IF11・Is this LOVE?


467 名前:Is this LOVE? :04/07/31 18:00 ID:nUoXiSLg
 夜の空を見上げるたびに、少女は思う。
 いつか己がそこに至る日が来るのだろうか、と。

 Is this LOVE?

 その場所に少女が留まるようになってから、幾度、年が巡ったかを当の本人も覚えていない。
 すでに彼女が数えるのをやめてから久しかった。
 少女にとって今日という日は、いつか見た『あの日』の焼き直しに過ぎない。
 延々と繰り返される毎日、その中で人の所作は変わることなく、ただただ先人と同じように悩み、
苦しみ、生きて、時に死んで、やがて巣立っていく。
 この、矢神という土地を。
 少女は少女のまま、太陽が昇りやがて沈むのを、星が瞬きやがて消えるのを、月が輝きやがて霞
むのを、ただ眺めていた。
 そう。
 ただ眺めていた。
 それは見るという意思ではなく、思いを馳せるという心でもなく、飽くという情すら磨り減った
後に残る枯れ切った体と瞳、その動きに過ぎない。

 この場所に彼女が一人、留まっているその理由はただ一つ。
 答えを知っている……あるいはこれから知ろうとする女性がいるからに他ならない。

『答えて……あなた男の人がキライ?それとも好き?』

 長い時の中に漂い、世界をさまよい続けて、様々なものを少女は見てきた。
 綺麗なものもあれば、汚いものもあった。
 忘れてしまったものもあれば、忘れられない思い出もあった。
 やがてこの矢神という土地に流れ着いた頃、彼女はただ一つのことだけに興味を抱くようになっ
ていた。

『これだけ長く生きてもわからないわ。私、ずっとこの姿のままだから。大人になれないから』

 それは、恋という名の想い。


468 名前:Is this LOVE? :04/07/31 18:01 ID:nUoXiSLg
 夕の闇が少しずつ太陽を覆い隠していき、薄暗くなっていく教室に灯が入る。
 旧校舎に留まり、すでに冷め切った紅茶のカップを手にしていた塚本八雲は、数度の点滅の後に
付いた蛍光灯の灯りに一度、天井を見上げた。
 そして一つ、
「ふぅ」
 溜息を吐く。

『播磨先輩と付き合ってたんだって?』

 親友の言葉が八雲の頭の中を、ぐるぐると回り離れない。
 美しい唇からこぼれるのは、小さな溜息ばかりで、そのどれもがどこか陰鬱であった。
 澄んだ色の紅茶の水面に映る自身の顔に、八雲は目を細める。
 そこに浮かぶのは、ただ困惑に揺れている少女であり、また己を責める幼さを宿した瞳だった。

『播磨先輩は沢近先輩とつきあってるんだと思ってたよ』

 どうしてこうなったのだろうか。
 一人残った部室で八雲は、沈黙に囲まれながら途方にくれる。
 そもそも彼女は、別につきあっているなどと誰かに言った覚えは無い。
 確かに、彼と……播磨とはよく会っている。
 しかしそれに他意はない。少なくとも彼にそのつもりはないだろう。もしそんな想いがあるのな
らば、彼の声が視えるだろうから。
 ……微かな違和感。
 胸の奥に感じたそれが何かを、八雲は探るが見つからない。

『天満……それはこのコよ』

 金の髪も美しい彼女の言葉の意味と意図を、八雲は掴みきれなかった。
 何故? 心に浮かぶのは、疑問符ばかり。
 あの人は何故、そんなことを言ったのだろうか。
「それはその子が、彼を好きだからでしょう?


469 名前:Is this LOVE? :04/07/31 18:02 ID:nUoXiSLg
 聞き覚えのある声に八雲は、顔を上げた。

「久しぶり。八雲」

 宙に浮かぶのは、以前に美術室で邂逅した幼い少女の幽霊だった。

「どう?いつか聞いた答えは出たかしら?」
「貴方は……」
 微かに目を見広げる八雲の前に、彼女はふわりと舞い降りる。
「答えて……あなた男の人がキライ?それとも好き?」
 いつかと同じ問いかけに、八雲は答えることが出来なかった。

「うぅ……」
 少女の黒髪が、八雲の体を拘束する。だが前とは違い、それは乱暴で加減がなかった。
「あなた、言ったわよね」
 黒曜石と見間違えんばかりの輝きを放つ瞳が、八雲の顔を覗きこむ。

『今はわからない……だけど私も、きっと誰かを好きになる……と思う』

 思い出さされた言葉に、八雲は困惑したまま少女を見つめ返した。
「あの時は、わからなかった。じゃあ今なら……わかるのかしら?」
 問いかけと同時に、少しずつ艶髪が彼女の柔肌を締め付け始める。
「くる……しぃ……」
 身動きがとれないまま、喉から苦しげな吐息を漏らす。
 必死に四肢に力を込めるが、ピクリとも動かない。それほどに幼き娘の髪に込められた力は強か
った。
「どうなの?答えてよ」
 間近に見る少女の瞳に、感情はない。ただ深い漆黒が瞳の奥に広がるばかり。

 殺される……!

 思った瞬間、八雲は薄れ行く意識の底から現れた人影の名前を呼んだ。


470 名前:Is this LOVE? :04/07/31 18:03 ID:nUoXiSLg
 播磨さん……

 それは声にならない叫びだった。
 首を絞められたままの彼女が漏らしたのはただの呻き声でしかなく、意味をなさない空気の震え
が生まれたに過ぎなかった。

「やっぱり、ね」
 満足そうにそう呟くと、少女は八雲を束縛から解いた。
 崩れ落ちるように床にしゃがみこみ、彼女は肺に新鮮な空気を取り込もうと荒く息をつく。
 その瞳に、少女の小さな足が映った。強く脈打つ胸を服の上から抑えながら、八雲はゆっくりと
視線を上げていった。
 唇に、小さな笑みが浮かんでいた。どこか満たされたような雰囲気が、眦に現れてもいた。
「あなたは、その播磨という人のことが好きなんだわ」
「……え?」
「叫んだでしょう? 助けを求めたでしょう?」
「それは……!!」

 絡み合う視線。
 その向こうに八雲は、少女の心を視た。

『ねぇ、――君のこと、好きなの?』
『え? ……よくわからない』
『……そっか。でも、――君は、好きだって言ってたよ』
 二人の幼い少女がいた。顔は見えない。ただ声が聞こえてくるばかり。
 だがそれでも、その二人が幼いということが、八雲にはわかった。
 場所は……駅のプラットホームだろうか。
 三番線に列車が参ります。危険ですから……
 かすれたアナウンスが聞こえてくる。
『わかんない。だってよく知らないんだもん』
『私が先に好きになったのに』
『え?』
 トン。


471 名前:Is this LOVE? :04/07/31 18:03 ID:nUoXiSLg
 それは小さな一押し。
 純粋で無邪気な殺意。
『キャァァァァァァッ!!』
 悲鳴が響いた。
 残された少女は、点々と返り血を浴びた姿のまま、愕然と己の手を見つめていた。
 その顔は、しかし、微かに歪んでいた。
 笑みの形に。

「好きってそういうことでしょう?」
 そう言った彼女の顔が、プラットホームから落ちていく少女の顔と重なった。

 次の瞬間、八雲は少女を胸にしっかりと抱きしめていた。

「……八雲?」
 唐突な彼女の行動に、怪訝そうな声をあげる少女。だが八雲は、その手に、腕にこめた力を緩め
ようとはしなかった。
 いや、むしろなおさらに強く引き寄せ、頭をかき抱いた。
「どうして」
 自然と零れ出す涙を拭うこともしないまま、八雲は彼女の耳元でそっと囁いた。
「どうして、好きって気持ちを知りたいの?」
「誰かを好きになったことがないからよ」
 幼い声、だがとても深く、内にたくさんの想いが込められている。八雲はそんな風に感じていた。
「この姿のまま、大人になれないまま、ずっと世界をさまよってきた」
 抱きしめられたまま、少女はゆっくりと語り出した。
「他のことはわかるの。色々と見てきたから」
 少女の体に、ぬくもりはない。むしろ冷たいほど。
 彼女が幽霊だということを、八雲は改めて思い知らされる。
「でもわからない。好きという気持ちだけは」
 その声音は何も変わっていない。なのに、何故か八雲の耳には、かすれて聞こえた。
 まるで少女の心の震えを伝えてきたかのように。
「誰もその力から逃げることが出来ない。どんなに冷静な人でも、好きという気持ちにとらわれた
ら、変わってしまう」


472 名前:Is this LOVE? :04/07/31 18:10 ID:nUoXiSLg
 外から見ているだけでは、わからないの。
 そう続けた後、少女は軽く八雲の体を押して、身を離す。
 ほんのわずかな距離を挟んで見詰め合う二人。
「わからないの、それがどういう気持ちなのか」
 八雲の頬を伝う涙を小さな手で拭いながら、少女は言った。
「だから、知りたかった。教えて欲しかった。好きになるっていうのは、どういう気持ちなのかを」
「……私に?」
「あなたは『枷』をはめられた人間だから……私と同じように」
 それが自分の力のことを指していると気付いて、八雲は眉を曇らせた。
「八雲。あなたは人を、男の子を怖がっていた。心が視えてしまうから」
 じっと少女は、八雲を見つめる。
 嘘を許さないその真っ直ぐな瞳から、彼女は目をそらすことが出来ず、身じろぎ一つしないまま
見つめ返す。
 静まり返る空間、漂う緊迫感に空気がきしむ。
「それでもあなたは言ったわ。いつか誰かを好きになるって」
 自らの言葉に小さく八雲が頷くのを視てから、少女は続ける。
「そして、好きになったんでしょう? あの播磨という人のことを」
 ザワリ
 八雲の胸の奥を、何かが通り過ぎた。
 それは熱くて、そして痛く、だが決して不愉快ではない想い。
「それは……」
「あなたは、自分が死にそうになった時、彼のことを呼んだ。それが好きということではないの?」
 切り込むような少女の言葉に、八雲は己の心と向き合い、問いかけた。

 私……
 播磨さんのことが好きなの?

「わからない」
 素直な気持ちを、八雲は口に出した。
「え?」
 問い返してくる少女、その瞳を、八雲は見つめ返した。
 惑いながら、それでも精一杯、まっすぐに。


473 名前:Is this LOVE? :04/07/31 18:11 ID:nUoXiSLg
「わからない。好き……なのかどうか」
「どうして? 彼があなたにとって、一番、大事な人なんじゃないの? 最後に会いたいと願う人
じゃないの?」
 また、鋭い叱咤に似た少女の声に、八雲は一瞬、身を震わせるがそれでも、目をそらそうとはし
なかった。
 もしそうしてしまえば、それは逃げたということだと、本能が叫んでいた。
「そういうことじゃ、ないと思う。好きっていうのは……」
 彼女が思い浮かべていたのは、姉、塚本天満の無邪気な笑顔だった。
 烏丸という少年のことを好きだという彼女が、彼のことを話す時はいつも、とても幸せそうな顔
をする。見ている八雲までが、心暖まるほど。
「じゃあ、どういうことなの?」
 静かに少女は問いかけてくる。
 八雲は目を閉じて、答えを探す。それはきっととても身近にあるものだと、何故か八雲は感じて
いた。
「好きって、いうのは……」

 姉が見せる、純粋な幸福の微笑。
 愛理が見せた、鋭くそして複雑な表情。
 その二つは、実は表と裏なのだと、八雲の直感が囁いた。

「その人の側にいて、楽しいと思えること……だと思う」
 八雲の答えに、少女は無言、そして表情も浮かべない。
 ただじっと、彼女を見つめている。続きを促されているのだと気付き、八雲は必死に言葉を探す。
「だけど、もしもその人の心が自分を向いていなかったら、辛く思ってしまう。それが……」
「好き、という気持ちだというの?」
 頷く八雲は、しかし全く自信など持てなかった。
 だからこそ、播磨に対する自分の気持ちがわからなかったのだ。もしも本当に、彼のことを好き
ならばこんなにも、迷うことなどなかっただろうから。
「それじゃ、あなたにとって彼はどういう人なの?」
 問いかけてくる少女に、八雲はわずかに首をかしげた後、
「憧れ……だと思う」
 小さくそう答えた。


474 名前:Is this LOVE? :04/07/31 18:11 ID:nUoXiSLg
 動物という接点しか、最初はなかった。ただ漠然と、優しい人だとしか思わなかった。
 違う点があるとすれば、彼の心は他の人と違って視えない、ということだけ。もっとも、それだ
けで珍しいと言えば珍しいのだが。
 それから漫画の批評を頼まれるようになり、少しずつ彼と過ごす時間が増えていった。
 だが、だからと云って好きだと感じたことはない。
 彼の人柄、優しさ、そして動物達との交わりを見つめているうちに、惹かれている自分に気付い
てはいた。
 しかし、それは例えばサラのような友人に感じるようなものでしかない。
 あんな風になりたい、そう感じることがあるような思いを、八雲は憧れという言葉でしか表せな
かった。

「憧れ……」
 小さく頷く八雲を瞳の端にとらえながら、少女は窓の外を眺める。
 ゆっくりと舞い落ちる鮮やかな黄に色づいた葉を、彼女は目で追っていた。
「ならあなたがもし誰かを好きになったとしたら、どんな想いを抱くのかしら?」
 問いかけの形をしていない問いかけに八雲は、ふと浮かんだ言葉を口にする。
「焦がれ……」

 一緒にいたい、とか。
 自分のことだけを見つめて欲しい、とか。
 他の人を見ないで欲しい、とか。

 手を汚してでも自分だけのものにしたい、とか。

 きっとそれは、焦がれと言うのだろう。八雲はそう思う。
 そして彼女がまだ感じたことのない想いでもある。

「焦がれ……か」
 ふわり。
 少女が宙に浮き、ワンピースの裾がかすかにはためいた。
「確かに私がまだ、知らない想いだわ」
 そして彼女が、小さく笑ったような、そんな風に八雲は見えた。


475 名前:Is this LOVE? :04/07/31 18:12 ID:nUoXiSLg
「八雲、また、会いに来るわ」
 少しずつ光に包まれていく少女に、彼女は目を細めながら、だが視線を外そうとはしなかった。
「いつか、あなたが憧れではなく、焦がれを感じる頃に。その時にもう一度、聞くから」

『男の人が好き? それともキライ?』

「待って!」
 徐々に体が透き通っていき、今にも消えそうな少女を八雲は呼び止めた。
「何?」
「あの……」
 そこで八雲は絶句してしまう。
 どう言えばいいというのだろう。自分を殺した相手を許してやれ、などとよく知りもしない自分
が言ってもいいものか、どうか。
 焦がれ。それは純粋ゆえに残酷なのだと、どう伝えればいいのか。
「あのね、八雲」
 迷う彼女に、どこか呆れたような声で少女は言った。
「それ、私じゃないわよ」
「……え?」
「言ったでしょう。色々なものを見てきたって。あなたは私の心を視て、それが私のことだと思っ
たかもしれないけれど……そうじゃなくてそれも、私が見てきたことの一つ」
「……本当に?」
 最後の問いかけに、少女はただ小さく微笑んで見せただけで、答えなかった。

 もはやその姿の大半を隠した太陽の、最後のきらめきが投げかけられて、八雲はゆっくりと目を
覚ました。
 呆とした頭で考える。今のは、現か幻か?
 答えは出ない。ただ確かに、彼女が導き出した答えだけは胸の中にあった。
 播磨さん。
 そっと、胸の奥で小さく呟く。生まれてくる、暖かなぬくもり。例えるなら小さな冬の焚き火。
 この気持ちがいつか、燃え盛る日が来るのだろうか。八雲には、わからなかった。
 だけど、今は、それでいい。
 矢神坂を歩いて下りながら、彼女は、そんな風に考えるのだった。
2007年02月17日(土) 23:33:50 Modified by aile_irise




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