IF26・ただの腐れ縁だ

607 :Classical名無しさん:06/03/12 22:15 ID:DDNoX3Qo
 二月、十四日。
 カレンダーを見たところで祝日の赤で記載されているわけでもない、ただ
それだけを見ればただの平日。
 だがしかし。
 それがただの平日ではない、ということは誰もが知るところであり、しか
してそこに祭りが形成されるのは至極当然の流れだ。
 まして、それが高校という場ならば、祭りを一種通り越して騒乱に至る
ことさえ決して珍しくはない――のだが。
 これもまた当然のように、誰も彼もが走り回っていることもないわけで――


「……若いっていうのはいいことだね、まったく」
 やれやれ、といった口調で呟くのは、ここ――茶道部の主であるところの
刑部絃子である。もっとも、その表情は口ぶりとは裏腹に、どこか懐かしさと
親しみを帯びた、そんな色をしているのだが。
「なに言ってるんですか、まだまだ絃子さんだって若いじゃないですか」
「とりあえず、君よりは年上だよ」
 あと、学校では『刑部先生』だ、もう何度目になるかという苦言を呈して、
目の前でにこにこと笑う同僚にして後輩たる笹倉葉子に溜息をついてみせる。
「それに、もう他人にチョコレートを渡すような歳でもないさ」
 なあ、と。問いかけた先には、悠然とティーカップを口に運ぶ高野晶の姿。
「私に訊かれても困ります」
 まるで困っていないような様子で答える彼女に、小さく肩をすくめる絃子。
「確かに、君が誰かの後ろを追いかけている姿は想像できないな」
「ええ、今のところ。でも今年も面白い絵は撮れましたから」
「……それはよかった」
 そう、なにも参加するだけが祭りの楽しみ方ではない。彼女は彼女なりの
楽しみ方をしているのだろう――それが、一般的に見て少々首を捻るもの
だったとしても。
「……まあ、深く突っ込まない方が身のため、か」
「なにか?」
「いや。そうだな、その『面白い絵』の中に私が入っていないことを祈るよ」


608 :Classical名無しさん:06/03/12 22:16 ID:DDNoX3Qo
 いささか投げやりな絃子の言葉に、くすくすと葉子が笑う。
「今年も大人気だったですもんね、刑部先生?」
「君さ、絶対私の知らないところで煽ってただろう」
 仏頂面の彼女の前には、デパートの手提げ袋なら丸々二つ分はあろうか、
という量のチョコレート菓子。その種類たるや百花繚乱、よりどりみどりだ。
「昔から女の子に人気ありましたものね」
「あまり喜ぶところじゃないと思うけどね……にしたって、今年はちょっと
 おかしいだろ、絶対」
 そう思うだろう、話を振られた晶は一言。
「では私からも」
 そして、どこから取り出したのか、山の頂点に追加される一口サイズの
トリュフ。その表情は、あくまでいつものポーカーフェイス。
「……ありがとう」
「よかったですね」
「そういうことをさらっと言えるのが、君の怖いところだよ」
 半眼でこぼしてから、しかし、と最初の柔らかな表情に戻る絃子。
「やっぱりいいことだよ、若いっていうのは」
 ためらいなく言い切ったその言葉に、今度は葉子も口を挟まない。
「確かに自分が年寄りだと言うつもりはないさ。だけど、教師っていうのは
 生徒より歳をとってる生きものでね、その分だけ違ったものを見てきてる
 のも確かなことなんだよ」
 きい、と椅子を軋ませ立ち上がる。歩み寄る先は光の射し込む出窓、その
さらに先には、まだまだ終わらない喧騒が満ちているだろう校舎の姿がある。
「こんな他愛のないことが、いつか重いと感じるようになる日がきっと来る。
 誰だって歳をとるし変わっていく。良くも悪くも、ね」
 だから、と。絃子は続ける。
「今楽しめることは今楽しんでおくべきなんだよ。じゃなきゃ、後悔どころか
 そんな時間があったことさえ気づけない、」
 なんてね、とそこで晶の方を見て苦笑する。
「まあ、こんな話を君にするのは、釈迦に説法だと思うんだけどね」
「いえ、ありがとうございます、刑部先生」


609 :Classical名無しさん:06/03/12 22:16 ID:DDNoX3Qo
「礼をいわれるようなことじゃないよ。それじゃ、ささやかな課外授業は
 これくらいにしておこうか」
 冗談めかして彼女が席に戻ったところに。
「難しい話が終わったところで、みんなで食べちゃいましょう」
「……君ね」
 何事もなかったように言ってのける葉子に、なにかを言おうとする絃子
だったが、まあいい、と結局やめにする。
「とても一人じゃ消化できないしな。本気で私に渡してくる子なんてそうは
 いないし、バチも当たらないだろうさ」
「高野さん、こんなこと言ってますけどね、きっちり全員分お返し用意したり
 する人なんですよ、この人」
「そうなんですか」
「あー、笹倉先生、あまり余計なことは、」
「そういえば、昔こんなことが――」
「葉子、それぐらいに――」
 そして、ここでもまた小さな喧騒が繰り広げられる。例によって、それを
すかしたりさりげなく食いついたりしつつ、ちゃっかりと情報収集に精を出し
ながらも、こんな風に歳がとれるなら、晶はそんなことを思ったりもする。
「もう、それくらいいいじゃないですか」
「よくないと言ってるだろう!」
「仲がよろしいんですね」
「ええ」
「……ただの腐れ縁だ」
 対照的なその受け答えを聞いてから。
「いつか先生たちみたいになれたら、そう思いますよ。本当に」
 珍しく晶ははっきりと笑ってみせた。


 二月、十四日。
 カレンダーを見たところで祝日の赤で記載されているわけでもない、ただ
それだけを見ればただの平日。
 けれど、それはやはり一年にただ一度きりの祭りの日、なのである――
2007年12月17日(月) 16:16:28 Modified by ID:EBvjy16zhA




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