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Q 現在の在日韓国・朝鮮人(在日コリアン)の内、強制連行の結果だといえる人はどれぐらいいるのですか?


文字通りの強制連行が行われたのは終戦までの約7年間です。この人々の大半は、軍や企業などの統制下にあり、戦後の日本人帰還船の復路を利用して優先的に祖国の地に帰還しました。しかし、敗戦後の混乱期にその統制が崩れ、日本に残らざるをえなかった方も少なくなかったようです。
 たとえば在日韓国青年会が1982〜83年に実施した調査では、在日韓国・朝鮮人(在日コリアン)一世のうち、少なくとも13.3%が「強制連行」で来日していることが分かっています。

在日コリアン著名人から一例を挙げますと、孫正義は強制連行により来日した在日一世の子孫です。孫正義の半生が綴られた著書には、祖父が強制労働のために日本に連れて来られたということが記述されています。(注1

 一方で「強制連行」という語彙に対して異議を唱える勢力があります。サンフランシスコ講和条約までの朝鮮人の国籍は日本国籍を有していたわけであり、戦争の激化に伴い「国家総動員法」「徴用令」に準じた「徴用」の義務を負うことは当然であり、正当な法の執行として行われた。「強制連行」という語彙のチョイスは不適当であり恣意性がある。また、徴用逃れを行った者に対して強制的に身柄を拘束し収容した事実もあるがあくまでも正当性をおびた法の執行であると言う意見です。

これについては以下のような反論がなされています。
朝鮮人戦時動員FAQ:「強制連行」とは戦後に作り出された(捏造された)言葉だ?

また、ネットでは「強制連行されたのは245人だけだ」という情報が出回っています。これは1959年、日韓条約締結前に外務省が対韓国へのプロパガンダとして発表した数字ですが、根拠となる資料や調査方法が提示されていない上、徴用令以外の動員(募集や官斡旋など)が含まれていないという問題があります。

実際、強制連行によって来日した人々の多くは終戦直後に帰国したと考えられており、日本に残ったのは少数ですが、どの位の人が残留したのかは明らかにされていません。在日コリアン史研究者の外村大氏は論文で、
強制連行によって来日し、1959年の時点で日本に留まっていた朝鮮人の数を「精度の高い推計は困難」としながらも、数千人〜一万人ほどという推計値を挙げ、「ごく少数と片づけられる規模ではない」としています。

参考

覚えておきたい事件 浮島丸事件


 終戦直後の昭和20年8月24日、京都府舞鶴市佐波賀沖で海軍特設輸送艦浮島丸(4730トン)が突如爆発・沈没し、乗員乗客549人(政府発表)が死亡するという事件が起こりました。
 浮島丸には青森方面の朝鮮人労働者とその家族3,735人が帰国のために乗り込み、朝鮮・釜山への航行中に進路を変更して舞鶴へ寄港し災禍に遭い、戦後日本の海難史上「洞爺丸事件」に次ぐ多くの犠牲者を出した。


  • 注1
戦前、九州最大級の操車場を持つ鳥栖には、多くの朝鮮半島出身者が強制的に集められた。彼らが従事させられたのは主に貨物輸送の貨車を行き先別に分ける仕事だった (中略) その中には韓国・大邱市安東生まれで、強制労働のために日本に連れてこられ、九州最大の炭鉱地帯・筑豊で抗夫を強いられてた孫鐘慶一族もいた。孫の祖父である。祖父は玄界灘に面した江原道出身の李元照と日本で結婚。男四人、女三人の七人の子供をもうけた。正義の父にあたる三憲はその長男である。
児玉博『幻想曲 孫正義とソフトバンクの過去・今・未来』

関連サイト:朝鮮人戦時動員FAQ

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