IF19・晴れ時々雨、後ーー

980 名前:晴れ時々雨、のち――[sage] 投稿日:05/02/27 00:41 ID:pKIZgTDY
「雨の日って、あんまり好きじゃないんです」
 彼にとって、彼女のそんな表情を見るのは初めてのことだった。
「他にはなにも見えない、なにも聞こえない」
 それはまるで、晴天の不意を打つ夕立のようで。
「世界に自分がひとりぼっちで取り残されるような気がして」
 そんなこと思ったことありませんか。
 彼女はそう、呟いた。



晴れ時々雨、のち――



「お疲れさまでした」
 バイトの一仕事を終え、雇い主であるところの店主に声をかける麻生。いつぞやの店番以来、
あれだけイイものが作れるのだから店を継がないか、などと冗談とも本気ともつかない口調で
話しかけてくるのを、お断りします、とにべもなく切って返して家路につこうとする。
「待って下さいよー」
 そのあとを追うようにして、店の奥から帰り支度をしたサラが駆けてくる。
「もう、いっつも先に帰っちゃうんですから。せっかくだからたまには一緒に帰りましょう」
 なにが『せっかく』なのか麻生には分からないが、押し切られるようにして頷いてしまう。
 サラ・アディエマス。
 このちょっと風変わりな後輩を、彼は未だに扱いあぐねている。もともと異性の扱いに不得手
なことに加え、くるくると様相を変える彼女の掴み所のなさが原因である。
 ――猫みたいだな。
 そんなことを思ったりもするが、ではその『猫』に懐かれている(少なくとも嫌われては
いないだろう、という程度の認識だが)自分はいったいなんなのか、などと考え始めると終わりが
見えない。結局、ちょっと変わった後輩、というのが彼の中でのポジション。
「どうしたんですか? 変な顔して」
「……別に」

981 名前:晴れ時々雨、のち――[sage] 投稿日:05/02/27 00:42 ID:pKIZgTDY
 小首を傾げるその顔に、何故か考えを見透かされているような気になって足早に歩き出す。が、
それもほんの一瞬、店の戸を開けたところでその足が止まる。
「雨、ですね」
「だな」
 昼下がり、仕事に入る前は青を見せていた空の色が、いつのまにか灰色へと変わり、さらには
既に雨が降り始めていた。路面を叩くその音が響く。
「先輩、傘は……」
「俺は持ってる」
 言って鞄から取り出したのは、小さな折り畳み傘。麻生としては、使うつもりもなく念のため、
と入れておいたのが功を奏したことになるのだが。
「……そうですか」
 そう口にした彼女はなにかを訴えるような眼差し。
「……そうか」
「そうなんです」
 視線は外れない。
 ほんの少し低いところから、見上げるようにじっと。
「……」
「……」
 外れない。
「……持ってないのか」
「正解です」
「……そうか」
「そうなんです」
 見つめてくる。
「送っていってくれますよね、先輩」
 結局のところ、最初からそれ以外の選択肢など存在はしなかったわけで。
 麻生は溜息混じりに首を縦に振った。




982 名前:晴れ時々雨、のち――[sage] 投稿日:05/02/27 00:42 ID:pKIZgTDY


 一つの傘。
 二人の人間。
 身を寄せ合うように、けれど決して触れ合わないように。
 誰かに見られたらどう言い訳をすればいいのか。そんな状況の中で、身体の半分近くを傘の外に
出して歩きながら、ずぶぬれよりはましか、などと考える麻生。もちろん気恥ずかしさはあるものの、
どうにかなるような状況ではもはやなく、それなら仕方ないと割り切っている。
 むしろ気になるのは、同じように半身を雨に打たれながら隣を歩くサラのこと。店を出る際店主に
傘を借りる、という選択なしにその頼みを受けたのは、その視線に普段とは違う色を感じたからだった。
 それはほんのわずか、それなりに付き合いの長い彼が、出会ったころなら気がつかなかったと思う
ような小さな違和感。そして、それはあまり嬉しくないことに正解だったらしく、歩き出してからと
いうもの、うつむいたような恰好のまま、一言も発しない彼女がそこにいた。
 常日ごろから笑顔でいる、そんなイメージを持っていた麻生からすれば、そんなサラの様子はなんとも
形容しがたいものだった。
 どうにか出来ないか、そう思う。
 けれど、出来ない。
 どうしてこう自分は異性に対して弱いのか、憤りにも近い思いを抱いたまま、雨の音だけがする沈黙が
続き、そして。彼女は呟いたのだった。
 雨の日は好きじゃない、と。



「そんなこと思ったことありませんか」
 うつむいたまま、それきりまた口を閉ざしたサラを見つめる麻生。そこにあるのは、晴天に似たいつも
の笑顔ではなく、雨空のように沈んだ表情。
 どうしたものか、と考える。
 気がつけば、前方にはもう彼女の寄宿先がある教会が見えてきている。このままなにも言わず、黙って
送り届けるべきか。そうすれば、次に会ったときはまるでなんでもなかったとでもいうような、そんな
笑顔に会えるだろうという確信はある。そういうヤツだ、というのが彼の見立てであり、そう外れては
いないはずだと思っている。

983 名前:晴れ時々雨、のち――[sage] 投稿日:05/02/27 00:42 ID:pKIZgTDY
 けれど、それでいいのか、という思いも同時にある。これをなかったことにしていいのか、と。
 だがどうすればいいのか。考えることが出来る時間はあまりに短く、そして難題。諦めかけ、らしくも
なく悪態をつこうとしたとき、その視界が『それ』をとらえた。瞬時、出すべき答が組み上がり、麻生は
ゆっくりと口を開く。
「お前さ、今年になってこっちに来たんだよな」
 仕事の休憩の合間、取り留めのない世間話の中で聞いたことを確認する。聞こえているのかどうか、
返事はない。その姿に、もしかしたら本当に聞こえていないのかもな、そう思う麻生。それでも構わず
言葉を続ける。
「最初はいろいろあったんだろうな」
 数えるほどしか知り合いのいない、異国の地。それは確かに、世界でひとりぼっちだと感じることなの
かもしれない。俺には想像しか出来ないけどな、そう断ってから。
「……でもな」
『それ』を見ながら言う。
「今は違うだろ。ちゃんと見てみろよ、前」
 え、と小さく声をあげ、視線をゆっくりと前へ向けるサラ。
 そこに。
「サラねーちゃーん!」
「傘持ってきたよー!」
 駆けてくる子供たちの姿があった。傘を差している者、合羽を着ている者、なかには雨具なしの者まで
いたが、全員に共通しているのはたった一つのこと。
 すなわち、笑顔だ。
「あ……」
「これでもひとりぼっちか?」
 違うだろ、そう麻生が言ったときには、その集団に飲み込まれる二人。
「姉ちゃんときどき忘れっぽいよな」
「心配したんだよ」
「でもおくってもらったみたいだよ?」
「っていうか兄ちゃんだれだ?」
「あー、もしかしてっ!」

984 名前:晴れ時々雨、のち――[sage 置き土産埋め] 投稿日:05/02/27 00:43 ID:pKIZgTDY
 騒がしい。そして同時、微笑ましく温かい。
「ありがとう、みんな」
 そんな『幸福』な空気の中で、サラは微笑んでいた。目尻をほんの少しだけ光らせて。
「ここまでで十分だよな。じゃあ、な」
 そして、一仕事やってのけた、そんな表情でその場を去ろうとする麻生。
「あ、待って下さい」
 その腕をつかんで引き留めるサラ。
「せっかくですから寄っていって下さい。お礼もしたいですし」
 今度の『せっかく』は理由のある『せっかく』だ。そうなれば、彼の方には断る理由がなく、なにより。
「いいですよね? 先輩」
 そこにもう一度あの青空みたいな笑顔があるなら、断れる道理もない。
「分かった」
「ありがとうございます。それじゃ行きましょう」
 歩き出す二人。
 雨はまだ降り続いている。
 けれど、子供たちの声に掻き消され、その音はもう聞こえない。
 まるで、雨上がりの空のように。
2010年11月17日(水) 14:22:18 Modified by ID:/AHkjZedow




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