IF30:Take Me Home,Country Roads


「どうなんです?」
実際のところ、と。含み笑いの上に重ねられた言葉。
「分かったよ、正直に言えばいいんだろう?」
その問に、仕方がないとでも言ってみせるように肩をすくめながら、
彼女は答えた。


「なんだか久しぶりですね、絃子さんの部屋に来るの」
「君とは毎日顔を合わせてるから、そういう気はあまりしないけどね」
そうですか?、と言いながら両手に持った買い物袋をテーブルの上に
置く笹倉葉子。疲れた、と肩を叩くその仕草は、どちらかと言えばあまり
他人に見せられたものではないよなあ、などと溜息をつきつつ、部屋の
主たる刑部絃子は小さく肩をすくめる。
「ちょっと買いすぎなんじゃないか、それ。……で、今日は一体どんな
風の吹き回しなんだい?」
なんやかやと雑用を片付けていたら、今更出かけるには少しばかり
中途半端な時間になってしまった、そんな休日の昼下がり。そこに、
今から遊びに行きますから、と唐突に送られてきたメール。文面に
こちらの都合を問う言葉が一切い、という彼女らしさに苦笑しつつ、
了解の返事をしたのが小一時間ほど前のことになる。
「面白い土産物がある、っていう話だったけど」
「それはあとのお楽しみです」
こういう場合、十中八九ロクでもないことなんだよなあ、そう胸の
内でぼやく絃子をはぐらかすように、それにしても、とリビングから
歩を進める葉子。
「やっぱり広くないですか? ここ」
「かも、ね」

199 :Take Me Home, Country Roads :08/09/28 20:43 ID:zokAowNE
その言葉が、絃子をほんの一瞬だけ過去へ引き戻す。
あの騒がしく、それでもにぎやかだったと言えなくもない、そんな
懐かしい日々に。
「もう慣れたさ。元々一人だったんだからね」
葉子が向かった先、かつて彼女の従姉弟が暮らしていた部屋で、絃子
は口の端に小さな笑みを浮かべて言った。そう、あの頃の方がおかしな
状態だったんだ、そんな言葉が、今はもう何も置いていない、がらんと
した部屋の空気に吸い込まれて消えていく。
「うーん、私だったら誰か居れば退屈しないなあ、って思うんですけど」
「退屈、か……否定はしないよ。同じくらい厄介事も背負い込むことに
なるのも保証するけど」
期せず、どこか投げやりになってしまった言葉。そこに重ねるように
して、部屋の中央でくるりと絃子の方に向き直った葉子が問う。
「どうです? 彼が居なくなってから」
真っ直ぐな視線は、ずっとそれが訊きたかった、そう語っている。
「どう、ね……」
さて、どうなんだろう。
この部屋に、あのわりとどうしようもない居候がいた頃のことを絃子
はゆっくりと思い返す。下ろした目蓋の裏に浮かぶのは、ロクでもない
出来事の数々。
それでも、そのすべてをどういうわけか記憶している自分に気がついて、
やれやれと嘆息。
それを予期していたのか、目蓋を持ち上げれば、面白そうな顔でこちら
を見ている葉子の姿があった。

200 :Take Me Home, Country Roads :08/09/28 20:44 ID:zokAowNE
「どうなんです?」
実際のところ、と。含み笑いの上に重ねられた言葉。
「分かったよ、正直に言えばいいんだろう?」
その問に、仕方がないとでも言ってみせるように肩をすくめながら、
絃子は答えた。
「……まあ、寂しくないと言ったら嘘になるよ」
居たら居たで、ロクでもないことばかりしでかすし、困ったものなん
だけどね、苦笑いとともにそう続ける。ただ、その視線にはどこか昔を
懐かしむような色が浮かんでいた。
「あれでも一応、家族みたいなもんだからさ」
かわいげの欠片もない上に、出来も悪い弟だけどね、お手上げだ、と
いう仕草でそう締めくくった絃子に、
「だってさ」
「うん?」
くすくすと笑いながら呟いた葉子がバッグから取り出して見せたのは、
携帯電話。通話中を示す表示がカウントを刻んでいる。
「おいおい、もしかして……」
「そういうことです」
これ以上ないくらいに楽しそうにそう言って、玄関へ向かう葉子。彼女が
開いたドアの向こう、そこには携帯を片手に立ち尽くす一人の男。
即ち、播磨拳児その人である。
「何をやっているのかな、君は」
彼にとも彼女にともつかないようにぼやいてから、なるほどこれが『面白い
土産物』か、と悟る絃子。
「たまたま街で見かけちゃったんです。それでつい、こう」
こう、何なんだろう。にこにこと微笑みながら、猫でも抱え上げるような
仕草を見せる葉子に、いつもながら呆れを通り越して尊敬めいた気持ちを
抱いてしまう絃子。それでもどうにか気を取り直し、次に拳児に向き直る。
「しかし君も君だよ、馬鹿正直に待ってることなんてないだろう? 逃げる
なり何なりすればよかったじゃないか」
いつの間にか、かつての口調に自然と戻っていることに、今日幾つめに
なるのか分からない溜息を内心でオーダーしてしまう絃子。

201 :Take Me Home, Country Roads :08/09/28 20:45 ID:zokAowNE
「逃げたらどうなるかなんざ、分かりきってるじゃねぇか……」
「……それもそうだな」
笹倉葉子、という人物についてある意味で最もよく知る二人は、そろって
半眼でそちらを見やる。一見温厚そうな彼女が、その実手段はおろか時には
目的すら選ばないことは、彼らの間では自明の話だ。
「どうしたんですか、二人とも。ほらほら、拳児君もあがってあがって」
あっけらかんとしたその口調に、やはり彼女には敵わないと改めて絃子は
思う。もっとも、そもそも彼女と渡り合える相手がいるのか、というところ
から疑問にも思っているのだけれど。
「まあいいさ、あがってけ。飯ぐらい食ってくんだろ?」
いささか買いすぎに見えた食材の山も、つまりはそういうことだったの
だろう、と横目を葉子にやりつつ拳児をうながす。経緯はともかく、今更
無下に追い返すのも彼女の流儀に沿わない。
「……ったく」
ぶつくさと呟きながら、それでも、オジャマシマス、とぶっきらぼうに
妙な発音で言って靴を脱ごうと屈み込む拳児。
「なあ」
だが、そこに絃子の声が降ってくる。


202 :Take Me Home, Country Roads :08/09/28 20:46 ID:zokAowNE
「確かに私は君をここから追い出したし、君はここから出ていった」
だけどね、そこでいったん言葉を切る。
その先を言うべきか、言うまいか。
ほんの一瞬だけ悩んで、けれどもう手遅れか、と再び口を開く。
「別に二度と来るなとは言わなかったよな? たまには顔を見せるなり連絡を
よこすなりしろ、こっちだって心配くらいはするんだぞ」
――まったく、葉子にはいつもいつもしてやられる。
そんなことを思いつつ。
「それに、だ。さっきも言ったけどね、君は一応私の家族みたいなもんなんだ。
だったら、今ここで言うのはそうじゃないだろ?」
一気にそこまで言って、返事を待つ。別に彼がどう返そうとも構わない、ただ、
たまには口にしないと忘れてしまうことがある、そう思いながら。
数秒、しんとした沈黙が過ぎた後で。
「……ただいま、絃子」
ぎこちなく、けれどはっきりとそう言った彼に。
「おかえり、拳児君」
絃子は小さく微笑んだ。
2010年11月19日(金) 09:42:50 Modified by ID:/AHkjZedow




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