魂が抜けたかのように虚ろになっ
ていて、シャワーを浴びもせずただ体だけを拭いて寝てしまった。その結果、風邪をひいてしまっ
たのだという。
 そして、そのことを知った彼女……愛理が播磨の見舞いに来たのだ。
「にしても、先生が出てきた時はびっくりしました」
「まあ、説明していなければ当然だろうがね」
 その夜、どうしても外せない用事が入っていた絃子は結局、訪れた愛理に彼の看病を任せて家を
出た。
「帰るのが遅くなってしまって、すまなかったな」
「いえ、別に。当然のことですから」
 先ほどまでの重苦しい顔はどこへやら、笑顔で言う愛理に、絃子はふむ、と頷いて見せる。その
彼女の瞳が一瞬、こちらへ向いた気がして八雲は見返すが、すでに絃子は席を立ち上がっていた。
「いないならしょうがないな。高野君が来たら、私が探していたと伝えてくれ」
「はい。わかりました」
 じゃあ頼んだよ。そう言って絃子が部屋を出た瞬間、愛理の笑顔は消える。そしてまたじっと、
八雲の顔を見つめてきた。
「ええと……」
「ちょっと、話があるんだけど……いいかしら?」
 あまりのぎこちなさに耐えられなくなった八雲が口を開くのと同時に、愛理もまた口を開いた。
 二人を交互に見つめていたサラは、空気が乾いて悲鳴を上げるのが聞こえたような気がした。

――――そして交錯する、二つの想い――――
2007年02月14日(水) 15:14:45 Modified by ID:LOVLpNCrSQ




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