在日のほんとうの姿を知りたいあなたへ。

Q 在日韓国・朝鮮人(在日コリアン)はどうして日本にいるのですか?


日本が朝鮮を植民地支配したことはご存知と思います。
その時代に日本の労働力を補うための募集に応じて、多くの朝鮮人(当時は韓国人という表現がありませんでした)が、日本国民として、日本の内地(日本列島のこと)に移住してきました。留学したものも多くいました。
また、日本の植民地支配の結果として土地を失った農民たちが、朝鮮でのほかの職業では暮らしていくだけの賃金を得ることができず、生活の糧を求めて日本に移住し、家族を呼び寄せました。
戦争が激化する中で、国家総動員法や徴用令によって、労働者として強制連行されたり、日本軍の兵士や軍属にかりだされました。そして、日本人と同じく、多くの朝鮮人が命を失いました。

日本が敗戦して、朝鮮や中国をはじめとしたアジア太平洋地域全域に移住していた日本人が日本に帰還するのと反対に、日本にいた朝鮮人や台湾人の多くも自分の故郷に帰りましたが、戦後の混乱と貧困、さらには祖国の地の政情不安が重なり、祖国の地に帰るに帰れない状況にあった朝鮮人が数多く残されました。この人々が今日でいう在日韓国・朝鮮人として日本に在留することになりました。

なお、この人々は、国際法的にも国内法的にも、1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効の日まで、日本国籍を有していたということができます。



在日の声

渡日の経緯(1)

祖母から聞いた、わたしの家族の日本に来た経緯と、解放後帰国しなかった理由です。

祖父は1930年代初頭、10代で日本に来たのですが、当時両親、妹たちはすでに日本にいて、呼び寄せられる形で来たそうです。曾祖父母は、故郷にいる頃は、人をひとりふたり雇って耕す規模の自作農だったそうで、食うや食わずではなかったようです。そのころ日本でなんの仕事をしていたのかなど、くわしいことは聞いていませんが、農業以外の仕事をしたければ、日本に行く以外なかったということです。

祖母も10歳にならないうちに、叔父夫婦といっしょに渡日してきました。時期的には、祖父と同じ頃のようです。すでに日本には、成人していた祖母の長兄がいました。叔父と年長のいとこは、広島にある薬品工場で働いていたそうです。危険な仕事だが、国にいるよりずっと賃金が高かったから、という理由でした。

そして祖父母は、日本で結婚するわけですが、解放当時、小学1年を頭に4人の子供がいました。末っ子は、まだ1歳でした。国に帰るつもりで、荷物をまとめて全部送ってしまい、布団もろくにないような状況だったのに、祖母が病気になり、まわりの人たちに「今帰ったら、死んでしまうから帰ってはいけない」と説得されて、帰国を断念したそうです。

母方の祖父母は、すでに両方ともなくなってしまい、詳しい話は聞いていません。母によると、祖父は長男だったため、兄弟をまず帰国させ、最後に後片付けをして帰るつもりが帰りそびれてしまった、ということです。住んでいたのは岐阜の高山だったので、帰国船の出る港は遠く、交通費がなかった、という理由かもしれません。
yhlee

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