南京大虐殺に関する論争の解説と検証

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第66連隊捕虜殺害命令 東中野説批判

1.捕虜殺害命令は「旅団命令としては出ていなかった」か?

東中野の主張と根拠

東中野は、まず「第一二八旅命第六十六号」と「一一四師命甲第六十二号」とを比較し、 「両者を比較すると、師団命令が忠実に旅団命令となっている。紛れもなく上意下達となっている」 と言う。つまり、旅団は、「一一四師命甲第六十二号」を受けて、「第一二八旅命第六十六号」が発令したと言うことである。

その上で東中野は次のように述べる。
東中野修道『「南京虐殺」の徹底検証』p103
 さて、第百二十七旅団(左翼隊)命令も、第百二十八旅団(右翼隊)命令と同じく、正午頃に発令されたと推定される。
 それから二時間後、十三日午後二時に、歩兵第百二十七旅団(左翼隊)歩兵第六十六連隊長が、「旅団命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スベシ」という命令を、傘下の第一大隊ほかに下したというのである。
 しかし、その「全部殺スベシ」という連隊長命令が、先の第百二十八旅団(右翼隊)命令「歩一二八旅命第六十六号」のどこにも見当たらないのである。
 つまり、歩兵第六十六連隊長の下達した処刑命令は、旅団命令としては出ていなかったことになる。

少々明確性の欠く記述であるので、この記述を補足しながら説明する。
さて、第百二十七旅団(左翼隊)命令も、第百二十八旅団(右翼隊)命令と同じく、正午頃に発令されたと推定される。
ここで、なぜ東中野はこのように推定したのかというと、
(1)第127旅団と第128旅団は、ともに第114師団隷下の部隊であること
(2)第114師団「一一四師命甲第六十二号」( 12月13日午前9時30分)という命令が発令さた後、第128旅団は、同日正午に命令(第一二八旅命第六十六号)を発令していること
以上のことから、第128旅団は、同じ第114師団隷下の部隊として、同様の命令を似たような時期に発令していると推定しているのである。
それから二時間後、十三日午後二時に、歩兵第百二十七旅団(左翼隊)歩兵第六十六連隊長が、「旅団命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スベシ」という命令を、傘下の第一大隊ほかに下したというのである。
「それから二時間後」とは、第114師団9:30発令「一一四師命甲第六十二号」の後、第128旅団は12:00に「第一二八旅命第六十六号」を発令していることから、第127旅団も同時期頃に命令を発したと推定でき、その時間から「2時間」という意味である。
つまり、12:00に発令された第127旅団命令を受けて、第66連隊長は午後2時に「旅団命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スベシ」という命令を、連隊指揮下の部隊に出したいうのである。
したがって、東中野の理解によれば、歩兵第66連隊第1大隊が捕虜殺害命令を受けたということは、
(1)師団、旅団、連隊といった命令系統すべてに捕虜殺害命令が出ていたこと意味する
(2)師団から捕虜殺害命令が出ていたということは、師団の指揮下にある全ての部隊に捕虜殺害命令が出ていたことを意味する
という2点を前提としていることになる。
しかし、その「全部殺スベシ」という連隊長命令が、先の第百二十八旅団(右翼隊)命令「歩一二八旅命第六十六号」のどこにも見当たらないのである。
歩兵第66連隊第1大隊に捕虜殺害命令が出ていたことから、第114師団指揮下の全ての部隊に捕虜殺害命令が出ていたはずであるにも関わらず、現存する第128旅団命令「歩一二八旅命第六十六号」には、捕虜殺害命令など書かれていない。
つまり、歩兵第六十六連隊長の下達した処刑命令は、旅団命令としては出ていなかったことになる。
第128旅団命令「歩一二八旅命第六十六号」に捕虜殺害命令が書かれていないということは、同じく正午頃発令されたであろう第127旅団命令にも捕虜殺害命令が書かれていなかったと推定でき、「旅団命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スベシ」という第1大隊戦闘詳報に書かれている旅団命令は、実際に出されていなかったことになる。

以上が東中野の主張である。


東中野説の前提にあるもの

東中野の主張の前提には、「第66連隊第1大隊に捕虜殺害命令が届いているということは、この大隊が所属する師団(第114師団)の指揮下にあるすべての部隊に捕虜殺害命令が届いていなければならない」という考えがあるようだ。
つまり、第66連隊第1大隊に届いている捕虜殺害命令は、第114師団から発せられ、旅団、連隊と経て届いたものであり、第114師団指揮下の全ての部隊に、この捕虜殺害命令が届いているというわけである。
この前提があるからこそ、第128旅団の命令に「捕虜殺害命令」が存在しないことをもって、「歩兵第六十六連隊長の下達した処刑命令は、旅団命令としては出ていなかったことになる」と断定できるのである。

この前提は、日本軍の命令システム上、ある部分では正しい見解だと言えるだろう。それは、正式な作戦命令である場合、必ず指揮下の全ての部隊に下達されるからである。

ただし、ここで重要なポイントは、それが正式な作戦命令であった場合に限る点である。つまり、正式な作戦命令ではない命令や指示の場合には、必ずしもこのような命令形態をとるわけではない。指揮下の特定の部隊にのみだけ、指示や命令を出すことも十分あり得るのである。


捕虜殺害命令の検証

具体的に、問題となる捕虜殺害命令を検証してみよう。
12/13 14:00 歩兵第66連隊
連隊命令
イ、旅団命令により捕虜は全部殺すへし
  其の方法は十数名を捕縛し逐次銃殺しては如何
ロ、兵器は集積の上別に指示する迄監視を附し置くへし
ハ、連隊は旅団命令に依り主力を以て城内を掃蕩中なり
  貴大隊の任務は前の通り
(歩兵第六十六聯隊第一大隊『戦闘詳報』より)
『南京戦史資料集1』P567

この命令文で注目すべきなのは、「ハ」項の2行目である。「貴大隊の任務は前の通り」と書かれているが、この「貴大隊」とは、命令を受け取った第66連隊第1大隊を意味する。したがって、この命令は、第1大隊に対してのみ発せられた命令であることが判断できる。

東中野はこの命令を、師団を頂点として発せられる正式な作戦命令だと理解していたわけだが、この「ハ」項2行目の記述からすれば、実際には、第66連隊長が、その指揮下にある部隊のうち第1大隊に対してのみ、この命令を発していることが判る。

一方、「旅団命令により捕虜は全部殺すへし」という部分に関して、第66連隊と第127旅団との間でどのようなやり取りがなされたのか判断できないので、捕虜殺害命令が、第127旅団が発令した正式な作戦命令であったのか(この場合、直隷下の部隊は全て命令を受け取ったことになる)、第127旅団から第66連隊に対してのみ出された命令だったのかを判断する史料はない。


結論

この捕虜殺害命令に関して、旅団と連隊との間での命令の形態は判断できないが、連隊と第1大隊との間で直接やり取りされた命令であったことがわかり、東中野が前提としていた正式な作戦命令ではなかったことが明確となった。

東中野は、この捕虜殺害命令を、「旅団命令により」と明記されているにも関わらず、「旅団命令としては出ていなかった」と主張した。しかし、東中野の主張の前提が否定されてしまったことにより、この主張の妥当性は消失したといえるだろう。


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