丘処機



本名:丘処機(きゅうしょき)
別名:長春子(ちょうしゅんし)
身分:全真教全真七子
武功:全真剣法、天罡北斗陣 等
特技:鼎投擲、青少年生活指導、平和活動、説得 等
師匠:王重陽
弟子:尹志平、楊康
登場作品:『射雕英雄傅』『神雕侠侶』(邦題:『神雕剣侠』)

 売国奴ども、おのれらに告ぐ!
 悪党どもに祈る言葉はない、死でもって我が言葉を聞くがよい! 刃でもって愛国を語る悲憤慷慨の道士・丘処機は奸臣・王道乾の素っ首を叩き斬り牛家村の道を歩いていた。そこで彼は郭・楊二組の農夫夫妻と出会うことになった。丘処機の英雄ぶりにすっかり感嘆した二人は、妻がともに身重であると告げ生まれてくる子に名を与えて欲しいと頼み込んだ。
「靖康の屈辱を忘れぬよう、郭家の子には靖、楊家の子には康というのはいかがかな?」
 この提案に二組の夫婦は大きくうなずいた。揃いの短剣に名を刻んで子のお守りとすると、丁寧な歓待を謝し、彼は村をあとにした。

 数ヵ月後、彼は村が金兵の襲撃を受け夫妻の夫は殺され、妻は掠われたと知る。
 おのれ、許すものか! 怒りに鬢の毛をそそけ立たせ、彼は妻を掠った段天徳を追った。そして彼奴を不埒にも匿った法華寺の焦木大師に、妻たちをおとなしく差し出すよう厳しく迫った。しかし段天徳に騙された大師は戸惑うのみだった。
 そしてこの強引な彼の態度をみて大師を救うべく立ち上がった者たちがいた。江南七怪である。
 決して悪人ではないが人の話を聞かぬ両者が穏やかな話し合いなどできるわけもない。彼らは鼎で酔仙楼をを破壊し、法華寺を焦木大師の血で染めることで分かり合うという狂い咲きジャスティスロードを突っ走った。やっと法華寺に妻が匿われていたと証明できた丘処機だったが、焦木大師が犠牲となった。
 寺僧は大師の死骸に取りすがって慟哭するが、七怪の首魁・柯鎮悪は涙も見せずに見えぬ目でひたと丘処機を睨み付けて曰く、
「しかし我らの勝負はいまだついておらん!」
 丘処機は猛り狂っていた血がようやくおさまりこの闘いにたいして意味がないと悟っていた。しかし柯鎮悪が引き下がらぬをみてこう提案した。
「ならば、段天徳が連れ去った両氏の妻を探し出し、十八年後にその子供たちを戦わせる。その勝敗でこの勝負の決着をつけてはいかがかな?」
 彼の提案に七怪も手を打った。人様の子供で自分たちの勝負を決めるというのもとんでもない話だが、よいではないか。だって、それでこそ武侠小説なのだから。

 包惜弱とその子・楊康を探し出した彼だったが、甘やかされた彼は厳しい修行にすっかりぐれてしまった。かたや郭靖は愚鈍だが誠実な少年に成長していた。己の弟子の素行の悪さを恥じた丘処機はあっさり負けを認めた。その後、生存していた楊鉄心の遺志を受けて、彼の養女・穆念慈と郭靖を娶せようとするが、郭靖は不良少女・黄蓉の誘惑に負けて丘処機のもとから逃げていった。最近の若者はまったくけしからん!
 その後も、梅超風と戦ったり、悪人の計略にひっかかって黄薬師を襲ったりして登場する。そして物語の最後に彼は蒙古の英雄・チンギスハーンより招聘を受け、平和を説くべく草原へと旅立つのであった。彼が平和の使者というのも珍妙だが、史実なのだから仕方ない。

 続編では楊過の全真教入門に立ち会うが、ろくでもない弟子にその養育を依頼したため彼は脱走してしまう。楊親子二代にわたって更正に失敗していることや、弟子の悪行の数々を考えてみると、どうやら彼および全真七子は後進の育成には向いていなかったようである。史実でも彼の後輩世代は仏僧に論破され、ハーンの寵愛を失っている。

 射雕三部作はこの男の怒りから始まっている。そのエキセントリックな行動ゆえに、どうにも史実の平和を説く道士とは平仄があわぬが、おもしろいからいいだろう。鼎を投げる酔仙楼のシーンは、狂気の酒飲みとして読者に強い印象を与えた。
2006年01月07日(土) 16:00:48 Modified by kizurizm




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