IF23・masquerade
ある秋の日曜日──
八雲は、久々に動物園に来ていた。
しばらく、あの動物たちを見に行っていなかったから。
サラは用事があって来られなかったので、八雲は一人で動物たちの様子を見て回っていた。
久しぶりに見た彼らは、以前と同じ。人々の視線を浴びながらもゆったりと生活していた。
一匹一匹を見て回りながら、次にキリンのピョートルのいる場所に向かった時、
その長い首が確認できた辺りで八雲は見知った人影を見つけた。
一人の青年が、ピョートルの目の前に佇んでいたのだ。
彼らの視線は絡み合っているように見えたが、青年の方はどこか上の空のように八雲の眼には映った。
547 :masquerade :05/05/22 04:32 ID:eMT6jO0Q
「播磨さん。」
八雲は物思いに耽るその青年に声をかけた。
少し驚いた表情で、青年──播磨拳児──は八雲の方に振り向いた。
「……おう、妹さんか。コイツらに会いに来たのか?」
「はい。…播磨さんも、ですか?」
「ああ、しばらく会いに行ってなかったからなあ。」
そう言うと、播磨は再びピョートルの方に向き直った。そして再び物思いに耽る。
二人はしばらく黙ってそこに佇んでいた。
(播磨さん、何か悩みがあるのかな…………。)
聞こうか聞くまいか悩んでいた八雲が、やっぱり聞こうと思い声を掛けようとした時、
「…やっぱり思いつかねえなあ。」と小さく呟き、んじゃなと片手をあげて歩き出した。
「あ……。」声を掛けそびれた八雲を置いて歩き出した播磨だが、ふと思い出したように立ち止まり、
「そうだ。妹さん、どうせだから一緒に見て回るか?せっかく会ったんだしな。」と八雲に提案した。
「あ、はい…、そうですね。」
声を掛けそびれ、さらにここで別れると思った矢先に話しかけられ、
いささか戸惑いながらも八雲は肯定の返事をした。
548 :masquerade :05/05/22 04:33 ID:eMT6jO0Q
播磨は悩んでいた。
最近、漫画を描こうとしてもなかなか話が思い浮かばないのだ。
ジンマガに応募した後も、播磨はつらつらと描いていたのだが、
どうも自分の描きたいものとは違う気がしたのだ。
描き終えたものの、結局八雲に見てもらうのを断念したものもある。
何より、あれほど溢れていた漫画への情熱が薄れていた。
ここに来れば、何か新しい話が思い浮かぶかも、と半分は気分転換でここへ来た。
動物達は皆播磨の様子を気にし、心配気な視線を向けた。
彼らが気になってここに通っていたはずなのに、何時の間にか彼らに心配されている。
(へっ、アイツらにまで心配されるとはよ。)
播磨は少し情けない気分になったが、
(まっ、話ってのは考えたからって思い浮かぶもんでもねえしな。)
と頭を切り替えた。
アイツらに心配させるわけにはいかない。自分はアイツらの「ご主人様」なんだから。
「あの……。」と隣にいる八雲が話しかけてきた。心配気にこちらを見て。
(やっぱり気付くよな。このコは勘がいいしな。)
八雲に対して、別に大したことじゃねえよ、と言おうとした時、ふと視界に見覚えのある姿が目に入った。
549 :masquerade :05/05/22 04:34 ID:eMT6jO0Q
遠目に見えたのは、いつも天満ちゃんのそばにいる、目立つ金髪、背の高い女、影の薄い女の3人だった。
「な、何でアイツらが!?」
播磨は今の自分の状況を確認し、背筋が寒くなるのを感じた。
動物園で連れ立って歩く噂の男女。それをあの3人はどう見るか。
周防はまだいい、話せば聞いてくれる気がする。
しかしお嬢はあの「天満、それはこのコよ」発言がある。
そもそもあの女は事あるごとに突っかかってくる。
俺に何の恨みがあるんだ!と言いたいが、考えてみると心当たりが山のようにあるので少し鬱になった。
そして影の薄い女。あの女ははっきりいってよくわからん。
しかし、あの女は自分が面白そうだと思う方向に話を混乱させようとする、サバゲの時みたいに。
もし見つかってしまったらろくな事態になりそうに無い。
ある意味では幸運だった。
天満ちゃんを追いかけ出してからというもの、他愛の無い事でもとんでもない方向へずれていく。
いつもなら確実にこちらが先に見つけられ、相手は確実に誤解するだろう。
それを今回は先にこちらが見つけた。
播磨は八雲の手を掴むと、
「ここから離れるぞ、妹さん!」
「え、あ、あの」
とりあえず3人の視界から離れようと走り出した。
550 :masquerade :05/05/22 04:35 ID:eMT6jO0Q
「ふぃー、取り敢えずは撒いたか?」
「はっ…、はっ…」
お客たちを掻い潜りながら一分ほど走り続け、ようやく播磨は立ち止まった。
「ふぅ……、播磨さん、あの、何があったんですか?」呼吸を整えながら八雲が訊ねる。
男子トップクラスを誇る播磨のスピードには、八雲でもついていくので精一杯だった。
女の子を引き摺り回していたことに気付き、しかも手を強くつかんだままだったので、
「あ、すまねえ妹さん!大丈夫か!?」とあわてて手を離した。
そして「実はよ……」と状況を説明する。
「先輩たちが……。」また誤解されるかもしれない、という播磨の言葉に八雲は納得した。
播磨は天満のことをとても強く想っている。それが天満が烏丸を想う気持ちと同じ物なのかは
恋愛に疎い八雲にはわからない。しかし大切な人に勘違いされたままではつらいだろうとはわかる。
播磨と八雲は何とかして誤解を解こうとしているのだが、最も鈍感な天満が最も強く誤解しているため、
事態は一向に改善されていなかった。
最も八雲はそれほど困っているわけではない。
からかわれるのは恥ずかしいが、それだけといえばそれだけなのだ。
しかし播磨にとっては洒落になっていない。
たたでさえ妹の彼氏と認識されて絶望的な状態なのに、
ここで休日に動物園デートしてましたなどと天満の耳に入ろうものなら
もはや二人の関係は彼女の脳内で鉄板となってしまう。
それだけは何としても避けなければならない。
播磨が苦悩しているのを見て、
(このまま…、一緒にいたら迷惑かな?)
そう考えた八雲は、
「あの、私、帰りましょうか…?」と播磨に言った。
551 :masquerade :05/05/22 04:36 ID:eMT6jO0Q
播磨は一瞬、それがいいと考えたが、すぐにその考えを頭から追い払う。
「イヤイヤイヤ、妹さんは自分でここに来たんだろ?俺の都合で帰る必要はねえよ。」
それなら自分が、と言おうとしたが、まだ動物たち全員と顔を合わせていない事に気付く。
義理堅い播磨には、途中で帰るという選択肢は選べなかった。アイツの扱いに差はつけたくない。
それにここで別れたとしても、別々に見つかってしまえばそれを繋げられてしまう気がする。
というかきっとそうなる。
ならどうするか。3人に見つからないように動物たちの残り全員に会いに行く。
そんな方法が果たしてあるのだろうか?
ウンウンと唸りながら悩む播磨を見かね、
「あの、私やっぱり…」
と言ったところで、播磨が、
「待てよ…?」と何かを思いついたように呟いた。
今までの自分の経験からして、絶対に3人には見つかる気がする。
しかし、見つかっても正体がばれなければいいのだ。
そして彼女たちは3人、そう3人なのだ。4人じゃない。
今は天満ちゃんがいないのだ。
本来は悲しむべきことなのに、今回だけはガッツポーズを取りたくなった。
そして思いついたことを実行に移す。
552 :masquerade :05/05/22 04:37 ID:eMT6jO0Q
「妹さん!」といいながら八雲の肩をガシッと掴む。
鬼気迫る表情の播磨の威圧感に少し怯えの色を見せる八雲。
そしてそのまま播磨はおもむろにサングラスを外した。
初めて播磨の素顔をはっきり見て、八雲が目を見開く。
そして播磨が「ちょっとこれを掛けてくれ。」と八雲にサングラスを掛けた。
そして今度はカチューシャを取ると、八雲の髪に指を通しすっ、とかき上げる。
八雲は僅かに胸が熱くなるのを感じた。
頬を薄く染める八雲に全く気付かず八雲の頭にカチューシャを付け、
今度は自分の髪をクシャクシャにする。
全てが終了した時、播磨の前には見たことの無い格好をした八雲が、
そして八雲の前には見た目は全く知らない人が立っていた。
「よし、これでOKだ。」
そう、俺の素顔を見た人間は学校には姉ヶ崎先生、絃子、笹倉先生そして天満ちゃんの4人しかいない。
自分が素顔をさらけ出せば、それは普段学校で自分を見ている人間には別人以外の何者でも無くなる。
さらに、外したサングラスとカチューシャを妹さんに装着させれば、妹さんも姿を変えられる。
(この窮地にこんな手段を思いつくとは。完璧だ、俺は今、最高に完璧だ!)
「あの、播磨さん、これは……?」
事態を飲み込めていない八雲が播磨に訊ねる。
「ああ、すまねえな妹さん、いきなり。でもこれなら大丈夫だ、絶対にばれねえ。」
と言ったところで、再び3人組の姿を見つけた。
「やっぱり来たか。念のため顔向けないでおこうぜ。」
と八雲に言い、播磨は3人に背中を向けた。
変装しても背中を向けたらあまり意味ないことに気付かぬまま。
553 :masquerade :05/05/22 04:38 ID:eMT6jO0Q
少し離れた場所で──
「あら、あそこに見えるは八雲と播磨君かな。」
高野は少し離れた場所にいる男女の後姿を指差した。
八雲と播磨、という言葉にピクッと反応した愛理が高野の指差す方向に目を向け、眉根を寄せる。
「お、そうかも。動物園でデートか?あの二人。」
美琴も二人の姿を確認し、相槌を打つ。
のほほんとした二人と違い、愛理の心中は穏やかではなかった。
──貴方様には今、交際している女性はいるのですか?
いたらこんな苦労してねっスよ。──
播磨があの夜言っていた事が思い出される。
(何よアイツ、八雲とは付き合ってないって言ってたのに……!)
それともサバゲーの前後に何かがあったのだろうか。
何時の間にか愛理は二人に向かって歩き出していた。
一体どういうことなのか問いたださねば気がすまなかった。
そして二人に近づくと未だ背中を向けている男に向かい、
「ヒゲ、こんな所で何してるのよ?」と声を掛けた。
しかし、男は返事どころか振り向きもしない。
その態度に沢近はさらに頭に血が登り、
「ちょっと、返事ぐらいしなさいよ!」
言いながら肩を掴んで無理矢理振り向かせた。
554 :masquerade :05/05/22 04:43 ID:eMT6jO0Q
…………………………………………あれ?
振り向いた男は愛理の知らないひとだった。
後姿はそっくりなものの、この男はサングラスを掛けていないし、前から見ると髪形も違う。
無造作にまとめたやや長めの髪、そして前髪の隙間から覗く瞳は鋭いが、
しかしどこか純真さが感じられる気がする。
もしデートに誘われたら取り敢えずはOKしそうだ。
(あのヒゲがこんなまともな顔してるわけがないわね)
そこまで考えた所で、自分が勘違いで他人を怒鳴りつけていたことに気付き、
愛理は羞恥で顔を真っ赤に染めた。
もし、愛理が冷静だったなら、その男の額にうっすらと浮かぶ脂汗にも、
隣にいるサイズの合わない男物のサングラスを掛けた微妙に不自然な少女にも気付いただろう。
しかし、パニックになった愛理にはとてもそこまで気は回らなかった。
きょとんとした(ように見えた)二人に向かい、
「すいません!知り合いと間違えました!」と頭を下げ、脱兎のごとく走り去った。
555 :masquerade :05/05/22 04:44 ID:eMT6jO0Q
そして高野達の所に戻ると、
「あ、アキラァァーーーーッ!別人じゃないのぉ!」と半泣きで喰ってかかった。
「私は別に断言したわけじゃないけど。」毛程も動揺せずに応える高野。
「いやー、あれは恥ずかしいな。突っかかったら別人だもんな。」笑いながら美琴が言う。
「美琴!笑いごとじゃないわよぉ!」
これほどの赤っ恥は生まれて初めてだった。
「ああっもう最低!」と愛理は頭を抱えた。
「…あのよ、沢近。」ひとしきり笑った後、美琴が少し真顔になって話しかけてくる。
「何よ?」
「そんなに気になるんなら、自分の気持ちに正直になった方がいいと思うぞ。後悔する前に、さ。」
「べ、別に私は……。」気になんてしてない、と言おうとしたが、そんなのは言い訳にもならないと気付く。
事あるごとに、私はヒゲに突っかかってしまう。別に喧嘩がしたい訳じゃないのに。
そして、他の女と一緒にいると思っただけでこんなにも周りが見えなくなる。
(素直に、か…。)今まで受身の恋愛しかした事のない愛理にとって、とてつもなく高いハードルだった。
そもそも自分の気持ちを認めることさえ出来ていないのだから。
「あーもう!いいわ、気を取り直して他の所見に行くわよ!」
強引に頭の中からその考えを追い払って愛理が歩き出した。
高野も、そして美琴もそれ以上は言わずに、何事も無かったようについて行く。
結局、迷うのも決断するのも自分自身であり、他人が答えを持っている問題ではないから。
556 :masquerade :05/05/22 04:45 ID:eMT6jO0Q
3人がいなくなってからも暫くの間、播磨は強張った表情で檻の方を見つめていた。
播磨がずっと黙っているので、八雲が、
「あの、先輩達行きましたよ……。」と声を掛けた時、播磨が体を小刻みに震わせているのに気付いた。
そして、
「………クッ………ククッ……ハハハッ…ブワッハハハハハ!!」腹を抱えて盛大に笑い出した。
八雲が突然笑い出した播磨に戸惑っていると、播磨が笑いながら八雲の方に振り向き、
堪えきれないかのように八雲の肩をバンバンと叩く。
痛みに僅かに眉をひそめた八雲に、
「……ハッハッハッハッ……い、いやすまねえ妹さんっ……
……ちょっとツボに入っちまってよっ……ヒッヒッヒッ……」
言って、肩に手を掛けたまま腹を押さえてまた笑いだす。
ひとしきり笑ってやっと落ち着いた播磨に対し、八雲が、
「あの、何でそんなに……?」と爆笑の理由を訊ねる。
「いや、だってよ……素顔さらしてる本人目の前にして「間違えました」だぜ?
こっちが変装してるってんならともかくよ……いや妹さんはしてるけど。」
ととても楽しそうに話す播磨。
八雲はここで初めて播磨の素顔をはっきりと見た。
楽しそうに話す播磨の瞳は、まるで悪戯好きの子供のようだ。
その時ふと、初見のはずの播磨の顔がどこかで見たことがあるような気がした。
少し考えて、すぐ心当たりに辿りつく。
「播磨さんの顔って、修治君に似てますね。」
557 :masquerade :05/05/22 04:46 ID:eMT6jO0Q
その言葉に、播磨は一瞬きょとんとしたが、すぐにふっと頬を緩めた。
「似てるか?自分じゃよくわかんねえけど、まあ兄弟だからな。
ん?この場合は俺が修治に似てるのか?それとも修治が俺に似てるのか?」
「あ、そうですね。修治君が播磨さんに似てるの方が正しいかも……。」
「まっ、どっちでもいいけどな。そういや塚本と妹さんは見た目はあんま似てないよな。」
「やっぱり、そうですか?」
今までにも何度もそう言われたことがある。
八雲が姉で、天満が妹と間違われることもしょっちゅうだからだ。
だから、
「まあ、見た目はともかくとしても根っこの部分は似てるよな。」
「え?」と播磨が続けたその言葉に八雲は少し驚いた。
見た目もそうだが、性格も似ているとは自分でも思っていなかったからだ。
その言葉に興味をそそられ、八雲は播磨に訊ねる。
「根っこの部分、ですか?」
「ああ、なんて言うかよ、その、「柔らかさ」ってゆーか、
人を和ませるような、安心させるような雰囲気だな。うまく説明できねーけど。」
(私が、人を和ませる……?)
そんなことを言われたのは初めてだった。
むしろ、自分では逆だと思っていたのに。
558 :masquerade :05/05/22 04:48 ID:eMT6jO0Q
「私、表情が硬いと思うんです…。」
八雲が言った言葉に、播磨は八雲の顔を見て、
「うーん、確かにころころ表情が変わるわけじゃねえけどよ、硬いとは思わねえなあ。
第一、表情なんて感情によって出るもんだろ。
楽しいこと、嬉しいことがありゃあ笑顔が出る。
考えてどうにかなったりはしねえよ。様は自分の気持ちに正直になればいいのさ。
それに俺の言ってるのは雰囲気だよ。顔じゃねえ。
まあ俺なんか顔でも雰囲気でも周りを威圧しまくってるけどな。」
そう言って播磨は軽く笑った。
嬉しかった。自分のことをそういう風に見ている人がいるとは思わなかった。
「あ、でも……」
「え?」やっぱり違うのだろうか。そう思ったら、
「お姉さんの方は和ませる雰囲気はあるけどよ、何か行動が人を不安にさせるよな。」
と言って笑った。といっても心の中では(だから俺が守ってやるぜ、天満ちゃん!)とか考えていたのだが。
八雲がその笑顔につられるように、小さく、だが確かに微笑んだ。
その表情を見て播磨が、
「ほら、笑えるじゃねーか。」
「あ……。」
「だから言ったろ?笑えるって。楽しいことがありゃあな。」
そう言うと播磨は歩き出し、
「さ、そろそろ行くか。妹さん、一緒に行こーぜ。迷惑かけたから茶でも奢るよ。」
他の人に見つかりかけた事もとうに忘れ、八雲を誘った。
559 :masquerade :05/05/22 04:48 ID:eMT6jO0Q
動物園を出て、播磨と八雲は近くにある喫茶店に入った。
播磨はコーヒーを、八雲は紅茶を頼んで向かい合って座り、動物達の話題に花を咲かせる。
ちなみに二人の格好は未だ先程のままである。
播磨の方は単にそこまで気が回らなかっただけだが、
八雲は目を見て話せたほうが安心するのであえて言わなかったのだ。
やがて互いに話すこともなくなり、静かにカップを傾ける。
しかしその沈黙は気まずいものではなく、
茶道部の部室にいる時のように、穏やかに時間が流れていく。
ふと、八雲は出会ったときに播磨が何か悩んでいたことを思い出す。
先程はうやむやになってしまったが、やはり気になって改めてそのことを訊ねた。
播磨ははぐらかそうかとも思ったが、心配してくれる相手にそれは失礼だと思い直し、
思い切って相談してみることにした。
「実はよ、漫画の事なんだけどよ…、最近いまいちいい話が浮かんでこなくてなあ…。」
それを聞いて八雲は、この前漫画の事で会う予定が中止になったことを思い出していた。
播磨もそれを思い出し、八雲に頭を下げた。
「すまねえなあ妹さん。あの時も自分で描いたものに納得がいかなくなってよ。」
妹さんに見てもらうような出来じゃない、と取り止めたことを打ち明けた。
560 :masquerade :05/05/22 04:52 ID:eMT6jO0Q
それを聞いて八雲は少し寂しい気持ちになった。
たとえあまりいい出来ではなくても、自分に見せて、相談して欲しかったと思う。
しかし、気に入らない作品を他人に見せるのは播磨にとってつらいことだろう。
「燃え尽きちまったのかなあ……。」
「え……?」
「ジンマガに応募してからよ、何か中ぶらりんになってなあ。
結果がまだ出てないって事もあるかもしれねえけど。
前はいくらでも話が思い浮かんだもんだけどなあ……。」
そういってため息をつく。
八雲は、何も言うことが出来ない自分に歯がゆさを感じた。
(こんな時にこそ、何かアドバイス出来なきゃいけないのに……。)
自分はなんて無力なんだろう、と思う。
沈んだ表情になった八雲を見て、播磨は申し訳ない気持ちになる。
「ワリィ、愚痴みてえなこと言っちまって。気にしねえでくれ」
そろそろ出ようぜ、と八雲に声をかけ、立ち上がる。
先に歩いてゆく播磨の背中を見つめながら、八雲は、自分に何が出来るのかを考えていた。
561 :masquerade :05/05/22 04:53 ID:eMT6jO0Q
店を出て、二人で連れ立って歩いてゆく。
今度は八雲が物思いに耽る番だった。
しかし、妙案は浮かばない。
励ましの言葉も、慰めの言葉も、意味を成さないように思う。
かといって、自分に何か話が作れるわけでもない。
そもそも播磨自身が描けるようにならないと根本的な解決にはならない。
そんな事を考えながら歩いていた八雲は、
目の前で播磨が立ち止まったことに気付かずに背中に顔をぶつけてしまった。
「あ、す、すみません……!」
あわてて八雲は頭を下げたが、播磨の視線は前を向いたままだった。
つられて前を見る八雲。
少し先の方で、先程離れたはずの愛理達がいたのだ。
しかし何やら様子がおかしい。
ナンパでもされているようだが、相手が随分しつこい。
どうもタチの悪い連中に引っかかったようだ。
播磨は暫く悩んでいたが、
「ま、大丈夫か。」
と呟きそこの角で曲がろうと言った。
562 :masquerade :05/05/22 04:54 ID:eMT6jO0Q
「助けなくていいんですか?」
少し驚いて八雲が訊ねる。てっきり助けに行くのだと思っていた。
「ま、大丈夫だろ3人程度なら。無理矢理何かしようとしても痛い目見るのがオチだ。」
周防なら一人でも十分片付けられるし、影の薄い女も只者じゃない。
お嬢も脚が速いから逃げられる。そう結論付けたのだ。
「下手に手ェ出したら正体バレちまうからな。せっかくさっきはごまかせたのに。」
「でも…」
「ん?」
「やっぱり、困っている人を見て見ぬふりをするのは、良くないと思います。」
「………う、うーむ……!」
播磨は再び悩む。
確かに困っている女を見捨てるのは自分の主義にも反する。
「よし、助けるか。考えてみりゃあちょっとそこの角に入って格好を元に戻せば……」
「おい、何見てやがんだよ。」
向こうの男の一人がこっちに向き直る。
「……って、出来なくなっちまったじゃねえか。
仕方ねえ。妹さん、そこで待っててくれ。」
「あの、気をつけて下さい。」
「ああ、心配ねえってあんな連中。」
そういって前に進んでいく。
愛理達が播磨の姿を見て、
「あの人、さっきの……」
と互いに顔を見合わせた。
563 :masquerade :05/05/22 04:55 ID:eMT6jO0Q
やがて播磨は男達の前に立つと、
「いい加減にしとけよ、迷惑してんじゃねーか。」
とバレにくいように声色を少し変えて言い放った。
「おいおい、女の前だからってカッコつけてんのか?」
「無理しちゃ駄目だよヒーローさん。」
と口々に嘲笑う。
3人の動きを観察して、
(真ん中のがリーダーだな。)
と判断すると、播磨は愛理達に離れるよう視線で促したが、
相手の視線から外れた美琴と高野は狙い澄ますかのように立ち位置を変える。
播磨はそれ以上は構わず、相手全員の姿を視野に入れられるよう僅かに下がった。
それを怯えと勘違いした男達は、播磨の後方にいる八雲に目を向け、
「こんな口だけの奴じゃなくて、俺たちと遊ぼーぜ。」
と言い、左右の男が播磨の脇を通り過ぎ、八雲の方へ向かおうとする。
もっとも真の狙いは、播磨を囲むことだったのだが。
その瞬間、美琴と高野が動いた。二人に対して疾風の如く奇襲をかける。
しかしそれよりも速く、だらりと下げていた播磨の両腕が閃いた。
横を通り過ぎようとした二人に、左右同時に拳を突き出したのだ。
明らかに手打ちなはずのその一撃で二人は吹っ飛び、あっさりと動かなくなる。
美琴はあっけにとられ、高野は全て終わったと判断し行動を止める。
「な……!」
リーダー格の男が驚いて後ずさろうとするが、
あっさりと間合いを詰めてその頭をアイアンクローのように引っ掴んだ。
564 :masquerade :05/05/22 04:56 ID:eMT6jO0Q
万力のように締め上げられ、男が悶絶する。
安心しきった愛理が播磨に礼を言おうとその顔を見て
「ひっ」
と小さく悲鳴を上げた。
先程まで普通の青年だったその顔が、今は同じ人間とは思えないような殺気の塊だった。
野獣のような、陳腐なこの表現がぴったり当てはまる。
罪の意識も、ためらいも無く、相手を叩き潰せる目だ。
美琴ですら背中に冷たいものが流れる。高野はいつも通りだったが。
八雲は、この時の播磨の顔を見なくて良かったかもしれない。
「どうする?絞め殺されるか?殴り殺されるか?」
と空いてる右拳を固めた播磨に、
「おい、もう十分だろ。」
と見かねて美琴が声をかける。
美琴に僅かに視線を向け、やがて興味を無くしたかのように男を放り捨てた。
男は失神している二人には脇目も振らずに逃げ出した。
「仲間見捨てて行きやがった。最低なヤローだな。」
すでに播磨の表情は憑き物が落ちたかのように元に戻っていた。
くんっ、と肘のあたりが引っ張られる。振り向くと、何時の間にか八雲が傍に来ていた。
声を出さなかったのは、3人に気付かれないようにするためだ。
心配そうにこちらを見る八雲に、
「大丈夫だ、かすり傷ひとつついてねーよ。」
と安心するように声を掛けた。
565 :masquerade :05/05/22 04:59 ID:eMT6jO0Q
「あの、ありがとうございました。」
落ち着いた愛理が播磨に頭を下げた。
普段の愛理とは違うしおらしい態度に、播磨は背中が痒くなりそうだった。
「いいってことよ。」
とやはり声色を変えて返事をする。出来れば早くこの場から退散したかった。
その時、
「ちょっと。後ろの人も。」
と高野が声を掛けてきた。
「……?」
「何だ?」
と高野の方を向いた二人に、
「はい、チーズ。」
とカメラを構える。
半ば反射的にVサインをする播磨と八雲。
パシャ
「…っておい、勝手に撮んなよ!」
「いいから。今日という日の記念に。」
「ちっ、全く…。おい行こーぜいも……子」
妹さん、と言いそうになり咄嗟に取り繕う播磨。
「………?……あ、はい。」
一瞬わからなかったがすぐに気付いて合わせる八雲。
連れ立って歩いていく二人を、愛理達はその姿が見えなくなるまで見送っていた。
566 :masquerade :05/05/22 05:12 ID:eMT6jO0Q
「いやー、しかし強かったなあいつ。」
「そうだね。」
帰り道、美琴が感心して言い、高野が相槌を打つ。
「多分あたしじゃ勝てねーな。花井や播磨とどっちが強えーかな。」
「ヒゲなんかより強いでしょ、あの人。」
愛理が当然のように言う。
「いや、わかんねーぞ。そういや播磨に似てるよなあいつ。」
「ちょ、ちょっと止めてよ!」
動物園での出来事を思い出し、愛理が顔を真っ赤にする。
「体格もほぼ同じだし、声も似てたな?ま、おめーが間違うのも無理ねーって。」
「う、うるさいわね。大体こんな時にヒゲの話題出さないでよ。
せっかく王子様にに助けられるお姫様の気分に浸ってたのに。」
「愛理。王子様は案外近くにいるかもよ。」
「え?」
「そう、例えば同じクラスのヒゲだったりハゲだったりする人とか……」
「だからヒゲの話題は止めてって言ってるじゃない!」
……こんな感じで三人は帰途についた。
567 :masquerade :05/05/22 05:13 ID:eMT6jO0Q
「じゃあな、妹さん。」
「はい。」
分かれ道で二人が向き合う。ちなみに格好は元に戻している。
「今日は悪かったな。何か妙な事に巻き込んじまって。」
「いえ、楽しかったですから…。」
「そうか?それなら良かったんだけどよ。」
そう、八雲は楽しかった。トラブルはあったものの、新鮮な驚きを感じられた。
ただ、漫画の事だけが心残りだった。
じゃ、と手を上げて歩き出した播磨に、
「播磨さん。」
八雲は思わず声を掛けていた。
「ん?」
と播磨が振り向く。咄嗟に声を掛けた八雲は何を言えばいいか迷ったが、
「播磨さん……、その……、頑張って下さい。」
取り敢えず自分の気持ちのままの言葉を口にした。
播磨はその言葉に僅かに視線を逸らしたが、すぐに向き直り、
「ああ。」
と答えた。
568 :masquerade :05/05/22 05:18 ID:eMT6jO0Q
家に帰り、八雲は布団の中で今日の出来事を反芻していた。
漫画の事、動物の事、変装の事……
ふと、播磨に髪を触られた事を思い出す。
(男の人に、髪の毛を触られたのは、いつ以来だろう……。)
ずっと昔、父が頭を撫でてくれた、あの時と同じような、大きな、温かい手だった。
播磨が指を通した部分に触れる。
あの時の感触を思い出し、また胸が熱くなるのを感じながら、ゆったりと眠りに沈んでいった。
おしまい
本編はこれで終了です
このあとはエピローグです。
569 :masquerade :05/05/22 05:20 ID:eMT6jO0Q
エピローグ
翌日、教室で
「……はぁ。」
「何だよ、人の顔見てため息つきやがって。」
「何でもないわ。ただ私の周りにはロクな男がいないって思っただけよ。」
「別にお前に好かれよーとは思ってねーよ。」
「あーあ。昨日会った人は良かったわ。強くて優しくてかっこよくて。」
ガシャーン、と播磨が盛大にこける。
「な、なんだそりゃ!?」
「あら、気になるの?」
挑発するように微笑む愛理にとう対応していいか分からず、
「……別にそんなんじゃねーよ。」
「そうね、あなたより数段かっこよくて、はるかに頭良さそうだったわね。」
「……わからねーほうが幸せな事もあるよな。」
「何か言った?」
「いや別に。」
茶道部部室で
「八雲」
「はい、何ですか高野先輩?」
「写真、出来たから。はい。」
そう言って、昨日撮った写真を手渡す。
「……えっと。」
「大丈夫。皆には黙っておくから、変装デートのこと。」
「いえ、あの、デートじゃないです……」
「デート?何、その写真?」
「サ、サラ、見ちゃ駄目。」
八雲は、久々に動物園に来ていた。
しばらく、あの動物たちを見に行っていなかったから。
サラは用事があって来られなかったので、八雲は一人で動物たちの様子を見て回っていた。
久しぶりに見た彼らは、以前と同じ。人々の視線を浴びながらもゆったりと生活していた。
一匹一匹を見て回りながら、次にキリンのピョートルのいる場所に向かった時、
その長い首が確認できた辺りで八雲は見知った人影を見つけた。
一人の青年が、ピョートルの目の前に佇んでいたのだ。
彼らの視線は絡み合っているように見えたが、青年の方はどこか上の空のように八雲の眼には映った。
547 :masquerade :05/05/22 04:32 ID:eMT6jO0Q
「播磨さん。」
八雲は物思いに耽るその青年に声をかけた。
少し驚いた表情で、青年──播磨拳児──は八雲の方に振り向いた。
「……おう、妹さんか。コイツらに会いに来たのか?」
「はい。…播磨さんも、ですか?」
「ああ、しばらく会いに行ってなかったからなあ。」
そう言うと、播磨は再びピョートルの方に向き直った。そして再び物思いに耽る。
二人はしばらく黙ってそこに佇んでいた。
(播磨さん、何か悩みがあるのかな…………。)
聞こうか聞くまいか悩んでいた八雲が、やっぱり聞こうと思い声を掛けようとした時、
「…やっぱり思いつかねえなあ。」と小さく呟き、んじゃなと片手をあげて歩き出した。
「あ……。」声を掛けそびれた八雲を置いて歩き出した播磨だが、ふと思い出したように立ち止まり、
「そうだ。妹さん、どうせだから一緒に見て回るか?せっかく会ったんだしな。」と八雲に提案した。
「あ、はい…、そうですね。」
声を掛けそびれ、さらにここで別れると思った矢先に話しかけられ、
いささか戸惑いながらも八雲は肯定の返事をした。
548 :masquerade :05/05/22 04:33 ID:eMT6jO0Q
播磨は悩んでいた。
最近、漫画を描こうとしてもなかなか話が思い浮かばないのだ。
ジンマガに応募した後も、播磨はつらつらと描いていたのだが、
どうも自分の描きたいものとは違う気がしたのだ。
描き終えたものの、結局八雲に見てもらうのを断念したものもある。
何より、あれほど溢れていた漫画への情熱が薄れていた。
ここに来れば、何か新しい話が思い浮かぶかも、と半分は気分転換でここへ来た。
動物達は皆播磨の様子を気にし、心配気な視線を向けた。
彼らが気になってここに通っていたはずなのに、何時の間にか彼らに心配されている。
(へっ、アイツらにまで心配されるとはよ。)
播磨は少し情けない気分になったが、
(まっ、話ってのは考えたからって思い浮かぶもんでもねえしな。)
と頭を切り替えた。
アイツらに心配させるわけにはいかない。自分はアイツらの「ご主人様」なんだから。
「あの……。」と隣にいる八雲が話しかけてきた。心配気にこちらを見て。
(やっぱり気付くよな。このコは勘がいいしな。)
八雲に対して、別に大したことじゃねえよ、と言おうとした時、ふと視界に見覚えのある姿が目に入った。
549 :masquerade :05/05/22 04:34 ID:eMT6jO0Q
遠目に見えたのは、いつも天満ちゃんのそばにいる、目立つ金髪、背の高い女、影の薄い女の3人だった。
「な、何でアイツらが!?」
播磨は今の自分の状況を確認し、背筋が寒くなるのを感じた。
動物園で連れ立って歩く噂の男女。それをあの3人はどう見るか。
周防はまだいい、話せば聞いてくれる気がする。
しかしお嬢はあの「天満、それはこのコよ」発言がある。
そもそもあの女は事あるごとに突っかかってくる。
俺に何の恨みがあるんだ!と言いたいが、考えてみると心当たりが山のようにあるので少し鬱になった。
そして影の薄い女。あの女ははっきりいってよくわからん。
しかし、あの女は自分が面白そうだと思う方向に話を混乱させようとする、サバゲの時みたいに。
もし見つかってしまったらろくな事態になりそうに無い。
ある意味では幸運だった。
天満ちゃんを追いかけ出してからというもの、他愛の無い事でもとんでもない方向へずれていく。
いつもなら確実にこちらが先に見つけられ、相手は確実に誤解するだろう。
それを今回は先にこちらが見つけた。
播磨は八雲の手を掴むと、
「ここから離れるぞ、妹さん!」
「え、あ、あの」
とりあえず3人の視界から離れようと走り出した。
550 :masquerade :05/05/22 04:35 ID:eMT6jO0Q
「ふぃー、取り敢えずは撒いたか?」
「はっ…、はっ…」
お客たちを掻い潜りながら一分ほど走り続け、ようやく播磨は立ち止まった。
「ふぅ……、播磨さん、あの、何があったんですか?」呼吸を整えながら八雲が訊ねる。
男子トップクラスを誇る播磨のスピードには、八雲でもついていくので精一杯だった。
女の子を引き摺り回していたことに気付き、しかも手を強くつかんだままだったので、
「あ、すまねえ妹さん!大丈夫か!?」とあわてて手を離した。
そして「実はよ……」と状況を説明する。
「先輩たちが……。」また誤解されるかもしれない、という播磨の言葉に八雲は納得した。
播磨は天満のことをとても強く想っている。それが天満が烏丸を想う気持ちと同じ物なのかは
恋愛に疎い八雲にはわからない。しかし大切な人に勘違いされたままではつらいだろうとはわかる。
播磨と八雲は何とかして誤解を解こうとしているのだが、最も鈍感な天満が最も強く誤解しているため、
事態は一向に改善されていなかった。
最も八雲はそれほど困っているわけではない。
からかわれるのは恥ずかしいが、それだけといえばそれだけなのだ。
しかし播磨にとっては洒落になっていない。
たたでさえ妹の彼氏と認識されて絶望的な状態なのに、
ここで休日に動物園デートしてましたなどと天満の耳に入ろうものなら
もはや二人の関係は彼女の脳内で鉄板となってしまう。
それだけは何としても避けなければならない。
播磨が苦悩しているのを見て、
(このまま…、一緒にいたら迷惑かな?)
そう考えた八雲は、
「あの、私、帰りましょうか…?」と播磨に言った。
551 :masquerade :05/05/22 04:36 ID:eMT6jO0Q
播磨は一瞬、それがいいと考えたが、すぐにその考えを頭から追い払う。
「イヤイヤイヤ、妹さんは自分でここに来たんだろ?俺の都合で帰る必要はねえよ。」
それなら自分が、と言おうとしたが、まだ動物たち全員と顔を合わせていない事に気付く。
義理堅い播磨には、途中で帰るという選択肢は選べなかった。アイツの扱いに差はつけたくない。
それにここで別れたとしても、別々に見つかってしまえばそれを繋げられてしまう気がする。
というかきっとそうなる。
ならどうするか。3人に見つからないように動物たちの残り全員に会いに行く。
そんな方法が果たしてあるのだろうか?
ウンウンと唸りながら悩む播磨を見かね、
「あの、私やっぱり…」
と言ったところで、播磨が、
「待てよ…?」と何かを思いついたように呟いた。
今までの自分の経験からして、絶対に3人には見つかる気がする。
しかし、見つかっても正体がばれなければいいのだ。
そして彼女たちは3人、そう3人なのだ。4人じゃない。
今は天満ちゃんがいないのだ。
本来は悲しむべきことなのに、今回だけはガッツポーズを取りたくなった。
そして思いついたことを実行に移す。
552 :masquerade :05/05/22 04:37 ID:eMT6jO0Q
「妹さん!」といいながら八雲の肩をガシッと掴む。
鬼気迫る表情の播磨の威圧感に少し怯えの色を見せる八雲。
そしてそのまま播磨はおもむろにサングラスを外した。
初めて播磨の素顔をはっきり見て、八雲が目を見開く。
そして播磨が「ちょっとこれを掛けてくれ。」と八雲にサングラスを掛けた。
そして今度はカチューシャを取ると、八雲の髪に指を通しすっ、とかき上げる。
八雲は僅かに胸が熱くなるのを感じた。
頬を薄く染める八雲に全く気付かず八雲の頭にカチューシャを付け、
今度は自分の髪をクシャクシャにする。
全てが終了した時、播磨の前には見たことの無い格好をした八雲が、
そして八雲の前には見た目は全く知らない人が立っていた。
「よし、これでOKだ。」
そう、俺の素顔を見た人間は学校には姉ヶ崎先生、絃子、笹倉先生そして天満ちゃんの4人しかいない。
自分が素顔をさらけ出せば、それは普段学校で自分を見ている人間には別人以外の何者でも無くなる。
さらに、外したサングラスとカチューシャを妹さんに装着させれば、妹さんも姿を変えられる。
(この窮地にこんな手段を思いつくとは。完璧だ、俺は今、最高に完璧だ!)
「あの、播磨さん、これは……?」
事態を飲み込めていない八雲が播磨に訊ねる。
「ああ、すまねえな妹さん、いきなり。でもこれなら大丈夫だ、絶対にばれねえ。」
と言ったところで、再び3人組の姿を見つけた。
「やっぱり来たか。念のため顔向けないでおこうぜ。」
と八雲に言い、播磨は3人に背中を向けた。
変装しても背中を向けたらあまり意味ないことに気付かぬまま。
553 :masquerade :05/05/22 04:38 ID:eMT6jO0Q
少し離れた場所で──
「あら、あそこに見えるは八雲と播磨君かな。」
高野は少し離れた場所にいる男女の後姿を指差した。
八雲と播磨、という言葉にピクッと反応した愛理が高野の指差す方向に目を向け、眉根を寄せる。
「お、そうかも。動物園でデートか?あの二人。」
美琴も二人の姿を確認し、相槌を打つ。
のほほんとした二人と違い、愛理の心中は穏やかではなかった。
──貴方様には今、交際している女性はいるのですか?
いたらこんな苦労してねっスよ。──
播磨があの夜言っていた事が思い出される。
(何よアイツ、八雲とは付き合ってないって言ってたのに……!)
それともサバゲーの前後に何かがあったのだろうか。
何時の間にか愛理は二人に向かって歩き出していた。
一体どういうことなのか問いたださねば気がすまなかった。
そして二人に近づくと未だ背中を向けている男に向かい、
「ヒゲ、こんな所で何してるのよ?」と声を掛けた。
しかし、男は返事どころか振り向きもしない。
その態度に沢近はさらに頭に血が登り、
「ちょっと、返事ぐらいしなさいよ!」
言いながら肩を掴んで無理矢理振り向かせた。
554 :masquerade :05/05/22 04:43 ID:eMT6jO0Q
…………………………………………あれ?
振り向いた男は愛理の知らないひとだった。
後姿はそっくりなものの、この男はサングラスを掛けていないし、前から見ると髪形も違う。
無造作にまとめたやや長めの髪、そして前髪の隙間から覗く瞳は鋭いが、
しかしどこか純真さが感じられる気がする。
もしデートに誘われたら取り敢えずはOKしそうだ。
(あのヒゲがこんなまともな顔してるわけがないわね)
そこまで考えた所で、自分が勘違いで他人を怒鳴りつけていたことに気付き、
愛理は羞恥で顔を真っ赤に染めた。
もし、愛理が冷静だったなら、その男の額にうっすらと浮かぶ脂汗にも、
隣にいるサイズの合わない男物のサングラスを掛けた微妙に不自然な少女にも気付いただろう。
しかし、パニックになった愛理にはとてもそこまで気は回らなかった。
きょとんとした(ように見えた)二人に向かい、
「すいません!知り合いと間違えました!」と頭を下げ、脱兎のごとく走り去った。
555 :masquerade :05/05/22 04:44 ID:eMT6jO0Q
そして高野達の所に戻ると、
「あ、アキラァァーーーーッ!別人じゃないのぉ!」と半泣きで喰ってかかった。
「私は別に断言したわけじゃないけど。」毛程も動揺せずに応える高野。
「いやー、あれは恥ずかしいな。突っかかったら別人だもんな。」笑いながら美琴が言う。
「美琴!笑いごとじゃないわよぉ!」
これほどの赤っ恥は生まれて初めてだった。
「ああっもう最低!」と愛理は頭を抱えた。
「…あのよ、沢近。」ひとしきり笑った後、美琴が少し真顔になって話しかけてくる。
「何よ?」
「そんなに気になるんなら、自分の気持ちに正直になった方がいいと思うぞ。後悔する前に、さ。」
「べ、別に私は……。」気になんてしてない、と言おうとしたが、そんなのは言い訳にもならないと気付く。
事あるごとに、私はヒゲに突っかかってしまう。別に喧嘩がしたい訳じゃないのに。
そして、他の女と一緒にいると思っただけでこんなにも周りが見えなくなる。
(素直に、か…。)今まで受身の恋愛しかした事のない愛理にとって、とてつもなく高いハードルだった。
そもそも自分の気持ちを認めることさえ出来ていないのだから。
「あーもう!いいわ、気を取り直して他の所見に行くわよ!」
強引に頭の中からその考えを追い払って愛理が歩き出した。
高野も、そして美琴もそれ以上は言わずに、何事も無かったようについて行く。
結局、迷うのも決断するのも自分自身であり、他人が答えを持っている問題ではないから。
556 :masquerade :05/05/22 04:45 ID:eMT6jO0Q
3人がいなくなってからも暫くの間、播磨は強張った表情で檻の方を見つめていた。
播磨がずっと黙っているので、八雲が、
「あの、先輩達行きましたよ……。」と声を掛けた時、播磨が体を小刻みに震わせているのに気付いた。
そして、
「………クッ………ククッ……ハハハッ…ブワッハハハハハ!!」腹を抱えて盛大に笑い出した。
八雲が突然笑い出した播磨に戸惑っていると、播磨が笑いながら八雲の方に振り向き、
堪えきれないかのように八雲の肩をバンバンと叩く。
痛みに僅かに眉をひそめた八雲に、
「……ハッハッハッハッ……い、いやすまねえ妹さんっ……
……ちょっとツボに入っちまってよっ……ヒッヒッヒッ……」
言って、肩に手を掛けたまま腹を押さえてまた笑いだす。
ひとしきり笑ってやっと落ち着いた播磨に対し、八雲が、
「あの、何でそんなに……?」と爆笑の理由を訊ねる。
「いや、だってよ……素顔さらしてる本人目の前にして「間違えました」だぜ?
こっちが変装してるってんならともかくよ……いや妹さんはしてるけど。」
ととても楽しそうに話す播磨。
八雲はここで初めて播磨の素顔をはっきりと見た。
楽しそうに話す播磨の瞳は、まるで悪戯好きの子供のようだ。
その時ふと、初見のはずの播磨の顔がどこかで見たことがあるような気がした。
少し考えて、すぐ心当たりに辿りつく。
「播磨さんの顔って、修治君に似てますね。」
557 :masquerade :05/05/22 04:46 ID:eMT6jO0Q
その言葉に、播磨は一瞬きょとんとしたが、すぐにふっと頬を緩めた。
「似てるか?自分じゃよくわかんねえけど、まあ兄弟だからな。
ん?この場合は俺が修治に似てるのか?それとも修治が俺に似てるのか?」
「あ、そうですね。修治君が播磨さんに似てるの方が正しいかも……。」
「まっ、どっちでもいいけどな。そういや塚本と妹さんは見た目はあんま似てないよな。」
「やっぱり、そうですか?」
今までにも何度もそう言われたことがある。
八雲が姉で、天満が妹と間違われることもしょっちゅうだからだ。
だから、
「まあ、見た目はともかくとしても根っこの部分は似てるよな。」
「え?」と播磨が続けたその言葉に八雲は少し驚いた。
見た目もそうだが、性格も似ているとは自分でも思っていなかったからだ。
その言葉に興味をそそられ、八雲は播磨に訊ねる。
「根っこの部分、ですか?」
「ああ、なんて言うかよ、その、「柔らかさ」ってゆーか、
人を和ませるような、安心させるような雰囲気だな。うまく説明できねーけど。」
(私が、人を和ませる……?)
そんなことを言われたのは初めてだった。
むしろ、自分では逆だと思っていたのに。
558 :masquerade :05/05/22 04:48 ID:eMT6jO0Q
「私、表情が硬いと思うんです…。」
八雲が言った言葉に、播磨は八雲の顔を見て、
「うーん、確かにころころ表情が変わるわけじゃねえけどよ、硬いとは思わねえなあ。
第一、表情なんて感情によって出るもんだろ。
楽しいこと、嬉しいことがありゃあ笑顔が出る。
考えてどうにかなったりはしねえよ。様は自分の気持ちに正直になればいいのさ。
それに俺の言ってるのは雰囲気だよ。顔じゃねえ。
まあ俺なんか顔でも雰囲気でも周りを威圧しまくってるけどな。」
そう言って播磨は軽く笑った。
嬉しかった。自分のことをそういう風に見ている人がいるとは思わなかった。
「あ、でも……」
「え?」やっぱり違うのだろうか。そう思ったら、
「お姉さんの方は和ませる雰囲気はあるけどよ、何か行動が人を不安にさせるよな。」
と言って笑った。といっても心の中では(だから俺が守ってやるぜ、天満ちゃん!)とか考えていたのだが。
八雲がその笑顔につられるように、小さく、だが確かに微笑んだ。
その表情を見て播磨が、
「ほら、笑えるじゃねーか。」
「あ……。」
「だから言ったろ?笑えるって。楽しいことがありゃあな。」
そう言うと播磨は歩き出し、
「さ、そろそろ行くか。妹さん、一緒に行こーぜ。迷惑かけたから茶でも奢るよ。」
他の人に見つかりかけた事もとうに忘れ、八雲を誘った。
559 :masquerade :05/05/22 04:48 ID:eMT6jO0Q
動物園を出て、播磨と八雲は近くにある喫茶店に入った。
播磨はコーヒーを、八雲は紅茶を頼んで向かい合って座り、動物達の話題に花を咲かせる。
ちなみに二人の格好は未だ先程のままである。
播磨の方は単にそこまで気が回らなかっただけだが、
八雲は目を見て話せたほうが安心するのであえて言わなかったのだ。
やがて互いに話すこともなくなり、静かにカップを傾ける。
しかしその沈黙は気まずいものではなく、
茶道部の部室にいる時のように、穏やかに時間が流れていく。
ふと、八雲は出会ったときに播磨が何か悩んでいたことを思い出す。
先程はうやむやになってしまったが、やはり気になって改めてそのことを訊ねた。
播磨ははぐらかそうかとも思ったが、心配してくれる相手にそれは失礼だと思い直し、
思い切って相談してみることにした。
「実はよ、漫画の事なんだけどよ…、最近いまいちいい話が浮かんでこなくてなあ…。」
それを聞いて八雲は、この前漫画の事で会う予定が中止になったことを思い出していた。
播磨もそれを思い出し、八雲に頭を下げた。
「すまねえなあ妹さん。あの時も自分で描いたものに納得がいかなくなってよ。」
妹さんに見てもらうような出来じゃない、と取り止めたことを打ち明けた。
560 :masquerade :05/05/22 04:52 ID:eMT6jO0Q
それを聞いて八雲は少し寂しい気持ちになった。
たとえあまりいい出来ではなくても、自分に見せて、相談して欲しかったと思う。
しかし、気に入らない作品を他人に見せるのは播磨にとってつらいことだろう。
「燃え尽きちまったのかなあ……。」
「え……?」
「ジンマガに応募してからよ、何か中ぶらりんになってなあ。
結果がまだ出てないって事もあるかもしれねえけど。
前はいくらでも話が思い浮かんだもんだけどなあ……。」
そういってため息をつく。
八雲は、何も言うことが出来ない自分に歯がゆさを感じた。
(こんな時にこそ、何かアドバイス出来なきゃいけないのに……。)
自分はなんて無力なんだろう、と思う。
沈んだ表情になった八雲を見て、播磨は申し訳ない気持ちになる。
「ワリィ、愚痴みてえなこと言っちまって。気にしねえでくれ」
そろそろ出ようぜ、と八雲に声をかけ、立ち上がる。
先に歩いてゆく播磨の背中を見つめながら、八雲は、自分に何が出来るのかを考えていた。
561 :masquerade :05/05/22 04:53 ID:eMT6jO0Q
店を出て、二人で連れ立って歩いてゆく。
今度は八雲が物思いに耽る番だった。
しかし、妙案は浮かばない。
励ましの言葉も、慰めの言葉も、意味を成さないように思う。
かといって、自分に何か話が作れるわけでもない。
そもそも播磨自身が描けるようにならないと根本的な解決にはならない。
そんな事を考えながら歩いていた八雲は、
目の前で播磨が立ち止まったことに気付かずに背中に顔をぶつけてしまった。
「あ、す、すみません……!」
あわてて八雲は頭を下げたが、播磨の視線は前を向いたままだった。
つられて前を見る八雲。
少し先の方で、先程離れたはずの愛理達がいたのだ。
しかし何やら様子がおかしい。
ナンパでもされているようだが、相手が随分しつこい。
どうもタチの悪い連中に引っかかったようだ。
播磨は暫く悩んでいたが、
「ま、大丈夫か。」
と呟きそこの角で曲がろうと言った。
562 :masquerade :05/05/22 04:54 ID:eMT6jO0Q
「助けなくていいんですか?」
少し驚いて八雲が訊ねる。てっきり助けに行くのだと思っていた。
「ま、大丈夫だろ3人程度なら。無理矢理何かしようとしても痛い目見るのがオチだ。」
周防なら一人でも十分片付けられるし、影の薄い女も只者じゃない。
お嬢も脚が速いから逃げられる。そう結論付けたのだ。
「下手に手ェ出したら正体バレちまうからな。せっかくさっきはごまかせたのに。」
「でも…」
「ん?」
「やっぱり、困っている人を見て見ぬふりをするのは、良くないと思います。」
「………う、うーむ……!」
播磨は再び悩む。
確かに困っている女を見捨てるのは自分の主義にも反する。
「よし、助けるか。考えてみりゃあちょっとそこの角に入って格好を元に戻せば……」
「おい、何見てやがんだよ。」
向こうの男の一人がこっちに向き直る。
「……って、出来なくなっちまったじゃねえか。
仕方ねえ。妹さん、そこで待っててくれ。」
「あの、気をつけて下さい。」
「ああ、心配ねえってあんな連中。」
そういって前に進んでいく。
愛理達が播磨の姿を見て、
「あの人、さっきの……」
と互いに顔を見合わせた。
563 :masquerade :05/05/22 04:55 ID:eMT6jO0Q
やがて播磨は男達の前に立つと、
「いい加減にしとけよ、迷惑してんじゃねーか。」
とバレにくいように声色を少し変えて言い放った。
「おいおい、女の前だからってカッコつけてんのか?」
「無理しちゃ駄目だよヒーローさん。」
と口々に嘲笑う。
3人の動きを観察して、
(真ん中のがリーダーだな。)
と判断すると、播磨は愛理達に離れるよう視線で促したが、
相手の視線から外れた美琴と高野は狙い澄ますかのように立ち位置を変える。
播磨はそれ以上は構わず、相手全員の姿を視野に入れられるよう僅かに下がった。
それを怯えと勘違いした男達は、播磨の後方にいる八雲に目を向け、
「こんな口だけの奴じゃなくて、俺たちと遊ぼーぜ。」
と言い、左右の男が播磨の脇を通り過ぎ、八雲の方へ向かおうとする。
もっとも真の狙いは、播磨を囲むことだったのだが。
その瞬間、美琴と高野が動いた。二人に対して疾風の如く奇襲をかける。
しかしそれよりも速く、だらりと下げていた播磨の両腕が閃いた。
横を通り過ぎようとした二人に、左右同時に拳を突き出したのだ。
明らかに手打ちなはずのその一撃で二人は吹っ飛び、あっさりと動かなくなる。
美琴はあっけにとられ、高野は全て終わったと判断し行動を止める。
「な……!」
リーダー格の男が驚いて後ずさろうとするが、
あっさりと間合いを詰めてその頭をアイアンクローのように引っ掴んだ。
564 :masquerade :05/05/22 04:56 ID:eMT6jO0Q
万力のように締め上げられ、男が悶絶する。
安心しきった愛理が播磨に礼を言おうとその顔を見て
「ひっ」
と小さく悲鳴を上げた。
先程まで普通の青年だったその顔が、今は同じ人間とは思えないような殺気の塊だった。
野獣のような、陳腐なこの表現がぴったり当てはまる。
罪の意識も、ためらいも無く、相手を叩き潰せる目だ。
美琴ですら背中に冷たいものが流れる。高野はいつも通りだったが。
八雲は、この時の播磨の顔を見なくて良かったかもしれない。
「どうする?絞め殺されるか?殴り殺されるか?」
と空いてる右拳を固めた播磨に、
「おい、もう十分だろ。」
と見かねて美琴が声をかける。
美琴に僅かに視線を向け、やがて興味を無くしたかのように男を放り捨てた。
男は失神している二人には脇目も振らずに逃げ出した。
「仲間見捨てて行きやがった。最低なヤローだな。」
すでに播磨の表情は憑き物が落ちたかのように元に戻っていた。
くんっ、と肘のあたりが引っ張られる。振り向くと、何時の間にか八雲が傍に来ていた。
声を出さなかったのは、3人に気付かれないようにするためだ。
心配そうにこちらを見る八雲に、
「大丈夫だ、かすり傷ひとつついてねーよ。」
と安心するように声を掛けた。
565 :masquerade :05/05/22 04:59 ID:eMT6jO0Q
「あの、ありがとうございました。」
落ち着いた愛理が播磨に頭を下げた。
普段の愛理とは違うしおらしい態度に、播磨は背中が痒くなりそうだった。
「いいってことよ。」
とやはり声色を変えて返事をする。出来れば早くこの場から退散したかった。
その時、
「ちょっと。後ろの人も。」
と高野が声を掛けてきた。
「……?」
「何だ?」
と高野の方を向いた二人に、
「はい、チーズ。」
とカメラを構える。
半ば反射的にVサインをする播磨と八雲。
パシャ
「…っておい、勝手に撮んなよ!」
「いいから。今日という日の記念に。」
「ちっ、全く…。おい行こーぜいも……子」
妹さん、と言いそうになり咄嗟に取り繕う播磨。
「………?……あ、はい。」
一瞬わからなかったがすぐに気付いて合わせる八雲。
連れ立って歩いていく二人を、愛理達はその姿が見えなくなるまで見送っていた。
566 :masquerade :05/05/22 05:12 ID:eMT6jO0Q
「いやー、しかし強かったなあいつ。」
「そうだね。」
帰り道、美琴が感心して言い、高野が相槌を打つ。
「多分あたしじゃ勝てねーな。花井や播磨とどっちが強えーかな。」
「ヒゲなんかより強いでしょ、あの人。」
愛理が当然のように言う。
「いや、わかんねーぞ。そういや播磨に似てるよなあいつ。」
「ちょ、ちょっと止めてよ!」
動物園での出来事を思い出し、愛理が顔を真っ赤にする。
「体格もほぼ同じだし、声も似てたな?ま、おめーが間違うのも無理ねーって。」
「う、うるさいわね。大体こんな時にヒゲの話題出さないでよ。
せっかく王子様にに助けられるお姫様の気分に浸ってたのに。」
「愛理。王子様は案外近くにいるかもよ。」
「え?」
「そう、例えば同じクラスのヒゲだったりハゲだったりする人とか……」
「だからヒゲの話題は止めてって言ってるじゃない!」
……こんな感じで三人は帰途についた。
567 :masquerade :05/05/22 05:13 ID:eMT6jO0Q
「じゃあな、妹さん。」
「はい。」
分かれ道で二人が向き合う。ちなみに格好は元に戻している。
「今日は悪かったな。何か妙な事に巻き込んじまって。」
「いえ、楽しかったですから…。」
「そうか?それなら良かったんだけどよ。」
そう、八雲は楽しかった。トラブルはあったものの、新鮮な驚きを感じられた。
ただ、漫画の事だけが心残りだった。
じゃ、と手を上げて歩き出した播磨に、
「播磨さん。」
八雲は思わず声を掛けていた。
「ん?」
と播磨が振り向く。咄嗟に声を掛けた八雲は何を言えばいいか迷ったが、
「播磨さん……、その……、頑張って下さい。」
取り敢えず自分の気持ちのままの言葉を口にした。
播磨はその言葉に僅かに視線を逸らしたが、すぐに向き直り、
「ああ。」
と答えた。
568 :masquerade :05/05/22 05:18 ID:eMT6jO0Q
家に帰り、八雲は布団の中で今日の出来事を反芻していた。
漫画の事、動物の事、変装の事……
ふと、播磨に髪を触られた事を思い出す。
(男の人に、髪の毛を触られたのは、いつ以来だろう……。)
ずっと昔、父が頭を撫でてくれた、あの時と同じような、大きな、温かい手だった。
播磨が指を通した部分に触れる。
あの時の感触を思い出し、また胸が熱くなるのを感じながら、ゆったりと眠りに沈んでいった。
おしまい
本編はこれで終了です
このあとはエピローグです。
569 :masquerade :05/05/22 05:20 ID:eMT6jO0Q
エピローグ
翌日、教室で
「……はぁ。」
「何だよ、人の顔見てため息つきやがって。」
「何でもないわ。ただ私の周りにはロクな男がいないって思っただけよ。」
「別にお前に好かれよーとは思ってねーよ。」
「あーあ。昨日会った人は良かったわ。強くて優しくてかっこよくて。」
ガシャーン、と播磨が盛大にこける。
「な、なんだそりゃ!?」
「あら、気になるの?」
挑発するように微笑む愛理にとう対応していいか分からず、
「……別にそんなんじゃねーよ。」
「そうね、あなたより数段かっこよくて、はるかに頭良さそうだったわね。」
「……わからねーほうが幸せな事もあるよな。」
「何か言った?」
「いや別に。」
茶道部部室で
「八雲」
「はい、何ですか高野先輩?」
「写真、出来たから。はい。」
そう言って、昨日撮った写真を手渡す。
「……えっと。」
「大丈夫。皆には黙っておくから、変装デートのこと。」
「いえ、あの、デートじゃないです……」
「デート?何、その写真?」
「サ、サラ、見ちゃ駄目。」
2007年09月13日(木) 16:33:31 Modified by ID:LOVLpNCrSQ