うっそうとした森が開けた。山すそに寄り添うように、小さな家々が立ち並ぶ。
温かな陽射しを浴びる小さな村では、広場の中央にいくつもの卓を整えて何かの準備をしているようだった。
「へえ、なんかの祭りかね。ちょうどいい、酒も食い物もたんまり交換できそうだ―――ほれ、とっとと行くぞ、アル」
陽射しを遮るように片手をかざして村を眺めて――肩に丸太を担いだ大柄な隻眼の男は、自分の前を歩く細身の少年を急かす。
「無茶、言うなよ、テオ…! だったらもうちょっと力入れて担げよなぁ!?」
ぜいぜいと息を荒げながら、少年は振り返って悪態をつく。テオと呼ばれた男と、少年の間――丸太には、大きな猪が括りつけられていた。
「何言ってんだ、コイツを倒したのはお前の手柄だろ? それを俺が堂々と担いでたら、弟子の手柄を掠め取ることになるじゃねーか」
ニヤリと笑む男を不満げに睨みあげながらも、アルと呼ばれた少年は嘆息して足を動かす。


これは、“剣聖”テオドール・ツァイスと、その弟子アル・イーズデイルの、旅路の中のささやかな一幕。


事の起こりは数時間前。
グラスウェルズの国境に近いとある山中にて、アルがいつものようにテオドールの出す無理難題をこなしていたところに、一頭の猪が襲ってきた。
罠にでもかかったか手負いで、酷く興奮した様子の猪を何とかかわしていると、樹上で寝転んでいたテオドールが一言声をかけた。
『ちょうどいい。お前。ソイツを倒して今日の修業にしろ。血抜きも忘れんな』
言うだけ言ってまた寝転んでしまったテオドールに散々悪態を吐きながら、ドタバタの末にアルは何とか猪にトドメを差した。
が、問題があった。仕留めたは良いものの、猪が巨大すぎたのだ。二人で食べきるには無理があるし、保存食にするにも荷物になりすぎる。
どうしたものかと途方にくれるアルに、テオドールはふもとの村へ物資交換に持っていこうと提案した。酒が切れたから、という理由であるが。

村に入っていくと、驚きと好奇の視線が二人に集中する。広場の中央で配膳などを差配していた初老の男が、感嘆の声を上げながら近づいてきた。
「そりゃあ、立派な猪だなあ。山で獲れたのかい? もしよかったら譲ってもらえるかね?」
「ああ、そのつもりで持ってきた。丸焼きにでもしてくれや」
「こりゃありがたい。――おーいみんな、こいつをさばいちまってくれ!」
初老の男の号令に、村の男たちが数人がかりでアルとテオドールの運んでいた猪を受け取り、裏へと消える。
肩の重荷を文字通りに下ろして、一息ついて見渡せば、村の広場はやけに華やかに飾られていた。
「で、こりゃあ何の祭りだ? 収穫祭の時期にゃあ、まだ早い気がするが」
アルと同じく周囲を見ていたテオドールが、男に尋ねる。どこか浮き足だった様子の男は、白髪まじりの頭を頷かせて問いに答えた。
「ああ、祭りじゃなくてこいつは宴だよ。あそこの、白い上着を着た若いの―――うちのおいっ子なんだが、アイツの結婚式なのさ」
男が指す方には、確かに白い服を着て緊張した面持ちの若者が、同年代の友人らしき若者数名に囲まれていた。
「へえ、そいつはめでたいな」
義理でもなんでもなくテオドールの口にした祝いの言葉に、初老の男は相好を崩して幾度も頷く。
「本当になあ。嫁に来るのも村の子で、たいそう気立てがいい娘なんだ。
だもんで、宴も盛大にやらにゃと思って色々買い付けてきたが、あの猪にゃあかなわんなあ」
男のおどけた言葉に、周りにいた人々も笑い声を上げる。広場の端では、大きなかまどが準備をはじめていた。
「かわりにと言うのもなんだが、今日は一緒に食べて飲んでっておくれ。買いつけた食料と、今年一番の葡萄酒をお礼に渡すよ」
「そりゃあいい。酒が切れてて困ってたところだ」
「食い物もだろ、テオはほっとくと酒ばっか飲むんだから―――」
「あー、うるせぇなお前は」
口うるさく文句をつけるアルの姿に、テオドールはうんざりした表情で眉をしかめる。その様子を見ていた男が、楽しげに声をあげて笑った。
「仲がいいねえ、あんたら。兄弟の猟師さんかい?」
その言葉に―――ほんの一瞬、テオドールは隻眼を懐かしそうに細める。
「……いや、俺は剣士で、コイツは弟子だ。あの猪も、コイツがしとめた」
「へええ。そりゃあ坊主、たいしたもんだなあ!」
年端も行かない少年の所業と知って歓声を上げる男に、アルはむっとした表情を向けた。
「………坊主じゃねえよ。俺だってもう十六――――」
不満げな声でそう言い終わる前に、少年の赤毛の上にテオドールの拳が落ちる。
「――――ってえ!! 何すんだよ、テオ!!」
「何すんだよじゃねえ。褒められて素直に礼も言えねえクソガキにゃ、坊主で充分だってんだ」
途端に始まる口喧嘩に、初老の男は慌ててとりなしの言葉を述べて割って入った。
「まあまあ、そう怒らずに――ほれ、花嫁のお出ましだよ」
広場の端から、甲高い歓声が上がる。
テオドールとアルが同時に目を向けると、慎ましやかな白い衣装に身を包んだ娘が父親らしき男の腕を取ってこちらへと歩いてくるのが見えた。
花婿を囲んでいた友人達が大声で囃し立てながら、緊張の極みにある若者を簡素な祭壇の前に引き立てる。
歓声の中、いかにもサイズのあっていない神官服に身を包んだ老人が祭壇に立ち、式の次第は整った。
誇らしげな微笑を浮かべた花嫁が、ぎこちなく差し伸べられた花婿の手をとる。
「…ええ、これより婚姻の式を執り行う。――――誓いの言葉を、これに」
幾度かの咳払いの後で司祭は厳かに式の開始を告げる。緊張のし過ぎで顔色を白く変えた花婿が、大げさな動きで唾を飲み込み――かすれた声を搾り出す。


『偉大なる神竜王と神々の名において、最愛なる君に誓う。
我、すべての天地が灰燼に帰すとも、汝と共に在り汝を護らんと。
我が魂は汝が剣、我が命は汝が盾。
愛しき君よ、汝を愛し護り尽くし、其の心の為にすべてを捧げん。
汝が共にあらば、我が胸の炎は尽きることなし。
幾百、幾千、幾万の夜が訪れようとも、汝を照らし暖めよう。
君よ、どうか我と共に永久の時を過ごしたまえ』


時に韻律を踏み、時に情熱を叩きつけたような、激しくも古めかしい言葉で語られるそれは、一遍の詩を思わせた。
アルが故郷の街で幾度か目にした結婚式で、こんな誓いの言葉が語られたことはない。せいぜいが、神に誓うかという質問くらいのものだ。
「変わった誓いだなぁ……なあテオ。――――テオ?」
聞いた事があるかと訊ねようとして、振り返った少年の目に―――不思議な表情を浮べる師の姿が映る。
それは懐旧と驚愕をない交ぜにしたような、アルも見たことのない顔。
「――――そう、だな。なあ爺さん、ずいぶんと古い誓いの言葉だな? こいつは『婚姻の誓言』だろう?」
呆然としていたテオドールの指摘に、初老の男はほうと歓声を上げた。
「よく知ってたなあ、アンタ。こいつは村に伝わる慣わしでね。アレは“帝王”ウルフリック様が聖妃フェリタニア様に贈った結婚の誓いの言葉だよ」
「ウルフリックの――?」
「ああ、何しろこの村は古いのが自慢でな。ウルフリック様がフェリタニア統一帝国を興された頃からここにあるってのが、ワシの爺さんの口癖だ」
素っ頓狂な声をあげる少年に、男は誇らしげに胸を張る。
それは、アルディオンに住まうものなら誰もが知るおとぎ話。はるかな昔、魔族に打ち勝った英雄ウルフリック。その妃フェリタニアの名は、彼の興した統一帝国の名前ともなった。
「………なるほどな。アルお前、あの誓言をまる覚えしとけ。お前みたいな気の利かねえガキには、あれっくらいがちょうどいいだろ」
「――――――別に、いらねえよ。使うことなんかないだろ」
「まあ、覚えといて損はねえってやつだ。先の事なんてそうそうわかんねえもんだしな」
ふてくされるアルに、テオドールはくつくつと笑いを返す。宴の中心では、司祭が若い二人が夫婦となったことを宣言し、村人たちが歓声をあげていた。


――――天には、昇り始めの月が淡い輝きを落としていた。

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