IF5・Singin in the rain
602 名前:Singin' in the Rain :04/03/08 01:34 ID:YQ5.p6rQ
日常、というのは何もしなくても過ぎていくものである。止めようとしても止められないその流れは、多少の
問題などなんでもないかのように押し流していく。
日常、というのはそういうものである――良くも悪くも。
(……もう三日、か)
予定のびっしりと書き込まれた手帳をぱたん、と閉じ、舞は一つ溜息をついた。その物憂げな様子とは裏腹に、
周囲の空気は次第に近づいてきた体育祭を控えてどこか浮き足だったものである。
(はあ、らしくない、っと)
考えていても、と立ち上がって近くで談笑している美琴に声をかける。
「あの、周防さん」
「ん、何?……ってアイツのことだよな、多分」
「うん、葉梨君のことなんだけど」
困った、というような顔で首筋をかく美琴に頷きながら、その表情からやはり何かあった、と察する。
「ほら、もう三日も休んでるし、それにあの日だって……」
珍しく風邪でもひいたのかと思って担任に訊いてみても病欠の連絡は受けておらず、そもそも休み始める前日から
して、播磨を探しに行く、と言ったままそれっきり。これでは誰であろうと多少の心配はするところである。
「いや、別に病気とかそういうわけじゃないんだ、五体満足でぴんぴんしてたよ」
「それならいいんだけど……ほら、もうすぐ体育祭だからいろいろ仕事もあるし」
なんだかわからないけど、出来れば来るように言っておいてほしんだけど、と頼む舞に、それなんだけどさ、と
言葉を濁す美琴。
603 名前:Singin' in the Rain :04/03/08 01:34 ID:YQ5.p6rQ
「私も毎日言ってるんだけどさ、やることがある、とか言って聞かないんだよ……おまけにネズミだし……」
「……ネズミ?」
あーいや、それはこっちの話、と言ってから、申し訳なさそうに続ける。
「正直、私も困ってるんだよ、どうすりゃいいのか、ってさ」
ゴメン、と頭を下げる美琴に、周防さんが謝ることじゃないよ、と言いつつ考える舞。
「うん、わかった。それじゃ今日私も行ってみようかな、花井君のところ」
それでダメだったら諦めよ、と笑う。
「……そっか。それじゃ私からも頼むよ。ホントにアイツ、何考えてんだか……」
まかせといて、と席に戻る舞の背中に、そうだ、と声をかける美琴。
「あれだったらさ、私が手伝うよ、仕事」
「ううん、大丈夫。ウチの連中ってさ、いっつもロクでもないことばっかりで仕事が多いのなんて慣れてるし」
一人だからちょっと調子狂っちゃってるだけだよ、平気平気、とぐっと親指を立てる。
「了解。でもさ、何かあったら遠慮なく、だよ」
「うん、ありがと周防さん」
それじゃ、と荷物を手に舞は教室を出た。
604 名前:Singin' in the Rain :04/03/08 01:35 ID:YQ5.p6rQ
(――とは言ったものの)
花井の家に向かう道すがら、現状について考える舞。
「なかなか厄介よね、これ」
思わずそんな言葉が出てしまう。確かに何かと問題を巻き起こす生徒の多い2-Cとは言え、ことが全校レベルの
体育祭となれば、やるべき仕事の量はさすがに違ってくる。
(やって出来ないことなんてないけど……)
それでも、やはり一人と二人では能率はまったく異なるし、加えて。
(なんか……ね)
当たり前だったことがそうでなくなる。それは周りから見れば些細なことでも、当事者にとって重要なこと、
というのはままあることである。少なくとも、舞にとって花井が隣にいる、というのはそういうことだった。
(――らしくないらしくない)
立ち止まり、あまりよろしくない思考を追い出すべく一つ深呼吸。
「さ、早く行かないと」
呟いて見上げる空は午前中とはうって変わって泣き出しそうな曇天。手にした傘をしっかりと握りしめ、舞は
小走りで駆け出した。
605 名前:Singin' in the Rain :04/03/08 01:36 ID:YQ5.p6rQ
どうにか雨粒が降りてくる前に目的地に辿り着いた舞。
だが――
「だーかーらっ!花井君が来てくれないと私の仕事が……」
やりたいことがある、だがそれは言えない、という花井の一点張りに、平行線を辿る話し合い。そのやりとりに
業を煮やして、いい加減に、と食ってかかる舞を、その必要はないだろう、と花井は素っ気なくいなす。
「君の優秀さは一緒に仕事をしてきた僕が一番よく知っている。なに、君なら僕などいなくとも立派にやっていけ
る……それよりも僕には――」
「だったらっ!」
そんな花井を遮って叫ぶ舞。
「……だったら、ちゃんと最後まで一緒にやってよ、仕事」
「……それは」
怯む花井の前で、独り言のように続ける。
「花井君てさ、変わってるところもいろいろあるけど、ホントはマジメでいい人だ、って。そう思ってたんだよ、私」
ふ、と自嘲気味の笑み。
「それがさ、なんだかよくわからない理由で学校は休むし、自分の仕事は放り出すなんて」
そんなの私の知ってる花井君じゃないよ、と。正面からその瞳を見据えて言う。
「――僕にだって、譲れないものはある」
その視線から目をそらすようにして答える花井。
「私にだってあるわよ、それくらい!」
バカ、そう言い残し外へ飛び出していく舞。
外はいつのまにか降り出した雨が、その強さを少しずつ増している。
「な――舞君!」
花井の声にも彼女は振り返らない。
ただ、その中を駆けていく。
「くっ……」
すぐに見えなくなる後ろ姿にどうするべきか迷う花井。
606 名前:Singin' in the Rain :04/03/08 01:37 ID:YQ5.p6rQ
と。
「あーあ、泣かせちゃったね」
入り口の影から姿を現したのは。
「……周防」
「悪いけど途中から聞かせてもらったよ……で、わかるよな、私の言いたいこと」
「……僕が悪い、というんだろう?」
ふん、と面白くなさそうに答える花井。
「わかってるならいいんだけどね……あのさ、何も全部悪いって言ってるんじゃないんだよ。優先順位ってのは
誰にだってあるんだしさ」
でもね、と真剣な口調の美琴。
「それでもないがしろにしちゃいけないものってあるんだよ。絶対、ね」
「だが……っ!?」
なおも迷っているような様子の花井に、一切の容赦なく突きこまれる拳。
「――ホント、どうしちゃったんだよ。頼むからさ、あんまり私を」
怒らせないでくれよ、と悲しそうに笑う。
「周防……僕は」
言いかけた花井に、はいはいそういうのは後回し、と置き去りにされた舞の傘を渡す美琴。
「お前ならまだ追いつけるだろ?」
「……すまん」
その一言とともに駆け出す花井。
「……ふう」
その後ろ姿を見送ってから、美琴は苦笑とともに溜息をついた。
607 名前:Singin' in the Rain :04/03/08 01:38 ID:YQ5.p6rQ
(……何やってるんだろ、私)
降りしきる雨の中を走りながら、舞は思う。どう考えても花井の方に問題がある、それは確かだ。あの説明で
納得出来る人間がいるとしたら、それはよほどのお人好しのはずである。
(だからってこんなことしたって)
どうにもならない、そんなことはわかっているのに、自分は雨の中を走っている。荷物も傘も老いてきてしまったし、
おまけに勢いに任せて余計なことまで口走ってしまった気がする。
(……どうしよう)
熱くなっていた頭が冷えてくるのにつられるようにして、その足取りは次第に重くなる。残るのはやるせない想いと
雨に濡れて重たくなった身体だけ。
そこに。
「――舞君!」
「っ!」
遠くから呼ぶ声が聞こえた。思わず振り向いたそこには、傘も差さずに走ってくる花井の姿。
「……どうして」
何がどうなっているのかわからず一瞬立ち尽くすものの、次の瞬間には背を向けてそこから逃げ出す。
「――舞君!?」
花井の声に戸惑いの響きが混じる。しかし、舞は止まらない。
(だって、どんな顔しろって……っ)
けれど、最初から結果の見えている勝負、その差はどんどんと縮まっていく。
「舞君!待ってくれ!」
もう手が届く、という距離まで来た花井の声にも、しかし舞は立ち止まらず、その速度をさらにあげようとして。
「あ――」
もつれた足がバランスを崩し、そのままアスファルトの上に――
「くっ――」
「っ……!」
倒れかけたその身体は、間一髪、後ろから抱きかかえるようにして腕を伸ばした花井に支えられていた。
「……」
「……」
しばらく無言のままの二人。路面を打つ雨の音だけが響く。
608 名前:Singin' in the Rain :04/03/08 01:39 ID:YQ5.p6rQ
やがて、先に口を開いたのは花井だった。
「すまない」
深々と頭を下げる。
「……花井君」
「――自分の都合だけしか見えていなかった。周りや君のことをまったく考えていなかった」
許してくれとは言えん、だがせめて、とそこで頭を上げ、舞の顔をまっすぐに見つめる。
「せめて、謝罪はさせてほしい。すまなかった」
もう一度頭を下げる。
「……」
言い訳も何もなく、ただその言葉とともに頭を下げる花井。その姿に、舞はどこか安堵を覚える。
(……やっぱり、花井君は花井君、だよね)
変わってるところもいろいろあるけど、ホントはマジメでいい人――それが花井春樹という人だと、そう思う。
だから。
「花井君」
黙ってそのまま頭を上げる花井に。
「……明日からキリキリ働いてもらうからね」
そう言った。
「……舞君」
何かを言いかけた花井の機先を制して、それじゃ戻ろうか、と笑ってみせる舞。
「荷物も全部置いて来ちゃったしね、なんかカッコ悪いけど」
あはは、ともう一度笑顔を見せた舞に、一応傘はあるんだが、と差し出す花井。
「ううん、いいよ。これだけ濡れちゃったらもうおんなじ」
それじゃ、競争ね、そう言って駆け出す。
「な――舞君!」
そんな花井の声を後ろに聞きながら、昔聞いた古い歌を小さく口ずさみつつ、舞は走った。
609 名前:Singin' in the Rain :04/03/08 01:40 ID:YQ5.p6rQ
翌日のHR。
「皆に心配をかけたが、今日から僕も復帰だ」
いや別にしてねーよ、という声があちこちから聞こえるものの、花井の耳には入っていないようである。
(まあ、そういうところがらしいんだけど)
そんな様子に、思わず苦笑してしまう舞。
「ついてはいろいろとあるわけだが……」
教室を見回してから、ぴたりとその視線を止める花井。
「――播磨、貴様には言っておくことがある」
「……あん?」
「……あの、花井君?」
訝しむ舞に気にしないでくれたまえ、と言ってから。
「お前は潰す――それだけだ」
「――は?」
播磨だけではなく、教室中の動きが一瞬止まる。
そして。
「上等じゃねぇか……」
なんだかわからねぇが受けてやるぜ、と静かに立ち上がる播磨と。
「フン、精々今のウチに吠えておくといい……」
不敵に笑う花井。
その間に不穏な空気が立ちこめ、一触即発の――
610 名前:Singin' in the Rain :04/03/08 01:42 ID:YQ5.p6rQ
「花井君が問題増やしてどうするのよっ!」
がん、と両拳を砕けんばかりの勢いで教卓に叩きつけて叫んだ舞の一言が、その空気をかき消した。
「何のために私があれだけ苦労したと思ってるの!?」
「い、いや、それとこれとは……」
「ち・が・わ・な・い!」
その剣幕に、ハイ、と首を縦に振る花井に、よろしい、と頷いてから。
「――播磨君もわかってるわよね、もちろん」
「あー、そうだな、同じクラスだから仲良くしないとな、一致団結だな、うん」
「よろしい」
それを見届けてから、それじゃ花井君、あとよろしく、と自分は一歩下がる舞。
「……うむ。えー、まずはだな……」
花井の宣戦布告で一瞬凍りついた教室の雰囲気は、いつのまにか元に戻っている、というよりも、むしろ
さっきのは何だったのか、と逆に盛り上がる様子さえ見せている。結局、そういうクラスなのである。
(やっぱり、これくらいじゃないとね)
ええいうるさいぞお前ら、と言いながらもてきぱきとHRを進行させていく花井を見つつ。
舞は微笑んだ。
611 名前:Singin' in the Rain :04/03/08 01:43 ID:YQ5.p6rQ
――ということで。
忙しくなるのは実行委員じゃないのか、とかベタだなおい、というのは先に自分で言っておきます。
……好きなんです、お約束の展開。
日常、というのは何もしなくても過ぎていくものである。止めようとしても止められないその流れは、多少の
問題などなんでもないかのように押し流していく。
日常、というのはそういうものである――良くも悪くも。
(……もう三日、か)
予定のびっしりと書き込まれた手帳をぱたん、と閉じ、舞は一つ溜息をついた。その物憂げな様子とは裏腹に、
周囲の空気は次第に近づいてきた体育祭を控えてどこか浮き足だったものである。
(はあ、らしくない、っと)
考えていても、と立ち上がって近くで談笑している美琴に声をかける。
「あの、周防さん」
「ん、何?……ってアイツのことだよな、多分」
「うん、葉梨君のことなんだけど」
困った、というような顔で首筋をかく美琴に頷きながら、その表情からやはり何かあった、と察する。
「ほら、もう三日も休んでるし、それにあの日だって……」
珍しく風邪でもひいたのかと思って担任に訊いてみても病欠の連絡は受けておらず、そもそも休み始める前日から
して、播磨を探しに行く、と言ったままそれっきり。これでは誰であろうと多少の心配はするところである。
「いや、別に病気とかそういうわけじゃないんだ、五体満足でぴんぴんしてたよ」
「それならいいんだけど……ほら、もうすぐ体育祭だからいろいろ仕事もあるし」
なんだかわからないけど、出来れば来るように言っておいてほしんだけど、と頼む舞に、それなんだけどさ、と
言葉を濁す美琴。
603 名前:Singin' in the Rain :04/03/08 01:34 ID:YQ5.p6rQ
「私も毎日言ってるんだけどさ、やることがある、とか言って聞かないんだよ……おまけにネズミだし……」
「……ネズミ?」
あーいや、それはこっちの話、と言ってから、申し訳なさそうに続ける。
「正直、私も困ってるんだよ、どうすりゃいいのか、ってさ」
ゴメン、と頭を下げる美琴に、周防さんが謝ることじゃないよ、と言いつつ考える舞。
「うん、わかった。それじゃ今日私も行ってみようかな、花井君のところ」
それでダメだったら諦めよ、と笑う。
「……そっか。それじゃ私からも頼むよ。ホントにアイツ、何考えてんだか……」
まかせといて、と席に戻る舞の背中に、そうだ、と声をかける美琴。
「あれだったらさ、私が手伝うよ、仕事」
「ううん、大丈夫。ウチの連中ってさ、いっつもロクでもないことばっかりで仕事が多いのなんて慣れてるし」
一人だからちょっと調子狂っちゃってるだけだよ、平気平気、とぐっと親指を立てる。
「了解。でもさ、何かあったら遠慮なく、だよ」
「うん、ありがと周防さん」
それじゃ、と荷物を手に舞は教室を出た。
604 名前:Singin' in the Rain :04/03/08 01:35 ID:YQ5.p6rQ
(――とは言ったものの)
花井の家に向かう道すがら、現状について考える舞。
「なかなか厄介よね、これ」
思わずそんな言葉が出てしまう。確かに何かと問題を巻き起こす生徒の多い2-Cとは言え、ことが全校レベルの
体育祭となれば、やるべき仕事の量はさすがに違ってくる。
(やって出来ないことなんてないけど……)
それでも、やはり一人と二人では能率はまったく異なるし、加えて。
(なんか……ね)
当たり前だったことがそうでなくなる。それは周りから見れば些細なことでも、当事者にとって重要なこと、
というのはままあることである。少なくとも、舞にとって花井が隣にいる、というのはそういうことだった。
(――らしくないらしくない)
立ち止まり、あまりよろしくない思考を追い出すべく一つ深呼吸。
「さ、早く行かないと」
呟いて見上げる空は午前中とはうって変わって泣き出しそうな曇天。手にした傘をしっかりと握りしめ、舞は
小走りで駆け出した。
605 名前:Singin' in the Rain :04/03/08 01:36 ID:YQ5.p6rQ
どうにか雨粒が降りてくる前に目的地に辿り着いた舞。
だが――
「だーかーらっ!花井君が来てくれないと私の仕事が……」
やりたいことがある、だがそれは言えない、という花井の一点張りに、平行線を辿る話し合い。そのやりとりに
業を煮やして、いい加減に、と食ってかかる舞を、その必要はないだろう、と花井は素っ気なくいなす。
「君の優秀さは一緒に仕事をしてきた僕が一番よく知っている。なに、君なら僕などいなくとも立派にやっていけ
る……それよりも僕には――」
「だったらっ!」
そんな花井を遮って叫ぶ舞。
「……だったら、ちゃんと最後まで一緒にやってよ、仕事」
「……それは」
怯む花井の前で、独り言のように続ける。
「花井君てさ、変わってるところもいろいろあるけど、ホントはマジメでいい人だ、って。そう思ってたんだよ、私」
ふ、と自嘲気味の笑み。
「それがさ、なんだかよくわからない理由で学校は休むし、自分の仕事は放り出すなんて」
そんなの私の知ってる花井君じゃないよ、と。正面からその瞳を見据えて言う。
「――僕にだって、譲れないものはある」
その視線から目をそらすようにして答える花井。
「私にだってあるわよ、それくらい!」
バカ、そう言い残し外へ飛び出していく舞。
外はいつのまにか降り出した雨が、その強さを少しずつ増している。
「な――舞君!」
花井の声にも彼女は振り返らない。
ただ、その中を駆けていく。
「くっ……」
すぐに見えなくなる後ろ姿にどうするべきか迷う花井。
606 名前:Singin' in the Rain :04/03/08 01:37 ID:YQ5.p6rQ
と。
「あーあ、泣かせちゃったね」
入り口の影から姿を現したのは。
「……周防」
「悪いけど途中から聞かせてもらったよ……で、わかるよな、私の言いたいこと」
「……僕が悪い、というんだろう?」
ふん、と面白くなさそうに答える花井。
「わかってるならいいんだけどね……あのさ、何も全部悪いって言ってるんじゃないんだよ。優先順位ってのは
誰にだってあるんだしさ」
でもね、と真剣な口調の美琴。
「それでもないがしろにしちゃいけないものってあるんだよ。絶対、ね」
「だが……っ!?」
なおも迷っているような様子の花井に、一切の容赦なく突きこまれる拳。
「――ホント、どうしちゃったんだよ。頼むからさ、あんまり私を」
怒らせないでくれよ、と悲しそうに笑う。
「周防……僕は」
言いかけた花井に、はいはいそういうのは後回し、と置き去りにされた舞の傘を渡す美琴。
「お前ならまだ追いつけるだろ?」
「……すまん」
その一言とともに駆け出す花井。
「……ふう」
その後ろ姿を見送ってから、美琴は苦笑とともに溜息をついた。
607 名前:Singin' in the Rain :04/03/08 01:38 ID:YQ5.p6rQ
(……何やってるんだろ、私)
降りしきる雨の中を走りながら、舞は思う。どう考えても花井の方に問題がある、それは確かだ。あの説明で
納得出来る人間がいるとしたら、それはよほどのお人好しのはずである。
(だからってこんなことしたって)
どうにもならない、そんなことはわかっているのに、自分は雨の中を走っている。荷物も傘も老いてきてしまったし、
おまけに勢いに任せて余計なことまで口走ってしまった気がする。
(……どうしよう)
熱くなっていた頭が冷えてくるのにつられるようにして、その足取りは次第に重くなる。残るのはやるせない想いと
雨に濡れて重たくなった身体だけ。
そこに。
「――舞君!」
「っ!」
遠くから呼ぶ声が聞こえた。思わず振り向いたそこには、傘も差さずに走ってくる花井の姿。
「……どうして」
何がどうなっているのかわからず一瞬立ち尽くすものの、次の瞬間には背を向けてそこから逃げ出す。
「――舞君!?」
花井の声に戸惑いの響きが混じる。しかし、舞は止まらない。
(だって、どんな顔しろって……っ)
けれど、最初から結果の見えている勝負、その差はどんどんと縮まっていく。
「舞君!待ってくれ!」
もう手が届く、という距離まで来た花井の声にも、しかし舞は立ち止まらず、その速度をさらにあげようとして。
「あ――」
もつれた足がバランスを崩し、そのままアスファルトの上に――
「くっ――」
「っ……!」
倒れかけたその身体は、間一髪、後ろから抱きかかえるようにして腕を伸ばした花井に支えられていた。
「……」
「……」
しばらく無言のままの二人。路面を打つ雨の音だけが響く。
608 名前:Singin' in the Rain :04/03/08 01:39 ID:YQ5.p6rQ
やがて、先に口を開いたのは花井だった。
「すまない」
深々と頭を下げる。
「……花井君」
「――自分の都合だけしか見えていなかった。周りや君のことをまったく考えていなかった」
許してくれとは言えん、だがせめて、とそこで頭を上げ、舞の顔をまっすぐに見つめる。
「せめて、謝罪はさせてほしい。すまなかった」
もう一度頭を下げる。
「……」
言い訳も何もなく、ただその言葉とともに頭を下げる花井。その姿に、舞はどこか安堵を覚える。
(……やっぱり、花井君は花井君、だよね)
変わってるところもいろいろあるけど、ホントはマジメでいい人――それが花井春樹という人だと、そう思う。
だから。
「花井君」
黙ってそのまま頭を上げる花井に。
「……明日からキリキリ働いてもらうからね」
そう言った。
「……舞君」
何かを言いかけた花井の機先を制して、それじゃ戻ろうか、と笑ってみせる舞。
「荷物も全部置いて来ちゃったしね、なんかカッコ悪いけど」
あはは、ともう一度笑顔を見せた舞に、一応傘はあるんだが、と差し出す花井。
「ううん、いいよ。これだけ濡れちゃったらもうおんなじ」
それじゃ、競争ね、そう言って駆け出す。
「な――舞君!」
そんな花井の声を後ろに聞きながら、昔聞いた古い歌を小さく口ずさみつつ、舞は走った。
609 名前:Singin' in the Rain :04/03/08 01:40 ID:YQ5.p6rQ
翌日のHR。
「皆に心配をかけたが、今日から僕も復帰だ」
いや別にしてねーよ、という声があちこちから聞こえるものの、花井の耳には入っていないようである。
(まあ、そういうところがらしいんだけど)
そんな様子に、思わず苦笑してしまう舞。
「ついてはいろいろとあるわけだが……」
教室を見回してから、ぴたりとその視線を止める花井。
「――播磨、貴様には言っておくことがある」
「……あん?」
「……あの、花井君?」
訝しむ舞に気にしないでくれたまえ、と言ってから。
「お前は潰す――それだけだ」
「――は?」
播磨だけではなく、教室中の動きが一瞬止まる。
そして。
「上等じゃねぇか……」
なんだかわからねぇが受けてやるぜ、と静かに立ち上がる播磨と。
「フン、精々今のウチに吠えておくといい……」
不敵に笑う花井。
その間に不穏な空気が立ちこめ、一触即発の――
610 名前:Singin' in the Rain :04/03/08 01:42 ID:YQ5.p6rQ
「花井君が問題増やしてどうするのよっ!」
がん、と両拳を砕けんばかりの勢いで教卓に叩きつけて叫んだ舞の一言が、その空気をかき消した。
「何のために私があれだけ苦労したと思ってるの!?」
「い、いや、それとこれとは……」
「ち・が・わ・な・い!」
その剣幕に、ハイ、と首を縦に振る花井に、よろしい、と頷いてから。
「――播磨君もわかってるわよね、もちろん」
「あー、そうだな、同じクラスだから仲良くしないとな、一致団結だな、うん」
「よろしい」
それを見届けてから、それじゃ花井君、あとよろしく、と自分は一歩下がる舞。
「……うむ。えー、まずはだな……」
花井の宣戦布告で一瞬凍りついた教室の雰囲気は、いつのまにか元に戻っている、というよりも、むしろ
さっきのは何だったのか、と逆に盛り上がる様子さえ見せている。結局、そういうクラスなのである。
(やっぱり、これくらいじゃないとね)
ええいうるさいぞお前ら、と言いながらもてきぱきとHRを進行させていく花井を見つつ。
舞は微笑んだ。
611 名前:Singin' in the Rain :04/03/08 01:43 ID:YQ5.p6rQ
――ということで。
忙しくなるのは実行委員じゃないのか、とかベタだなおい、というのは先に自分で言っておきます。
……好きなんです、お約束の展開。
2007年02月01日(木) 23:31:11 Modified by ID:BeCH9J8Tiw