IF19・Sweetest Goodbye


536 :クズリ :05/02/08 17:42 ID:RIKksSYw

「あら」
「……よう」
 再会は突然。愛理の口から咄嗟に出てきた言葉は。
「お久しぶり」
 彼女は笑う。胸の内に浮かび上がる感情を押し隠したその笑顔は、播磨の知らない、大人の表情。

 Sweetest Goodbye

「本当に、もう随分と経つわね」
 持ち上げた紅茶のカップを口元に運びながらの愛理の言葉に、播磨は重々しく頷く。
 彼女に連れられて入った喫茶店は、いつも彼が編集者との打ち合わせに使うファミレスとは何もかもが違う。
もっともそれだけで気後れしてしまうほど、播磨も子供ではなくなっていたが。
 改めて、目の前の女性を見つめる。
 よく手入れされ輝く金の髪には、軽いパーマがあてられている。ベージュのオフショルダーニットに、デニムの
ミニスカート、そしてブーツ。念入りに、時間をかけて化粧を施された顔に幼さはない。そして、きつさも。
 印象が変わったな、と播磨は感じる。丸くなったとか、険が取れたとか、そんな言葉が思い浮かんだ。
 当たり前か、とこぼれる微苦笑を、彼はコーヒーを飲むフリをして押し隠す。彼女と最後に顔を合わせてから、
もう随分と経つのだから、と。
「元気だった?」
「ああ。そっちはどうなんだ?」
「元気よ。おかげさまで」
 当たり障りのない会話。手探りで埋めようとする断絶の時間。
「仕事の方は、どうなの?」
「ぼちぼち、だな。そっちは?」
「ん。まあまあ、ってところね」
 気まずさと、ぎこちなさ。だけど席を立つには惜しい。そんな複雑な感情と折り合いを付けながら繰り広げられ
る会話は、少しばかり上滑りをしながらも続いていく。
「何か不思議ね。貴方とこうして話す日が来るなんて」
 付かず離れずだった間合いを一気に縮める言葉を、彼女の唇が紡いだ。


537 :Sweetest Goodbye [sage 何か名前書くところ間違えたりしたり。] :05/02/08 17:44 ID:RIKksSYw

 今日、初めて二人の視線が、絡み合う。そこに浮かび上がる、幻想は過去の記憶。

 その、いきさつを彼らは、よく覚えていなかった。
 ただ気が付けば二人きりだったのだ。
 どんな会話を交わしたのかすら、もう定かではない。ただ天満と烏丸が付き合い始めたのを、播磨が悲しんで
いたことだけは、おぼろげながらに愛理は覚えていた。
 そして、そして、そして。
 彼女は播磨に告白をし、彼はそれを受け入れた。
 晴れて二人もまた、カップルになったのだ。

 蜜月は三ヶ月。絶頂はクリスマス。抱きしめられた、そのぬくもりが永遠だと思った。
 その後の三ヶ月は愛理にとって、ただイライラするだけの毎日だった。顔を合わせては喧嘩ばかりをしていた
気がするほどに。
 いつかクラスメイト達と交わした会話。その時に抱いた感想。
 彼の前では、素直になれる。変な気遣いも、作り笑いもしない。
 だから、好きだと思った。いや、今でも彼女は、播磨を好きだった。
 けれど、もう。
 限界だった。
 素直になれるから楽、なんてことはなかった。好きだけでやっていけるほど、付き合うという現実は甘くはな
かった。

「別れましょう」
「ああ」

 最後に交わした会話は、たったそれだけ。
 あれだけ流した涙も、怒号もない。
 何だかそれが、二人の終りにはぴったりな気がして、むしろ彼女は笑いそうになった。

 ちょうど進級に伴うクラス分けがあって、彼らは別々のクラスになった。それをきっかけに疎遠になり、顔を
合わせることもなくなった二人。当然、言葉を交わすことも。
 愛理の中に、想いはまだ残っていた。しかし、廊下ですれ違っても、彼女は挨拶をしようともせず、それは彼も
同じだった。


538 :Sweetest Goodbye [sage 何か名前書くところ間違えたりしたり。] :05/02/08 17:45 ID:RIKksSYw

 そして迎える、卒業。別々の道を歩み始める二人。
 愛理は大学に進学し、在学中に女性誌のモデルにスカウトされ、業界に入った。少しずつ名前の売れ始めた
彼女の毎日は、それなりに忙しいが、充実もしている。
 そんな中でも愛理は、ふと播磨のことを思い出す日があった。
 彼がジンマガで連載中のマンガは全部読んでいるし、コミックスも揃えている。そんな自分に、苦笑してしまう
ことも、ままあることだ。
 別れた男のことを忘れられないなんてね。そう胸の内で呟く愛理は、播磨と別れてから後、他の男と付き合っ
たことはない。


「もう、二度と会うこともないと思ってた」
「そりゃ、俺の方だって」
 触れたくはない、だが触れずにいられなかった過去。一瞬、二人の間を緊張が走ったが、すぐに霧散する。
こうして面と向かうことで、互いに気付いたから。あの時間は二人にとって、懐かしいとすら思えるものになった
のだということを。
 痛みがないわけではない。ただそれすらも冷静に、苦笑を伴いながら振り返ることが出来るようになったこと
に、愛理は新鮮な感動を覚える。
 膝の上で手を組み、彼女は少しうつむいていた顔を上げた。邪魔な前髪を後ろに流しながら、目の前の男を
観察する。見違えるほどに変わった、ということはない。高校時代と比べれば、格段に落ち着いた風にも見える
が、年齢を考えれば当然のことかもしれない。
「サングラス」
「ん?」
「外したのね」
 付き合ってた頃のことを思い出して、彼女はくすぐったい気持ちになる。サングラスの下の素顔がそこそこに
かっこいいことを知って、自分以外の前では外さないようにと、愛理は言ったのだった。
 子供っぽい独占欲だった、と振り返って彼女は思う。二人だけの秘密、という言葉に快感を覚えていたあの頃。
もっとも、今でも少し残念に思う自分がいることにも気付いている。
 大人になりきれない私、そしてそれを観察する大人の私。脳裏に浮かんだ言葉を、愛理は胸の奥で弄ぶ。


539 :Sweetest Goodbye :05/02/08 17:46 ID:RIKksSYw

「やっぱり、ダメね」
 不意に落ちた沈黙を破る彼女の言葉が、男の注意を引く。見つめられて愛理は、小さく、苦笑。
「忘れられてないわ。アンタのこと」
 彼の目が驚きに見開かれるのを、少し愉快な気持ちで彼女は眺めた。
「急に、どうしたんだよ」
「別に。思ったことを言っただけ」
「――――やけに素直じゃねぇか」
「それだけ、大人になったってこと」
 意地を張っててもしょうがないから。言って愛理は、肩をすくめて見せる。出来ればそれが、優雅な仕草に
見えるようにと願いながら。
「そんだけ素直だったら、あん時、もうちょっと我慢出来てたんだろうけれどな」
「あの頃はあの頃で、素直だったのよ?アンタの前では、飾らない自分でいられたと思うから」
 愛理は、そして笑う。穏やかに。高校時代には考えられなかった心の動き、優しい気持ちが胸を落ち着かせる。
「そ、そうか」
 少しどもりながら目をそらす播磨の様子に、彼女は笑みを深くする。
「何、照れてんのよ」
「ば、ばか。そんなんじゃねぇよ」
 サングラスを外した彼の目は素直で、その心の内が簡単に読めた。あの頃は、わからなかったけれど。
 余裕がなかったのよね。そう心の中で呟いて、愛理は唇の端を微かに上げた。
「あれから、彼氏とか出来たのか?」
「別に。そっちは?」
 そう聞き返した時、浮かんだのは塚本八雲の顔。天満の口から、二人が未だに連絡を取り合っていることを
聞いていたから。付き合っている時も、彼女の存在は愛理の心をささくれ立たせたものだった。
「俺も別に。忙しくて、作る暇もねぇってのもあるけれどな」
 苦く笑って首を横にふる播磨の姿、そして八雲の名前が出なかったことに、彼女は安堵する。聞いてしまった
ら、抑えきれなかったかもしれないから――――胸の奥で蠢く感情を。


540 :Sweetest Goodbye :05/02/08 17:46 ID:RIKksSYw

 それから少しの時間を共有して、二人は別れる。それぞれに携帯の番号とメールアドレスを教えあって、
「じゃ、な」
「ええ」
 再会の約束はしない。ただ人ごみに消える彼の背中を、愛理は少しだけ目で追いかけた。

 怖かったのだ、と彼女は自分の心を冷静に分析する。
 あの頃と違う自分達ならば、もしかしたら、あの頃と違う付き合い方が出来るかもしれない。
 そんな想いがふと、頭の片隅を横切ったことは確かだ。おそらく同じことを、彼も考えていたのだろうと愛理は
想像する。そうでなければ、彼氏がいるかどうかなんて、聞かなかっただろうから。いや、そもそも、こうして時間
を割くことすらしなかったに違いない。
 なのに、二人は結局、そこにたどりつけなかった。
 あの頃と違う自分達、なのに、あの頃と同じ想いをすることになるかもしれない。そんな恐怖が、好きという
気持ちに勝ったのだ。
 痛みを知るだけに、臆病になった。そんな風に愛理は思う。もっと、何も知らなければ。

 考えていても、仕方が無いか。
 愛理は頭を横にふって、携帯をバッグにしまった。
 また、会うこともあるかもしれない。一人が寂しい夜に、連絡をとりたくなるかもしれない。
 もしかしたらまた、二人は付き合い始めるのかもしれない。

 だけど、それは今じゃない。

 それがわかっただけで、十分だった。

 少女の時間を振り捨てて、彼女は颯爽と歩き出す。
 彼とは反対方向へと。
2010年11月17日(水) 00:34:32 Modified by ID:/AHkjZedow




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