IF11・Mistake


419 名前:Mistake :04/07/29 18:14 ID:qmlfIyEQ
「うん?」
 早めの朝食を片付け、仏頂面で古いアルバムに目を通していた絃子は、どこか遠慮がちにゆっくりと
押された呼び鈴の音に眉をひそめる。時計の針が示すのはまだ七時台、来客があるにしてはいささか
早すぎる時間である。
「ということは、だ」
 やれやれといった表情で、けれど口の端には小さく笑みを浮かべつつ玄関に向かう。サンダルを
つっかけて開いたドア、その向こうにいたのは予想に違わず出戻りの居候。
「やあ、ようやく帰ってきた……と思ったらなんだ、随分とお疲れのようだね、また」
「……いろいろあんだよ、海の男にゃよ」
「誰が海の男だ」
 訳の分からないことを、と軽く頭をはたいておく。
「なにしやが」
「ん? 何か文句があるのかな?」
「いえ何も」
 その言葉ににあっさりと引き下がる拳児。触らぬ神になんとやら、最低限の防衛本能は身について
いる様子。
「さ、寝ぼけたことを言ってる暇があるのなら、とっととシャワーでも浴びてきたまえ。その恰好じゃ
 見苦しいったらないよ」
 ぼろぼろの上下に仄かな磯の香り、とくれば、さすがに何も言えずに従うしかない。おう、と小さな
返事を残し、バスルームへと向かう。
「まったく、余計な心配をかけてくれる」
 その姿が視界から消えてから、一人呟く絃子。
「馬鹿者め」
 口調とは裏腹の表情に、果たして本人は気がついているのかどうか。


420 名前:Mistake :04/07/29 18:15 ID:qmlfIyEQ
 ――数時間後。
「ほらほら、昼食だぞ」
 シャワーから出ると、疲れのせいかすぐに寝込んでしまった拳児を起こすべく、ノックもなしに部屋に
足を踏み入れる絃子。数日間主が留守だったにも関わらず、小綺麗に室内が片付いているのは当然彼女の
労働の成果である。
「やれやれ、まだ寝ているのか」
 そう言いながら歩み寄ったベッドの上には、無防備な寝顔をさらした拳児の姿。さっさと叩き起こす
つもりの絃子だったが、それを見て、フン、と小さく鼻を鳴らし、ベッドの脇に腰を下ろす。
「こうしてれば可愛いんだけどね」
 ぼやきながらその寝顔を間近から覗き込む――と。
「――んあ?」
「つっ!?」
 接近されてさすがに気配を感じ取ったのか、目蓋を上げる拳児。その思わぬ反応に、彼女らしくもなく
驚きの声をあげかけてぐっと堪える絃子。
「イトコ? 何やってんだ、こんなとこで」
「……何でもない」
「いや、んなことねぇだろ。それに何か顔赤くねぇか?」
 熱でもあんのか、と今度は逆に彼の方から覗き込んでくる。一応、彼は彼なりに心配もするのである。
「くっ……うるさいな、何でもないと言ってるだろう!」
 飛び退くようにしてその場を離れ、昼食だ昼食、と急ぎ足で部屋を出て行く絃子。訳も分からず取り
残された拳児は、俺が悪ぃのかよ、とぶつぶつ呟きながらその後に続く。


421 名前:Mistake :04/07/29 18:15 ID:qmlfIyEQ
 そして昼食の席に着く二人。しかし、一度狂った歯車がそう簡単に戻るはずもなく、そこに流れるのは
ひたすら微妙な空気。交わされる会話もなく、ひたすら食器の音だけが響き渡る。
「……あのよ」
「……なんだ」
 ようやく、一大決心といった様子の拳児がその沈黙を破る。
「さっきは」
 続く言葉を言い終えることさえ許されず、どこから取り出したのかはおろか、構えるモーションさえ
見抜けぬ速さでその目の前に突きつけられるモデルガン。
「拳児君」
「はい」
 そこにあるのはこれ以上ないくらいの満面の笑み。
 それ故にだからこそ、彼は動けない。
「何でもない、と言ったはずだが?」
 その言葉を聞くや否や、今度は拳児の方が絃子に負けず劣らずの速度で残った料理を胃袋に叩き込み、
即座に席を立つ。
「うまかったぜ。じゃあなっ!」
 それだけを言い残し、一目散に外へと飛び出していき、居間には絃子が一人残される。
「馬鹿者め」
 そう呟き、もはや誰もいないそこに向かって一発だけ弾を打ち込んでから、やるせないように数度首を
振る。そして飛ばした視線の先にあるのは、先刻見ていた一冊のアルバム。どのページにどんな写真が
収められているのか、空で言えるほどに見返した、彼女の――否、彼と彼女の宝物。
「いや、馬鹿なのは私の方、か」
 心の底から溜息一つ。

 ――播磨拳児、十六歳。悩み多き年頃である。
 が、刑部絃子――彼女もまた、悩み多き生活を送っているようである。
2007年02月17日(土) 21:51:05 Modified by aile_irise




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