IF20・魔王と呼ばれていた頃は

28 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:05/02/27 05:23 ID:WDzMMzm2

「お帰り拳児君。ずいぶんと遅かったじゃないか」

 文化祭の準備で忙しいんだよ、と居候先の主である刑部絃子に言い播磨拳児は部屋に鞄を置いた。
その後すぐ台所へ向かい戸棚を開き、本日の夕食を探す。寂しい懐事情と
容赦のない同居人の取立てにより、彼の食事はもっぱらインスタント食品であった。
台所で湯を注いでいると、ふと絃子が隣のリビングから話し掛けてきた。
「それにしても君がクラスメイトと仲良く文化祭の準備とは……ね」
絃子の言葉を受け、播磨はやや照れながら返事をする。
「んー…まあ、なあ。確か…中学ん時は文化祭の準備なんてはずっとサボってたぜ」

 播磨拳児は中学時代、名の知られた不良であった。その強さと高校生や大人にさえ
喧嘩を仕掛ける凶暴性により、中学・高校の教師達や教育委員会には疎ましがられ、
地元はもちろん他所の不良達は彼を非常に恐れていた。無論友人と呼べる友人はおらず、
周りにいるのは播磨に表面上は従おうとする不良仲間ぐらいであった。
当然文化祭の準備など手伝うわけも頼まれるわけもなく、
彼にとって文化祭など自由な時間ができたくらいのものでしかなかった。

29 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:05/02/27 05:24 ID:WDzMMzm2

 ふと彼は思った。中学時代の自分はどんなだったであろうかと。そして喧嘩をしたり
バイクを飛ばしていたりと暴れていたことと、恋をしてから必死で勉学に励んだことくらいしか
覚えていないことに気が付いた。今のクラスに溶け込みつつある自分が過去のそれとは
大きく違っていることは感じていたが、具体的には思い出せない。
我ながらおかしな話である。そこで、話題も兼ねて近くでビールを飲んでいる人物に聞いてみることにした。
見たところいい具合に酔っており機嫌もよさそうであるし、彼女ならそれなりに知っているはずである。

「なあ絃子、中学の頃の俺ってどんなんだった?」
 しまった、また『さん』をつけろと言われるか…と思ったが、返ってくる言葉はなかった。
30秒ほど待ってみるがそれでも返事はなく、もう一度話し掛けてみる。
「おい絃子?聞いてんのか?」
「……そんなことを聞いてどうするんだい?…まさか昔に戻りたいなんて言うんじゃないだろうね」
その態度に違和感を覚えつつも、なんとなく思い出したくなっただけだ、とぶっきらぼうに答える。
しばらくの沈黙の後、彼女の口からでた言葉は大変意外なものであった。
「……そうだな………怖かった、かな」

30 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:05/02/27 05:24 ID:WDzMMzm2

 播磨拳児にとって、刑部絃子という人物は逆らえない強者である。経緯はさておき、
小学生の頃から彼の中での刑部絃子の影響は大きかった。
容赦のない人間ではあったが自分に理解を示し、困難にぶつかったときはよく救いの手を
差し伸べてくれた。彼自身頼るのも叱られるのも納得のいかないことではなかったし、嫌いではなかった。

 しかし播磨拳児の名が広がり始め、若干早めの反抗期に入り自由を満喫しだした頃からは、
彼女を避けるようになった。絃子ならおそらく今の自分を受け入れないだろうと考えたためである。
それは幼き日々からの信頼の裏返しでもあった。案の定会うたびにお説教の時間は長くなり、
自分を縛るのは自分だけと考え出した彼にとって最大の障害といってもよかった。
彼は逆らえないが従いたくもないという矛盾を背負うこととなり、結局刑部絃子には
関わらない道を選んだのである。そしてそれは彼が矢神高校への入学を決意するまで続いた。

31 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:05/02/27 05:24 ID:WDzMMzm2

 そんな存在である彼女が自分を怖かった、などと言っても到底信じられるわけがない。
「あのなあ絃子、もう少しくらい…」
まともに答えてくれても、という言葉はこちらを向いた絃子の視線により封じられた。
そして彼女はぽつり、ぽつりと話しはじめた。


 曰く、喧嘩が好きになった頃から不安になったこと。偶然その現場を見たとき初めて恐怖を感じたこと。
なんとか更生させたかったがなかなか捕まらず、自分の環境からも難しかったこと。
わざと避けられていると理解したときにはとても悲しかったこと。いつか自分も殴られると思ったこと。
それでも大事な従兄弟がどうしようもない人間になるのは我慢ならなくて、なんとかしようと思ったこと。
友人である葉子も協力してくれると言ってくれたこと。
完全武装して無理矢理にでもと思っていた矢先に勉強を教えてくれと頼まれ気が抜けたこと。
刑部絃子という人間への信頼が変わっていなかったことが分かりとても嬉しかったこと。

32 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:05/02/27 05:26 ID:WDzMMzm2

「…これで最後に矢神高校へ入学することを知るというオチさえなければ万々歳だったのだが…」
 ぐい、とビールをあおりテーブルの上に缶をもどす。カラン、という音が響く。
どうやら中身は空になったようである。空のビール缶が他にも3本並んでいた。
つきあいは長いが全くわからなかった従姉妹の心。その本音をぶつけられ驚きつつも、
播磨はその言葉と意味を受け止めていた。この向かうところ敵なしと思っていた絃子が…
自分を恐れていた。けれどそれを悟られないよう克服していた。それだけ想ってくれていたのだ。
「…そんな風に……いや、そういう人間だったってことか。俺は」

「私がどう感じていたか、だよ。でも…あの頃は本当に…怖かった。
 君自身も…君が、悪いほうへ変わってしまうことも。もちろん今はいいほうに変わっているよ。
 昔から今までの君を知ってるからこそ、断言できる。………そして…」

滅多に見せない真剣な表情で話す絃子の言葉を、播磨は黙って聞いていた。

「…悪いほうへ変わらなくて……本当に………嬉しかった…」
 最後の言葉を告げると共に、彼女は顔を少し横に逸らす。長い髪が顔を覆う。
光るものを見た、気がした。

33 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:05/02/27 05:39 ID:WDzMMzm2

 しばらくの静寂の後に播磨が口を開いた。何とかして応えねば、と決心する。
すると、それをさえぎるように絃子の言葉が続いた。
「……さて、そろそろ種明かしだ。話してあげるとしよう。君の夕食が大変なことになっているよ」

 はた、と播磨は思い出した。確か先ほどカップめんに湯を注いだのである。その後30分は経過していた。
目の前の女性の表情は先ほどのものとは全く違っていた。当然涙の後などあるわけもない。
「い、絃子!!おめえ…もしかして…!」
 罠に獲物がかかった様子を嬉しそうに眺めるとこんな顔になるに違いない、と播磨は思った。
「チ、チクショウ!!」
 はめられた、何が「怖かった」だ。今までの話は時間稼ぎかよと心の中で叫びつつ台所へ向かう。
夕食の中身は無残な状態となっていた。少し離れたところから高笑いが聞こえてきた。
そして最後におやすみなさい拳児クン、という声が聞こえた気がした。

34 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:05/02/27 05:40 ID:WDzMMzm2

「……少し喋りすぎた、かな…」
 刑部絃子はベッドの中で眠りにつきながら呟き、頭を働かせる。
いつもの自分ならもうちょっとマシな事を言っていたはずだ。何故あんな話をしてしまった?
飲みすぎたのだろうか。弱みを見せてしまったか。ならば調教せねばなるまい。
しかしちょっとかわいそうだったか。とはいえ元々聞いてきたのは彼だ。
明日の朝食くらいなら…いや、昨日の今日でそれはまずい。

様々な思考が浮かんでは消えていく。やがて頭の中も薄れていった。

(あんな君は……もう、二度と………)
最後は彼女自身何を思ったかわからないまま、意識が深く深くに沈んでいった。
2010年11月18日(木) 20:10:45 Modified by ID:/AHkjZedow




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