IF27・愛ゆえに



984 名前:愛ゆえに…… mailto:sage [07/03/22 14:55 ID:7yoynCSI]
 季節は春。ところは公園。そして目の前には、密かに想いを寄せてきた男性がいる。
 胸が高鳴るシチュエーションと言えるだろう。だが、塚本八雲の心は重く沈んでいる。
 目の前にいるその男性の背中が、八雲が知っているそれよりも、ずっと小さく見えたから。
 うつろな声で彼は言う。
「畜生。何でアイツ…お嬢のヤツは…原稿を破りやがったのか……。ちっとはイイヤツだと思ってたのによ……」
 お嬢こと沢近愛理。その名前を聞いて、八雲の心は静かに、しかし激しくざわついた。
 ライバルだとは言え、いやそうであるがこそ、彼女のことは正当に評価しなければいけない。
 熱く激しい心と華やかな美貌を兼ね備えた女性。
 同性の八雲から見ても、魅力的な女性だと思う。
 そして内面も。姉の天満から毎日のように聞かされている。
 愛理ちゃんが。愛理ちゃんが。愛理ちゃんがと。
 内面的な優しさについても申し分ないのだろう。
「播磨さん」
 大切な人に呼びかけながら、八雲は思う。
 この人に相応しいのは、自分ではなくて。
 八雲の中に明確なビジョンが浮かんできた。
 ちょっと照れくさそうな、そして悔しそうな笑みを浮かべながら播磨の隣を歩く愛理の姿が。
 そんな彼女に仏頂面を浮かべながらもどこか優しげな播磨の姿が。
 今となっては非現実的なビジョンとは思えない。
 正直、少し前までは八雲は愛理のことをさほど意識してはいなかった。
 播磨が誰を好きなのか、ほのめかしてやれば撤退すると思っていた。
 だが、恐らくそのことすらバネに変えたのだろう。
 愛理はついに播磨とのデートにまでこぎつけている。
 アシスタントとして、献身的に尽くしてきた自分よりも上を行っている。
 八雲は思う。天満が烏丸と結ばれたあとに、愛理が告白したならば、播磨の心の隙間に、すっぽりと愛理がはまってしまうだろうと。
 天満が烏丸と結ばれたあとに、愛理が告白したならば……。


985 名前:愛ゆえに…… mailto:sage [07/03/22 14:56 ID:7yoynCSI]
 そのことを反芻したとき、八雲はひらめいた。天啓と言ってもいいだろう。
 天満が烏丸と結ばれたあとに、愛理が告白したならば。それならば。
 予定を前倒しにしてやればいいのだ。リスクはゼロではないが、やってみる価値はある。
 腹を決めて、八雲は静かに視線を上げた。
「それは…沢近先輩が播磨さんのことを好きだからです」



 翌日の夕方。親友サラのバイト先でもある茉莉飯店で一人夕食を取りつつ今後のことに思いを馳せている八雲に、そのサラが声をかけてきた。
「んぉ?」
「サラ」
「お夕飯? 珍しいね一人で」
「う……ううん、ちょっと…」
 意味ありげな表情と声を作ると、サラは優しい笑みを浮かべてくれた。
 人を悪く見ることができない、この親友のことが八雲は大好きだった。
 案の定、彼女はなんの陰もない笑顔で尋ねてくる。
「何かあったの?」
「う…うん」
「進んだ?」
 その言葉にどう答えていいのか悩みつつも八雲は意図的に視線を伏せて小声で言う。
「す…少しは…自分的には…」
「おーっ、何て言ったの?」
 興味津々に尋ねてきた彼女にさんざんもったいつけてから八雲は答えた。
 愛理の気持ちを播磨に伝えたのだと。案の定、サラはあきれ返ったように身を乗り出してきた。
「ホントに? 敵に塩送ってどーすんの〜〜!? 譲ったも同然じゃ〜〜ん!!」
「て、敵じゃない……」
 答えながら八雲は思う。
 そう、自分の計算に狂いがなければ、愛理はもう敵ではない。
 昨日の播磨の反応。そんなわけはないと言いながらもまんざらでもなかった。
 少し残念な気もするが、やはり彼も男なのだ。
 女性に、それも愛理ほどの美少女に想われていると知れば悪い気はしないはずだ。
 しかし、同時に確信もした。それでも彼の天満への想いは揺るがないだろうと。


986 名前:愛ゆえに…… mailto:sage [07/03/22 14:57 ID:7yoynCSI]
 愛理の気持ちは嬉しい。しかし、受け入れることはできない。
 この二つの条件が揃ったとき、優しくて、そしてとても愚かなあの人が、どういう行動を選ぶか、八雲には手に取るように分かる。
 彼はきっと、わざわざ愛理に別れを告げようとするだろう。
 告白をしてもいない相手がいきなり振ってくるという行為が、どれほど痛いものなのか想像もせずに。

 そして、その行動を受けたときに、愛理がどういう反応を示すのかも。
 愛理は知らないのだ。播磨が舞い上がっている理由を。
 まさか、八雲が播磨に気持ちを伝えたなどとは夢にも思うまい。
 愛理の中で、播磨はとんでもないナルシストに変貌する。
 そして、そういう男は、愛理がもっとも嫌悪する類のそれであるはず。

 サラと無邪気な会話を楽しみつつ、八雲はこの先のことを考える。
 眼前の敵は排除できた。次は、最後の、そして最大の敵である姉、天満。
 だが、こちらはさほどの問題ではない。
 彼女には烏丸という意中の人がいるのだから、それをバックアップしてあげればいい。
 その一方で、表面上播磨の恋を応援するというスタンスをとれば、彼の中での八雲の存在も少しずつ大きくなっていくことであろう。
 あとは、愛理の代わりに、天満を失った播磨の心の隙間を自分が埋めてやればいい。
 愛理をけん制する狙いで、天満をアシスタントに送り込んだりもしたが、もうその必要もあるまい。
 昨夜散々天満の漫画を持ち上げたら、彼女はすっかりその気になって、アシスタントから漫画家へと志望を変えてくれた。八雲の思惑通りとも知らずに。
 あとは空白となった播磨のアシスタントの座に再び自分が収まり、漫画という共通の趣味ができた天満と烏丸を応援してやればいい。


987 名前:愛ゆえに…… mailto:sage [07/03/22 14:58 ID:7yoynCSI]
 もっとも、不安もある。烏丸が間もなくアメリカに行ってしまうこと。
 そして、播磨と天満の仲がやけに接近していること。
 もしも、天満が烏丸をあきらめたら、恐らく八雲には勝ち目はない。
 だが、そうなったとしても八雲には勝算がある。
 しばらくはつらい日々が続くだろうが、少しずつ、少しずつ二人をコントロールして、亀裂を作ってやればいい。
 愛理と播磨にしたように簡単にはいかないだろうが、不可能ではないはず。
 何しろ、二人とも全面的に自分を信じてくれているのだから。
 あとは、播磨の心がこちらに向くのを待って、モーションをかければいい。
 自分には、そのときが来たなら播磨が何も言わなくてもわかる能力があるのだから。

 いつか浮かんだ、播磨と金髪の少女の幸せそうなビジョン。
 八雲の中で、その金髪の少女の姿を自らが侵食してすりかわるイメージがはっきりと浮かんだ。
 くすりと笑いながら八雲は親友に言う。
「恋ってタイミングよね」

 季節は春。八雲の心はその季節に相応しく、晴れ晴れと澄みわたっていた。


   <了>
2010年11月19日(金) 10:10:53 Modified by ID:/AHkjZedow




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