今枝弁護士の投稿(まとめ)その2

 原告の1人である今枝弁護士が,「超初級革命講座」にコメントし,そのコメントを「弁護士のため息」管理者の寺本弁護士がまとめられた内容を,転載します。
 なお,表題は当弁護団が便宜上付けたものです。
 記事については,順次追加していきます。


◆今枝弁護士に対して最高裁の弁論に欠席した責任を追及することについて


 ○○○さんのように、最高裁段階の弁護団と、現在の弁護団を混合して批判されることには戸惑いを禁じ得ません。

 橋下弁護士が懲戒請求を扇動し、懲戒請求を受けている1人である私は、最高裁段階で弁護人ではなく、よって欠席などもしておりません。
 
 それなのに、なぜ、その後弁護団に入ったということで、最高裁で欠席したことの批判を受けなければならないのでしょうか。

 批判されている弁護団に後から入ったら、自分が参加する前に自分が関与していない行為についても懲戒請求できる、という論拠はどこにあるのでしょうか。


◆弁護団は被害者・遺族の気持ちを考えていないのではないかという批判に対して


 被害者・遺族の気持ちを考えていない、という批判に対し、誤解され得ることを承知で、正直に気持ちを述べます。

 私は、前述のように自分自身事務所を拳銃で銃撃するという被害に遭いましたし、裁判所刑事部事務官、検察官、刑事弁護人の職務を通じ、何十・何百という被害者の方と話をし、その法廷供述を目の当たりにし、何百・何千という供述調書を読んできました。

 不謹慎に思われるかもしれませんが、仕事がら死体の発見状況、解剖状況を見ることも多く、ご遺族のやるせない気持ちに触れることもたくさんありました。

 その課程で、図らずも不覚ながら涙を流したことは数えきれません。 

 本件も特にそうですが、それ以外にも、松本サリン事件の現場記録には胸がつぶれる思いをしました。
 普通の生活の課程で、突如サリンによる攻撃を受けた人は、何が起こっているか分からない状況で苦しまれ死に至っており、その状況からそれがはっきりと分かりました。

 通常の事件では、被害に遭った方が亡くなっている状況だけですが、その現場付近は、ありとあらゆるすべての生き物が、死んでいました。池の魚は浮き、鳥は地に落ち、アリは隊列のまま死に、まさに地獄絵図とはこういうものか、と感じました。 

 そして、亡くなった方々の生前の写真、友人らの追悼の寄せ書き、それらの資料からは、突如として亡くなった方々の無念や、ご遺族・知人らの残念な思い、怒りは、想像を絶するものと思われました。

 私は、日常の生活とは無関係なところで起きている事件の、マスコミ報道を見て怒っている方々の多くよりはきっと、職務経験的に、被害者やご遺族らのお気持ちを、もちろん十分理解したとまでは言えないかもしれないものの、少なくとも触れて目の当たりにし体験しています。その壮絶さは、ときには肌を突き刺す感覚で身を震わせます。

 職務の過程で、もし自分や家族がこういう被害に遭ったらどう思うだろうか、同じような被害に遭って果たして加害者の死刑を求めないだろうか、という自問自答は、それこそ毎日のように私の心を襲います。そしてときには苦しみ、ときには悩み、日々の職務を遂行してきました。正直に言いますが、自責の念にとらわれて煩悶することも、ありました。

 しかし、対立当事者間の主張・立証を戦わせて裁判官が判断する当事者主義訴訟構造の中での刑事弁護人の役割は、被告人の利益を擁護することが絶対の最優先です。

 むやみやたらに被害者・遺族を傷つけるような行為は自粛すべきものの、被告人の権利を擁護する結果、被害者・ご遺族に申し訳ない訴訟活動となることは、ときには避けられません。
 そういう衝突状況で、被害者・ご遺族を傷つけることを回避しようとするばかりに、もしも被告人に不利益が生じた場合は、刑事弁護人の職責は果たしていないことになってしまいます。

 被害者・ご遺族の立場を代弁し、擁護するのは検察官の役割とされています。それが当事者主義の枠組みです。

 典型的な例は、被害者が死亡しているのが明らかな場合に、被告人が「自分は犯人でない」と主張し、それに従って弁護するときです。
 ご遺族からすると、検察官が起訴した以上その被告人が犯人であり、犯人が言い逃れをするのは許し難く、被害感情を傷つけることになります。
 しかし弁護人は、被告人が「自分が犯人でない」と主張する以上は、その言い分に従い(証拠構造上その言い分が通るのが困難であればそれを説明し議論した上で最終的には従い)、被告人が犯人ではないという主張・立証を尽くさなければなりません。
 その場合、職務に誠実であればあるほどご遺族を傷つける可能性もありますが、それをおそれて被告人の利益を擁護することに手をゆるめてはならない立場にあります。 

 そして、被告人の弁護をなす課程で、「被害者・遺族の気持ちをまったく理解しようとしない。」という批判を受けます。
 人間ですから被害者・ご遺族の立場に最大限配慮しているかのような態度をとって、批判をかわしたい気持ちもありますが、そのような自分の都合で被告人の権利擁護の手をゆるめることはできません。

 このような刑事弁護人の苦悩は、経験のない一般の方に理解していただくのは困難かもしれません。なにも見下しているわけではなく、実際に体験してみないと分からないことはほかにもたくさんあります。

 私も体験したわけではないので適切な例でないかもしれませんが、会社で例えると、従業員をリストラせざるを得ない上司の立場に似ているでしょうか。
 リストラされる従業員の苦悩を、その上司は経験上痛いほど自分なりに感じて苦悩していることも多いでしょう。
 そして第三者は、「リストラされる者や家族らの気持ちを考えているのか。」「考えていないから平気でリストラができるんだろう。」と批判するかもしれません。

 おそらく、「そのような一般論はいいけれど、光市事件差し戻し審の主張内容からすると、被害者の尊厳やご遺族の気持ちを考えていないのではないかと批判されても仕方ないだろう。それに被告人の利益にもなっていないではないか。」とのご指摘があろうかとは思います。
 しかし、これだけの凄惨な事件の弁護活動を職務とし、毎日のように記録(もちろん本村さんの「天国からのラブレター」も)に触れ、世間から激しいバッシングを受けている過程で、被害者・ご遺族の気持ちにおよそ思いを馳せないというような人間が存在し得るでしょうか。

 自分の家族が同じような被害に遭ったら、という自問自答は、数え切れないほど繰り返し、何度夢に見たことでしょう。
 こういうバッシングを受けたり脅迫行為も受けている状況ですから、他の大勢の方々とは異なり、私たちには現実に起こりうる危惧です。

 「主張内容からみる限り、被害者・ご遺族の気持ちをまったく理解しようともしていない」「被告人の利益にもなっていない」とのご批判についても、マスコミ報道から受けた印象だけではなく、私のつたない文章(すべての思いがとうてい筆舌に尽くせぬことにもどかしさを感じます)や、もうすぐ広まりわたるだろう弁護団の主張全部やその根拠となった鑑定書等を検討した上で、ご再考いただきたいと思います。

 すべてを書き尽くすことは到底できませんが、家裁記録に「孤立感と時間つぶしのため、会社のPRと称して個別訪問した」「部屋の中に招き入れられて、不安が高まっている」という記載は「個別訪問は強姦相手の物色行為ではなかった」との主張に結びつき、「被害者に実母を投影している」「非常に退行した精神状態で進展している」という記載は「甘えようとする気持ちで弥生さんに抱きついた」という主張に結びつくなど、従前の記録中の証拠にも、現在の主張の根拠は多数あったことを紹介しておきます。

 私たちは専門家としての刑事弁護人ですから、なんら証拠に基づかない主張の組み立ては行っていません。
 あの「ドラえもん」ですら、捜査段階の供述調書に出てきます。


◆刑事弁護の「理」と「情」,情報発信,迅速審理のための努力について


 超初級革命講座で、多方面にご迷惑をかけてはいけないので一応説明を終了する旨書きましたが、やはりどうしても説明し誤解を解いたり、さらに議論の前提となる情報を提示したいとの思いがあり、今日コメントすることにしました。

 私の予想以上に、ご理解やご支援をいただき、恐縮、感謝、なにより安堵致しました。
 なおも反対意見も根強いですが、私は、意見には反対意見があるからこそ意味があるのであり、全ての反対意見をねじ伏せようとするものは意見ではなくプロパガンダに過ぎないと思っていますので、批判も大歓迎です。批判されることによって、意見は洗練されていくことが可能になります。そしてプロパガンダをするつもりは一切ありません。

 また、私は形式的には「理を述べた」つもりでしたが、自覚していなかった者の、実質的には「情を述べた」面も多々あり、しかもその「情」の部分が意外に支持を受けたようで、情を欠いた論理が、これまで法曹関係者に軽視され国民から不満が募る要因となっていたのではないかという問題意識が生まれました。
 丸山弁護士は、「裁判は情に流されてはならない」と述べましたが、情に流され過ぎて理を失ってはならないものの、あまりにも情を軽視した裁判は国民から信頼され期待される司法とは言えなくなりつつある、という社会情勢を感じました。

 そういう意味では、懲戒請求という制度を誤解させ扇動(本人は乗らなかったので先導や船頭ではない。)するような発言をした橋下弁護士の行為は違法だとは思うものの、示された問題意識に一部真摯に理解すべき部分があったことは否定しません。

 このコメントは、弁護団の公式見解ではなく私個人の考えであり私個人のみが全責任を負うべきものですが、上記した観点から鑑みると、これまでの光市事件の説明方法について、弁護士の身に付いた「論理」「強調」「アピール」という技法の用い方が下手で、強調すべきところがうまく強調できず、下手に強調すべきでないところの表現が下手(雑)で、受け手にとっては変に強調されて過印象を与えてしまった面は、不用意、未熟と思われても仕方がないかもしれないな、と思うようになりました。
 単に法廷で述べるだけの意見ではなく、記者会見しマスコミに交付する前提もあり作成された意見ですから、誤解や偏見が生じやすいマスコミの報道情勢に鑑み、誤解され偏見を持たれないような配慮はもっとすべきだったと反省しています。
 いくら理論的に説得を試みても、相手の情に響かない論理は、詭弁と言われても仕方がない場面もあるということを勉強しました。

 もちろん、報道の側の方では、より誤解と偏見がない報道姿勢を模索していただきたいとの思いと現状への不満は変わりません。

 その後いくら説明を尽くしてもいまだ誤解が解けない点も多々あります。

 例えば、アエラに、「赤ん坊を床に叩きつけたのは『ままごと遊びの感覚だった』」と引用されていますが、弁護人の更新意見で「ママゴト」と表現しているのは、水道工を装っての戸別訪問行為のことのみです。
 これまでの記録にも「暇つぶしと称して寂しさを紛らわすために」「会社の制服である作業着を着て会社名を名乗り会社のPRのつもりで」などとあること等から、強姦相手を物色するための行為ではなく、時間つぶしで仕事を演じて「仕事していない」罪悪感の代償行為であったことを評して「ママゴト」という言葉を使ったのですが、「ママゴト=幼い子供」というイメージが介在してか、夕夏ちゃんを叩きつけた行為がママゴトであったと主張したかのように誤解されいます。
 しかしそもそも弁護人らは「夕夏ちゃんを頭の上から叩きつけたというような行為は、夕夏ちゃんの遺体に頭蓋骨骨折や内出血が無いような状況から不自然で、被告人の捜査段階の自白にしかなく、公判でも述べられていないから、捜査官の創作である」旨主張しているのです。

 このような明らかな間違いが報道され続けることには閉口しますが、文字通り「口を閉ざし」ていても問題は解決しないことに早く気付けばよかったのかもしれません。

 それから、特に理解して頂きたいことがあります。
 橋下弁護士は、「供述の変遷理由を国民や被害者に説明しない説明義務違反が懲戒理由」と主張していますが、供述の変遷理由は次の被告人質問で被告人から聴くことになっています。
 その内容を、事前に説明しろと言われたら、それを不用意にすることによって被告人の利益を害する結果となることは目に見えています。検察官に反対尋問の材料を与えてしまいます。裁判所に予断を与えるおそれもあります。

 また、弁護団が審理を遅延させているのではないかという批判について、今現在「月に3日」の集中審理を行っているのは、弁護団からの提案です。
 遠隔地から来る弁護人の都合という実際的な面もありますが、この差し戻し審を、迅速に進めたいという訴訟戦略でもあります。
 その結果、年内結審も不可能でないペースで訴訟が進んでいます。
 繰り返しますが、集中審理は「弁護側からの提案」なのです。
もしも通常のペースで審理していたら、もっと時間がかかっていただろうし、仮に「死刑廃止のプロパガンダ」や「どんな手を使ってでも死刑を阻止」しようとしているのだったら、牛歩戦術のような方法をとっていたりするのではないでしょうか。
 そしてこの重大事案をこの迅速ペースで審理可能となったのは、約20人もの弁護士が集まっているからできたことなのです。

 もちろん、繰り返しになりますが、反対意見や批判をねじ伏せようとは思いません。
 しかし、状況認識を正しくされた上で、反対や批判の評価をなして頂きたいと願います。
 そのような反対意見のみが、相手の心に響き良い影響を与えることがあると思います。

 また、批判されることは、今後私たちがどうすべきかという点で参考になることもあります。
 「人間の心に響かない論理はいくら筋が通っていても詭弁だ」というご批判は、とても(表現できないくらい)有益でした。
 最も説得すべき裁判官も、人間ですから。

 長文におつきあい頂きありがとうございました。
 橋下弁護士のように簡潔に説明できないのが私の弱点です。


◆その他の疑問に対する回答


 誤解が生じてはいけないので取り急ぎ説明します。

  <被告人の手紙について>

 被告人は、「少年は7年で仮釈放される」という知識は、A君が差し入れてくれた本村さんの「天国からのラブレター」の末尾にそう記載されていることで知った、と言います。しかし、現在出版されている「天国からのラブレター」で、そこは削除されています。なぜ削除されたのか、理由は分かりません。

 被告人が持っていた「天国からのラブレター」を見ると、平成12年3月発行で問題の手紙より前であり、末尾に、少年は無期懲役になっても7年で仮出獄する、と記載がありました。

 もちろん、本村さんが悪いわけではありません。ただ、こういう経緯を前提にすると、被告人がそういう知識をもっていたからと言って、「法制度まで詳しく知っていたのだから、悪質」と言うのはいかがでしょうか。

 もっとも、被告人は、本村さんの書籍で知ったとしても、それをああいうかたちで手紙に書いた不謹慎さは、今反省しています。

 「犬がある日かわいい犬と出会ってやっちゃった。これは罪でしょうか?」についてこれは、弥生さんに対する本件犯行についてふざけて書いたものかのように言われています。しかし、被告人によれば、そういう意図ではなく、この手紙を書いた経緯や動機からは「犬」というところに意味があり、自分が当時、人間としてではなく犬畜生として扱われていた不満を表したものでありそれに尽きると述べます。

 捜査段階で、検察官は、被告人に、「罪を受け入れ、生きて償いなさい。」と諭しました。そのことは検察官調書に記載があります。しかし、「生きて償おう」と考えた被告人が検察官の言うとおりのストーリーの調書作成に応じた(「罪を受け入れ生きて償え」という言葉とともに、「罪を受け入れなければ死刑を求刑する」という威圧を感じていた)被告人に対し、死刑を求刑するという矛盾、被告人の認識と異なる事実関係を前提にすすむ裁判、こういう状況で孤立した被告人が、「僕は人間ではなく犬畜生として裁かれている。」と卑屈に考えたとしても、不自然ではありません。

 たしかに、読み手にとってはいろいろと邪推の余地がある不謹慎な手紙かもしれませんが、この手紙は特定の友人に送られ公表を予定していなかったものですし、読み手がどう受け取るかというよりは被告人がどういう認識や動機で書いたかどうかで不謹慎さは評価されるべきではないでしょうか。被告人が述べる理由でも不謹慎には違いありません。しかし、一般に理解されているような動機ではない可能性も吟味された上で評価すべきと思います。 これらの指摘を前提にしても、評価はいろいろ分かれるでしょう。しかし、評価の前提としての事実関係が、誤解されている状況は改善しなければなりません。

  A君は検察庁に手紙を提出するのと並行して、被告人にふざけた手紙を書いたり面会してことさらに被告人を煽り、またその手紙を検察庁に提出することを繰り返していた、この経緯だけでも、被告人の不謹慎さへの認識がある程度改められるべきではないでしょうか。

 さらに、手紙は伝聞証拠ですから、簡単に証拠として裁判所に採用されることはありません。当然、2審の弁護人は、これらの手紙の証拠採用に抵抗しています。しかし、最終的には、被告人が裁判所からの質問に答え、「手紙を提出してもらっていいです。」と述べたことで、証拠採用されています。

 被告人は、友達の気を引くために非公開を前提に書いた手紙ながら、そういう手紙を書いたのは事実であり、正々堂々いさぎよく裁判所に提出されることを受け入れようとし、受け入れました。手紙の提出を阻止しようとしていたら、手紙の内容でここまで責められることもなかったでしょう。死刑の求刑で命を危険にさらされている中、このような手紙の提出を甘んじて受容した行為、そこに一定の誠実さを看取るのはあまりに甘すぎるでしょうか。

 <最高裁の弁論欠席について>

  最高裁の弁論欠席について私の見識を示せとの要望についてこれを述べることは、私にとってリスクが大きいだけですが、疑問を示されるのももっともですから、誤解され得ることを承知で述べておきます。

 これはよく知られているように、決してドタキャンではありません。期日変更の要請が却下され、それでは出席できない旨の事前連絡がなされていたようです。それでも弁論期日開催を強行した裁判所にも、疑問を感じます。「その日は都合が悪い」という理由で欠席の連絡を受けたのであれば、「じゃあこの日はどうですか。この日は。」と、できるだけ審理の遅延がない間近の期日を指定するという対応で問題を回避することもできたはずです。

 私自身は、他の事件で、最高裁から期日指定の連絡を受け、「準備に時間がかかるから」と言って9ヶ月後に延期してもらったことがあります。しかもその間準備し主張したことが影響し、重要判例集に載るような新判例になりました。ほかの弁護士にも同様の体験があります。

 この事件に限り、裁判所はこういう慣例に反した強硬な対応をしており、その理由も示されていません。ただ、私は当時の状況を直接体験したのではないので知る限りの情報や結果から見た独断的な評価にすぎませんが、私自身であれば、裁判所がこのような強硬な姿勢を示しているのに対し、それは不当と思うものの、他方でもっと早くから被告人と接見を開始するなどして、最終的には弁論期日を欠席しなかったであろうし、最終的に欠席という方法を選択したことは過ちであったと言えるだろうと思っています。

 裁判所の姿勢から、確実と断定できないものの、破棄差し戻しが予想されます。なにより欠席する度胸がありません。前述したような裁判所の通常の対応は法曹界のみの常識ですし、弁護人の欠席連絡を遺族に連絡しなかった裁判所の態度に不満を持つとしても、遺族として弁護人の行動に疑問と不満を感じるのはやむを得ないことですから、遺族に経緯を説明し過ちを謝罪する努力をするでしょう。しかし、実際には、言うは易く行うは難し、ですし、当時の状況から遺族が会ってくれない状況であったのかもしれません。

 もっとも、当時の弁護人としては、漫然と弁論に出席したことにより万が一にも最高裁が弁論を終結して自判し、すぐに被告人に死刑判決が下されることを容認することができずその損失を、自分らの信用失墜等の損失よりも回避したかったのでしょうから、価値観のウエィトの置き方が私などのレベルよりはるかに卓越しており、私の意見はたぶんに当事者でない者による結果論の性質もなくはありません。




2007年09月20日(木) 08:54:25 Modified by keiben




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