IF25・Everybody Goes, Forever and Ever.


499 :Classical名無しさん:05/10/17 00:34 ID:FoD64uF2
「なんで起こしてくれなかったんだよっ!」
 今日も今日とて播磨拳児の怒声が響くのは、言わずとしれた刑部絃子の
マンションである。取り立てて珍しいことでもなんでもない――のだが、
あえていつもと違う点を挙げるとするならば、彼の声に怒りよりも焦りの
色が強い、ということだろう。
「なんで、と言われてもな。私がわざわざ君を起こす必要などないだろう?
 そもそも今まで休みにそんなことした記憶もないしな」
 ついでに言うなら昼まで起きないヤツが悪い、とこちらは普段同様とり
つくしまもない風の絃子である。
「っ、テメェ! 昨日俺が頭まで下げて頼んだだろうがっ!」
「ん……?」
 どたばたと身支度を調えながらわめく拳児の声に、昨晩のことを思い
返す絃子。
「おお!」
『今日もほとんど徹夜になっちまうからよ、明日はぜってぇ十時には
 起こしてくれよ。頼む』
「そういえばそんなことを言われた気もするな」
 気がするじゃなくて言ったんだよ、そう噛みつこうとした拳児だったが、
「だが君が頼みごとで頭を下げるなんて、あんまり珍しくてね。夢かと
 思って忘れてたよ」
「わざとだろそれっ!」
 思わず手が出て掴みかかろうとするが、案の定あっさりと避けられて
盛大につんのめる。いつもならここに追い打ちの一つや二つや三つや四つ
は入るところなのだが、さすがに悪いと思ったのか、絃子も手を出さない。
 代わりに。
「まあ落ち着け」
 余計な一言。
「落ち着けるかっ!」
 そろそろ全ツッコミになりつつある自分に気づき、なにを言っても無駄
かといつもの結論に落ち着いて肩を落とす拳児。が、次の瞬間時計が目に
入ったのか、ぐお、と唸り声を上げる。


500 :Classical名無しさん:05/10/17 00:35 ID:FoD64uF2
「やべぇっ、間に合わねぇっ!?」
「だから落ち着けと……そんなに慌ててどこに行くんだ」
「妹さんと駅で待ち合わせなんだよ!」
「――ふうん」
 じゃあな、と言い捨てて、弾丸のように玄関へと向かう後ろ姿。その姿
がドアの向こうに完全に消えてから、
「ふうん――」
 もう一度絃子は呟く。
 別に彼がなにをどうしようと、犯罪沙汰でもなければそれは構わないと
彼女は思っている。今更高校生相手にあれやこれやとしつけることもなく、
放任主義で十分だ、それが絃子のスタンスである。
 故に、この妹さんこと塚本八雲と彼の不可思議な関係も、関知の外に
ある出来事になる。本来ならば。
「まったく……」
 その溜息が自分に対してか、手のかかる居候に対してか、彼女には判断
がつかない。世の中なんて全部が全部いい方には転がらないのと同様に、
全部が全部悪い方に転がるはずもない、それくらいは理解しているにも
かかわらず、どうにも気にかかってしまう。
 播磨拳児は塚本天満に惚れていて、しかし今彼の最も近くにいるのは
その妹である塚本八雲だ、というこの妙な状況が。
「情でもうつったかな」
 言い訳じみたその一言を踏ん切りに、よし、と歩き出す絃子。ぐだぐだ
していたところで仕方ない、ならばとおもむろに『それ』を棚からひっぱり
出して――



「……」
 ――そして、絃子は街角にたたずんでいる。視線の先には、なんとも
不釣り合いな、見るからにガラの悪そうな少年と大人しそうな少女の二人
連れ。当然ながら、拳児と八雲である。一方的に彼の方が話しているよう
にも見えるが、隣に並ぶ彼女も決して不満げな様子はない。


501 :Classical名無しさん:05/10/17 00:36 ID:FoD64uF2
 一方の絃子は……ちょっとアレな恰好である。目深に被った帽子、秋の
入りにはまだちょっと早すぎるコートの襟を立て、サングラスをかけて
髪は後ろで束ねている。正直な話、あやしい。かなりあやしい。あやしい
が、およそ『変装』に使うものなど一般家庭にあるはずもなく、彼女の
部屋にあったのはそのコート一式だけだった。
 そういえば、こんな恰好をしたヤツをどこかで見たことが――
 そんな気がしたものの、思い出せずに結局思考から閉め出す。むしろ
気になるのは、買った覚えもないそれがどうしてあったのか、ということ
の方で、
「けっこううまくいってるみたいですね」
「ああ、いまいち自分の目が信じられない、が……?」
 余計なことを考えていたせいか、不意に横からかけられた声に返事を
返してしまう。ちょっと待てよと思ったときにはもう遅い、ぎぎぎ、と
首の軋む音が聞こえるような気分で向いたそこには。
「それで、なにしてるんですか?」
 刑部先生、とにこやかに笑うサラ・アディエマスの姿があった。
「……ええと」
 とりあえず、こほんと一つ咳払い。
「なんの話かな? 私は別に君の言う」
「刑部絃子先生ですよね」
 笑顔は揺るがない。微塵も。欠片も。まったく。そしてまた言うまでも
ないことだが、完全無欠の笑顔ほど怖いものもないわけで。
「……ええと」
「せ・ん・せ・い?」
「いや悪かった私が悪かった赦してくれ」
 よろしい、と厳かに告げるその姿は、歴とした修道女の姿だ。なにかが
いろいろと間違っているのは些末事として。
「それで、なにしてたんですか?」
「なにって……それは私だって休みの日は街に出るくらいは」
「この恰好で、ですか?」
「……」


502 :Classical名無しさん:05/10/17 00:36 ID:FoD64uF2
 上から下までゆっくりと下りていったサラの視線が、再び下から上まで
ゆっくりと上がっていき、最後に小首を傾げる。笑顔。
「あー、うん、それでだね、たまたまあの二人が目に入ってね、なんとなく
 見てた、それだけだよ」
 君の方はどうなんだ、となんとか切り返してみる絃子。
「私も同じです。たまたま歩いてたら、八雲と先輩が目に入って」
「たまたま、ね……」
 上から下までゆっくりと下りていった絃子の視線が、再び下から上まで
ゆっくりと上がっていき、最後に小さく溜息。やや引きつった笑顔。
「はい、たまたま、です」
 変わらぬ笑顔でそう言ったサラは、真っ直ぐにおろした髪を手ですい
てから、やたらとレースのついたスカートの裾をつまんでくるりと回って
みせる。ゴシック・ロリータ。
「女の子って、気分を変えたいとき、ありますよね」
 しれっと言い放つ姿は、もはや文句のつけようもない。気力が萎えて、
否、吸い取られていくような気分になったところに。
「でも先生、どうして八雲と先輩のことを?」
「そりゃ一応保護者としては――」
「保護者?」
 見えないナイフが最短距離で突きつけられる。
「ああいや、保護者というかさ、一応私も担任として生徒を預かる身だから
 してね、」
 さあどうする、という気持ちと、もうどうにでもなれ、という気持ち。
その二つがせめぎ合っているのかないまぜになっているのか、それすら判断
出来ないまま、なんとか絃子が次の言葉を紡ごうとしたとき。
「なーにやってるんですか、絃子さん」
 またしても不意にかけられる声。助かった、そう思ったのも束の間。
「……葉子」
「こんにちは、笹倉先生」
 サラさんも一緒なんだ、可愛いね、その恰好――などと、脳天気な会話を
交わす親友の姿に、これは余計にまずいことになるんじゃないだろうか、
そんな確信めいた予感が絃子を襲う。


503 :Classical名無しさん:05/10/17 00:37 ID:FoD64uF2
 そしてまあ、お約束通り。
「あ、あっちに塚本さんとけん……じゃなくって、播磨くんもいるんですね」
 おーい、と手を振る姿に、真剣に今すぐこの世が終わらないだろうかと
願う絃子だが、当然それは叶うべくもなく、向こうから二人が歩いてくる。
「えっと……それじゃ、みんなでお茶にしましょうか」
 そしてサラは、やっぱり笑顔だった。


「へえ、そうなんだ」
「はい。それにですね……」
 別段担任でもなければ選択授業も違うはずなのに、何故か会話の盛り上がる
サラと葉子を横に、なんとなく微妙な空気の流れる残り三名。それでも、織り
込まれる美術やクラスメイトの話題に、どちらかといえば八雲はまだそちらに
参加している方だ。
「……」
「……」
 結局、なんとも剣呑な空気を発しているのは拳児と絃子だけになる。
『どういうことだよ』
『私に聞くな』
 無言で交わされるのは、激しい攻防。時折心配そうな視線を向ける八雲に、
けれど清々しいほどにその空気をスルーしているサラと葉子。おまけに、
思いだしたように投げられるボールは、
「絃子さんはあんまり男の人と出かけたりしませんよね」
 危険球である。
「……そりゃ、まあ、ね。と言うかさ、どうしていきなりそんな話になるんだ?」
「塚本さんと播磨くんは一緒に買物してたんだな、って思ったら、なんとなく」
「ああ、そう……」
 げんなりする絃子だが、
 ――俺は一体なにをやってるんだろう。
 その隣に座る、ちょっと虚ろでアンニュイな彼こそが、最大の被害者だったに
違いない、と一応記しておく。



504 :Classical名無しさん:05/10/17 00:38 ID:FoD64uF2


「今日は楽しかったですね、絃子さん」
「そりゃ君はね」
 ここまでくれば開き直るしかない、という絃子の言葉にも、はい、と返す葉子。
そのどこからどこまでが本心なのか、付き合いの長い彼女も実のところ見切れて
いない。
 でもまあ、と絃子は思う。それが笹倉葉子であり、なんだかんだといって、昔
から変わらずそばにいてくれる友人の姿だ、と。多少のことには目をつぶっても、
返しきれないくらいのお釣りがそこにはある。やれやれだよ、そう内心で呟き
ながらも、苦笑気味ながら笑顔で、さて帰るか、と口にする。
「……おう」
 と、こちらもこちらでどこか投げやりな口調で立ち上がる拳児。帰るべき部屋に
足を踏みだしかけた二人の背に。
「あれ? 一緒に帰るんですか?」
「「……っ」」
 サラ・アディエマスは、笑顔で最後までわりと容赦なしだった――が。
「冗談ですよ」
 そう言って、先刻までとはほんの少し違う、穏やかな笑みを浮かべる。
「大丈夫です、きっと最後にはみんな上手くいきますから」
 なんの脈絡もないようなその言葉は、しかし慈愛に満ちた、修道女然としたそれ
だった。それじゃ、お先に失礼しますね、誰かがなにかを口にする前に、そう告げ
て歩み去るサラ。後に残されるのは、なんとも言えない空気だけ。
「――参ったね、まったく」
 やがて吹っ切れたように言って、隣で訳の分からない様子をしている拳児を見る
絃子。お世辞にも立派なやつだと言えないにしろ、昔と違ってそうそう道を踏み外す
輩でもなくなったし、もう少しくらいは信用してやるか、と思う。決して口にすまい
と同時に誓うが。

506 :Classical名無しさん:05/10/17 00:39 ID:FoD64uF2
「帰るぞ」
 今度は残っているのが『刑部さんちの事情』を知っている葉子と八雲なだけに、
自然にそう言って歩き出す絃子。
「それじゃまたね、拳児君」
「……うす」
 今日初めて名前で呼んだ葉子に軽く頭を下げ、
「それじゃ先輩、また明日……」
「おう」
 ぺこりと頭を下げた八雲に軽く手を上げ、いろいろと釈然としないものを抱えつつ
拳児も歩き出す。その先、夕陽の逆光の中でさっさと来いと絃子が呼んでいる。
「……んだよ」
「今日の夕飯、君が作れ」
「はぁ!?」
「もう疲れた。今日はなにもする気にならない」
「……俺だって同じだ」
 はあ、と二人揃って溜息。
 どうしてこんなヤツを置いてやっているのか、と今更ながら絃子は思い、でもそれは
もう幾度も考えたことで、いつだったか葉子にそれをこぼしたときのことを思い出す。
『家族って、きっとそういうものですよ』
「家族、ね……」
「はぁ?」
 そんな呟きが聞こえたのか聞こえないのか、怪訝そうな顔で聞き返してくる拳児。
その顔をしばらくまじまじと見つめ。
「――どうせなら、もう少し出来がよければ、な」
「どういう意味だテメェ!」
 そしてまた、際限のない口喧嘩が始まる。概ねその結末は決まっているけれど、不思議と
それを不毛だと諦めとようとはしない二人の姿がそこにある。きっと、その姿はこれからも
そこにあり続けるのだろう。いつか、彼が彼女の部屋を出るその日まで。
 ならば。
 やはりそれも、家族の団欒と取れる――かも、しれない。たぶん。

"Everybody Goes, Forever and Ever." closed.
2007年11月15日(木) 13:05:37 Modified by ID:Pflr4iBBsw




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