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第三回感想集

感想をお待ちしています。

(つっき)

美山組の第一期生、第二期生が美山に帰って来る。会わなかった2年間4年間のそれぞれの現実社会での生活や取り組みを、互いに想像し、讃え、喜び、エネルギーに変える。そして、また新しい息吹を吹き込む、第三期生との出会い。過去の自分たちを移す鏡であったり、初心に帰る原点を思い出したり。それら全ての想いをグロンドーナは次々と乱取り稽古の様に、全身全霊で全て受け止め、暖かく投げ飛ばしてくれる。そのぶつかり合う現場に発生しているのは、ただ音楽への愛情、音楽の美しさ、そして人間の最も丸裸になった真の姿のみ。

美山に持ち込まれた、それぞれが背負っている現実生活の、わだかまりや私惑は、グロンドーナの音楽へのとてつもない愛、その音楽を作り出した人間への愛情で、全て浄化されていく。

僕は美山に愛情が沸いています。今回は特に自分1人が上手くなったらいいやとは思えなくなってきている自分を強烈に感じます。危機的とも思える絶滅種を守りたい。この繊細で豊穣な音楽の美しさを、より沢山の人たちが受け継いでいって欲しい。グロンドーナは美山が終わった後が、心配なんだ…と今回も言っていた。グロンドーナ無しで、日常の生活の中で、今回のマスタークラスの様な取り組みを自分一人でやらなければならない。ブーシェさんはギタリストは一人にしてはいけない。と言っていたそうだ…。お互いに励まし合う仲間が本当に大切だ…と今回は切に感じた。

(kara)

通訳とは媒体だから、できるだけ私見を入れるべきではない、と思いながら、しかしグロンドーナは文字通り訳しても人には何も伝わらない。それはまるで音楽の演奏のようなもので、グロンドーナがいっていることを感じなければ、翻訳という演奏はできないのだ、と思う。だから、本来この通訳の場所が一番グロンドーナの音楽に深く接することができる場所なのだ、と思う。だからこそ、何者でもない私は早く去るべきであり、才能ある若いギタリストがこの場所に早く着くべきだと強く思う。

レッスン中、いちばんグロンドーナの右手と足と表情を見ることができる場所が、実は通訳のいすかもしれない。受講生は前を向いてひいていることが多いし、グロンドーナが話しかけているときも、早くギターを弾くこと、いち早く言われたことを実現することに気をとられてしまって、グロンドーナが、むしろギターよりも重要に使っているファイシャル(顔)な表現や、唸り声や、ジェスチャーに気がつかないことが多い(だからこそのDVDなのだと思う)。グロンドーナが伝えたい情報の60パーセントしか伝わっていないと思うことも多い。今回はオリエンテーションの際に、第二回に抱いた同様の反省から、「グロンドーナが話しかけているときはギターを弾かないで、彼の顔や身振り手振りに注意を向けてください、そこにたくさんの情報があります」と言ったのだけれど。(この問題の解決法が見つかったと僕は思っている。こちら)

でも、舞台上で、自分のうまく弾けない様子を見せるというのは、緊張と精神的なプレッシャーがかかるものだし、グロンドーナの使うそのような言語外情報を拾う余裕はないのかもしれない。そこで今回は、当日撮ったデジタルビデオをすぐその夜に見ることができるようにした。使ってくれていた人もいたみたいでうれしかった。僕はもうすこしその場所にいて、もうすこしきちんとした通訳とかケアをできればよかったと思う。グロンドーナがジェスチャーや演奏を通して伝えたかったことについて、伝えることができる、かもしれない。

レッスン中に拾えなかった情報を、DVDで何度も見て、彼の技術論や個々の表現ではなく、その奥にある「アイディア」をどう感じていくかについて、彼の「Now!」や、手のひら人差し指の動きや、足の動きや、右手の弾いた後の投げ出される方向や、そういった体全体から、そしてグロンドーナ言うところの「体の動きと音楽の一致」から、音楽のアイディアを探っていってほしいな、と思う。

(ごと)


音楽の素晴らしさ、美しさを伝えようとするマエストロを前に、美山でぼくはひとり自分の個人的な問題を考えていました。

ぼくは本当に音楽を好きなんだろうか。ここにどうしているのだろうか。ギターを何で弾いているんだろうか。将来何をして生きていくのだろうか。とかとか。
たぶんどれ一つとして答えの出ない疑問が、頭の中をぐるぐると巡っていて・・・
そんなことばかり考えていたせいで、ひどく精神的に不安定でした。ずいぶんと久しぶりに泣きそうになっている自分を見つけてびっくりしたり。

けどそんな僕のとりとめもない話を、なぜか聞いてくれる人たちがいました。たった数日前に会ったばかりの人と、あるいはそんな話をするとも思っていなかった人と、どうしてこんなに話せるのだろう・・
とても不思議な事ですが、たぶん美山のあの四日間だけにはそういう特別な空気があったのだと思います。そんな素敵な人たちが、そばに居てくれてことにとても感謝しています。

そして僕がなんとなく思うのは、こんな風に感じていたのはきっと僕だけじゃないんだろうな、という事です。それを誰かと話した人もいるだろうし、自分の心の中にだけに秘めている人もいると思います。それはどちらでも良いと思うのですが、こういう経験はその時はしんどいかも知れないけど、ほんとはとても良いものなんだろうな、と僕は思っています。

それぞれみんなが感じていることを、いつかまた、どこかで一緒に話せたらいいですね。

(かえでこ)


美山で過ごした5日間は、私にとってはこれまでにないってくらい猛スピードで過ぎていきました。
とても楽しくて、充実していて、それは本当に本当のことなんだけれど、少しだけ疲れを感じたのも事実かな、と思います。緊張していたのかもしれない。それは、レッスンのことももちろんあるけど、それだけじゃないような。他の受講生の皆さんは上手い人ばかりで、留学してた人とか、これからする人とか既にプロとか、そんな人達の中で私はいったい何をやっているんだろう、何でここにいるんだろう、何のために??このままギターを弾いて、上手くなったとしてそれが何になるっていうんだろう、なんて、ふとした拍子に思って、どよ〜ん(´Д`;)ってなったりしました。

それでもやっぱり、めちゃめちゃ楽しかったんです。学校の勉強とか家のこととか、なーんにも考えずにギターだけを弾いてグロンドーナさんの素晴らしいマスタークラスを受けて。今まで、あんなにギターに向き合ってたことってなかった。マスタークラスは、とにかくグロンドーナさんの言ってる意味を理解しよう、そしてそれを自分の中に吸収しよう、って私なりに精いっぱいやりました。音楽の感じ方とか、学び方、楽しさを教えてもらった気がする。グラン・ソロでも大聖堂でもいろんな発見があった。でも、私が未熟だっただけで、本当はもっといっぱい学べることがあったんだろうなぁって今さらながら思ったりします。悔しいけど、まぁ、あとはDVDしっかり見なおすしかないか。
でもとにかく、とても幸せな時間でした。なにより、多くの人との素敵な出会いがあって。きっと、10年20年たっても美山で過ごした日々のことは忘れないんだろうな。

またいつか、美山で出会った人達に会えたらいいな、と思う。
そしてその時までに、もっともっと成長しておきたいと思う。
今の自分の課題は分かった(つもり…)。あとはそれを克服しなきゃ。頑張ろうー!!!

それにしても、グロンドーナさんはかわいいおじさんだったな(*´ー`*)
あの5日間、美山にいられた私は幸せ者です。

美山ギター音楽祭に関わった全ての人、そして家族に、感謝。
2008年09月27日(土) 22:37:44 Modified by ID:eApKYncYKg




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