IF23・恋せよ乙女

 ぱさり、と。
 ページをめくると音がする。でもその内容は、読んでいる当人こと私――結城つむぎの頭の中には
まるで入ってこない。機械的に字面を追って、最後まで辿り着けばページを繰る。延々と繰り返される、
そんなルーチンワーク。理由はまあ、分からないでもない。きっと。
「……この季節のせいなんだ」
 誰にともなく――と、言うよりこの場にいるのは私だけなんだけど――呟いてみる。
 この季節。
 秋。
 それはつまり、物思う季節、ということで。
 考えないようにしよう、そう思うほどに余計なことを考えてしまって、舞ちゃんには『最近調子
悪いの?』なんて訊かれちゃうし、あげく嵯峨野には『へーふーんへー』とか意味深なにやにや笑いを
頂戴する始末。まずいなあとは思うものの、なにに急かされてるんだかブレーキの利かない心は勝手に
暴走中。仕方なしに、逃げるようにして部室にやってきて、一人本を開いてみるものの、という次第。
「はぁ……」
 おまけに誰が悪いかとなると、考えるまでもなく自分なわけで、そりゃ溜息の一つだってつきたくなる、
というものだ。ついたってどうしようもないんだけど。
「……帰ろ」
 投げやりにそう言って、ぱたん、と手にした本を閉じて立ち上がろうとしたとき。
「ん?」
 どすん、と鈍い音がした。廊下でなにかが倒れた音……のはずだけど、さてそこに倒れるような物が
あったかとなると、さっぱり思い当たらない。なんだろう、訝しみながらも恐る恐る引いた戸の向こう、
ちょうど正面の廊下に。
「――花井、君?」
 私の悩みの種が、落ちていた。


「……」
 よっぽどなにも見なかったことにしようかと思ったけれど、さすがにそうもいかない。とりあえずなんとか
ぐったりしているその身体を部室に運び込み、壁にもたれかかるようにして椅子に座らせて――そこではたと
気がついた。
 なにをやってるんだ、私は。


335 :Classical名無しさん:05/05/07 23:31 ID:MTwNOSvs
 そう、こんなことしたってなんにもならないのだ、実際のところ。大体、もし本当に彼がどこか調子が悪くて
倒れていたのなら、連絡するべきも運び込むべきも保健室だ。まあ、そこは、八雲君八雲君、なんてうわごとを
言ってる時点で大丈夫だということにして。……大丈夫、だよね?
 ともあれそのうわごとからして、また塚本さん――もちろん妹さんの方だ――絡みでなにかがあったんだろう、
という見当はつく。ここのところ、以前にも増して彼女のことで浮き沈みの激しい彼だ。気合十分で教室を飛び
出していったかと思えば、ひどくげんなりした様子で戻ってきたり、えとせとらえとせとら。その様子は、私が
言っちゃいけないんだろうけど、やっぱり滑稽だ。
 でも。
「ホント、どうしてかな」
 諦めないのだ、この人は。全然まったく、これっぽっちも。
 実際、塚本さんが彼に対してどんな態度を取っているのかを私は知らない。でも、OKの返事を出していない
ことだけはさすがに分かる。もしそうだったらこんな大騒ぎが続くわけもないし、ついでにいうなら塚本さんは
播磨君と付き合ってるとかなんとか。これは私自身が確認したことじゃないからなんともいえないんだけど。
 とにかく、だ。
 そんな騒動を散々繰り返し、それでもめげない彼が。たとえば当の塚本さんの気持ちだとか、周囲に与える
迷惑だとか、他に考えなきゃいけないことがあるとしても。素直にすごいと、私はそう思う。そこまで人を
好きになれることが、そこまで自分の想いを信じられることが。
 そしてまた、だからこそ同時に二の足を踏んでしまう。こんな人の背に、私は手を伸ばしていいんだろうかと。
恋をするのに資格なんていらないはずなのに、果たして自分にそんな資格があるんだろうかと考えてしまう。
「全部あなたのせいにしちゃってるだけかもしれないけど」
 どうなんだろう。分からない。
 答をくれるかもしれない彼は、まだ瞳を閉じたままで、だから私はその顔を真正面から覗き込んで――
「失礼しまーす!」
「っ!?」
 そのとき、唐突に部室の戸が開いた。いつもの二人だ。なんだかんだで入り浸りの日は続いていて、そろそろ
部員になってくれると嬉しいんだけど……じゃなくって。
「……え、と」
「先輩……?」


336 :Classical名無しさん:05/05/07 23:32 ID:MTwNOSvs
 固まってる。
 分かりやすいくらい固まってる。
 うん、その気持ちはよく分かるよ。私だって、部室に入っていきなり見つめ合う男女なんて見せられた日には
びっくりするはず。絶対。
「その、お邪魔しました」
「……先輩の、先輩の、裏切りものーっ!」
「あ、コラ稲葉なに言ってるの! ちょっと待ちなさいって!」
 反論どころか口を開く前に、嵐のように二人は――というか稲葉さんは――飛び出していった。
 そして。
「……結城君、なにがどうなっているのか説明してくれるとありがたいんだが」
「あはは……」
 ようやく意識を取り戻したらしい彼を前に、私は乾いた笑いを浮かべるしかなかった。いやもう本当に。


「そうか。それは迷惑をかけた」
「あー……いいよ、別に」
 困ったときはお互い様だしね、なんて微妙にピントのずれた返事を返す自分を心の中でバカバカと罵りつつ、
どうにか私は笑ってみせた。今度は普通に笑えている……はず。
「しかし、彼女――稲葉君、だったか――には余計な誤解を与えてしまったようだな」
「それはまあ、その、いいんじゃないかな」
 煮え切らないというかはっきりしないというか、そんな言葉を口にした私に花井君は眉をひそめる。
「いや、よくはないだろう。それにそもそも僕が好」
「ああそうそう、よくないよくない、うん」
 あまり聞きたくないことをさ言われそうになり、思わず割り込んでしまった。というか、そんなマジメな
顔してさらっと言わないでほしい。そういうことは。
「……結城君?」
「ん? なに?」
「いや……」
 まだ首を捻りながらも、結局納得してくれたのか席を立つ彼。今更ながら、二人きりだったんだ、なんて
気づいたりして少し寂しくなる、そんな現金な自分をたしなめつつ、気をつけてねとその背を見送る。


337 :Classical名無しさん:05/05/07 23:33 ID:MTwNOSvs
 と。
「ああ、そうだ」
 戸に手をかけたところで、なにかを思い出したように振り返ってくる。
「肝心なことを忘れていた、まったく僕もどうかしている」
「えっと……なに?」
 問い返した私に、決まってるじゃないか、そう言って。
「ありがとう、結城君」
 礼も言わずに帰ってしまうところだった、と彼は笑った。
「……ど、どうも」
 そして、わずかにひっくり返ってしまった私の声にも突っ込むことなく、ではな、と出ていく。今度こそ、
そこに残されたのは私一人だ。知らず入っていた肩の力が、ふっと抜ける。
「もう、ホントに――」
 続く言葉を探そうとして、でも見つからず、結局。
「帰ろっと」
 呟いて、私も席を立った。
 どういうわけか少しだけ軽くなった、そんな心と一緒に――
2007年09月12日(水) 10:42:21 Modified by ID:LOVLpNCrSQ




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