在日のほんとうの姿を知りたいあなたへ。

Q 本国でも差別されるのですか?


 韓国を訪れた在日コリアンが「パンチョッパリ」と罵られたり、あるいは日本人と勘違いされて「チョッパリ」呼ばわりされたりすることは実際にある(あった)ようです。在日コリアンの映画監督、崔洋一氏は90年代に韓国を訪れた際、地元の若者に「チョッパリ!」と罵られたといいます。崔洋一氏は韓国訪問を振り返って次のように語っています。「やっぱりね、在日に関して(の韓国人の思い)は愛憎こもごもだと思うんです。あるときには、自分たちより豊かかもしれないし、あるときには言葉もロクに使えない民族心の薄くなった日本人化した奴らだ、と。で、あるときは、われわれ母国にいる者が、あいつらを何とか心の中でも守ってやらねばならない、というふうに・・・(後略)」

 もちろん全ての韓国人が在日コリアンを差別・蔑視しているということではないでしょう。韓国社会も多様です。これは、韓国人の在日コリアンに対する感情は、世代や時代、あるいは個々人でも異なりますし、複雑な面もあると思われます。かつて、大日本帝国植民地時代を過ごし、解放後の米ソ対立の舞台として動乱の朝鮮半島を経験し、そして朝鮮戦争をリアルに経験してきた世代にとって、日本の地で対岸から眺めていた「在日」という存在に対して同属扱いできないという感情的な面も否めないではないでしょう。

 反面「徴用・徴兵」と言う名の「強制連行」で日本に渡った在日1世も含め、当時の彼らにとってみれば「(やむなく)ふるさとや親族をを捨てた」と言う、一種後ろめたさがあった事も容易に想像がつきます。しかし、1世達に帰るべく祖国が(土地)が無かった事も与しなければならない。

 そして、1世達の祖国に思いをはせる後姿を見続けてきた第二の在日世代は、擬似的な祖国像・民族像を抱えつつ祖国に思いをはせた同属としての「祖国」とのギャップに、上記の、崔洋一監督の心情は理解できるのではないでしょうか。

 しかし、その背景に潜むものは、前提として「日本の植民地支配」があり、米・ソ対立の構図の中で、在日コリアンが「国家装置」の都合で翻弄され蹂躙され続けてきた産物であることには違いありません。

注・「チョッパリ」は日本人に対する蔑称。「パン」は「半」の意味で「パンチョッパリ」は在日コリアンに対する蔑称。


参考・「『月はどっちに出ている』をめぐる2、3の話」李鳳宇編、社会評論社/1994年

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