IF18・Art of nostalgia

358 名前:Art of nostalgia :04/12/16 16:21 ID:Op3a6XHI
 春、某日の放課後。

「いらっしゃい、播磨くん」
「……うーす」

 美術教師、笹倉葉子に呼び出されたのはヒゲにグラサンの男子生徒。校内一の不良と名高い播磨拳児だった。
 そんな播磨に対しても、笹倉はまったく動じることなく語りかける。

「どうして授業サボったりしたの?」
「フリョーがクラスメイトと一緒にお絵描きなんてガラじゃねぇよ」
「そんなことないと思うけどなぁ」

 おっとりとそう言う。
 播磨ははぁとため息一つ。彼女が本気でそう思っているのがわかるからだ。

「んなことより、なにすりゃいいんだ?」
「皆にはね、人物画を描いてもらったのよ。二人一組でお互いを描いてもらったの」
「……マジ出てなくてよかったぜ」

 はっきり言ってぞっとする。こういうときは普通男女が一緒になることはない。愛しの女性を描くと言うのなら別だが、何が哀しくて硬派で通してる不良が男と向き合って絵を描かにゃならんのだ。
 まあそうはいっても単位は欲しい。また留年の危機を迎えるわけにもいかない。だからこそ素直に呼び出しに応じたのだ。


359 名前:Art of nostalgia :04/12/16 16:23 ID:Op3a6XHI
「んじゃ俺はどーすんだ? 自画像でも描けばいいのか?」
「ううん、相手、いるでしょ?」
「は?」

 きょろきょろと美術室の中を見渡す。誰もいない。

「だーかーら、目の前にいるでしょ」
「…………マジ?」
「マジ、よ」
「あー、仕事は?」
「今日は大して忙しくないのよ。播磨くんが終わってからでも間に合うわ」

 にっこりと。その微笑みを見て、反論はまったく無意味と知る。こういうときの彼女には敵うはずがない。同居人にして自分の知る限り最強・最凶のジョーカーである絃子ですらあっさり手玉に取る存在を相手に噛み付く気は起こらない。
 大人しく席に着き、画板に紙を数枚はさみこむ。
 笹倉もその対面に座ると組んだ手を膝上に置き、動きを止める。

「センセ、別にじっとしてなくていいぜ。仕事してていーよ」
「え?」
「別に写真撮るわけじゃねぇし。絵なら融通効く」
「……それ、覚えてたんだ拳児くん」

 笹倉はふっと一際柔らかい笑顔になる。一方の播磨は照れたように視線を逸らしながらさっと鉛筆を滑らせ始めた。


360 名前:Art of nostalgia :04/12/16 16:24 ID:Op3a6XHI
 播磨拳児の絵の才能に気付いたのは、目の前の女性が最初だった。そして彼に絵の基本を教えたのもまた笹倉葉子だ。
 出会いは、ずいぶん昔のことになる。
 葉子が高校のときに刑部絃子と出会い、仲良くなってしばらくのときだった。
 たまたま絃子の家に遊びに来ていた葉子がそこで出会った小生意気な腕白小僧。それが播磨拳児だった。
 また、幼い拳児にとっても、葉子との出会いは大きな意味を持っていた。
 拳児の周りにいる大人の女性は、一様に厳しい人ばかりだった。
 喧嘩っ早い拳児を煙たがり、問題を起こすごとに厳しく叱り飛ばす。例えどんな理由があったとしても、拳児は常に悪者だった。
 刑部絃子も厳しい人だったが、きちんと理由を聞き、それが筋の通るものならば咎めはしなかった。
 もっとも筋の通らないときは誰よりもキツイお仕置きが待ち受けていたが。それでも話を聞いてくれる分、拳児は絃子には懐いていた。
 そんな中で、常に微笑んでいる葉子の存在は播磨にとっては未知のものだった。
 明らかに拳児が悪いようなときも、優しく額を突いて「めっ」とやんわり諭す葉子は、一回り以上歳の離れた弟しか持たない拳児にとってまさに憧れの『優しい姉』そのものだった。
 だからだろうか。
 拳児は葉子にだけはめっきり甘えてしまうようになっていた。


361 名前:Art of nostalgia :04/12/16 16:25 ID:Op3a6XHI
『よーこねーちゃん、あそぼーぜっ』
『……拳児君、私の部屋にノック無しに入ってきて第一声がそれか?』
『まあまあ絃子先輩、そう怒らなくてもいいじゃないですか』
『葉子、キミは甘すぎる。第一今日は絵を仕上げないといけないんだろう?
 ただでさえこんなところで描いているというのに子供に付き合う時間も必要も無いじゃないか』
『大丈夫ですよ、ちょっとくらい』
『まったく……。拳児君、今日は葉子は忙しい。大人しく帰りなさい』
『えーっ!?(ギロリ)ハイワカリマシタ……』

 不満を口にした瞬間に、殺す目で睨まれてあっさりとそれを引っ込める。肩を落としてスゴスゴと引っ込もうとするところを、

『じゃあ拳児くん、一緒に絵、描こうか?』

 やっぱり優しく葉子が引きとめた。


362 名前:Art of nostalgia :04/12/16 16:27 ID:Op3a6XHI
『うあー、ぜんっぜん上手くかけねぇ……』
『どれどれ……。そんなことないわよ。拳児くん、よく描けてるわ』
『でもこんなんだぜ?』

 拳児の画用紙には、かろうじて葉子?と思われるものが描かれていた。

『そうねぇ、じゃ私が基本的なこと教えてあげるわ。一緒に絃子先輩の事描きましょ』
『……葉子、私もモデルをやれるほどヒマじゃないんだが』

 そう言う絃子はストラトを肩に新曲作成中だった。アンプには繋がず、ごく小さい音を並べながら譜面にコードを書き込んでいる。けっこう煮詰まっている様で、言葉からも表情からもトゲと苛立ちが見える。
 気弱な子供なら泣き出しそうな今の絃子の視線をあっけらかんと受け止めたまま、葉子はあっさりと、

『別にじっとしててください、なんて言いませんから。先輩はそのまま続けててください』
『ああ、そうさせてもらう』

 そういうとすぐに顔を伏せて自分の作業に戻る。

『……俺、じっとしててもらわないと絵なんて描けねーよ?』
『拳児くん。絵はね、ありのまま描くだけじゃないのよ』

 そう言うと葉子は素早く手を動かす。見る見る画用紙に絃子の姿が浮かび上がる。

『おおっ!?』

 しかし彼女がその腕に抱くのは愛用のストラトキャスターではなく、大きなハープ。服装も古代ギリシャ人が着るような貫頭衣だ。それはさながら――

『タイトルは、≪音楽の女神≫ってところかしら』


363 名前:Art of nostalgia :04/12/16 16:29 ID:Op3a6XHI
 うんうん、と満足げに葉子。当の絃子はしっかり集中しているためかこちらを見ようともしない。もしかしたら本当に聞こえてすらいないのかもしれない。
 しかし一方で拳児は少し首を捻る。

『でもさー、女神って割にゃ表情キツ過ぎない?』
『そうね。なら――』

 ちょちょいと手を加える。それだけで、

『…………すげぇ……』

 絵の中の絃子は、拳児が見たこともないような慈愛に満ちた温かい微笑みを浮かべている。彼女の奏でる音楽は、間違い無く優しい曲だと、そう思った。

『……と、まあこれは私のイメージした絃子先輩。モデルはそれほど重要じゃないわ。
 大事なのはイメージすること。感じたままを描けばいいのよ』
『感じたまま……』
『そう。言っちゃうと、全部想像で描いたって全然いいの。写真じゃないんだからそのあたりは好きに描いて問題ないわ。
 ううん、むしろそういうこと描いたほうが描いてる方だって楽しいじゃない』

 そう言う葉子は本当に楽しそうで。拳児は、彼女が本当に絵が好きなんだなぁ、と改めて思うのだ。

『じゃ次は描き方の基本、教えてあげるね。まずは――』


364 名前:Art of nostalgia :04/12/16 16:30 ID:Op3a6XHI
 拳児の飲み込みは早かった。絵の最も基本である形の把握は天性のものがあった。だからラフスケッチでそれをきちんと形にすることをまず教えた。それだけで目に見えて拳児の絵は見事になっていった。
 とりあえず、今日はそのまま彼に描かせることにする。枠にはめるよりも、好き勝手に描かせて、彼が壁を感じたときに助言すればいい。
 一心不乱に描く拳児を見ながら、葉子は、

(なんだか先生みたい)

 と思い、くすりと微笑む。

『できたっ!』
『あ、出来たの?』
『ほらっ』
『ぷっ……け、拳児くん上手上手〜〜』

 一目見て、葉子はけたけたと笑う。そんな葉子を見て拳児はえっへんと胸を張った。……しかしその直後、葉子の背後から伸びた腕に画用紙を奪われた瞬間に彼は凍りつく。

『ほう、拳児君、出来たのか。どれど……』

 出来上がった拳児作の絵を見て、絃子は無言で愛用のハンドガン(改造済み)にリロード。拳児は全力で逃げ出し、葉子は怒りに狂う絃子を羽交い絞めにて何とか押さえつけた。
 そんなドタバタのせいで絵が宙を舞う。その絵にはギターを必死に弾く絃子の姿が。しかし、何故かその頭には悪魔のような角が、その口元には鬼のような牙が付いていた。


365 名前:Art of nostalgia :04/12/16 16:31 ID:Op3a6XHI
 昔を思い出しながら、播磨は鉛筆を動かす。
 目線の前には、あのころより髪が伸びた葉子。しかし変わったのはそこだけではない。あのころの笑顔と今の笑顔には違いがある。
 どちらが良い、というものではない。時が経った。そういうことなのだ。それでも――

(それでも寂しいとか思っちまうのは、感傷か……)

 そんなことを思いながら、最後の仕上げを済ませる。
 出来た。
 これを提出しようと、腰を浮かしかけ――また、椅子に身を預ける。
 ふと、思いついたことがあったのだ。
 播磨は完成した絵をひっくり返して隣の机に置くと、まっさらな画用紙に再び鉛筆を滑らせた。


366 名前:Art of nostalgia :04/12/16 16:33 ID:Op3a6XHI
 葉子は採点中の手を止めると、そっと対面の男子を見る。
 ……大きくなったなぁ。そう、思った。長いこと会わなかった間に、いつのまにか身長は追い抜かれ、かつては屈んで頭を撫でてあげた男の子は、今はこちらが見上げなければならないほどに。
 ……ちょっと、寂しいかな? そんなことを考えてしまう。
 その瞬間、播磨も顔を上げた。二人の視線がぶつかる。

「拳児くん、出来たの?」
「ん、終わった」
「そう。じゃあもう帰ってもいいわ。……それとももう少しここで描いていく?」
「んー、いや、帰るわ」
「そう? いつでもここにいらっしゃいね」
「……気が向いたら、な」

 そういうと薄い鞄を引っさげて播磨は歩き出す。
 引き戸を開ける。そこで、振り返らずに播磨は言った。

「……じゃあな、葉子姉ちゃん」
「ええ、またね。拳児くん」

 手をひらひらさせながら美術室を出て行く播磨を見送る。
 なんだかんだいっても、やっぱり変わってない。やっぱり彼は可愛い弟だ。


367 名前:Art of nostalgia :04/12/16 16:34 ID:Op3a6XHI
「あら、二枚?」

 播磨が机の上に残した画用紙を手に、葉子は首をかしげた。
 ま、いっかと深く考えずに播磨作の絵を取る。
 よく描けてる、素直にそう思う。でも、ちょっと美人さんに見えるなぁ。微苦笑しながら紙をめくり送ってもう一枚のほうへ。
 それを見て、珍しく――本当に珍しく、葉子は驚いた。大きく目を見開く。そして――それはすぐに笑みに変わる。いつものおっとりとした微笑みではなく――少し子供っぽい、『嬉しいから笑う』といっているような、そんな笑みだった。


368 名前:Art of nostalgia :04/12/16 16:35 ID:Op3a6XHI
 それから半年後、文化祭当日。

「葉子姉ちゃん、ありゃどーゆーこったっ!?」
「あら拳児くん。ウェイター姿、良く似合ってるわ」
「んなこたぁどーでもいいっ、何であの絵が飾ってあんだよ!?」
「何でって、今日は文化祭よ。生徒作品の展示は美術担当なら当然でしょ?」
「そりゃわかる! けどなんであれだけあんなにでかでかと!?」
「んー、それはね……」

 人差し指をぴっと立てる。まるで重大な何かを発表するように、葉子は声を潜めて播磨の耳元で囁く。

「私のお気に入りだ・か・ら(はぁと)」

 その言葉に、播磨はがっくりと崩れ落ちた。そう言う理由なら彼女がアレを引っ込めてくれるはずがない。実力行使もムダ。ヘタすりゃ100倍になって返ってくる。
 大人しく晒し者にならなければならない現状に播磨は心の中で涙する。

「それより拳児くん、いいの?」
「……何が?」
「こんなところでその呼び方。拳児くんが『葉子姉ちゃん』って呼んだから私もいつもどおりにしてたんだけど」
「…………あ゛」

 現在場所、2−C主催・茶道部共催の喫茶店。
 クラスメイト達や客の好奇と、友人一同の妙に冷たい視線が播磨に突き刺さる。


369 名前:Art of nostalgia :04/12/16 16:37 ID:Op3a6XHI
 美術室。生徒作品展示として廊下の壁に多くの絵や彫刻などが並んでいる。
 そんな中、特に目立つ場所にきちんと額に入れられた作品があった。その中には『作者 2−C 播磨拳児』の名と、二枚の絵。
 一枚には、緩やかなウェーブを描く長い髪の大人の女性。その表情には慈しみに満ち、おっとりとした微笑を浮かべている。例えるなら、月のような女性。
 そしてもう一枚には、弾けんばかりの笑顔で笑う、セミロングの女の子。生き生きとしたその笑顔は太陽のようだ。その余白に、子供の書いたような字で大きくこう書いてある。
 『よーこねーちゃん』と。
2008年10月15日(水) 15:10:02 Modified by ID:C/WkzodTIQ




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