IF9・blind summer fish
106 名前:blind summer fish :04/06/19 21:33 ID:hJQv6qv2
八月が、そして夏休みがそろそろ終わろうとしている。
それは夏の終わりが近づいていることを示している。
夏が終わるのは嬉しいようでいて、何故か寂しい。
どこまでも広がる雲ひとつない青い空、照りつける太陽、熱されたアスファルトから立ち上がる陽炎、
残りわずかの命を惜しむかのように鳴き騒ぐセミ、蚊取り線香の独特なにおい、なかなか寝付けない夜。
どれもこれも嫌だったと思っていたのに、いざ夏が終わると思うと愛おしくなってしまう。
だが、美琴にとって今回の夏の終わりはいつもと違うものだった。どこか嬉しい反面、
とても切ない。それはどうしてもあのことを思い出さずにはいられないからだ。
そう、失恋してしまったことを。
今となっては、なんとか吹っ切れたつもりではいる。なのに、あのことを思い出すと、まだ胸の
奥がうずかずにはいられない。
そして、失恋と共にもう一つ失ってしまったものがある。
進路についてである。
今まで、好きな先輩と同じ大学に入りたいがために、勉強をがんばってきた。
だが、失恋してしまったことにより、先輩と同じ大学へ行くという目標を見失ってしまい、
最近、勉強にまったく身が入らなくなってしまったのである。
107 名前:blind summer fish :04/06/19 21:34 ID:hJQv6qv2
そんなわけで、稽古でそういったことは忘れて集中しようとするのだが、意識しないよう
にすればするほど頭の片隅にもやもやができて、なかなか集中できないものである。
「周防、また悩み事か?」
そんな美琴の様子が気になったのか花井が尋ねた。
「別にそういうわけじゃないけど……。ん、またって?」
花井はしまったという表情をして、それから顔をしかめた。
「いや、花火があった時あたりも何か悩んでいるようだったじゃないか……」
「……そういえば、そうだったな」
あの時は、沢近のことで悩んでいた。それを、花井に指摘されたのである。
そして、その後先輩に振られてしまったのである。
「あの、なんだ、その……。僕でよければ相談に乗るが……」
美琴を気遣うように花井は遠慮がちに言った。
やはり、幼馴染といべきか彼女のいつもとは違う様子に気づいていたようだ。花火の後、
美琴はしばらく空元気というか、無理に明るく振舞っていた。
でも、そのことに気づいている者は誰もいない。美琴はそう思っていた。
だが、花井は違っていたようだ。
当たり前のように傍にいて、家族のようでいて、家族とは違うあいまいな存在。
だからこそ、彼女の様子に気がついていたのかもしれない。それでいて、美琴に気を遣い、
しばらく気がつかないふりをしていてくれた。
そんな、花井らしい少し不器用なやさしさに美琴は嬉しく感じた。
108 名前:blind summer fish :04/06/19 21:35 ID:hJQv6qv2
「とりあえず、少し休むか」
そう言って外に向かって歩いていく花井に美琴はついていった。
外は道場の暑ぐるしい熱気と比べると、とても涼しい。
そして、その風が運ぶ夏の夜独特の匂いが気持ちよかった。
また、自分たちの背後にある道場の窓から漏れる光と、月と満点の星空から降りそそぐやわらかな光、
道場から聞こえてくる活気のある声と自分たちがいる場所の妙な静けさ。
それらがとても不思議な雰囲気をかもし出しているように感じた。
「で、やっぱり何か悩み事か? 言いたくなければ別に言わなくてもいいが……」
少し暗いため花井の表情はよくわからなかったが、やはり美琴にことを気遣っているようだ。
「まー、いろいろとあるんだけど、今はとりあえず進路のことでちょっと悩んでいるかな……」
「なるほど、二学期に入ると面談とかいろいろあるからな」
「なー、花井は進路をどうするかはもう決まってたりするのか?」
汗でべとつくシャツが少し気持ち悪いなと思いながら、美琴はふと幼馴染の進路の事が
気になって尋ねてみた。
「もちろん、大学へ進学するつもりだ」
「そうか……」
「周防も大学へ行くんじゃなかったのか?」
「それについて迷っていてな。つい最近までは行こうと思っていたんだけど……。なんか
目標を見失っちまってな。花井は大学で何かやりたいことがあるのか?」
「うむ、まだ特にないが」
「な……。それじゃ何で大学へ?」
美琴は花井のまじめっぷりを知っているせいか、たいへん驚いて聞き返してしまった。
109 名前:blind summer fish :04/06/19 21:36 ID:hJQv6qv2
「正直に言ってしまえばな、周防。僕は八雲君と結婚した時、幸せで安定した生活を送るための
一歩として大学へ行こうと思っているのだ」
美琴はあきれた顔をして花井を見てしまった。だが、よく考えると自分も似たようなものかも
しれないと思う。そんなことを知ってか知らずか、花井は少し微笑んだ。
「周防、本当は僕だって漠然なことしか考えていない」
そう言って、何か言葉を選ぼうとしているのか、少し考え込んでからたどたどしく口を
開いて喋りだした。
「僕だって将来についていろいろと悩んでいる。ただな、悩んでいるだけじゃ何も始まらない。
悩みながらも先へ進もうとすることが大切なことだと僕は思う。そして、先に進もうとして
いるうちにおのずと答えが見えてくるものじゃないかな。だから、僕は何事にも全身全霊で
挑んでいるんだ」
なるほど、確かにそうかもしれないと美琴は思う。でも花井を見ていると、あまり悩まないで
先走りしすぎているような気もするが……。
「まー、これは僕の考え方でもある。だから、他人に押し付けるつもりはない」
そして、花井は夜空を見上げ、今でないどこかをみつめるかのように懐かしげに目を細めた。
「ただな、このような考え方になったのはお前のおかげかもしれない。小さい頃の何事にも
ひるまずに前へ進むミコちゃんを見ていて、それが羨ましく憧れでもあり、僕にとってヒーロー
みたいなものだった」
あの自分を変えるきっかけとなった夏の始まりの時の事を思い出しながら、そして、そのせいか
美琴の呼び方が昔のものになっていた。
「だから僕もミコちゃんに負けないように、むしろミコちゃんを守れるくらいになろうと思った。
それが今の僕にしたのかもしれない」
自分の正直に思っている事を話したせいか、花井は少し恥ずかしげにしていた。
110 名前:blind summer fish :04/06/19 21:37 ID:hJQv6qv2
美琴はそのような予想もしていない告白に驚いて、返事を返すことができなかった。
しかし、確かによく考えてみると小さい頃の自分は今みたいにくよくよと悩まないで、
とりあえず積極的に行動を起こしていたような気がする。
「……そうだな、ありがとう。確かにその通りかもしれない。悩んでいるだけじゃしょうがないもんな」
そして、美琴も昔のことを思い出していた。
道場、小学校、中学校、高校。よく考えてみると、傍にはいつも花井がいた。それが当たり前
のことだった。でも、当たり前すぎて、気づきもしなかった。
二人が離れることを。
今年の夏がそろそろ終ろうとしているように、自分たちの関係も卒業と同時に変わろうとしている
のかもしれない。
離れたら二人の関係はどうなるのだろう。
だから、自然と言葉が出てしまった。
「なあ、あたしと大学で離れたらお前は寂しいか?」
「なっ、いきなり何を言うんだ」
「いや、なんでもない、忘れてくれ。それより、そろそろ稽古に戻るか」
美琴はそのようなことを聞いてしまった恥ずかしさを隠すように、笑いながら花井の背中を思い切り叩いて、
さっさと道場に戻っていた。
花井は戸惑いながら、去っていく美琴の後姿をただ呆然と見ていた。
そんな様子を、夏の第三角形を彩る星座たちが可笑しそうに見下ろしていた。
111 名前:blind summer fish :04/06/19 21:40 ID:hJQv6qv2
夏が終わろうとしている。
でも、夏はまた巡ってくる。
それはさも当然かのように、次の新しい夏に向かってまた歩き出している。
ならば、自分も同じように次の新しい恋に向かってまた歩き出せばいいのかもしれない。
そして、巡ってくる夏は前のものと同じとは限らない。
去年より良い夏になるかもしれない。その逆もありえる。
でも、それはすべて自分次第だ。
恋も進路も悔いがの残らないようにしたい。
そのためにも、悩んでいるだけではなく、とにかく行動を起こしてみようと思う。
「――とりあえず、明日髪を切って気持ちを入れかえるか」
美琴は小さくそう呟いて、先程とはうって変わってとてもすがすがしいそうに笑顔を浮かべていた。
そして、やさしくて何処かとても懐かしい夏を感じていた。
――Fin.
112 名前:blind summer fish :04/06/19 21:44 ID:hJQv6qv2
これを書いていたら、久しぶりに道場に行きたくなりました。
それはともかく、限定版が手に入らないorz
八月が、そして夏休みがそろそろ終わろうとしている。
それは夏の終わりが近づいていることを示している。
夏が終わるのは嬉しいようでいて、何故か寂しい。
どこまでも広がる雲ひとつない青い空、照りつける太陽、熱されたアスファルトから立ち上がる陽炎、
残りわずかの命を惜しむかのように鳴き騒ぐセミ、蚊取り線香の独特なにおい、なかなか寝付けない夜。
どれもこれも嫌だったと思っていたのに、いざ夏が終わると思うと愛おしくなってしまう。
だが、美琴にとって今回の夏の終わりはいつもと違うものだった。どこか嬉しい反面、
とても切ない。それはどうしてもあのことを思い出さずにはいられないからだ。
そう、失恋してしまったことを。
今となっては、なんとか吹っ切れたつもりではいる。なのに、あのことを思い出すと、まだ胸の
奥がうずかずにはいられない。
そして、失恋と共にもう一つ失ってしまったものがある。
進路についてである。
今まで、好きな先輩と同じ大学に入りたいがために、勉強をがんばってきた。
だが、失恋してしまったことにより、先輩と同じ大学へ行くという目標を見失ってしまい、
最近、勉強にまったく身が入らなくなってしまったのである。
107 名前:blind summer fish :04/06/19 21:34 ID:hJQv6qv2
そんなわけで、稽古でそういったことは忘れて集中しようとするのだが、意識しないよう
にすればするほど頭の片隅にもやもやができて、なかなか集中できないものである。
「周防、また悩み事か?」
そんな美琴の様子が気になったのか花井が尋ねた。
「別にそういうわけじゃないけど……。ん、またって?」
花井はしまったという表情をして、それから顔をしかめた。
「いや、花火があった時あたりも何か悩んでいるようだったじゃないか……」
「……そういえば、そうだったな」
あの時は、沢近のことで悩んでいた。それを、花井に指摘されたのである。
そして、その後先輩に振られてしまったのである。
「あの、なんだ、その……。僕でよければ相談に乗るが……」
美琴を気遣うように花井は遠慮がちに言った。
やはり、幼馴染といべきか彼女のいつもとは違う様子に気づいていたようだ。花火の後、
美琴はしばらく空元気というか、無理に明るく振舞っていた。
でも、そのことに気づいている者は誰もいない。美琴はそう思っていた。
だが、花井は違っていたようだ。
当たり前のように傍にいて、家族のようでいて、家族とは違うあいまいな存在。
だからこそ、彼女の様子に気がついていたのかもしれない。それでいて、美琴に気を遣い、
しばらく気がつかないふりをしていてくれた。
そんな、花井らしい少し不器用なやさしさに美琴は嬉しく感じた。
108 名前:blind summer fish :04/06/19 21:35 ID:hJQv6qv2
「とりあえず、少し休むか」
そう言って外に向かって歩いていく花井に美琴はついていった。
外は道場の暑ぐるしい熱気と比べると、とても涼しい。
そして、その風が運ぶ夏の夜独特の匂いが気持ちよかった。
また、自分たちの背後にある道場の窓から漏れる光と、月と満点の星空から降りそそぐやわらかな光、
道場から聞こえてくる活気のある声と自分たちがいる場所の妙な静けさ。
それらがとても不思議な雰囲気をかもし出しているように感じた。
「で、やっぱり何か悩み事か? 言いたくなければ別に言わなくてもいいが……」
少し暗いため花井の表情はよくわからなかったが、やはり美琴にことを気遣っているようだ。
「まー、いろいろとあるんだけど、今はとりあえず進路のことでちょっと悩んでいるかな……」
「なるほど、二学期に入ると面談とかいろいろあるからな」
「なー、花井は進路をどうするかはもう決まってたりするのか?」
汗でべとつくシャツが少し気持ち悪いなと思いながら、美琴はふと幼馴染の進路の事が
気になって尋ねてみた。
「もちろん、大学へ進学するつもりだ」
「そうか……」
「周防も大学へ行くんじゃなかったのか?」
「それについて迷っていてな。つい最近までは行こうと思っていたんだけど……。なんか
目標を見失っちまってな。花井は大学で何かやりたいことがあるのか?」
「うむ、まだ特にないが」
「な……。それじゃ何で大学へ?」
美琴は花井のまじめっぷりを知っているせいか、たいへん驚いて聞き返してしまった。
109 名前:blind summer fish :04/06/19 21:36 ID:hJQv6qv2
「正直に言ってしまえばな、周防。僕は八雲君と結婚した時、幸せで安定した生活を送るための
一歩として大学へ行こうと思っているのだ」
美琴はあきれた顔をして花井を見てしまった。だが、よく考えると自分も似たようなものかも
しれないと思う。そんなことを知ってか知らずか、花井は少し微笑んだ。
「周防、本当は僕だって漠然なことしか考えていない」
そう言って、何か言葉を選ぼうとしているのか、少し考え込んでからたどたどしく口を
開いて喋りだした。
「僕だって将来についていろいろと悩んでいる。ただな、悩んでいるだけじゃ何も始まらない。
悩みながらも先へ進もうとすることが大切なことだと僕は思う。そして、先に進もうとして
いるうちにおのずと答えが見えてくるものじゃないかな。だから、僕は何事にも全身全霊で
挑んでいるんだ」
なるほど、確かにそうかもしれないと美琴は思う。でも花井を見ていると、あまり悩まないで
先走りしすぎているような気もするが……。
「まー、これは僕の考え方でもある。だから、他人に押し付けるつもりはない」
そして、花井は夜空を見上げ、今でないどこかをみつめるかのように懐かしげに目を細めた。
「ただな、このような考え方になったのはお前のおかげかもしれない。小さい頃の何事にも
ひるまずに前へ進むミコちゃんを見ていて、それが羨ましく憧れでもあり、僕にとってヒーロー
みたいなものだった」
あの自分を変えるきっかけとなった夏の始まりの時の事を思い出しながら、そして、そのせいか
美琴の呼び方が昔のものになっていた。
「だから僕もミコちゃんに負けないように、むしろミコちゃんを守れるくらいになろうと思った。
それが今の僕にしたのかもしれない」
自分の正直に思っている事を話したせいか、花井は少し恥ずかしげにしていた。
110 名前:blind summer fish :04/06/19 21:37 ID:hJQv6qv2
美琴はそのような予想もしていない告白に驚いて、返事を返すことができなかった。
しかし、確かによく考えてみると小さい頃の自分は今みたいにくよくよと悩まないで、
とりあえず積極的に行動を起こしていたような気がする。
「……そうだな、ありがとう。確かにその通りかもしれない。悩んでいるだけじゃしょうがないもんな」
そして、美琴も昔のことを思い出していた。
道場、小学校、中学校、高校。よく考えてみると、傍にはいつも花井がいた。それが当たり前
のことだった。でも、当たり前すぎて、気づきもしなかった。
二人が離れることを。
今年の夏がそろそろ終ろうとしているように、自分たちの関係も卒業と同時に変わろうとしている
のかもしれない。
離れたら二人の関係はどうなるのだろう。
だから、自然と言葉が出てしまった。
「なあ、あたしと大学で離れたらお前は寂しいか?」
「なっ、いきなり何を言うんだ」
「いや、なんでもない、忘れてくれ。それより、そろそろ稽古に戻るか」
美琴はそのようなことを聞いてしまった恥ずかしさを隠すように、笑いながら花井の背中を思い切り叩いて、
さっさと道場に戻っていた。
花井は戸惑いながら、去っていく美琴の後姿をただ呆然と見ていた。
そんな様子を、夏の第三角形を彩る星座たちが可笑しそうに見下ろしていた。
111 名前:blind summer fish :04/06/19 21:40 ID:hJQv6qv2
夏が終わろうとしている。
でも、夏はまた巡ってくる。
それはさも当然かのように、次の新しい夏に向かってまた歩き出している。
ならば、自分も同じように次の新しい恋に向かってまた歩き出せばいいのかもしれない。
そして、巡ってくる夏は前のものと同じとは限らない。
去年より良い夏になるかもしれない。その逆もありえる。
でも、それはすべて自分次第だ。
恋も進路も悔いがの残らないようにしたい。
そのためにも、悩んでいるだけではなく、とにかく行動を起こしてみようと思う。
「――とりあえず、明日髪を切って気持ちを入れかえるか」
美琴は小さくそう呟いて、先程とはうって変わってとてもすがすがしいそうに笑顔を浮かべていた。
そして、やさしくて何処かとても懐かしい夏を感じていた。
――Fin.
112 名前:blind summer fish :04/06/19 21:44 ID:hJQv6qv2
これを書いていたら、久しぶりに道場に行きたくなりました。
それはともかく、限定版が手に入らないorz
2007年02月10日(土) 20:39:50 Modified by ID:BeCH9J8Tiw