IF15・Squall
12 名前:Squall :04/10/11 10:27 ID:mJvTrK3w
少女は見上げていた。
漆黒の闇の中、葉々の擦れ合う音に潜在的な恐怖を煽られながら、ただ一人で。
少女は見上げていた。
音も無く降り注ぐ雨などお構いなしに目を見開いて。
少女は見上げていた。
塞いだ心を開け放ってくれるような、強い星の光を探して。
少女は見上げていた。
……涙を自覚したくなかった。ただ、それだけ。
13 名前:Squall :04/10/11 10:32 ID:mJvTrK3w
少し前、美琴は道場での稽古を終え、帰途に着くべく支度をしていた。
既に他の門下生たちは帰宅しており、閑散とした場内に、彼女が着替える衣擦れの音だけが響く。
「ちっ、何だよ」
準備を済ませ、道場を出た美琴は、いつの間にか降り出した予報外れの雨に思わず舌打ちをした。
家は近くにあるので、急いで帰れば大したことは無いかもしれない。
しかし、翌日も学校がある身としては、できるだけ制服は汚したくなかった。
道着に着換え直そうかな、とも考えたが、流石にそれは億劫である。
「しょうがない、花井に傘を借りるか」
ふと、見上げる。道場に隣接した、少々時代がかった大きな家。
その二階の一室が花井の部屋であるが、その部屋には、在宅を示すであろう明かりが、
カーテンの隙間から漏れていた。
「ったく、勝手にサボりやがって」
気持ちは分からないでもない。
花井が塚本八雲にご執心であることは事実であるし、その八雲が、播磨拳児と付き合いだしたと言う噂は、
美琴の耳にまで聞こえてきている。その真偽は定かではないが、実際に二人で会ったりしているらしいし、
本人に聞いたわけではないが、天満も認めていることであるので、可能性は高いと言えた。
14 名前:Squall :04/10/11 10:36 ID:mJvTrK3w
想い人の恋愛をすんなりと祝福出来るほど、大人じゃないよな……
美琴の意識は、あの夏の日へ飛んでいた。
何も出来ずに終わってしまった恋愛は、今でも思い出す度に美琴の胸を抉る。
臆病だった故に何もしてこなかったことを後悔もしたが、出会ってからの年数が自分よりも遥かに少ないであろう人を好きになった先輩は、
結局のところ自分に対して恋愛感情を持っていなかったということだ。その事実は、想い続けてきた期間がまるで無駄であったかのような
気がして、美琴を酷く惨めな気持ちにさせた。
思い出は、それが良いものであろうと、苦しいものであろうと、やがて風化されるという。
しかし、たった二月程度で失恋を美化するには、美琴は余りに幼すぎた。
今でも、たまに夢を見る。
「っと、早く汗を流さないと風邪引いちまうな」
引いていく汗が体温を奪っていくことに気付き、しばし呆けていた自分を叱咤するかのように両手で何度か頬を叩くと、
道場の庇沿いに進んで行った。
15 名前:Squall :04/10/11 10:39 ID:mJvTrK3w
「よっ」
「周防……」
花井は参考書を顔にかぶせながら、ベッドに横になっていた。
「おばさんがさ、部屋に居るから上がってけって」
「何か僕に用か?」
普段の花井からは想像も出来ないほど抑揚の無い声。
分別をわきまえている彼らしく、客人に対する礼儀として体を起こす姿からも、いつものような覇気が全く感じられない。
「いや、雨が降ってきたから傘を借りようと思ってな。そしたらさ、おばさんに強引に上げられちまって。まぁ、いいだろ、たまには」
幼馴染とはいえ、流石に高校生になってから部屋に上がったことは無かった。
照れ臭いと言う感情から逃れるように、無意識に美琴は頭を掻く。
「……帰ってくれ」
「って、いきなりそれかよ」
横柄な物言いもそうだが、それ以上に「らしくない」花井の態度に思わずカチンと来る。
「じゃあ何か? お前も僕を笑いに来たのか」
「なっ……」
「滑稽だろ。誰が何と言おうと、僕は塚本君を一番想っている自信があった。しかし、彼女は播磨を選んだ。
……僕は男として播磨に負けたんだ」
そう言うと、花井は俯いてしまう。
「はいはい、それで花井君は独りで泣き寝入りですか」
挑発的な美琴の言葉にも、花井は反応しない。それを見て、美琴の心は理由の分からない不快感が支配していった。
「ったくよー、情けないったりゃありゃしないぜ。男の癖にウジウジとよー」
「奪い返すぐらいの気概を見せられないもんかね」
次々に出てくる蔑みの言葉。自分のことを棚に上げていることは分かっていたが、花井が落ち込む姿を見ていると、無性に腹が立った。
16 名前:Squall :04/10/11 10:41 ID:mJvTrK3w
「……お前に何が分かる」
「あん?」
見ると、花井の肩がわなわなと震えている。
「お前に何が分かると言ったんだ!」
口を真一文字に結び、眉が吊り上る。
気色ばんだ口調は、押し殺していた鬱憤を吐き出そうとしていることを、如実に表していた。
「お前に……恋をしたことも無いような、人を愛する辛さを知らないお前に、責められたくは無い!」
……恋をしたことが無い? あたしが?
血の気が引いていくのが分かった。
分かっている。花井は追い詰められているだけだ。
自分自身もコイツの激情を受け止めるつもりで、敢えて憎まれ口を叩いたのではないのか?
至る所に意識が錯綜し、思考がオーバーヒートを起こす。しかし、その中でも揺るがないのは、敗北者の顔を見せ続ける幼馴染の姿。
一番信頼出来るであろう相手が、自分の本質を掴んでいてくれなかったという、哀しい真実。
17 名前:Squall :04/10/11 10:43 ID:mJvTrK3w
……美琴自身意識していたわけではない。気が付くと、思い切り花井の頬を張っていた。
自分の行為が意識化で下した結論と矛盾していることに、やってしまってから気付く。
けれど、もう、止められない。
「知ったような口を叩くんじゃないよっ!」
頬を涙が伝う。
「周防……」
赤く染まった頬に手を当て、毒を抜かれたかのように呆然とした表情で、花井は見上げる。
「自分が世界で一番不幸だって顔してさ……あんただって、あたしのコト何にも知らないじゃない」
お互いの沈黙が、刺すような静寂を形成する。
「無神経な言い方だったかも知れない。それは謝る。……だけど、今のあんたは最低だ」
美琴はそう言うと、踵を返して部屋を去った。
自らの行動にすら納得のいく動機付けが出来ない。これじゃあただの八つ当たりじゃないか……
そう、嘲りながら。
19 名前:Squall :04/10/11 10:46 ID:mJvTrK3w
――どうしてここに居るのか、はっきりとは覚えていない。
黙って家に帰れば良いのに、気が付けば、ずぶ濡れのまま矢神神社の境内に腰掛けていた。
何故、あんなことをしてしまったのだろう。
美琴は、幾度と無く問いかけてきた事への答えを模索していた。
落ち込むアイツを見たのは、別に初めてのことじゃない。十年来の付き合いなのだ。その度に、事の大小に関わらず、笑いながら強引にハッパをかけてきた。
立場が入れ替わることもあったが、その「儀式」は、二人が積み重ねてきた時間の象徴であり、お互いの不文律であったはずだった。
そう、今回もいつも通りに笑い飛ばせばよかったのにな……
ふと、右手の掌を雨にかざす。前に比べれば随分と楽になったものの、まだ少し赤みが残る。
闇に慣れた目が捉えるその腫れは、それ自体が美琴の業を象徴しているようで、彼女の気持ちを再び滅入らせていった。
乾ききっていない失恋という傷口を喚起させられたため、反射的に手を出してしまったのだろうか。
「いや、違うな」
恐らく、思っていたよりも自分が理解されていなかったことが悔しかったのだろう。
確かにアイツに先輩への想いを話したことは無かったが、それでも、自分が色恋沙汰とは無縁の存在であると認識されていたことが哀しかった。
「……なんでだよ」
花井にそう思われていただけで……美琴は搾り出す。
20 名前:Squall :04/10/11 10:49 ID:mJvTrK3w
脳裏に浮かぶは、積み重ねてきた思い出。一つ一つが、浮かんでは消える。
遡った記憶がどんどんと新しくなり、頬を押さえるアイツの驚愕の表情で停止し、その映像にひびが入った。
……瞬間、彼女の涙腺は一気に崩壊した。
一つの想いを失って、それから初めて気付く想いもある。美琴にとって、近過ぎて今まで振り返りもしなかった。
先輩への想いが霞んでしまうほどに、体の内から込み上げてくる想い。
……花井春樹を慕っているという想い。
随分と回り道をした。違う人を想ったこともある。
十年かけて辿り着いたその想いの結末は、ただその手に残る、アイツを殴った感触だけ。
アイツと共に成長してきた日々。少しずつ深め合ってきた絆。
苦労を重ねて築いてきたのに比べ、失ってしまうことの、何と容易いことか……
「泣いている場合じゃないな」
キッと空を睨むと、美琴は立ち上がった。……流す涙を、受け入れた。
気付いてしまったのだから。そして、溢れているのだから……
じっとしているのは性分に合わない。臆病になって失敗した前回の轍もある。
何か行動をしよう。塚本八雲には適わないかもしれない。だけど、自分に出来ることは何でもしよう。
雨はまだ止まない。しかしもう、少女は哀しい雨を己の心に投影することは無い。
2007年04月10日(火) 11:04:09 Modified by ID:Pflr4iBBsw