第二回レッスンのクライマックス1
自由に編集してください。とくに例の英単語集を活用しつつ書いてくれると楽しいです。それでグロンドーナさんの考え方の一貫性が見えてくるかもしれないし、受講生同士の内容がリンクしたりするかもしれないし、英単語集もこれによって内容が増えていくかもしれないし。そうなるとといいなと思います。
からさんここにあった文消しました。文字数がオーバーらしい。2集作る?(つっき)
からさんここにあった文消しました。文字数がオーバーらしい。2集作る?(つっき)
石橋さん
第一回 A.バリオス/ワルツOp.8-4
- 彼女は右手の薬指、親指を使う時にフォームを崩してしまい、コントロールされていない音を出してしまう癖がありその点を指摘されている。
- 改善する方法としてジュリアーニの120のアルペジオを薦めていた。このアルペジオはあらゆるパターンを含んでいて、その中から自分の苦手とするものをいくつか選んで練習することを薦めている。
- しかし、(よく陥りがちなことではあるが)ただスピードだけを追求して弾いてはいけない。右手のフォームや指に加わる力の加減、スムーズな左手の動き。その結果生まれてくる音を絶えず意識しながら聞く事を教えていた。そしてこの練習の最も大切な事は音程の確認である。
- トニックとドミナントを交互に繰り返すシンプルな練習ではあるが、その単純な音程(ド→ミ→ソなど)を楽しみながらその中に自分らしい響きを発見する。
- 音はただ鳴らしているだけでは音楽とはなり得ない、自分というフィルター(affection centerっていってた)を通してはじめて音楽となり得る訳でそのためにもこの練習はギタリスト必須の練習だと伝えていた。(by わたゆう 転載)
- 『君はこの地道な練習を、残り四日間ずっとプラクティスしなさいよ』この言葉が印象的だった。またワルツの最初の変奏部の部分、細部を感じて弾く指示の際、『練習ではこのような細かい事をずっとやっていくのです』という言葉も印象的だった。(つっき)
- 内容(by だれだれ)
第二回 A.バリオス/ワルツOp.8-4
- アフェクションセンター(曲やフレーズの中での音楽の愛情の中心・ポイント)の話になり、グロンドーナが例として、カヴァティーナ組曲を弾き始める。
- この演奏がまた、とんでもなく美しい。しかし、DVDを見れる人は確認してほしいのだが、この時の演奏の左手の動きは、もはや人間がする動きではない!指が指板に張り付いている。まったく別の生き物がそこに動いているという感じなのだ。勿論グロンドーナはまったく指板を見ていない。ひたすら、石橋さんの顔を見ているだけなのだ。
- これが我々が目指す姿なんだと思った。肘・肩・指その他の体全部の器官のfeelで音楽の高さや緊張や色彩やプロジェクションや流れ、なだれ込み、フレーバー等を感じながら弾くのだ。これは皆にこの時のDVDを渡したいぐらい説得力のある映像。またリサイタルがすぐにあると思うので、確認してほしい。(つっき)
小澤さん
第一回 F.ソル/ロンドOp.48-6
音がきれいで、オープンな音だといっていた。(つっき)第二回 N.コスト/スペインの歌「カチューチャによるカプリス」Op.13
加藤さん
第一回 M.ジュリアーニ/ソナチネOp.71-3
- レッスンが終わったときに、ブラビッシモ?だったけかな。かなり最高の部類に入る褒め方をしていた。(つっき)
- 第一回の時のレッスンより、早紀ちゃんは自分自身で色々考えてやろうとしていた。感覚だけでやるのではなく、よく考えていたように思った。(つっき)
第二回 R.ディアンス/リブラ・ソナチネより第三楽章 フォーコ と、あともう一曲…
関澤さん
第一回 レゴンディ/夢
- 今回の美山マスタークラスのトップバッター。このレッスンはこの美山のマスタークラス全体の方向性を決定付けるような、大変重要な内容がてんこ盛りのレッスンであった。
- DVDを見れば見るほど、このレッスンがグロンドーナの音楽の一番根幹にあたる部分を、非常に密度のあるわかりやすい形として出ているレッスンである事がわかってくる。これは現地の生徒に言っていることと全く同じ内容の変わりの無いレッスンでもあった。グロンドーナは全く出し惜しみが無い。日本を愛するグロンドーナにはこれがあるから、この日本でも本当にすばらしい勉強ができるのである。逆に現地ではこのような密度のある20レッスンものマスタークラスや、特にリサイタルなんかはほとんど聴けない。
- グロンドーナのレッスン、すばらしく愛情にあふれている。本当に暖かい、おーきくてふかーく爆発的な情熱を持ち、またとてつもなくきびしく、そして心底あったかい。受講生が演奏中、この奏者にどのようなことを伝えたらよいかを、真剣に考え感じながら聴いているグロンドーナの表情や視線を見るのは非常に面白い。
- 演奏は大きなエネルギーを感じさせる集中力の途切れないいい演奏であった。関澤さんは受講する態度が一本筋が通っていて、感銘を受ける。また反応が、めちゃんこ早くて、グロンドーナがえらい褒めていた。『あなたはセンシティブでクレバーだ』これを言われる受講生は、実はなかなか多くはない。このレッスンを見ていて、グロンドーナのレッスンは受講生その人の音楽的・人間的底力が試される場なのだな。と言う印象も受けた。終わったあと、順応の早さには脱帽した。
- 冒頭レファラの和音、続くラの低音。そしてラ♯からド♯ミラ♯の和音へとこの流れが、和音弾いて、そして低音そして次の和音と・・・一つ一つが孤立(isolate)していて弾いている。これはただのギター(guitar)の音(sound)であって、音楽ではないと言う。一つの要素(one elemente)として弾く。一つ目は二つ目とつながる。そして続く低音もがなる様な強い音(loud)した楔のように打ち付けて弾くとその時点で、音楽は閉じて(close)し意味が無くなる(empty)となる。
- グロンドーナは、ギタリストは(too much guitar)や(too much nail)になってしまいがちで、これはただのsounndであって音楽ではないと言う。ストリングやネイルである前に、もっと歌う人であってほしいと言う。このことの難しさは、人前で物言う(物言わなければならない)ギタリストが一番陥ってしまうさが、としか言いようが無い。自分が人前でギターを弾くことの哲学的な意味を根本から変えるしか、このグロンドーナの言っている意味を根源から理解し獲得したことにはならないと思う。この段階ですでにテクニック的な問題ではもはや無くなる。
- この1つの物(one element)で一緒になった(altogether)な音楽の動きを、左手と右手で実現するレッスンへと移る。まず、右手。和音弾いた、低音弾いたの動きではなく、ある方向性(direction)を持って弾くように指導する。何度も弾かす。
- 右手の動きが必要最小限で、弦を弾く指や親指、ギターに接触している右手肘が固定されず、常にゆっくりとじわじわ動いている。このone elementな動きこそが西洋音楽の本質。
- 次に左手。一つ一つの和音への移動が硬いと言う。 static 固定された静的なという単語を使う。一つのコードの左手の指の押さえる形、次のコードの押さえる指の形、バシッバシッとカッチリ動くとone elementな流れがそこで途切れる。コードからコードにも常に、絶え間なく左指、それを支える左手首、そしてその腕全体の流れをつかさどる左肩と左肘、特にこの二つはあるコードを押さえている間も常に流動的に動いていることから、altogetheな音楽の流れを作っていくという。softになれと言っていた。
- そして左手の安定した位置についての指導。ラを弾くときの最も安定した、指の置き方、肘の位置、肩の位置、そして自分がここにいると言う最も安定した座り方。stable balanceと言う単語を使う。エネルギーはあるが、一才のの幼児がたって歩いているような感じと言う言い方をし、地面を感じてしっかり立っていない様な、不安定な無理な指の置き方はすべて指導される。安定した位置にあるともう指板は見なくてもいい。あとは指、手首、肘、肩の感覚のみで、音程を味わい、音の方向性やキャラクターを感じながら弾くことができると言うことである。
- このあたりは、このレッスン上では反応良く、変わることができている。ただこのことは、この部分だけではなく、曲の全部に対してそうする必要がある内容なのである。勿論他の曲すべてにおいても・・・今度はたった一人でこれを実現していく必要が出てくる。受講生はこのあたりで、このレッスンがただごとじゃない、ただじゃすまない領域に入っていることに気づいてくる。
- トレモロの部分はレッスンせず、前奏や間奏の要点となる場所を選んでレッスンは進む。間奏部低音のファ♯(だったか?)からの歌のレッスン。10kgの歌のテンションを保つように言う。歌の途中でlose tentionするな。音程の感覚のレッスン。これも重要。
- 間奏部ミド♯シラのバスとメゾソプラノとソプラノによる3人の歌手(3voice)の部分。バスのミド♯シラを受けて、メゾソプラノが歌えるような、誘うような、歌についての指導。ソプラノのミからド♯への跳躍が、狙いすぎている。安定した動きになるようにショルダー、エルボウ、フィンガーをシングルボディにしろと言う。レミレド♯も同様。この部分もかなり重要。インテリジェンスな作業という言い方をしていた。(つっき)
第二回 第七幻想曲
予想通り、冒頭のミミーミミーバリボリーンの所を注意深く指導していた。中村君と一緒だった。だが、すぐにこの所から抜け出し、他の曲の細部にレッスンが移る。(つっき)高須さん
第一回 S.L.ヴァイス/パッサカリア
- 曲の変奏が進んで行くのにつれ、赤ちゃんがだんだんハイハイできるようになって、走り回るようになって、、人の成長(develop)と同じように新しい変化を各変奏で要求された。(だいち)
- homeに帰ってきたら安心感がないといけない。でも、outside出て行く前とは違う自分になっていなければいけない。だから曲のど真ん中でinsideに戻った弾き方をした時、一旦outsideに出たらもうinside musicに戻ることはできないと注意された。(うまくまとめれませんが・・こんな内容でいいんでしょうか?)(だいち)
- あとは和音と和音にはさまれたすべての装飾音に目的地が感じられない。この和音からあの和音に行くんだ!という強い意思がないとやっぱりemptyな音の連なりにしかならない。「だからD-Durのbeautifulな曲」で終わってしまう。レッスンの最後の方で少し目的地を感じ始めていたように思う。だから高音のフレーズから低い位置にあるフレーズに飛んだ時の音程差をはっきり感じることができた。(だいち)
- あ、ありがとう。助かりました。ずいぶんよいよ。ずいぶん思い出しました。一度外にでたらもう外なんだ、という話がありましたね。そして大きくカーブを描いてウェルカミングホームなわけだ。ど真ん中のゆっくりなシーンも、ゆっくりと外を歩いているだけなんだよね。(から)
- パッサカリアとは何だと聞かれて、「同じ繰り返し‥」と答えると、同じ繰り返しじゃおもしろくない、パッサカリアとはデベロップ、パッションのデベロップであり、フューチャーだと言われます。まず始めのD和音、私はここにいると自分を信じて(トラスト)音を出せ、ハーフじゃないオールで出せと言われます。その後に続く、和音と和音を埋めている装飾音に感情を映し出せと言われます。
- 次の和音に行くんだという。
- はじめの7小節がテーマ(ホーム)で母親です。ホームがあるからでていけると言ってます。8小節目から、第一変奏。ハイハイで好奇心を持ちながら音を探ってる感じです。15小節目から第2変奏で、テーマと第1変がミックスされてます。和声的なテーマと旋律的な第1変のミクスチャーです。ここまではまだインサイドです。
- 22小節目第3変、からはやっとアウトサイドにでます。子供がぐるぐる走り回るようにとジェスチャー付きで。ここからは具体的なイメージはでてきませんが‥ジグザグに動いたり(36小節目第5、遠く向こう側と手前こっち側のジグザグな動きをしながら和音から和音へ)、音から音へ飛び移るように動いたり(43小節目第6、‥この飛び移る時瞬間移動のようにパッパッとでてくる音が和音と和音の間にあります。そう弾く時、指を準備しててはいけないと言われてます)50小節目から第7変、すごく静かに弾いてたら、「一度外にでてるんだから(アンダーザスカイ)もう今、内に戻ってはいけない」と。確かに今までの旋律的変奏からまた比較的静かな和声的な変奏に戻ってるのだけど。と言われます。
- 57小節目第8の三度と六度の進行。グロンドーナが歌うには、かなりどっしりとしたというか、ドイツ人みたいな「パンッパーランッ!パーランッ!」という感じです。
- 64小節目第9。64小節目の2音目、1弦のレから音階で下がってきます。そのレをかなりのテンションで飛ばしてやって、あとは天から降りてくるように。ここが一番の成長点ではないかと思います。今まで、盛り上がって盛り上がってときてて、次の71小節目第10変でやっと滑空できるだけの軌道に乗るので。なので第10は、滑空するだけなので、音量は落としてやってもいいと言われます。次が78小節目、最後ホームに戻ってきます。また和声的変奏でテーマによくにています。
- やっぱり和音間の装飾音に次に行くんだという意志を持たせ、和音にたどりつくたび「ホーム!」ターリーラーリージャラン「ホーム!」と言われました。テーマの6小節目と最後の83小節目が同じなんですが、1弦のレの音に天の方、向こうの方の音というイメージを持たせてくれました。(だいち 転載)
- パッサカリア、各変奏に移る前の音が絶対ドミナントになるんですが、Dが来るってのはわかっていても次に来るDは前と違う成長したDなんだと予想しておけと言われました。(だいち 転載)
第二回 J.ダウランド/ファンタジー 、、、だよね?
- ダウランドのファンタジーです。ファンタジーはどこから来るかという話から入り、初めのフレーズを音を探して(searchして)感じながら発音していく練習をした。そうしないとvery guitarで、emptyな音にしかならないから。そして2声の輪唱の周期が短くなったり形を変えたり、からみ方の違いも指摘された。(だいち)
- そうだ、ファンタジーはどこからくるかという話はしたと思う。だけどそれ以外忘れました。最初のフレーズの話以外しなかったっけ?(から)
- 曲のど真ん中の一番はっきりした輪唱部分で、上がったり下がったり波がありながら、全体ではだんだんと静かになって行ってるのに、いきなり僕が現実的な音を出してしまうから、みんな目が醒めてしまうと怒られた。「おじいちゃんの最後の遺言のように」と確か言われた。そのあと底の方から湧きあがってくる部分が来るのだが、レッスン中では飛ばした。(だいち)
- 最後、リズムが変わる部分、なんで最後にダンスが来るのかという話の中で、北野武の「座頭市」が例にあげられる。斬られた人も一緒になって踊り、今までの舞台のファンタジー性を見てる側に感じさせる。(だいち)
- 二回目のグロンドーナ(と唐崎さん)は一回目より真剣さが増してか、少し怖かったです。曲のイメージですが、やはりパッサカリアは家があって、だんだん成長していく様子を言ってます。はいはいから走り回るようになって、でもいつもホームがあるというような。(うぃきに書いたのと変わってませんね‥。)パッサカリアとは、未来だと言ってます。あと自分が急に消えたりせずに、ここにいる、という演奏をすることとかよく言われてます。ダウランドは、最初から二人の会話のようにということだったんですが、だんだん静かになっていく所で「賢いおじいさんの最後の言葉」と言い、その後で沸き上がってくるところがあるんですが、「若い世代にひきつがれて」と言っています。最後ダンス部分で、今まで役を演じていたのに仮面を脱ぎ捨てて、みんなで踊る。舞台の最後という言い方をしています。(だいち 転載)
(から)
二回目のグロンドーナ(と唐崎さん)... ごめんねごめんねごめんね
- ファンタジーは、君はテンポを自分で作ろうとしてる。曲が君にテンポを与えてくれるんだと言われます。
- 第1小節目から3小節が一声なんですが、始めのド#から音をサーチしながら落ちてきます。落ちてきて3小節目1音目ファ#がやっと一端ホーム(曲はファ#長調)です。4小節目から二声、7小節目から3声、フーガのようにテーマを繰り返します。
- 11小節目1音前から新しいテーマとフーガですが、最初と違って2音目でもう模倣が始まってます。これは18小節目、29小節目、40小節目‥と各新しいテーマが来る時も同じですが、模倣の形が色々ある、会話のパターンは色々あります。
- 46小節目から1小節ごとに低いメロ・模倣の高いメロと交互に来ます。繰り返しながらだんだんと音量が下がってきます。だんだん眠りにつくように、なので音が飛び出してしまうとみんな目を覚ましてしまうと言われます。みんなが見守る中深い眠りについていくグランドペアレンツのように。
- そうして57、58小節目、おじいちゃんの最後の言葉(賢者としての遺言や知恵)を残し、59からそれを引き継いだ若い人たちがだんだん沸き上がってきます。実際音が音階的に沸き上がってきます。そうして62から73まで一番テンションが高い部分です。(グロンドーナの歌によると)ただどの部分になってファンタジーを忘れてはダメと言われます。自分で音を勝手にこうだろうと思って弾いちゃったらダメ、曲が音を与えてくれる、と。
- 75小節目からリズムが2分の4から8分の6に変わります。この急に始まるダンスに、グロンドーナは北野武の座頭市を引き合いにだします。あの映画をみたとき最後にタップダンスを踊るのはなぜか議論(そこまで大げさな意味ではないかも)したそうです。斬られた人、それまで盲目だった人がマスクを脱いで(ここで唐崎さんが「武も踊ってましたっけ?あれ」と)踊るという。それと同じでこれが舞台でみんなが一緒になって踊っているんだと言います。舞台だからこそそれまでのファンタジーがよりファンタジーなんだという意味だと僕はとらえました。後は最後の和音、舞台の最後なので大きく広がって終わる。
- 一回目のレッスンはまだ最初だったしグロンドーナも多少愛想の良さを出していたんではないかと思う。もちろんどちらも真剣だけど、一回目は公開レッスン!て感じで、二回目は最後で疲れてたのかもしれないけど、声のトーンが低くて、言葉もすごく個人的に語りかけてくれる感じだった。ゆっくり言葉を探しながらという感じでした。先生生徒で、ふたりで飲んで語って人生の指導を受けてるみたいな。それゆえ笑いは少なかったですが、より僕を考えて話してくれてるなという感じでした。(だいち 転載)
2008年08月30日(土) 02:13:10 Modified by kzkara