IF13・HANABI〜8月の日〜 前編

89 名前:HANABI〜8月の日〜 :04/08/31 22:26 ID:pf.wwnA6
 8月の暑さも日の入りとともに幾分弱まり、涼しげな風が肌に心地よい。
 夕闇の空には夏の星座が薄あかね色の残照にも負けずに輝き出していた。
 雲ひとつない晴れた星空――。
 今朝の天気予報を思い出すまでもなく雨の心配がなさそうなのは、今日の日を
少なからず楽しみにしていた見物客や関係者にとっては何よりも有り難い贈り物
であった。


『HANABI〜8月の日〜』

 
 商店街の入り口にほど近い、コンビニエンスストアの駐車場。
 時刻はすでに6時半を回り、大通りには花火大会に向かう人の流れも増え
始めている。
 その喧騒から離れて人待ち顔で周囲を見回している、白いタンクトップに
フレアプリーツというフェミニンないでたちの少女の姿がそこにあった。
 彼女のそばには白のキャミと黒のストレッチパンツがよく似合う落ち着いた
雰囲気の少女が一人と、明るい色合いの浴衣姿が可愛らしい少女が二人。
 そして……仏頂面の少年が一人。 


「さてさて。愛理ちゃんはどっこかな〜?」
 街の雑踏に目を凝らしながら塚本天満は友人の姿を捜していた。 
 柔らかな風がふわりとスカートの裾を揺らして吹き抜ける。
「……本当に来るって言ったの? 駅前のマックに5時。
携帯もつながらないし……美琴はダメなんでしょう?」
 ここ数日間の友人同士のいざこざを知っているだけに高野晶は半信半疑と
いった顔である。
 身体のラインを出したパンツルックに踵の高いサンダルは、スタイルのいい
彼女には抜群のコーディネートと言えるだろう。


90 名前:HANABI〜8月の日〜 :04/08/31 22:27 ID:pf.wwnA6
「だいじょ〜ぶだよ、晶ちゃん。……多分」
 かなり自信のなさそうな笑顔で、甚だ心もとなく天満は請け負ってみせる。
「……まあ、まだ花火までは少し時間があるし、先に回ってましょ。
来てるんならすぐに見つかるからね。あの娘の場合」
 友人を心配する級友と、快くそれにつきあってくれる後輩達の両方を
気遣って晶はさりげなく次善の策を提案した。 

「うん、そうだね。じゃ、みんな行こっか」
 天満も晶の意図に気づいたのか、素直に提案を受け入れて歩道を歩き出す。
「あ、姉さん。待って……」
 慌てて後に従う白地に水色花縞柄の浴衣の少女は天満の妹、塚本八雲。
「はい、塚本先輩」
 にこやかに答えたのは八雲のクラスメイトのサラ・アディエマスだ。 
 桜色の浴衣に合わせて選んだ小さな丸下駄がカラコロと可愛らしい音を
たてて天満達の後を追う。
「……」
 その後を先ほどから終始無言の無愛想な少年が面倒くさそうについていく。
 全身から一人だけ場違いな雰囲気を漂わせている彼は、天満や晶と同じ
クラスの麻生広義である。

「あれ? 先輩、どうしたんですか? 不機嫌そうな顔して」
 サラがその様子に気づいて後ろを振り返る。
「……そう見えるか?」
 麻生はジロッとサラを一瞥して端的に言った。


91 名前:HANABI〜8月の日〜 :04/08/31 22:28 ID:pf.wwnA6
 ちなみに彼の服装は黒のインナーノースリーブにカーキ色の麻のシャツと
薄地のデニムジーンズ――まあ、要するに取り立てて特徴のない格好だ。
「見えますよ。思いっきり」
 麻生が来るのを待って、隣に並んで歩きながらサラは答える。
 10人に訊けば10人ともそう答えるであろう率直な感想だ。
「……じゃあ聞くが、俺は何でここにいるんだ?」
 言いたいことの大半を飲み込んで麻生は努めて冷静に尋ねた。
「それは私が呼び出したからです」
 けろりとした顔でサラは即答する。
 その答えに麻生の眉の端がわずかにぴくっと上がった。
「……俺の記憶が確かなら、お前はどうしても見せたいものがあるから
絶対来いって言ったような気がするんだが」
 冷静に冷静に――自分に言い聞かせながら言葉を続ける麻生の眉間に
寄ったしわがその内心を物語っている。
「確かに。間違いないですね」
 ふむふむと他人事のように頷くサラ。
「だったらな……! 俺が不機嫌な理由はわかんだろうが! 
さっさと見せたいものとやらを出せ! 俺は忙しいんだ!」
 冷静に……というその言葉もあっさりどこかへ吹き飛んで、麻生はサラを
怒鳴りつける。
「やだなぁ、先輩。それならもう見たじゃないですか」
 サラは麻生の剣幕などお構いなく、平然と答えた。


92 名前:HANABI〜8月の日〜 :04/08/31 22:27 ID:pf.wwnA6
「は?」
 思い当たる節が全くない。
 ここに来てから何もしていないのだから当然と言えば当然だ。
「これですよ。ホラホラ♪」
 露骨に不審そうな顔をしている麻生に向かって、サラはそう言って自分の浴衣の
袖口を持ちながら軽やかにくるりと一回転して見せた。
「……。……なんだそれは?」
 サラの言わんとしていることを理解しつつも、麻生はすっと目を細めて感情を
抑えた低い声で尋ねる。
「知らないんですか? これは『ユカタ』っていうんですよ」
 きょとんとした顔をしながら律儀に麻生に教えてくれるサラ。
「――そんなこと言ってんじゃねぇ! 俺がそんなもん見て喜ぶとでも思ったか!」
 ちょっとした嫌味のつもりがまっすぐ返されて、思わず突っ込みを入れる。
「えへへ♪ 私、ユカタ着るの初めてなんですよー♪」
 珍しい着物を着られたことがよほど嬉しいのか、サラは麻生の言葉を完全に聞き
流してニコニコとご満悦の様子だ。
「人の話を聞け!」
 例によって彼女のペースに振り回されながらも、結局のところは本気で怒ること
などできない麻生なわけだが。



93 名前:HANABI〜8月の日〜 :04/08/31 22:28 ID:pf.wwnA6
「……似合わないですか?」
 くるっと麻生の方に向き直って不意にサラがそう言った。
 何気ない口調で尋ねてはいるが、その瞳には微かな不安の色が揺れていることに
麻生は気づいてしまう。
 ここは誤魔化すわけにはいかない――直感的に麻生は悟る。 
「うっ……! まあその、なんだ。意外に、似合ってなくもないが……」
 じっと見上げるサラの瞳にたじろぎながら、麻生は今ひとつ素直になれず、
それでも彼なりの精一杯の褒め言葉を血を吐く思いで紡ぎ出した。
「よかった……嬉しい」
 サラはちょっとだけ恥ずかしそうにはにかみながら、心から嬉しそうに微笑む。 
(まあ……いいか)
 その笑顔の前ではつい今しがたのイライラもどこかへ消し飛んでしまい、麻生は
小さくため息をついた。

 正直に言えば、麻生はサラの浴衣には最初から気がついていた。
 いつも見慣れているはずの彼女の笑顔に不覚にも見とれてしまったのは、きっと
その浴衣姿が珍しかったからだと自分に言い訳してみる。
 ――そんな言い訳など何の意味もないことは自分が一番わかっているのだが。
 
 実際、淡い桜色の生地に小花小紋柄の楚々とした浴衣は黄色の帯の明るい色調と
相まって、客観的に見ても小柄で優しい顔立ちのサラによく似合っていた。
 しかしながら、麻生は自分からそれを言い出せる性格ではないし、気の利いた
セリフの一つも持ち合わせてはいない。
 そう考えて何も言わずにいたのに、彼女の嬉しそうな顔を見た途端に暖かな
気持ちになっているのだから、自分でも現金なものだと麻生は自嘲する。



94 名前:HANABI〜8月の日〜 :04/08/31 22:30 ID:pf.wwnA6
 二人の会話を背中に聞きながら、前を歩く天満と晶は横目で視線を交わして
何も言わずに柔らかに微笑み合う。
 その隣では八雲が少し複雑そうな瞳でそわそわと後ろを気にしていた。


 さて――麻生は何と言うか知らないが――そんな端から見れば微笑ましい
やり取りをしているうちに天満達は、道の両側に露店が立ち並んだ通りの入り口に
差し掛かった。
 18時から22時までの間、時間帯を区切って車両を進入禁止にしたこの通りの
向こうには、簡素な桟敷をしつらえた花火見物のメイン会場がある。

「わぁ、いろいろなお店があるのねー」
「サラはこういうお祭りみたいなのは初めて?」
 珍しそうに瞳を輝かせているサラに八雲が気づいて尋ねた。
「うん♪」
 にこっと笑って楽しそうに答えるサラ。
「え? そうなの? なら、せっかくだから八雲と一緒に見ておいでよ。あたしと
晶ちゃんはこの辺にいるから」
 気を利かせたのか天満が明るく提案する。
「そんな悪いですよ。私も一緒に……」
「もー! サラちゃんは気を遣いすぎ! こっちのことは気にしないでいいから
遊んできなさい」
 『この辺で沢近先輩を捜す』のだとすぐに気づいてサラは慌てて言うが、天満は
人差し指をぴこぴこ振りながら彼女の言葉を遮り、精一杯年上ぶって言った。 


95 名前:HANABI〜8月の日〜 :04/08/31 22:30 ID:pf.wwnA6
「……すみません。じゃあ、お言葉に甘えて。八雲行こ?」
 これ以上断るのも逆に悪い気がしてサラは親友に声をかける。
「そうだね。姉さん、いい?」
 一緒に行けない姉が気がかりではあったが、せっかくのその気持ちを無駄にも
できず八雲は天満に確認する。
「もっちろん!」
 遠慮がちな二人に天満は意識して力強く頷くと、ついでに意味ありげにサラに
目くばせしてみせた。
「……。麻生先輩も行きません?」
 天満に促され、ちらっと麻生の方を見てあまり期待せずにサラが尋ねる。
「いや、俺はいい。人ごみは嫌いなんでな」
 予想通りの返事は『NO』
「も〜、そんなことばっかり」
 相変わらずのそっけない彼にサラは気を悪くした様子もなくクスクスと笑う。
(えーっ……!)
 と、心の中で不満そうな声を上げたのは天満だが、二人を見ているとこれはこれで
いいのかなと思ったりもしていた。

「じゃあ、ちょっとだけ行ってきますね」
 小さく手を振りながらサラはにこっと微笑む。
「おい。あんまり遠くに行くなよ。それと変な奴らに絡まれないように気をつけろ」
 八雲と一緒に歩いていくサラに麻生が思い出したように注意する。 
「はい♪」
 後ろ手に手を組んで、振り向きながら元気よく返事をするサラ。
「ホントにわかってんのか……?」
 その無邪気な笑顔を見て麻生は不安そうに呟いた。



96 名前:HANABI〜8月の日〜 :04/08/31 22:31 ID:pf.wwnA6

「……」
 二人の姿が人波に消えると麻生は、隣で興味深そうに自分を見る晶の視線に気が
ついた。
「……なんだよ? 高野」
 怪訝そうな顔で彼は晶に尋ねる。
「……別に。ただすっかり保護者だなぁ、と」
 いつもとまったく変わらない無表情で晶は視線を正面に戻して答えた。
「ホントだね〜。それに麻生君ってそんな顔もできるんだね。初めて見たよ」
 同じことを思っていたらしく、天満もまじまじと麻生を見て楽しそうに言った。
「そんな顔……? どういう意味だ?」
 自覚していない麻生には何のことかわからない。
「優しい顔……してるってことじゃない?」
 晶はやはりいつもと変わらない口調で天満の言葉をフォローする。
「は……? な、何言ってやがる!」
 ごく自然な調子で言われたせいで一瞬気づかなかったが、よく考えてみると結構
恥ずかしいセリフだ。
「うん。教室にいる時はいっつも怒ってるみたいな顔だもんねー」
 我が意を得たりとばかりに天満はにっこり笑っていたずらっぽく続けた。
「悪かったな。無愛想なのは生まれつきなんだよ」
 ムスッとした顔で麻生は答える。
「そうでもない、って言ってるんだけど」
 晶は彼の様子など意に返さずに訂正する。 


97 名前:HANABI〜8月の日〜 :04/08/31 22:32 ID:pf.wwnA6
「今日は大発見だね〜。サラちゃんに感謝感謝」
 明るく言う天満の言葉に麻生は微かに眉をひそめた。
 一つ、ここに来た時からずっと気にかかっていたことがあったからだ。
「……どうでもいいが、その、いきなり来て邪魔……じゃなかったか?」
 麻生は彼らしくもなく、言いにくそうに頬をかきながら尋ねた。
 彼自身、その言葉を口にするのは不本意だという様子がありありと見てとれる。
 その言葉に天満は一瞬意味がわからずきょとんとした顔をして、一方の晶は
この男にもそんな気遣いができたのかと顔には出さないが密かに驚いていた。  
「ああ! ぜ〜んぜん! こういうのは大勢の方が楽しいよ!」
 質問の意味に気づくと天満はあっけらかんとした顔で即答する。
「そ、そうか……」
 あまりにもあっさりしたその返事に麻生は少々呆れたものの、それでも内心では
有り難いと思ったのも確かだった。
 別に来たくて来た訳ではないが、やはり空気が悪くなるのは気まずいものだし、
何よりも、もしそうならサラが気にするだろうと考えたからである。
 ――もちろん、そんなことは口が裂けても言わないが。
「……ほら、優しい」
 晶が呟くようにそう言った。
「……何のことだ」
 麻生は気づかないフリをして答える。
「さあ……ね。何のことかしら?」
 相変わらず捕らえ所のない返事の晶だが、その目はいつもよりもどことなく
穏やかに見えた。


98 名前:HANABI〜8月の日〜 :04/08/31 22:33 ID:pf.wwnA6
「……」
 露骨に嫌そうな顔をして、麻生は晶を恨めしそうに見る。 
 その様子を見て晶は世話が焼けるというように小さくため息をついた。
「……勘違いしてるみたいだから教えてあげるわね。予定より人数が少なく
なったから誰かを呼ぼうって提案したのは私。そしてあなたが来ることは全員が
予め了承済みよ。だから安心しなさい」
 いつもの無感動な黒い瞳に戻って晶はすぱっと小気味良く言い放った。
 彼女の言っていることは嘘ではない。
 ただ、その話の流れの中で、サラが誰に連絡をとるかということは晶の関知する
ところではなく、誰でもいい『誰か』に麻生は『たまたま』選ばれたのだと彼女は
言っているのである。
 ――サラが電話する相手を晶が予測できたかどうかはまた別の問題であり、ここ
では重要ではないということにされているようだ。
「……そいつはどうも」
 その言葉にそこはかとなく理不尽なものを感じつつもとりあえず麻生は礼を言う。 
「でも、サラちゃんに聞かれた時はびっくりしたけどね。麻生君とあんなに仲が良い
なんて知らなかったし」
 いたずらっぽく片目をつぶる天満が、思っていることの半分も口に出していない
のは誰の目にも明らかでその言外に隠された部分に麻生はぴくっと反応する。

「……お前ら、何か誤解してねえか? 俺は別にあいつだからどうこうって
わけじゃ……」
 ――言いかけた麻生の視界には、ニコニコ顔の天満とフッと笑って目を逸らす晶。
 そして麻生は自分の主張が決して通らないことを一瞬で悟った。



99 名前:HANABI〜8月の日〜 :04/08/31 22:34 ID:pf.wwnA6

「……わかったよ。どう思おうがお前らの勝手だ」
 あきらめ顔で投げやりなため息をつく麻生。

 と、その時、
「ん……?」
 何事かに気づいて彼の表情が変わる。
「麻生君? どうかしたの?」
「……」
 天満の声には答えず、麻生はずんずんと人ごみを掻き分けて進んでいく。
「あ、待ってよ! 麻生君ってば」


「あのっ……! ですからそんなこと言われても困ります……!」
 サラが見るからに軽薄そうな見知らぬ二人組の少年達となにやらもめていた。
(こういう時はキゼンとした態度で……)
 サラは以前晶に言われたことを思い出して、その通りに実行しているつもりなの
だが、残念ながら悲しいくらいに迫力がない。
「か〜わいいね〜。そんなこと言わないでさ〜。ちょうど俺らも二人だし、
一緒に花火見ようよ〜」
 少年の一人が可愛らしさのかけらもない甘えた声でしつこく食い下がる。
「……」
 八雲はというとすっかり怯えた様子で何も言えずに固まってしまっていた。
 前に進み出て八雲を背中に隠そうとしているサラを見ながら、自分も何か
言わなくてはと思うのだがどうしても体が動いてくれない。
 彼女には少年達の口に出せないような邪な心が感じ取れるのだから、余計に怖いと
感じるのも無理はないことだった。


100 名前:HANABI〜8月の日〜 :04/08/31 22:35 ID:pf.wwnA6
「ねえねえ、名前教えてよ。君らみたいな可愛い娘達がさ、こんな日に女の子同士
なんてもったいないって。俺達がもっと楽しくしてあげ……うわっ!」
 もう一人の少年が馴れ馴れしくサラの肩に手を回そうとしたその時、突然彼の体は
背後から肩を掴まれて引き戻された。
「もういいだろ、お兄さん達。悪いが先約があるんだ。ナンパなら他当たってくれ」
「!? なんだよてめえ!」
 肩を掴まれた少年が、相手の人物の手を振り払ってにらみつける。
「麻生先輩!」
 嬉しそうなサラの声。
「……そういうわけだ。喧嘩するつもりはない。おとなしく言ってるうちにお引き
取り願えるとこっちも助かるんだが」  
 そのつもりはないと言いながら、麻生の目はすでに剣呑な光を放っている。
 あまり感情を表に出さない少年であるが、今は怒っていることがはっきりと
わかった。

 数の上での優位性はあるが、二人のナンパ少年にしてみればただでさえ腕力勝負は
専門外である。
 加えて麻生の鋭い眼光に、これ以上関わるのは危険だと判断したようだ。
「ちっ! なんだ男連れかよ。おい行こうぜ!」
「あーあ。つまんねー」 
 少年達はぶちぶちと文句を言いながら――けれど決して振り返ることなく――足早
にその場を立ち去っていった。



101 名前:HANABI〜8月の日〜 :04/08/31 22:36 ID:pf.wwnA6

「……」
 少年達の背中を見送り、そしてそれが見えなくなると麻生は視線を巡らせて
ジロリと隣にいるサラをにらんだ。
「うっ……!」
 頭上から突き刺さる視線にサラは非常に居心地の悪そうな顔で気にしないフリ。
「はー……」
 そのまま何も言わずに麻生は大げさなため息をついてみせた。
 彼女が悪いわけではないのはわかっているが、それでもあまりに予想通りの展開に
ものを言う気力もないといった様子だ。
「えっと、あの……ごめん……なさい?」
 サラは何を言えばよいのかわからず、恐る恐る上目遣いに麻生を見上げて、努めて
可愛らしい笑顔で謝ってみた。
「……あほう」
 そんなサラをちらりと見て麻生は一言のもとに切って捨てる。
「マイガッ!?」
 嫌味を言われるよりもストレートな分だけグサリと刺さる言葉。
 言いたいことはいろいろとあったが、助けられてしまった以上、なんとなく自分に
発言権はないような気がしてサラはぐっと口をつぐむしかなかった。



102 名前:HANABI〜8月の日〜 :04/08/31 22:37 ID:pf.wwnA6

「八雲、サラちゃん。大丈夫だった?」
 人ごみを抜けるのに手間取って、やや遅れて駆けつけた天満が心配そうに二人に
声をかけた。 
 入り口付近に比べてこの辺りは幸いにも人が少なく、立ち止まって話していても
通行に支障はない。
「姉さん……。うん、平気。麻生先輩が助けてくれたから」
 これ以上、姉に心配をかけまいと八雲は努めて元気に答えた。
「そう、よかった〜」
 天満はほっとして胸をなでおろす。
「あの……ありがとうございました」
 八雲は改めて麻生に礼を言う。
 心が視えない為か、無愛想な麻生とも八雲は普通に話せるようだ。
 ――視えない理由も八雲にはなんとなくわかる気がする。
「いや……何もなくてよかった」
 麻生は彼にしては珍しく、柔らかい表情で八雲に答えた。 
「……今、明らかに私の時と態度を変えませんでしたか?」
 あまり見たことのない彼に『あれ?』という顔で尋ねるサラ。
「気のせいだろ」
 麻生はいつものクールな表情に戻ってしれっと即答。
「……」 
 その彼の態度に、ものすごく何か言いたそうな顔でにらんでいるサラだが、麻生は
そんな彼女を完璧に無視する。



103 名前:HANABI〜8月の日〜 :04/08/31 22:38 ID:pf.wwnA6

「ごめんね。あたしが別行動しようって言い出したから……」
 申し訳なさそうな顔で天満が謝る。
「先輩のせいじゃないですよ。それに別に何もなかったですし」
 サラはしゅんとしている天満に慌てて答えた。
「……やっぱり、一緒に行った方がいいのかな」
 ばつが悪そうに笑う天満。
「そうだね。愛理にはとっておきのメールを送っておいたから、気づいたら
(怒って)連絡してくるはず」
 いつのまに来たのか、晶が携帯電話を閉じながら天満に賛同する。
「……もちろん、麻生君にもつきあってもらうよ?」
 晶は麻生の方に向き直って意味ありげにそう続けた。
「あ? だから俺は人ごみは……」
 その言葉に面倒な気配を感じたのか不満顔で断ろうとする麻生の言葉を遮って、
袖を引いて皆から離れるようにいざないながら晶が小声で囁く。
『また悪い虫が寄ってくるかもしれないけど?』
「……俺には関係ない」
 見た目には平静を保ちつつ麻生はそっけなく答えた。
「へえ……」
 その答えに晶はわずかに目を細める。
 先ほどの少年達との一件で麻生が本気で怒っていたことを――そしてその理由を
――彼女は見逃してはいなかった。
 黒目がちな瞳で黙ったままじっと彼を見つめる晶。


104 名前:HANABI〜8月の日〜 :04/08/31 22:39 ID:pf.wwnA6
「……わかったよ。つきあえばいいんだろ」
 その視線に無言の圧力を感じて麻生は渋々と力なく答える。
「フフッ、素直でよろしい。頼りにしてるよ。ボディガードさん」
 大人びた笑顔で微笑む晶はまるで何もかも見透かしているように思えた。
「……お前、その為にあいつが俺を呼び出すのを止めなかったのか?」
 ふと気づいて麻生は晶に尋ねる。
「それだけってわけでもないけど……ね」
 晶は曖昧な返事を麻生に返してサラの方に穏やかな視線を向けた。
「?」
 天満と話していたサラが晶の視線に気づくが、その意味までは理解できず
不思議そうな顔でこちらを見ている。

 晶はサラのことが好きなのだ。――言うまでもなく親愛の意味で、である。
 いつだって他人の心配ばかりしている心優しい後輩が、あんなに楽しそうに
笑うのも、ワガママを言って困らせるのも、この無愛想なクラスメイトの前だけだと
いうことに晶は以前から気がついていた。
 普段のサラが無理をしている……とは思わない。
 慈愛に満ちた笑顔や相手を思いやる優しさ、それに大の世話好きで少しだけ
心配性なところも、彼女の天性のものだと理解はしている。
 サラが自分を慕ってくれていることも素直に嬉しいと感じているし、周囲に対して
多少の優越感も持っている。
 だが、それでもやはり、サラを心から安心させて、守ってあげられる麻生が晶には
少し羨ましかった。
 感情表現が稀薄で冷たいイメージに見られがちな晶だが、友人や後輩を大切に思う
気持ちは天満にも負けないくらいに強い。
 ただ、それを人前に見せるのは苦手で、その点では晶と麻生は似ているのかも
しれなかった。



105 名前:HANABI〜8月の日〜 :04/08/31 22:40 ID:pf.wwnA6
「あん?」
 彼女の言葉の意味をいまいち理解できず不可解な顔をしている麻生だが、説明して
やるつもりは全くない晶は彼を無視して天満の元に歩いて行ってしまった。

「……楽しそうでしたね。何話してたんですか?」
 仲良さそうに――そう見えた――話す二人に遠慮して離れていたサラが麻生の隣に
戻ってきてさりげなく尋ねた。
「……さあな」
 言えるわけがないだろうと内心思いながらそっけなく彼女の問いを受け流す麻生。
「ふうん……そうですか。わかりました」
 麻生のその答えにちょっと不満そうな顔をすると、サラは彼を残してぷいっと
一人で先に歩き出す。
 晶と仲が良いことではなくて、麻生の返事が気に入らなかったのだろう。
「おい……何怒ってんだ? お前」
 その後を同じ早さでゆっくりついていきながら麻生は彼女の背中に問いかけた。
「……別に怒ってません」
 振り返りもせず、にべも無く答えるサラ。
「あのな……」
 どう考えても怒っている様子の彼女に麻生はかけるべき言葉を失って一瞬
口ごもる。
「……一人で先行くとはぐれるぞ」
 少しだけ考えて、麻生はあえて今の話題を避けて言ってみた。
「平気です。もう子供じゃないんですから」
 サラは相変わらず不機嫌そうに答える。
(……そのセリフを言う辺りが子供だろうが)
 と思った麻生だが、これ以上彼女の機嫌を損ねても仕方がないので口には出さない。



106 名前:HANABI〜8月の日〜 :04/08/31 22:41 ID:pf.wwnA6
 サラが怒っている理由すらわからず麻生が考えあぐねていると、前を歩いていた
彼女が突然足を止めた。
 そちらの方の理由は麻生にもすぐにわかった。
 別の広い通りと交わる大きな交差点に差し掛かったのである。
 道路自体は歩行者に解放されているので信号は停止しているのだが、両方の通り
から見物客が流れて来る為、なにぶんにも人が多い。
 麻生が後ろにいるのはわかっているはずだし、それに天満達のこともあるから
進むべきか戻るべきか迷っているんだろうと麻生はサラの小さな後ろ姿を見ながら
思った。
 それでも意地を張って後ろを振り向こうとしないサラに、麻生は小さくため息を
ついてゆっくりと歩み寄る。
 数歩の距離まで近づいて麻生が再び声をかけようとした時、不意に周囲の
見物客達にざわめきが広がり、人垣の向こうから切羽詰った声がこちらに近づいて
きた。
『どいてください! そこを通して!』    
 派出所から来たと思われる制服の警官二人が、花火大会の関係者らしき法被姿の
男性数人とともに人垣を押しのけて二人のいる方角にやってくる。
 広いとはいっても大勢の人でごった返している交差点には自由に動き回れるほどの
空間的余裕があるわけではない。
 電車が突然揺れた時のように、背中を押された人や慌てて避けようとした人が
次々と近くにいる見物客にぶつかって混乱は波紋のように広がっていく。

                               
                             『IF13・HANABI〜8月の日〜 後編』に続く
2007年03月02日(金) 00:07:58 Modified by aile_irise




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