IF13・枷


273 名前:枷 :04/09/06 03:07 ID:/C1QE3Rg
八雲は夢を見た。
 冬の到来を感じさせる肌寒い日がこの頃続いていたが、今日は珍しく日差しも高く、暖かい日だった。
 八雲はついうとうとと、縁側で寝てしまったのだった。
 その夢には、以前美術の居残りをしていたときに出会った、不思議な少女が出てきた。
 その少女は、漆黒の瞳でこちらを見つめながら、おもむろに言った。
「久しぶりね、私のこと、覚えているかしら」
 八雲はしばらく、その少女が持つ不思議な雰囲気に呑まれていたが、すぐに口を開いた。
「あなたは、あのときの……」
「うれしいわ、覚えていてくれて」
 そう言い、少女は八雲の目の高さまで浮かび上がった。
 そして、八雲の目を覗き込みながら言った。
「前に言ったわよね、また来るって。また質問するわ。あなたは、あれから誰か男性を好きになることができたかしら?」
 好きな人……。
 八雲は、一人の男性を思い浮かべた。
 播磨 拳児。
 彼は、今八雲が一番気になっている男性だった。
 だが、彼は……
「その様子だと、好きな人ができたようね」
「違う、あの人は……」
 好きになってはいけない人なのだ。
 あの人が好きな人は、自分の大好きな姉なのだから、そう言おうとしたが、言葉にすることができなかった。
「何故隠そうとするの? 好きなら、それでいいんじゃないの?」
 違う、のだ。
 
八雲は、以前播磨のマンガを手伝っていた。
 そしてその過程で、気付いてしまったのだ。
 播磨そっくりな主人公、八雲の姉――天満そっくりなヒロイン。
 そしてその二人は最後に結ばれ、ハッピーエンドで話しは幕を閉じる。
 播磨にこのことを質問したとき、彼は必死になって否定したのだった。



274 名前:枷 :04/09/06 03:08 ID:/C1QE3Rg
その様子を見て、八雲は確信したのだ。
 播磨の好きな人は、天満だと。
この時、八雲の心の奥にあった、淡い感情は揺れ動いた。
まだそれが何なのか、八雲には、はっきりとはわからなかった。
ただ、播磨と一緒にいると、暖かい気持ちになれた。
だが……
生まれて初めて、気になっていた男性。
 好きになるというのは、こういう気持ちだろうか、と思ったこともあった。
 でも、彼が好きな人は、自分の姉……。
 大好きな、姉……。
 八雲は自分の、どんどん大きくなりつつある感情を、心の奥にしまいこむことに決めた。
 姉に対して嫉妬したりするのだけは、嫌だったから。
 自分がマンガを手伝っているのは、ただの親切心から。
 そう自分に言い聞かせた。
 それでも、少しずつ想いは大きくなっていった。
 必死にその想いを抑え、そばにいて、マンガの手伝いができるだけでいいと思うようにした。
 播磨の幸せを一生懸命願うことに、八雲は決めたのだった。
 だから、よくないのだ。
 自分は、気持ちを抑えなければいけない。

「よく、わからないわ」少女は、少し悲しそうに目を伏せ、「やっぱり、私には理解できないのかしら……」と呟いた。
 八雲は、少しうつむき加減になった。
「――私にも、わからない……人を好きになるって、何なのか。どうすれば、よいのか。ただ、あの人が好きな人は、姉さんで、私は、姉さんを失いたくない……」
 だが、八雲の中で播磨の存在は日に日に大きくなっていった。
 その分、天満に対する嫉妬心も……
「難しいのね。でも……」
 そこで少女は少し、言葉を切った。
 この先の言葉を言おうかどうか、迷っているようだった。
「でも、あなたの好きな人に、あなたの気持ちを伝えたくないのなら、もう、その人には


275 名前:枷 :04/09/06 03:10 ID:/C1QE3Rg
会わないほうがいいかもしれないわね」
「え……?」
「あなたの想いは、どんどん膨らんできているのでしょう?」
少女の声は、透き通るように八雲の頭の中に直接響いてきた。
「あなたは枷をはめられているの、そのことを、頭の隅に入れておいたほうがいいわ」
 少女は、跡形もなく消えていた。

八雲は、目を覚ました。
 今の夢は、何だったのだろうかと思った。
 いや、今のは本当に夢だったのだろうか。
 少女は言っていた、枷をはめられていることを忘れるな、と。
 初めて会ったときも、そのようなことを言っていた。
 自分の枷は、自分に好意を向けてくれる人の気持ちが視えてしまうこと。
 なら、もう好きな人に会わないほうがいいというのは?
好きな人の心が視えないから、傷ついてしまうということだろうか。
 それなら、もう十分傷ついている。
 自分は決めたのだ。
 そばにいて、彼を応援すると……。
「やくもぉ! ご飯まだぁ?!」
 八雲は天満の声を聞き、夕飯の準備をしないで寝てしまっていたことに気が付いた。
 そして、天満の声がする方に小走りで向かいながら、八雲は思った。
 これでいいのだ、と。
 自分が我慢すれば、誰も傷つかない。
 播磨との関係も今まで通り続けられるし、天満との関係も変わらない。
 あの少女は八雲に、もう播磨に会わないほうがいいと言ったが、明日は播磨と屋上で会う約束をしていた。
 明日は、播磨が応募した、二条 丈賞の受賞者発表が、ジンガマに載る日だった。
 そして八雲は、その日を楽しみにしていた。
 久しぶりに播磨に、二人きりで会える日だったから。

 次の日の昼休み、八雲が屋上に上がると、播磨はすでにそこにいた。


276 名前:枷 :04/09/06 03:11 ID:/C1QE3Rg
久しぶりに会う彼は、相変わらずサングラスをかけ、ぶっきらぼうに下の景色を眺めていた。
だが八雲が来たことに気が付くと、顔中に笑みを貼り付けながら、ジンガマのとあるページを開いて八雲に見せたのだった。
 そしてそこには、二条 丈賞 受賞者発表! と大きく書かれており、そこの入選の欄に、播磨のペンネーム、ハリマ☆ハリオの名前が書かれていたのだった。

「妹さん、ほんとにありがとう。感謝してる」
播磨は、何度も何度もお礼を言った。
 そうお礼を言われるたびに、八雲は恐縮してしまうのだった。
 八雲は、播磨に会いたかったからマンガを手伝っていた。
 下心がある自分には、お礼を言われる資格なんてないと思っていた。
今日会いに来たのも、その下心があるからだった。
播磨はその後、真剣な表情になり、八雲に言ったのだった。
「それで、さ。妹さんには、話しておこうと思うんだ……俺がマンガを描いてた理由を」
 八雲には、その理由は想像できていた。
 天満への想いをのせて、マンガを描いていたのだろう。
 想像はついていたのだが、八雲は身構えてしまった。
「俺の想いは、このマンガに詰まっていた」
 そこで播磨は、すぅっと息を吸い、言った。
「俺は、塚本、いや、天満ちゃんのことがずっと好きだった。そして、この思いを告げようと思う。決めてたんだ。俺のマンガが賞を取ることができたら、告白するって。」
「……っ!!」
ショックだった。
 衝撃。
 頭を、心を直接揺さぶられる感じがした。
 涙を必死に堪えた。
「俺は、天満ちゃんへの想いを乗せて、マンガを描いてたんだ。妹さん、すまねえな。今まで、俺の独り善がりにつき合わせちまって」
 八雲には、播磨の声が届いていなかった。
 地面に足が着いていない感じがする。
 前々から分かっていたのに、想像するのと、直接言われるのとでは、全然違った。



277 名前:枷 :04/09/06 03:14 ID:/C1QE3Rg
そして、黒い、真っ黒な、自分のものとは思えない感情が、八雲の心の奥底から浮かび上がってきた。
 それは、今までずっと抑え込んできた感情。
 播磨への愛情。
 天満への嫉妬心。

『どうして、私じゃなくて、姉さんなの? 私は、こんなに播磨さんのことが好きなのに。
播磨さんに想いを向けているのは、姉さんじゃなくて、私なのに、どうして? 姉さんは、
播磨さんに何もしてあげてないのに、どうして好かれているの? どうして、姉さんだけ……
姉さんには、烏丸さんがいるのに。姉さんをいくら好いても、播磨さんの想いは届かないのに、
どうして……どうして私じゃないの? 私じゃ、駄目なの?』

 自問自答、これは八雲の心の中だけで起きた、一瞬の爆発みたいもの。
 八雲は心の葛藤を、何とか声に、表情に出さずに耐えていた。
 播磨から見れば、八雲はただ気分が悪いだけに見えたかもしれない。
 八雲の枷がなければ。



278 名前:枷 :04/09/06 03:14 ID:/C1QE3Rg
「妹さん……」
 播磨が、ぽつりと声をだした。
 八雲は、その声で少し我を取り戻した。
 そして、自分の爆発した感情を恥じた。
 自分の中に、あんな渦巻いた感情があるなんて、知らなかった。
 怖かった。
 播磨は、真剣、というより、固い表情に変わっていた。
 何かに驚いているようでもあった。
「はい……」
 ようやく八雲は声を出すことができた。
 まだ心臓が、大きく脈打っている。
 動揺を悟られまいと、必死だった。
「すまねえな……妹さんの気持ちにずっと、気付けなかった」
 八雲は、播磨が何を言っているのか理解できなかった。
「ずっと、そんな気持ちを持ってたなんて、俺は全然気が付けなかった」
 すまない、と、播磨は頭を下げた。
 なにを言っているのだろう、と八雲は思った。
「でも、妹さんの気持ちには応えられねぇんだ。どうしても、俺は天満ちゃんが好きだから……」
「あ……」
 そこで、八雲には一つの予想ができた。
 播磨は、自分の心を視たのだと。
 どうして、と考える前に、八雲は走り出していた。
 これ以上、心を視られたくなかったから。
 妹さん!! と叫ぶ声が聞こえたが、八雲は振り返らなかった。



279 名前:枷 :04/09/06 03:16 ID:/C1QE3Rg
 階段を一気に駆け下りていった。
 頭の中は、どうして? の疑問でいっぱいだった。
 もう昼休みは終わりそうだったが、自分の教室に戻るなんて考えは浮かんでこなかった。
 気が付くと、八雲の頬には涙が伝っていた。
 周りの生徒達が驚いて、八雲の方を振り返ってきた。
 その中には、何人か八雲の知り合いも混じっていた。
 みんな、一様に驚いていた。
 それもそうだろう、あの冷静な八雲が、涙を流しながら走っているのだ。
 誰が見ても、何かあったのだと思う。
 八雲! と呼ぶ声が聞こえたが、八雲は振り返らずに走った。
早くここから離れたかったのだ。
 
 八雲はやっとの思いで、自分の家まで辿り着いた。
 息切れがひどい。
 玄関に入ったところで、八雲は座り込んでしまった。
学校から全力疾走で走ってきたのだから、それも当然だった。
 だが八雲は、肉体的な疲れなんてどうでもよかった。
 どうせなら、疲れ果てて何も考えられなくなってしまえばいいと思った。
 しかし残念ながら、まだ八雲にはものを考える力が残っていた。
 思い出されるのは当然、屋上での出来事。
 驚いた、播磨の顔……。



280 名前:枷 :04/09/06 03:18 ID:/C1QE3Rg
 自分にはめられた枷は、自分に好意を向けてくれる者の心が視えるだけじゃなかった。
 自分が好意を向ける相手に、想いが視られてしまうのだった。
 初めて知った。
 播磨が、八雲の初恋だったから。
それが、八雲にはめられた枷……。
 ひどい、と思った。
 なんてひどい能力だろう。
 この力のせいで、好きな人を傷つけてしまった。
 そして、自分は嫌われてしまっただろう。
 あんなに汚い感情を、見られてしまった……。
 また、八雲の目から涙が溢れてきた。
 八雲は涙を拭うこともしなかった。
「ニャー」
そのとき、伊織が近づいてきた。
伊織の気持ちが八雲には視えた。
ニャーとしか視えないが、自分を心配してくれていることはわかった。
八雲は、そっと伊織を抱きしめた。
そして、静かに涙を流し続けた。



281 名前:枷 :04/09/06 03:19 ID:/C1QE3Rg
どれくらい泣いていただろう。
 足が痺れてきていたし、日がもうすぐ傾こうとしていた。
 三時はもう過ぎただろうか、と八雲は思った。
 少し、落ち着いてきた。
 気を緩めると涙が零れそうになるが、それでも八雲は気を引き締めて立ち上がった。
 もうすぐ、姉が帰ってくる。
 きっと、誤解しているだろうと思った。
 まだ、八雲と播磨が付き合っているという噂は消えていなかったからだ。
 涙を流しながら、八雲は走って学校を出て行ったのだ。
 天満でなくとも、二人の間に何かがあったと思うだろう。
 播磨が、天満に告白しようと決心したというのに、自分はなんて誤解を周りに与えてしまったのかと思った。
 そこでまた、八雲は悲しい気持ちになった。
 あんな気持ちをいきなり視せられて、播磨はまだ告白する気持ちが残っているのだろうか?
 それに、天満は烏丸が好きと、あのとき八雲は考えてしまっていた。
 どこまで気持ちが視られてしまったのかはわからないが、もしそこまで視られていたら……。
 もし、播磨が天満の想いにまだ気付いていなかったのだとしたら……。
 自分は、なんてことを……。
 もう、取り返しのつかないことをしてしまったのではないだろうか?
 八雲がその考えに愕然としていると、玄関を開ける音が聞こえた。



282 名前:枷 :04/09/06 03:20 ID:/C1QE3Rg
「八雲……」
 天満だった。
 天満の手には、自分の鞄と、八雲の鞄が握られていた。
「八雲、少し、お姉ちゃんとお話しよ? ね?」
 天満は、やさしい声で八雲に話しかけてきた。
「うん……」
 二人は、居間に移動した。
 天満は、テーブルを挟んで八雲と向かい合うような形で座った。
 いつもの食卓と同じ座り位置だが、そんな楽しい雰囲気は全くなかった。
 あるのは、沈黙。
 重苦しい、空気……。
 天満は言いにくそうに、しばらくもじもじとしていたが、意を決したように言った。
「八雲、何があったか、お姉ちゃんに教えてくれないかな? サラちゃんが、泣きながら走っていく八雲を見たって」
 あのとき、八雲と呼んだのは、サラだったのか、と八雲は思った。
「播磨君と、何かあったの?」
 天満は極力やさしく尋ねてきた。
 八雲を刺激しないように気をつけているのだ。
 八雲は、やはり誤解されていると思った。
 播磨に迷惑をかけたと思うと、また涙がでそうになったが、天満の誤解が強まってしまうと思ったので、必死に我慢した。
「ううん、播磨さんとは、何もなかったよ……」
 天満は、ゆっくりと首を左右に振った。
「正直に言ってくれていいんだよ、八雲。播磨君には絶対言わないし、他の誰にも言わない。二人だけの秘密にするから、ね?」



283 名前:枷 :04/09/06 03:24 ID:/C1QE3Rg
天満の目は、真剣その物だった。
「播磨君に……振られたん、でしょ?」
「それは……」
 天満の目に、怒りが宿った。
「まったく、播磨君たら! 八雲をこんなに泣かせて、絶対許さないんだから!」
 八雲は、どうすれば姉の誤解を解けるのだろうか、と思った。
 天満は、本気で八雲のために怒っている。
 天満の心が視える八雲には、はっきりとわかった。
そして思った。
傷つけたのは、自分のほうなのに、悪いのは、自分なのに、と。
 八雲は、自分の気持ちを全て正直に言うことに決めた。
 それが、一番良いように思えた。
 ずっと一緒に住んできた姉。
 きっと、本当の気持ちを伝えれば、わかってくれる。
 そう思った。
「姉さん……」
 八雲は、ゆっくりと喋りだした。
 播磨の天満に対する気持ちだけは伝えないように、自分の気持ちだけを正直に伝えるために。
「ん? 大丈夫だよ、八雲。私に全部任せておいて」
 天満は、胸を張って応えた。
八雲はその言葉に対して、首を左右に振った。
「違うの、姉さん……私と播磨さんは、最初から付き合ってなかったの」
「……播磨君に、そう言えって、言われたの?」
 天満の声のトーンが下がった。
「違う、違うの。私の話を、最後まで聞いて、お願い……」
 天満は、じーっと、八雲の目を覗き込んだ。
「わかった。でも、約束して。絶対に、本当のことだけ喋ってね」
 八雲は頷いた。
「ありがとう……姉さん」
 そこで一つ呼吸を置いて、八雲は喋りだした。



284 名前:枷 :04/09/06 03:26 ID:/C1QE3Rg
「私は、播磨さんのことがずっと好きだったの。だから、付き合ってるっていう噂が流れたとき、正直言ってうれしかった」
「八雲……」
「でも、播磨さんは私のことなんて全然好きじゃなくて……」
 八雲は泣き声にならないように必死だった。
「じゃあ、屋上で会ってたのは……?」
「播磨さんから、ある相談を持ちかけられてたの……。その内容は言えないんだけど……」
「どうして?」
「ごめん、姉さん。播磨さんのプライベートなことだから、言えないの。私は、たまたまそのことを知って、相談を受けるようになったの。私は播磨さんのことが気になってたから、うれしかった」
「じゃあ」天満は、少し言いにくそうにしてから聞いた。「今日、泣いていたのは?」
「それは……」
 あれは、何だったのだろうか。
「今日、私、播磨さんに告白したの」
「え……」
「でも、振られてしまって。それが、悲しくて、悲しくて、堪らなかった」
「その話……本当?」
 天満は、恐る恐るといった感じで聞いた。
 八雲は、強くうなずき返した。
 そう、あれは振られたのだろう。
 あれは、間違いなく私の本心だったのだから。
 そう八雲は思った。
「そっか……振られるのは、悲しいよね……」
 そして、また誤解しちゃったのか、と呟いた。
「信じてくれて、ありがとう、姉さん……」
「へへへ、私は八雲のお姉ちゃんだからね。八雲のその真剣な目を見てわからないようじゃ、お姉ちゃん失格だよ」
 天満は照れくさそうに笑った。



285 名前:枷 :04/09/06 03:28 ID:/C1QE3Rg
「でも、さ」天満はこちらに笑顔を向けながら、言った。「ちゃんと、想いを伝えられたんだよね。八雲は、凄いよ。きちんと告白できて。私なんて、まだ烏丸君に告白できてないもん」
 きちんと……
 あれが、きちんとした告白のわけ、ない。
 自分は、思いを告げるつもりなんてなかったのだから。
 そう八雲は思った。
 もしも枷がなかったら、自分はずっと想いを伝えることなんてできなかっただろう、と。
 それに、播磨に謝らなくてはいけない、と思った。
「八雲、甘い物を食べに行こうよ。悲しいときは、甘いものを食べると元気になれるよ!」
 眩しいほどの笑顔で、天満が言った。
 そして、播磨はこういうところを好きになったのだろうか? と八雲は思った。

 次の日、思ったとおり八雲は学校で質問攻めにあった。
 播磨と何かあった、という噂が、やはり流れていた。
 だが、その好奇の目からは、サラが守ってくれた。
 サラは何も聞かずに、早く元気だしてね、と一言だけ言った。
 八雲は、本当にこの友人には助けられっぱなしだと思った。
 休み時間になるごとに、彼女は八雲の所に来て、取り留めの無い話をしてくれた。
 八雲の気を紛らわせようとしてくれたのだった。



286 名前:枷 :04/09/06 03:29 ID:/C1QE3Rg
昼休みに八雲は屋上に行ってみたが、播磨がいるはずもなかった。
 もう一度二人で会って、一言謝っておきたかった。
 それに、八雲は思ったのだ。
 もう、心を視られても大丈夫だと。
 視られてしまうのなら、包み隠さず自分の気持ちを伝えようと思った。
 そして、謝る。
 誠心誠意。
 あの人は、きっとわかってくれる。
 あの人はやさしい人だから。
 そんなところに、自分は惚れたのだから。
 その想いが、八雲に勇気を与えてくれた。
そして、八雲は放課後、播磨の家に行くことに決めたのだ。
 帰ってきていなかったら、帰ってくるまで待つつもりだった。

 八雲は学校が終わると、まっすぐに播磨の住むマンションへと向かった。
夕方になると、急に冷え込んでくる。
 寒さを感じると、途端に心細くなってきた。
 八雲は、大丈夫、と自分に言い聞かせた。
播磨の家の玄関前で立ち止まった。
 一つ深呼吸をして、呼び鈴を押した。
 反応がない。
 八雲はもう一度呼び鈴を鳴らした。
 やはり、反応がない。
 もう一度呼び鈴を押そうとしたところで、後ろから声をかけられた。



287 名前:枷 :04/09/06 03:30 ID:/C1QE3Rg
「八雲君じゃないか、何をしているんだ? こんな所で」
 それは八雲のクラス担任で、播磨の従姉妹でもある、刑部 絃子だった。
「あ、あの……」
「まあ、せっかく来たんだ、あがっていきたまえ」
 そう言い絃子はドアの鍵を開け、一人で先に中へ入って行った。
 八雲は少し迷ったが、お邪魔することに決めた。
 絃子は一人でさっさとリビングのほうに姿を消していた。
「その辺に適当に座っていてくれ。八雲君、何か飲むかね? と言っても、紅茶ぐらいしかないがね」
 と言いながらも、絃子はすでに二人分の紅茶を用意しようとしていた。
「あ、いえ……おかまいなく」
「私一人で飲むわけにはいかないだろう? 少し付き合ってくれたまえ、安物だがね」
 そう言って、絃子は苦笑した。
「はい……ありがとうございます」
八雲は、落ち着かない様子でソファーに腰を下ろした。
この家に来るのは、久しぶりだったから。
 家に誘われたとき、さすがに緊張した。
 男の人の家に行くのは、初めてだったから。
 でも、必死に頼み込む播磨を見ると、断れなかった。
 今、絃子が立っているキッチンで、夜食を作ってあげたりもした。
 今思い返せば、自分のなんと大胆なことだったろうか。
 しかし、その日に八雲は、播磨の天満に対する思いに気付いたのだった……。
八雲が、しばらくこの家の思い出について頭を巡らしていると、絃子が紅茶の入ったティーカップを二人分持ってきた。
茶道部の顧問をやっているだけあって、絃子はお茶の入れ方が上手だった。
 アールグレイの柑橘系の香りは、八雲の心を落ち着かせた。
 紅茶は温かく、八雲はなんとなく安心した。
絃子は紅茶を一口啜ってから、ゆっくりと喋りだした。

289 名前:枷 :04/09/06 03:35 ID:/C1QE3Rg
「で、君は拳児君に用があって、ここに来たのかな?」
 いきなりの質問に八雲は少し驚いたが、ゆっくりと頷いた。
「はい。そう、です」
「ほー、君もなかなか大胆なことをするんだな、いきなり男の家に押しかけるとは」
 その言葉に、八雲は少し顔を赤らめた。
「冗談だよ。まあ、拳児君が初めて君を連れてきたときに比べれば、全然驚かなかったがね」
 絃子は、もう一口紅茶を啜った。
「ま、昨日はなんで放課後さぼったのか? とか野暮なことは聞かないよ。拳児君も、待っていればそのうち帰ってくるだろう」
 八雲も、紅茶をゆっくりと飲んだ。
「まあ、彼に会って、何の話をするのかは知らないが、今、彼は、その、何だな」
 絃子が、珍しく言いよどんだ。
「もしかして、姉の所……ですか?」
 絃子が、少し驚いた。
「彼の気持ちを知っていたのか……」
「はい……」
「そうか、なら、何も言わないよ。若いうちは、後悔しないように行動したほうがいいからな。若い頃の忘れ物は、年を取ってからだと取りに戻れない」
 八雲は、その言葉に対してなんと答えればいいのかわからなかった。
 しばらく、沈黙が流れた。
 八雲は、思っていた。



290 名前:枷 :04/09/06 03:38 ID:/C1QE3Rg
 多分、播磨は天満に振られてしまうだろう、と。
 もしかしたら、播磨は今、誰にも会いたくないのかもしれない。
 それは当然だと八雲は思った。
 経験したから、わかるのだ。
 でも、逃げることはやめようと思った。
 今理由をつけて逃げ出したら、きっとその次も、またその次も逃げ出してしまう。
 正直な気持ちを、伝えよう……。
 もしも、播磨の想いが成就するようなことがあったら、笑って祝福しよう、と八雲は思った。
 今は無理かもしれないが、いつかきっと……



291 名前:枷 :04/09/06 03:38 ID:/C1QE3Rg
 時計の針が八時を回り、もしかしたら今日は帰ってこないのかもしれない、と絃子が呟いたところで、ドアが開く音がした。
 その音は弱々しく、開けた人間の気持ちを表しているかのようだった。
「待ち人来たる、か。行っておいで、八雲君」
 絃子は、八雲の背中をぽんっと押した。
 八雲はお礼を言いながら、小走りで玄関のほうへ向かっていった。
 玄関のほうから、播磨の弱々しい、「妹さん……?」という声と、八雲のしっかりとした、「播磨さん、お話があります」という声が聞こえてきた。
 絃子はその声を聞きながら、遠い日の自分を思い出していた。

播磨のマンションの前にある駐車場で、二人は向かいあった。
 ロマンチックな場所とは到底言えなかったが、八雲は早く播磨に謝りたかった。
 八雲は播磨のほうを向くと、いきなりこう言った。
「播磨さん、すいませんでした」
 ここに来るまでにも、八雲の思念は播磨に伝わっていた。
 本当に悪く思っているということ。
 本当に、播磨が好きだということ。
 いろいろな気持ちが、渦となって播磨に伝わってきた。
 だが、それは以前播磨が浴びせられた思念と違い、安らかで、包み込んでくれるような、やさしい想いだった。
「それで……信じてもらえるかどうかは、わからないんですけど……聞いてもらいたいんです。私の、体質のこと……」
 八雲は説明した。
 自分の体質……枷のことを。
 どういうものなのか。
 いつから視えるようになったのか。
 何故播磨が、屋上で八雲の心を視たのか、を。



292 名前:枷 :04/09/06 03:40 ID:/C1QE3Rg
 全てを聞き終えたあと、播磨は納得した、というように頷いた。
「そっか……それで、妹さんの気持ちが、あんなにダイレクトに伝わってきたのか……」
「はい……すいませんでした、ご迷惑かけて……」
 八雲はもう一度謝った。
「いや、謝らないでくれ。逆に、こっちが謝りたいくらいだ。悪かった。妹さんの気持ちに、ずっと気付いてあげられねえで」
 播磨は八雲に向かって頭を下げた。
「いえ、そんな……謝らないで下さい」
 傷つけてしまったのは、自分なんだから、あんなに、汚い、嫌な気持ちを視せてしまって……。
 その思念も、播磨に伝わっていた。
「俺は、馬鹿だからな……妹さんが心を視せてくれなかったら、多分、ずっと気付いてあげられてなかった。それに、天満ちゃんの想いも知ってたしな……だから、妹さんは気にしないでくれ」
「播磨さん……」
 八雲は、やっぱりこの人を好きになってよかった、と思った。
 播磨は、照れくさそうに鼻の頭をかいている。
 また視られてしまったのだと思い、八雲は顔を赤らめた。
 そして、まだ口に出して想いを告げていないことに気が付いた。
「播磨さん……」
 やはり、面と向かって言うと緊張する、と思った。
「私は、播磨さんのことが、好きです……ずっと前から……そして、好きになってよかった……」
 最後のほうは、どんどん声が小さくなっていった。
 そして、言い終わると、顔が真っ赤になってしまった。
 播磨も、顔を赤くしている。
「ありがとう。妹さん、でも、俺はまだ、天満ちゃんが……」
「わかってます……。私の気持ちをきちんと声に出して伝えたかったんです……ありがとうございました」
 そして、八雲は頭を下げた。



293 名前:枷 :04/09/06 03:43 ID:/C1QE3Rg
 少しの間、沈黙が流れた。
「あの……よ」
 播磨がゆっくりと喋りだした。
「俺は、天満ちゃんに振られちまったけど、マンガは、まだ残ってる」
 ぽつり、ぽつりと、播磨が喋る。
「入選したからさ、雑誌に載るし、連載も、持てるかもしれねぇ」
 そして、播磨はサングラスを外した。
 正直に話してくれた妹さんに対して、サングラスは失礼だよな、と言いながら。
「俺は、もう高校は退学して、マンガ一本で頑張ろうと思うんだ」
 風が、二人の間に吹いた。
「これから俺は、旅に出ようと思ってるんだ……取材も兼ねて」
 八雲は、ゆっくりと、播磨の顔を見た。
「もう、会えないん、ですか……?」
 そう何度も見たことがない播磨の目を見つめながら、八雲は言った。
「いや、それで、よ……図々しいとは思うんだけど……。帰ってきたとき、俺のマンガをまた、読んでくれねぇかな?」
「え……?」
「いや、嫌ならいいんだけどさ。それで、俺のマンガをまた批評してくれよ。俺一人だと、ロクなもんにならねぇから、さ」
 嫌なわけ、ない……嫌なわけ……。
 八雲の目から、涙が零れた。
「ありがとう……ございます」
 そしてそのとき、八雲には播磨の心が視えた気がした。
 
 これからも、よろしく頼む。

 一瞬だったし、もしかしたら、気のせいだったのかもしれない。
 だが、この時、八雲は感謝したのだった。
 自分の、枷――素晴らしい、この能力に……。


2007年03月02日(金) 21:09:28 Modified by aile_irise




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