IF11・Il gatto miagola


194 名前:Classical名無しさん :04/07/25 23:00 ID:2Ybe9IL2

 秋もくれる肌寒い一日の昼、塚本八雲は小学校の帰りにふと道端の日向で身をかがめている猫を見止めた。
 ふらふらとその猫に近寄り、身をかがめて覗き込む、全身が黒くて喉から胸にかけて白い毛がはえた小さな猫だった。
野良猫なのかあまりしっかりとした体つきもしていなく、よく見かける猫たちに比べたら明らかに小柄な体躯をしている。
 黒猫が気づいて、眠たげに顔をあげた。
自分よりも大きな頭が覗き込んでいるのに驚いて身をたじろぐが、威嚇の様子は見せない。よっぽど臆病なのだろう、八雲はそう考えた。
 そんな臆病な猫は、媚びるようににゃあと鳴いた。八雲が手をのばしても逃げようとしなかった。
頭をなでて喉をなでてやると、口の中でごろごろと鳴いた。


195 名前:Classical名無しさん :04/07/25 23:01 ID:2Ybe9IL2
仕舞いに、八雲が危害を加える事はしないと判断すると、仰向けになって無防備な腹をさらした。
 そんな懐っこい猫にたいそう気に召した八雲は、抱きかかえるとそのまま家に駆け出していた。
 八雲は誰にも悟られないようその猫を自分の部屋に入れると、手早く鍵をかけてその猫と遊んだ。
 その猫に名前はなかった。あえてつける必要もなかったのかもしれない。
八雲が呼べば来るし、向こうが呼べば八雲がいく。自分の弟ができたみたいで八雲はうれしそうに笑ってじゃれていた。
 夕食も家族に気づかれないようにそっと残して、その小さな猫に与えた。
 誰にも知られない自分だけの秘密に、八雲はなんともいえない背徳的な快感を覚えて、いつばれるかとスリルを楽しんでいた。


196 名前:Classical名無しさん :04/07/25 23:03 ID:2Ybe9IL2
八雲の部屋はその年の女の子の部屋としては少し殺風景だったかもしれない。
姉の塚本天満は、まさしく遊ぶを形容する少女で、親はよく、ぬいぐるみやおもちゃを買い与えていた。
友達を呼んできては、ぬいぐるみを囲んで楽しく笑っているのを扉の隙間から何度も八雲は覗いていた。
 八雲はあまりクラスメートを呼んで遊ぼうと考えた事はなかった。
勉強も運動もできて、誰からも人気があったけれど、人付き合いは疎遠だった。
勉強ができたから、親はよく図鑑や勉強をする為のテキストなどを買ってくれた。
本人もそれを望んでいた。たまには欲しいと思ったけれど、それを表して主張できるほどの自主性を持ちえていない。
 そんな彼女にとって、この猫はいわばぬいぐるみみたいなものだった。
八雲の小さな欲望を満たす良くできたぬいぐるみだった。
おいでといえば、にゃあと鳴いてくる。何かして欲しい時にはむこうがにゃあと鳴いて八雲がいく。
 ぬいぐるみより手間はかかるけれど、八雲はそれが楽しかった。
内緒でトイレも作って、ダンボールをくりぬいて小さな小屋まで作ってやった。
 姉たちには勝手に部屋に入るなと念入りに頼んで、自分と猫の空間を独り占めにしようとした。


197 名前:Classical名無しさん :04/07/25 23:04 ID:2Ybe9IL2
ある日八雲は学校に行くよりも、猫と遊びたくて、体調が悪いと嘘を突いて自分の部屋に閉じこもった。
 小さな猫はしきりに窓の桟を引っかいては、外に出ろと八雲に訴える。
初めは遊べばそんな気もなくなるだろうと思って、遊んでいたが次第に機嫌が悪くなるのが良く分かった。
とうとう八雲が呼んでもそっぽを向いてふてねをした。
大きな欠伸をこれ見よがしにしてみて、呼べども尻尾を振ってにゃあと鳴くだけだった。
 根負けした八雲は猫をそっと抱きかかえて、足音を殺して家を抜け出した。
 秋も北風に尻尾を巻いて、冬の足音が迫るような寒い日。八雲の腕の中で小さな猫は身を丸くしている。
あまりの寒さに驚いたのだろうか、身じろぎ一つしない。八雲の腕の中から何度か外界を眺めたけれど、すぐに頭を引っ込めてしまう。
 八雲はこの猫がどこに行きたいのかも分からないから、自分の知っているところをできるだけまわろうとしてみたけれど、寒さに負けた。
 夕暮れで、日もしっかりと傾いている。結局この小さな猫は、寒さに縮こまるだけで、外に出たいのはどういった理由なのかさっぱりわからない。
白い息を上げながら八雲は大切に自分の弟を腕の中に擁く。
 軽快に足音をならして、アスファルトを踏みしめる。小さな唇から白い息を吐き出して、普段は色の薄い頬がりんごのようにあかい。
大きくせり出す塀や並木がリズムよく後ろに流れるなか、八雲は夕焼けに追い立てられるように走っていた。
知らず知らずのうちにいつも通う通学路を走っていることに気づかない。
無意識のうちに走り、無意識に角を曲がる。横断歩道を渡り終えた頃に、見慣れた背中に足が止まった。
 姉の天満が友達と下校をしている。自分が擁いているのは大事な秘密。声をあげてしまった。聞きなれた声に振り向く姉。
 八雲は見つかるまいと踵を返した。小さな歩幅で駆け出した。天満が大きな声で何かを叫ぶ。少女の耳には届かない。小さな猫がにゃあと鳴いて八雲の腕から飛び降りた。息を呑み立ち止まって小さな猫が弧を描いて飛ぶ様を手で追いかける。
 猫は車の陰に呑み込まれた



198 名前:Classical名無しさん :04/07/25 23:06 ID:2Ybe9IL2
「・・・・ん」
ベッドに横になったつもりが眠っていたようだ。そう八雲は考えて身を起こしながら、目覚し時計の針を見た。まだ一時間くらいしかたってない。
「なつかしい夢。」
ポツリと独白、さみしさを帯びている。
『ああああ!!!』
何かをひっくり返すような音がして、オマケ程度に悲鳴が付いてくる。八雲は部屋から飛び出して音のした方へ向かった。
「姉さん、大丈夫?」
古い荷物がほこりといっしょにひっくり返って、その中に塚本天満が突っ伏していた。
「や、八雲、アレ知らないアレ!?」
まるでこの世の終わりの形相で必死になってほこりを引っ掻き回す。さすがの八雲もアレと言われただけでは何が目的なのか皆目見当がつかない。
「姉さん、アレって、何?」
「ほらアレだよアレ、写真入れるの!なんだったけ名前が出てこない・・・」
「えっと、フォトフレーム・・・」
「ちがう、もっとたくさん入れるやつ!」
「・・・アルバム?」
「そう、そうアルバム!!小さい頃の写真が入ってるの知らない?」
「えっと、確かこの箱の中に、」
八雲がいくつかの箱をどかすと、重みのあるダンボールとそのとなりに古ぼけた小さなぬいぐるみがあった。天満はダンボールに飛びつき残飯あさりをする犬みたいに顔を突っ込んだ。
「あった、よかった!!ありがとう八雲、これで烏丸君とルンルンル〜♪」
望みの品を手に入れて、妙な鼻歌と満面の笑顔で小躍りをする天満。八雲はなつかしそうにそのぬいぐるみに手をのばした。



199 名前:Classical名無しさん :04/07/25 23:07 ID:2Ybe9IL2
「あ、それ、なつかしい。確かわたしが八雲に上げたぬいぐるみだよね。ちっちゃい時に八雲黙って猫飼ってて、その猫が確か死んじゃって、八雲が珍しく大泣きしてしょうがなかったから・・・」
「・・・うん」
八雲は頬を赤らめて小さく頷いた。
―姉さん、覚えててくれたんだ。
 八雲は月明かりにその黒いぬいぐるみをかかげて眺めていた。ずいぶんと間抜けな顔をした、変な猫だった。そして、肝心なものがその顔から欠落している。
「あ、このぬいぐるみ、あの子に似てる。」
その部分を指でなぞって八雲はポツリと呟いた
にゃあ
暗がりからぼんやりと目を光らせて伊織が八雲のひざに飛び乗る。その仄かな暖かさに八雲の唇がほころびた。
「伊織、ほら、新しいお友達・・・」
八雲はそっと伊織の目の前に、間抜けな顔をしたぬいぐるみを置いてやった。途端伊織は身を翻して闇の中に身を潜めてじっと、新しい友達を眺めている。
「やっぱ驚いちゃったかな。」
伊織の意に叶わなかったぬいぐるみを八雲はあの時のように腕に擁いた。
小さな唇のほころびと、りんごのように染まった頬、あの時とは違うけれど八雲はあの時と同じような心持になる。そして心の中で小さく呟く。
―だって、この子、右目がないものね・・・

 ―Il gatto miagola―
2007年02月17日(土) 00:45:02 Modified by aile_irise




スマートフォン版で見る