IF2・Spice Girls

702 :Spice Girls :04/01/12 10:33 ID:VudB43x1
「イトコ!ラー油とってくれ!」
「やれやれ、『さん』をつけろと何度言ったらわかるんだ」

 ここは中華料理店「青雲幇」
 時刻も夕方に差し掛かり、店は俄に賑わいを見せてきていた。
 店内はそれこそ老若男女の混合米。
 家族連れ、カップル、サラリーマン達など様々な組み合わせの席が見渡せる。
 そんな中、フロアにいた店員の目を一度は捉えてしまう、そんな異彩を放つ二人組が
 店内入り口付近の窓際席に座っていた。
 一人は男。
 身長も高く、体格もいい。ヒゲにサングラス、髪はオールバックの美丈夫。
 一人は女。
 男に連れ添うには十分なスタイル。胸元をそこはかと開いたシンプルなシャツ。
 黒羽濡れた長髪を涼やかに流す麗人。
 ご存じ、播磨拳児と刑部絃子の二人だ。


703 :Spice Girls :04/01/12 10:34 ID:VudB43x1
「いい加減、呼び捨てでもいーじゃねーか。減るもんじゃねーし」
 『さん』付けを毎度のごとく強要してくる自分の従姉に
 これも毎度のごとく不満の声を上げる拳児。
「ふむ、ではこの『辛い胡麻油』通称:ラー油は没収というこ…」
「すいませんでした、絃子さん!」
 そして毎度おなじみのやりとり。
 拳児が失恋(と本人は思っていた)による迷走の末、絃子のマンションに帰ってきた日も
この光景は変わることはなかった。
 そんな些細なことに確かな安堵を感じ、感謝する拳児ではあるが
 一度でも自らの気持ちを口に出してしまえば、あの従姉のことだ、悪のり、増長は当たり前。
 果ては
 「なんだかんだと言って最後には私の元に戻ってくる。そういう男なんだよ拳児君は」
 等と、決して間違いではないが誤解せずにはいられないようなことを言い出すに決まっている。
 そんな言葉が誰かの耳に入りでもすれば、ややこしくなること請け合いだ。
 愛しの女神、天満ちゃんへのアプローチはこれからが本番というのに、そのようなことを
させるわけにはいかない。
「Bene」
 そんなことを考えていると、彼女は流暢な発音で了承し拳児にラー油を手渡してきた。
「……時に拳児君。そろそろ話してくれないかな……」
 グラスを手に取り、中の液体の動きを楽しむように揺れ動かす絃子。
 受け取った小瓶は滴下する量を調節できるように作られた入れ物らしく
拳児は話を聞きながら注ぎ口をゆるめ、注文したネギミソチャーシューに散布しようとしていた。
 だがその瞬間、思いも寄らぬ一言が拳児の鼓膜を振動させる。

「沢近さんとは一体何があったのかね?」


704 :Spice Girls :04/01/12 10:35 ID:VudB43x1

 ジョボボッ

 あたりに漂う濃厚な胡麻の香り。
 頼んだミソラーメンは、あり得ない大きさの油膜でチャーシューが覆われている。
「っ〜今度は突然何言い出すんだコラ!豚骨ラーメンもびっくりなぐらい
油ギッシュになったじゃねーか!」
 カンッと殆ど空になってしまったラー油の瓶を叩き付ける。
「いきなり奢るというから付いてきてみれば、やっぱりそんなことを企んでやがったのか!
ねぇよ、ねぇ。なぁーにもねーよ!大体どこからそんな話が…」
 もはや別の料理となったネギミソチャーシューを脇にどけ、最後はブツブツと言いながら目の前の
焼売に箸を延ばそうとする拳児。
 そこに絃子の追い打ちがかかる。
「だがな、拳児君。この写真を見て彼女とは何もなかったという君の言質、信じられると思って
いるのかね?」
 その手に持つのは、拳児が跪き、愛理の手を取り、視線を絡め合わせている写真だ。
「なっ!?そんなもの一体いつの間に?つーか誰が撮りやがったんだ!」
 拳児は慌てて絃子の持つ写真をひったくる。
 特に抵抗することもなく、写真を渡す絃子。その顔には微笑。
「ふ。その反応。合成かと思っていたが、どうやら本当のようだな」
 そういうと、どこから取り出したか既に手には同じ写真が数枚。
「一枚だけじゃないだと!?まさかネガごと持っていやがるのか」
「なに、とある生徒に生活指導を行ったところ、このようなものを進呈してくれてね。
ついでにこの時の話を聞くと、喜んで話してくれたよ」
 夏休みに入る前、在庫処分という売り文句で大々的に売り出していた数多の写真の中に
絃子の写真があったことが冬樹武一にとっては最大の不幸だった。
 独自の情報網により、発売日前に押さえた絃子は彼を尋問し、ある取引を済ませることにより
見て見ぬふりを決めることを約束した。
 そのときの贈呈品の一つがこれである。
「絃子!そいつの名前を教えろ!」
「まぁ安心したまえ拳児君。私から他言無用としっかりその生徒には言い聞かせてある。これ以上の
情報の漏洩はないだろう…」
 あと『さん』を付けろ、と絃子は話を続ける。
「しかし、これでどういう事か分かっただろ?現在君が知る限り、情報源は二つある。一つはクリアー
されているが、もう一つは未だ健在だ」
 拳児の反応を楽しむかのごとく視線を送る絃子。
 対して拳児は、写真を奪い取ることは諦め、見せる表情は焦燥と苦悶。
「く…。生徒を脅迫するなんざ、教師のすることじゃねーだろ!何考えていやがる!」
「ふむ。確かに教職に就くものとしては褒められる行為ではないな」
 手に持つ写真を胸ポケットにしまい、グラスに入っている紹興酒(淅江省の三年物)に口を付ける。
「だが、私は曲がりなりにも保護者だ。恋に破れたと勝手に勘違いして家を飛び出した扶養人が
ある日突然帰ってきたとなれば、心配して当然…」
 コトッとグラスをテーブルに置き、白魚のような手が空を舞う。
「今ではもう何事もなかったかのように振る舞っている君を見て、そろそろ事情を話してもらおう…
そう思ったのさ」
 二人の間は店内の喧噪とはまるで別空間、静かで穏やかな空気が漂う。
「……心配…かけちまったみてーだな…」
「ああ、とても心配したよ」
 ゆっくりと絞り出すように話す拳児にすかさず返す絃子。
「わかったよ。話してやるよ、あの日から今までの俺の無様な姿を」
 そこまで言うと拳児はぐいっと老酒を呷った。
「だがな、酒抜きでは語れねぇ。ガンガン頼むぜ!今日もよお」



705 :Spice Girls :04/01/12 10:36 ID:VudB43x1

 ――そして拳児は話した。
 愛しの天満ちゃんの好きな相手が一度気を許した烏丸だったこと。
 何もかも信じられなくなり、終いには自らの強さまで信じられなくなったこと。
 慰みに書いた漫画で評価されるも、尊敬していた漫画家に再度裏切られたこと。
 何もかもが嫌になり墜ちるとこまで墜ちたと思っていたとき、綺麗なお姉さんに出会ったこと。
 彼女に養ってもらい、ヒモ同然の生活を過ごしたこと。
 全てを捨てた自分に動物たちの声が聞こえるという能力が備わったこと。
 彼らの声で占い屋をやってみたら評判になったこと。
 そんなとき天満ちゃんが現れ、泣きながら去る彼女を慰めるため全力で駆け抜けたこと。
 捕まえた彼女が何故か沢近で間違って告白してしまったこと。
 今でも沢近が根に持って、自分に当たってくること。
 そんな彼女を疎ましく感じてきていること。
 でも天満ちゃんへの思いは変わらないこと。



706 :Spice Girls :04/01/12 10:37 ID:VudB43x1

「ろゆーわへは。ほのふぁふふれるらいおもひ、わらるら〜?」
「いや、何を言っているのかさっぱりなんだが」
 ふぅと嘆息して絃子も紹興酒を呷る。
 前回同様、いや前回以上にぐでぐでに酔っぱらった拳児はそれでも飲むのを止めようとしない。
「同じ轍を踏まぬように今度は途中から店員君に水で割らせていたというのに
16℃程度でこれとは…これでは常駐してくれた君に申し訳が立たないな」
 視線を拳児の横に向け、シフトが終わった後もそこに座り、酌をしていた店員に話しかける。
「わざわざ、すまなかったね。サービス残業までさせてしまって」
「いえ、お気になさらないでください。私も興味がありましたから」
 そういって微笑む店員の顔には何故か笑い以外の感情が見える。
 途中から彼女も飲んでいるようだから、その影響もあるのだろうか?
「気持ちはちゃんと伝わってきましたし」
 そういって店員は席を立つと、空になった酒瓶を持ってきた盆へ集め出した。
「しかし拳児君。君もつくづく間が悪いというか、運が悪い男だね」
「あんのことら〜?」
「隣を見てみたまえ」
 付けていたサングラスを外し、眼を凝らす拳児。その瞳に映った姿とは――
「さ、さ、さ……"最高"に今、合いたくない女に似ているっすよ〜店員さん」
 ――沢近愛理、その人であった。


 その後、拳児は知ることとなる。
 沢近愛理が夏休みを利用して短期のバイトで「青雲幇」にて働いていること。
 彼女の新技――両足先で首を固定し体をひねると同時に締め放つ――で昏倒したこと。
 そして今まで以上に彼女からつらく当たられるということを。
2008年03月05日(水) 04:36:11 Modified by ID:aljxXPLtNA




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