刑事裁判 Q2

なぜ、刑事裁判では被告人に言いたい放題を言わせるのでしょうか?
ここでは,光市事件から離れた一般論として解説します。

それは,現代の裁判では,「当事者主義」の原則が採用されているからです。

簡単に言えば,両方の当事者に目いっぱいの主張をさせて(=言いたいことを十分に言わせて),真ん中で基本的に黙って聞いている公平・中立な裁判所が結論を判断するというのが,「当事者主義」です。

これは,現代の裁判の基本です。
なお,民事裁判については,日本では鎌倉時代から基本的に当事者主義が採用されていたといわれています。

「当事者主義」と反対の概念は,「職権主義」とか「糾問主義」という考え方です。
これは裁判をする側(裁判所)が主導して訴追や調査(証拠の収集と証拠調べ)をするやり方です。
典型的な例が,大岡越前や遠山の金さんなどが登場する江戸時代の刑事裁判です。現在の裁判官の役割をする立場の人間が,同時に警察官や検察官の役割も担っていました。
証拠も裁判官兼検察官が集め,お白州に座る被告人に突き付けます。

このような職権主義の刑事裁判を現代では行わないのは,刑罰権の恣意的な運用につながったり,真実発見から遠ざかったりする可能性が高いことが,歴史的・社会科学的に実証されたからです。

当事者主義は,対等な両当事者(刑事裁判では検察官と被告人・弁護人、民事裁判では原告と被告)にできるだけの主張・立証活動をさせることにより,複数の観点から主張がされ,より多くの証拠が提出されるため,真実発見に近づくという考え方に基づいたものです。
当事者が対立する構造であれば,裁判の場でそれぞれの視点から事実を見直すことができます。
捜査の段階で検察や警察が見落としたり,誘導したり,あるいは虚偽の自白をさせたりしていた場合に,弁護人が被告人の立場・視点からこれらを指摘させることができます。逆に被告人・弁護人の主張に無理があるときには,それを検察官が指摘させることができます。
こうして,当事者主義の刑事裁判では,当事者が相互にチェックする機能が期待でき,真実の発見に近づくのです。

この当事者主義は,いわば,人類の歴史による学習の成果です。
大岡越前や遠山の金さんのように「良いお奉行様」ばかりならば,職権主義でもよいかもしれませんが,遠山の金さんですら,時々,犯人を決めつけて捜査を始めたり,情実に流されて不平等な裁判をしたりしているような場面がありますよね。

刑事裁判というものを本質的にみると,検察官が裁判所に対して「国が被告人に刑罰を加える権利を認めてほしい」と求める訴訟です。
そう考えると,「原告が被告に対して○○○○(たとえばお金の支払い)を請求する権利を認めてほしい」と求める典型的な民事裁判と同じ構造であることが自然に理解できるでしょう。
そうすると,国に刑罰権が認められてしまうと不利益を蒙る被告人に,自由な反論や弁解の機会があって当然なのは,もうおわかりでしょう。

当事者主義の刑事裁判で,一方の当事者にだけ自由な反論や弁解が許されずに,公平な裁判ができるでしょうか。
自由な反論や弁解の機会が与えられないままに出された判決を,被告人が納得して,反省することができるでしょうか。



2007年10月08日(月) 23:03:57 Modified by keiben




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