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S.Grondona from me

わたしからみたグロンドーナさん
音楽に限らず、グロンドーナ氏の人柄や、コミュニケーションや、表情や、さまざまなエピソード、そういったところで語りたい人は語っていくのがよいよ。

グロンドーナのレッスンを受けた後

  • 一番大切なのはこれ。夢と現実ではない。グロンドーナのレッスンが夢で終わって、日常と言う現実で実現できないなら、彼のあれだけの情熱は半分はemptyとなってしまう。はっきしいって、グロンドーナの教えを落とし込むのは、めちゃ時間がかかる事。あせったり、事を急いだりしないほうが良い。あんだけの事はもう腹をくくって、じっくり腰をすえて取り組まなければ物にならない。
  • 新しいことが入ってくるなら、一度はがたがたに崩れる。これが無けりゃ成長はしない。崩れることを恐れたら進歩無しだ。もうこうなったら何十年後かに結果が大きく見えてくる、取り組む姿勢の問題となる。現にグロンドーナ自身が誰もが及びもつかない領域まで深まっている実践例がある。
  • 第一回のセゴビア国際からポール・ガルブレイスや他のギタリストがどうなったのか、グロンドーナがどうなったのか追っかけてみると非常に面白い。
  • ちなみにポール・ガルブレイスというギタリストはちょっと注目ですよ。(つっき)
  • オフレコにすべきかと思ったけど、Sol Levanteで現代ギター誌をぱらぱらとめくっていたグロンドーナが、自分の新譜のとなりにガルブレイスの新譜の紹介があるのを見て、「訳せ」といったので訳して、「好き?」て聴いたら、I like himていってました。(から)
  • チェリストのブルネロみたいな顔してるけど、昔は貴公子みたいな美男子やってんで。セゴビア国際ではグロンドーナと二人して、王子様ですよ。(つっき)
  • 実はグロンドーナの弟子は続々とポール・ガルブレイスのマスタークラスを受けに行っている。段々と近いづいてるわーポール・ガルブレイスに…。(つっき)

第一回に感じたこと

http://www.geocities.jp/vicenza_kyoto/himitsu/hidd...
今見ると、第一回のほうがより座り方や「空間」の説明が多く、第二回のほうが、より概念的な話が多かった(前回は今回ほど強烈にはsensitibityやfeelということをメッセージにはしていなかったような気がします。記憶によるのですが…)。第一回は、どうすると音楽がフラットではなくセンターがありつつ3次元的広がりを持つかということについて、実際に身体のあり方から手取り足取りやっていた、という雰囲気がありました。逆に言うと、S.G.的フォームを伝達していたような感じでしたが、今回は、手取り足取り感はへってそこは受講生にまかせて、その代わりに音楽の本質的思想を重点的に語ってくれたような印象があります。(kara)

なぜ今リョベートなのかについて

  • セゴビアがリョベートを隠したから今僕がそれをまた再発見しているんだよ、という。ちなみに「隠した」というのはたぶん半分ジョークだと思う。彼はセゴビアを愛してやまない人だから。(から)

  • どうやら、セゴビアはとても強いキャラクターでしかも戦後も影響力が強かったけれど、それに対して戦前に死んでしまった(このことはかなり大きいと思います)リョベートという人は、すこし内省的な人であった、とグロンドーナ氏は考えているようです。もちろん彼はセゴビアを愛しているのですが、リョベートの死後、彼の全集が出たり、かれの録音が出たり、というような彼の仕事がまったく顧みられなかったことに対しては、不当な扱いだという思いがあり、その結果、今のグロンドーナの仕事があるようです。しかし、私はリョベートでもなくセゴビアでもなく、今を生きる今感じている私だ、ということを付け加えていました。(から)

  • 自分はリョベートの生まれ変わりだと真剣に思っている。だから、自然と写真に写るときのポーズも、『あれ・・?どこかでみたような・・?』と思っていると、案の定リョベートと同じ、ポーズをとっていたりする。(つっき)

  • リョベート展をしたがっている。バルセロナと大阪(もしくは京都)でやりたいらしい。構想している内容があまりにもマニアック。ミラノの図書館でだと思うが、新たに発見したリョベートの実筆譜や楽器その他様々な物などが、世界中のグロンドーナの友人たちの協力を得て、彼の元にその情報が届いている。リラ・オルフェオの自筆譜なんかも、展示するんじゃないだろうか。(つっき)

  • まず、場所(箱をどうするか…候補は少しずつ挙がってきてはいるが)、そして資金・主催者・共催者・支援団体をどうするか(イタリア文化会館だけではなく、国に支援してもらいたい)。リョベート展の単体だけでは、正直マニアックすぎる。何かと、一緒に催す必要があると思う(リョベートと無関係ではない何か)(つっき)

    • リョべート展は何とセットすればよいかについて。美山にゆかりの深い深いIさんが「ガウディ(Antoni Gaud醇^ i Cornet)と一緒にやったらどうか?何か接点ないやろか?」と言っておられました。うーん、面白い。ガウディなら注目を集める事間違いなし。しかしその接点がwebで探す限り全く見つからない。ロルカ(Federico Garc醇^a Lorca)と接点ないやろか?なんて思ったけれど、やっぱりなさそう。ファリャとかヒンデミットとかは接点あるようだけど、、、(ずほ)

  • 世界中の友人というのは、日本で言えば木曽尾さんのような、歴史的に意義のある活動をされている熱心なギター愛好家なんだと思う。かなり、熱心な人たちだけに、見る目も非常に厳しい。グロンドーナはそのような友人達に本当に愛され、支援してもらっている。(つっき)

  • あなた達の可能性は大きい。すべてにおいて。何をやっているのか自分ではよく分かってないかもしれないけれど、とてもね、すてきなことをやっているのですよ。
  • つまり今までは○×社など力をもっている所に音楽も企画も人間も従属しなければならなかったけれどね、こうしたネットワークで人を集める事ができたらたらその必要はなくなる。向こうの方からあなたたちへ頭を下げてくる。歌謡曲の場合は100人の聴衆を集めることがストリートミュージシャンの立場を変える基準線だと言われているそうです。けれどどの企画も助成金申請の期限は前年の11月12月だということ、寄付を依頼するためのメセナ申請にも期限はあり、それまでには詳細な計画や予算が必要だということを覚えておいて。(康子)

  • 有難うございます。経験浅い身なので、色々と教えてください。今後ともよろしくお願いします。(つっき)



京都でタクシーの運転手がガルニャーノやあれこれを知っていて、1300円が1000円になりさらに翌日運転手さんはステファノのCDを買いに走ったであろう件について

S.G.が渡部と京都のタクシーに乗りながらガルニャーノの話をしているとき、タクシーの運転手さんが英語で、ガルニャーノという言葉に反応して話しかけてきた。「わたしの大学での研究がD.H.ロレンスで、ロレンスはガルニャーノに住んでいたのだ」という話。すると、グロンドーナが、「ガルニャーノに1ヶ月滞在したとき、D.H.ロレンスの恋人がいた部屋をそのひと本人から借りたよ」と言い、タクシーの運転手さん感動のあまり1300円を1000円に負けてくれたそうです(もうすこし負けてくれてもね、と僕とやすこさんはいってました)。しかもステファノの名前を確認して、翌日にはCD屋さんに走っているはず。やった!S.G.ファンが増えた!(kara)


セゴビアとガット弦について、さらに「セゴビアチルドレン」らについてのコメント


セゴビアの時代にはガット弦で、戦争のせいでガットがすべてへいたいの服になってしまった(いえ、違いました。傷病兵の手術の糸(!)に使われたそうです。戦争がなければギターはずっとガット弦だったことでしょう。)、そしてセゴビアの元にやってきたのがナイロン弦だった。強くて、ながもち。だから、セゴビアはガット弦の響きを知っているけれどナイロン弦を弾いているギタリストだった。そういうギタリストと、ガット弦を弾いたことがなくてナイロン弦からはじめているギタリストには違いが何かあるのではないか。とのこと。ガット弦は楽器との相性が非常に重要で、とてもセンシティブで、でも非常に美しい響きがする。次のCDはグロンドーナのソロで、リョベートの作品を、ガット弦+シルク弦(高音がガット、低音がシルク)の弦と、普通のナイロンの弦で引き比べた2枚組みになりそうです。その次に、ラウラさんとのデュオCDが出ます。だいたいこれでリョベートのコンプリートという感じのようです。(kara)

あと、セゴビアと言う人はあまりにも偉大で、その影響下から抜け出せた人と抜け出せなかった人がいる。S.G.自身が、自分にはセゴビアの物まね時代があった、それで18のときのブリーム・マスタークラスでは相手にされなかった、と語っていました。そして、セゴビアから一歩抜け出したと言う意味で、一番偉大なのはオスカー・ギリアだ、と語っておられました。若いときから今に至るまで会えば喧嘩ばかりしているという印象のあるオスカー氏とステファノ氏ですが、その奥では尊敬しあっているのでしょう、か。(kara)

ブリームについては、「なぜブリームは偉大なのでしょうか」と質問してみると、S.G.らしく、「彼は真似をしない。彼は彼が感じて、independentに弾いている。」とその感性に尊敬の念をあらわしておられました。今回の京都でのコンサートでも、「J.ブリームが愛用していた楽器で演奏できることは誉れだ」とコメントされておられました。(kara)

彼の暖かさとチャーミングさについて

カメラを向けるとかならずポーズをとるところなんか。ひさしぶりに会うと、「オウ、ケーンゾーウ」とO母音を大きくして抱きしめてくれるところなんか。(かれは母音を伸ばして名前を呼ぶことで愛情を示すという一面があるような気がします。イタリア人特有の方法なのかな。こんど「オウ、ステーーファノ」とか呼んでみようかな。いや畏れ多い)(kara)

前から、たぶんみんな思っていたことなんだろうと思うが・・・、表情が『ミスター・ビーン』にそっくりなときがある。いや、もちろん、グロンドーナは知的な『ハンサムガイ』だと思うが、どうしてもそう思っちゃうんです。(つっき)

あったかすぎるほど、あったかい人なんだと思う。そりゃ、わがままなところもあるっちゃーあるかもしれない。けどそれは、音楽に対して純粋なだけであって。お金や経済・商売・といったものを、音楽と一緒なんだと考えていると、混乱する、というものなんじゃないかな?っと思ったりもする。決してかれは、人そのものを裏切るような人じゃないってことかな。(つっき)

彼の唸りについて、練習風景やリハを見ていて思うこと

あの唸りはたぶん音楽から発されているものだと思います。彼が息をすって、長く唸るとき、それは短いフレーズではなくて、そういったmicro stracture(in masterclass)の集合体(integrity)としての長いvoiceをギターで作っていることが多く、彼が息を吸う瞬間を見ていると、"affection center"の前の弱拍や、フレーズが始まる前の弱拍であることが多いです。僕がピアノを弾いているとき、弱拍で息を吐いたら怒られました。そこは次の強迫で世界が広がるんだから、そこですでに吐いちゃだめ、って言われました。2年前は不服だった私ですが、今はなんとなくわかる気がします。(kara)

京都バロックザールでリサイタル(私が聞いた中で最高。神がかり的な演奏会だった)をした時、リハーサルをずっと聞いていた。めちゃくちゃゆっくり曲を弾いていた。ずーと10分の1ぐらいのスピードで、弾いていた。(つっき)

ほぼ毎日彼は、8時間はpracticeをすると言う。しかも、マスタークラスでやっているようなことを、自分に向けてしている。最近もう一度彼の演奏のビデオを見てみたら、今とだいぶ違っていると思った。無限に進化していくのか・・・。(つっき)

マスタークラスでグロンドーナが言っている事は、実は本人にとってタイムリーな自分の課題である場合が多い。以前よく言っていた(too much caluculate)は今回かなりなりを潜めた。そのほかの単語も、以前と少しずつ変わってきていることがわかる。(つっき)

今回の美山のレッスンが以前に比べて、しつこく無くなったのは、グロンドーナが今見つめている音楽の方向性が、『あるべき姿の音楽とリアライズする自分』と言った音楽至上主義から『その場で展開する音楽と自分の感性』という、聴衆も含めた音楽に、(特に日本によく来るようになってから)、少しずつ変化してきた結果そのものだと思う。(つっき)

聴衆を巻き込んだ音楽はバロックザールが始まりなんじゃないかと思う(勝手な憶測)。そのときの演奏は、その場に出ている音楽を自在に楽しんでいた。今回はブリームが使っていたロマニリョスだったが、あのときのアルカスが使っていたと言うトーレスには遠く及ばないと思った。やはり、グロンドーナの音楽はトーレスが一番合う。(つっき)

ちなみに初来日で使用したギターはブリームが使っていたブーシェでした。彼が使用するギターはいわくが多い。その前のCDはラ・レオナだったし…。(つっき)

彼は自分を日本と言う未知の環境にさらす事で、自分がどう変わってきているかに大きな関心と興味があると言う。(つっき)

ただ、グロンドーナはバルセロナでのかなり強力なつながりで、スペインという音楽に、あれだけの成果を見せてきたことを思えば、そろそろ次は日本と言うことになるに違いない。第一回の田口君のセビーリャのレッスンでみせた、グロンドーナのスペイン音楽に対するあまりのイメージの豊かさには、心底驚嘆させられた。スペインって演歌っぽくってあまりいいイメージがなかったが、グロンドーナによって、印象はひっくり返された。また、ピアソラのレッスンについても、タンゲーロでは発想できないようなびっくりするようなイメージの豊かさにこの人の凄みを見た気がした。(つっき)

後面白いのは、やはりバッハでのレッスン。第一回の松尾君のレッスンでのプレリュードは、泣きそうになるくらい美しかった。ミに対する執着。(つっき)

おもいだした。同じ楽屋で練習する機会があった。その時、それぞれの音程(インターバル)の感覚をいつもゆっくりと、練習であじわっていた。確かそのようなエチュードのようなものを彼は自分で作っていて、弾いていたような気がする。それはまるで、何十種類もの調味料か材料かの味を少しずつなめながら、味わい、感じているかのようだった・・・。(つっき)

増4度(悪魔の音程)の話で盛り上がっていますが、彼は常日頃からこの音程感覚のたしかめを練習中しているのです。彼は決してこのインターバルを分析的に把握しているのではないと思う。ひたすら、feelしていると言うことなんだと思う。よくこの音程は…度とか言う人がいるけど、決してそうじゃないと思う。あてっこクイズではない。(つっき)

一つの和音や、ひとつの音程を、ゆっくりと弾きながら、彼のあごというか舌が動いているのが近くから見ると分かるのですが、これはひょっとして、本当にそれぞれのflavorを確かめておられるのかもしれません。て形から真似してはいっても仕方ないかもしれないけれど、イマジネーションを膨らませるために、ひとつの手法として真似する余地はあるかもしれません。唸るのはどちらかというと横方向(toward/direction)の感覚、それに対して舌と顎の動き(それが彼の唸りのバイブレーションを作ってもいるのですが)は、縦方向(interval/flaver)の感覚を掴む体術として、真似する余地はあるかもしれません。ただ、無意味に真似しているだけでは無価値でしょうけれど。(から)

からさんそれおもしろいですねー。ミケも一音・一和音弾くたびに、顔の筋肉(口の辺りだったり、頬・眉・目元などなど)がびくっと痙攣しています。詳細にめちゃくちゃ感じている。ミケの ルガーノのDVDと最近出たショパン・ドビュッシー・ベートーベンの3種類のDVD見て思った。まねてみよーかな。怖がられるかな?(つっき)

S.G.のまねしながらピアノを弾いてみたら、音よりもまねに意識を奪われてしまいました。これじゃ音楽じゃないですね。くっそう。音楽の道は遠いでござる。(から)

18歳ごろ(?)ピアニストになりたくなった件について

  • 2年前の記憶。今日あたり聞いてみます。(から)
  • どうもピアニストになりたいというのは僕の訳しすぎのようですが、いまやギターの「ミクロコスモス」を発見し、アルカスのようなとてもシンプルで転調もないような曲の中にも音楽のエネルギーがある、ギターのエネルギーがある、ということを発見し、また自分自身を発見したことによって、私はいまとても楽しくやっているぜというようなことを語っておられたように思います。べつにギターでベートーベンを自分で編曲して弾こうとは思わない、ギタリストとして育ってギターしか弾けないからね、といっていました。(から)

  • アルトゥーロ・ベネディッティー・ミケランジェリとグレン・グールドがあまりにも自分には、神がかり的だったため。これは、ギターを弾いている場合じゃないと、考えたらしい。グロンドーナが私の狭いマンションの住まいに来たとき、家の本棚からグールドの写真集を取り出し、ひたすらそればっかり見ていたのは、とても印象的だった。(つっき)

  • ミケランジェリがそうだったように、かれもカーレーサー並にスピード狂。事故しないか心配。そんな細かいとこまで、信奉しているんだと思う。(つっき)

  • そうだ、彼がミケとチェリビダッケを偏愛(というと怒られそうだな)している話は有名ですね。有名なシューリヒト/VPOのブルックナー9番を車で流していたとき、「NO!」と叫んでいました。チェリのほうがずっといいんだって。そしてぼくがピアノを弾いていたり聞いていたりすると、「ミケが何年のどこどこのライブでそれを弾いている、you have to listen to it!」と必ずいいます。これは必ずいいます。そしてわたしはいまだチェリとミケのよさを把握していないのです。(から)

  • グロンドーナの音楽の大きさは、ミケランジェリを髣髴とさせる。エスプレッシーヴォが途方もなく大きい。ミケもチェリもどでかすぎて、家のスピーカがバリバリする。そして、音楽の表情がバラエティーに富みすぎ。この人らは横の流れより、縦のどでかさと様々な表情を出したい人なんじゃないかな?まあ、ミケは横の流れもすごいが…。ミケは同じ曲を何回も弾いてるから(大概は録音状態あまりよくないが…)、聞き比べるとこの人が、そのとき何を狙ってたのかがよくわかって面白いよ。

オスカー・ギリアとガルニャーノで大喧嘩して他の受講生を唖然とさせた件について

  • ギリア氏のことを話題に出すとどういう反応をされるかわからないですが、やっぱりこれも今日あたり聞いてみます。(kara)
  • どうやら音楽(曲)自体のことではなく、音楽周辺のさまざまなことについて口論をしていたような節があります。でもよくわからなかったのでよくわからなかったです。ギリアはギリア、わたしはわたしなんだから、あまりにわたしの前でギリアの話ばっかりするな、という感じでもありました。すんません、と思いました。でセゴビアの話をするあたしもどうかと思うんですけど。セゴビアについてはうれしそうに話してくれます(それはセゴビアがもう草葉の陰の人だからかもしれないです)。(kara)
  • さて、下でつっきさんがいっている、違いについては、うまくいえないけれど、あった印象としては、S.G.は内省的で個人主義的で求道的ででも人に対してとても好奇心のある人だなあと。O.G.は大らかで包容力があって子供みたいに無邪気であり同時に非常に論理的でもあるという人だなと。まあ人格や音楽を一言で言えというほうが無理なんだけど、あたしの印象としてはそんな感じです。O.G.の唯一まだ流通しているCDである青いポンセのCDをあたしはとても愛しています。ソナタ3番1,2楽章と、「トロピコ」が素敵過ぎます。ありゃ、O.G.ファンサイト化してきた(kara)

  • ギリアは僕はそんなにくわしくしりませんが、グロンドーナとは違うと思います。人が違うから違う、というものだけではなく・・・。何が違うかは、また整理できたら書いて見ます。(つっき)

  • なんだか芸能キャスターみたいになってきました。いやだいやだ。epilogueはステファノ・グロンドーナを応援しています。(kara)

石橋さん渡部特別賞のじゃがいもおくりますね。

ステファノがどこにじゃがいもがあるのと尋ねるので、おまえの寝ていたベットの下、と応えたら、1週間僕のギターを聞いていたからもっとおいしくなっていると言っていました。(のぶ)

食べたらギター上手くなれそうなじゃがいもですね♪
楽しみに待ってます(*^_^*)ありがとうございます!!!(ゆうこ)

SGと一週間供にあり、その音楽で熟成したじゃがいも 兼三賞として わたゆうさんのにも

送りました。(のぶ)

ただ今届きました。ありがとうございます。
美山のおいしい食材、どうやって調理しようかな?(わたゆう)

私の所にも届きました。ありがとうございます!!!
ちょうど、Sひろみちゃんがウチにいる時に届いたので二人で興奮して、軽く騒いじゃいました(^^; 
今はどう食すかを考えてワクワクしてます!いただきます♪(ゆうこ)
2006年10月23日(月) 01:36:33 Modified by ID:rnSWMYSFpw




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