IF25・晩飯、なんにすっかな

950 :Classical名無しさん:05/12/19 00:38 ID:9jpkzMds
 遠く、金色に空が染まっている。
 静かに暮れる晩秋の黄昏だ。
 燃えるような朱は既になく、刺さりそうなほどに鋭い光だけが残っている。
「……」
 そんな光景を、一人ベランダで頬杖をついて見つめている少年――播磨拳児がいる。
秋も終わりとなれば、当然ながら吹く風も冷たく、街行く人々の足も自然速くなる。
けれど、彼は身じろぎ一つしない。ただ静かに、その瞳に彼方の海と空を映している。
「黄昏れてるね」
 と、そんな横顔にからかうような色を帯びた声がかけられる。彼の同居人である
ところの刑部絃子である。またなにかあったのかな、そう問いかける顔に浮かぶのは、
少しばかり意地の悪い笑み。
「るせぇ。なんでもねぇよ」
「いやいや待て、答は言わなくていいよ。当ててみせよう」
「……人の言うこと聞いてねぇだろ、テメェ」
 いささか疲れたような拳児のぼやきにも動じることなく、あれだね、ともっとも
らしく絃子は言う。
「塚本君に振られたとみた」
「付き合ってねぇのに振られるわけねぇだろっ!」
 即答だった。
「……」
「……」
 しばしの沈黙のあと、さすがに気まずそうに頬をかきつつ、絃子。
「あのさ、拳児君。今のは自分で情けないと思わないか?」
「るせぇよ……」
 自覚があるのか、返答はのボリュームは極小。まあいいけどね、小さく嘆息してから、
ときに拳児君、そう話題を変える。
「最近学校はどうかな」
「……あん?」
 ひどく漠然としたその問に、拳児は眉をひそめる。どう、と訊かれたところで、答え
ようもあるはずがない。そんな彼の態度に、分かっているとでもいうように絃子は続ける。
「別に難しいことを訊いてるわけじゃないよ。楽しいとかつまらないとか、そんなレベル
 の質問」


951 :Classical名無しさん:05/12/19 00:38 ID:9jpkzMds
 で、どうかな、と。問が重ねられる。
「……別に、どうもこうもねぇよ。もともと天満ちゃんのために入っただけだしな」
 それがこれじゃあ、もういる意味なんて――自嘲気味の呟き。
 けれど。
「そうかな?」
 絃子の強い声がそれを遮った。その先は言わせないとでもいうように。
「本当にそうかな? これまでに君が得たものはなにもなかったと?」
「じゃあなにがあるんだよ」
「君が私にそれを訊くかな。まったく……」
 ぼやきながらも、いろいろあるけどね、と前置いてから告げる。
「一番は――友人が出来た、だね」
「っ、んだよ、それ」
「だからそのままだよ、文字通り」
 くつくつと笑うその表情は、先程とは違いどこか優しい。
「昔の君は、本当に君自身しか見てなかった。孤高の王様なんて言えば恰好良いけどね、
 ガキのやるそれなんて、ただのポーズだよ」
「……」
「そんな君だったからさ、正直ここに転がり込んできたときはどうなることかと思ったよ。
 でも、最近はなかなかどうして、それなりにうまくやってるじゃないか」
「うまくなんてやってねぇよ。あいつら、余計なことばっかり構いやがって……」
 ふん、とそっぽを向いた拳児に、馬鹿者と絃子が笑う。
「その『構ってくれる相手』すらろくにいなかったやつがなにを言ってる」
 なあ拳児君、呼びかける彼女の視線は、彼と同じ彼方を見つめている。
「君がここに来るのを私は散々渋ったけどね、結局それを認めたのも私だよ。だから私はね」
 ――君の保護者で、『家族』なんだよ。
 これでもね、そう茶化しながらも迷わず絃子は言い切った。
「その私から見て、君は変わったよ、それもいい方に。これは絶対に確かなことだ。だから、
 こんなものは必要ないんだ」
「っ……!」
 そう言って彼女が取り出し引き裂いたのは、一枚の便箋。幾度となく拳児が出しそびれ、
けれど捨てることも出来なかった、退学届と記された紙切れ。それが今、彼の目の前で
文字通りの紙くずに姿を変えた。


952 :Classical名無しさん:05/12/19 00:38 ID:9jpkzMds
「明日の燃えるゴミにでも出してしまうかな、と。さて、これで私からのありがたいお話は
 おしまいだ。お代は……そうだな、今日の夕飯でも作ってもらうとしようか」
 小さく肩をすくめつつそう言って、部屋へと戻ろうとする絃子。
「おい、待てよ」
「うん? 私からはもうなにもないんだが……そうか、ありがたすぎてこの程度じゃ安いか。
 それじゃあもうちょっと頑張ってもらうかな」
「そうじゃねぇ! っつーかそもそも今日の晩飯当番は俺だろうが」
「……おや、そうだったかな」
 忘れてたよとわざとらしく言ってから、じゃあ今回はタダで話が聞けてよかったと思え、そう笑う絃子。
その姿に、さすがに拳児も気がつく。最初から彼女が彼に対価を要求していなかった、と。
 だから。
「――絃子、」
 口を開きかけた拳児を、しかし絃子が止める。
「ああ、ストップ。ありがとう、なんて言ってくれるなよ? そういう言葉は君がここを
 出ていくときに言ってくれ」
 もちろん、今すぐ出ていくならそれも構わないが――そこでにやりと笑い、
「まあ、卒業までは面倒みてあげるよ。そのぐらいの責任は果たすさ。なんたって、
『保護者』だからね」
 それじゃ、と今度こそ部屋へと向かうその背中に。
「わりぃな、絃子」
 拳児ははっきりとそう言って、頭を下げた。絃子の足が止まり、やれやれという呟き。
「君はどうしようもないところも山ほどあるけどね――」
 一呼吸置いて。
「――そういうところは、素直に褒めてあげたくなるよ」
 夕飯はよろしく頼むよ、最後にそう付け加え、その姿は部屋へと消える。
「ったく……」
 一人残された拳児は、頭をかきながらベランダの向こうへと目をやる。夕陽の姿は
既になく、ただ残照だけが黒に染まりつつある空を群青色に押し止めている。
「晩飯、なんにすっかな」
 呟く口の端には、小さく笑みが浮かんでいた――
2007年11月22日(木) 13:04:14 Modified by ID:EBvjy16zhA




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