「東京」Part2

2007/1/27放送「東京」


出演:鈴木謙介、柳瀬博一、佐々木敦、仲俣暁生、津田大介

※以下の発言まとめは、正確な番組での発言とは異なる場合があります。

MP3その4


鈴木:メール、東京を感じる場所は小劇場。都会の隙間にある雑多な小劇場は、東京にしかない。スズナリやモリエール。
小さい劇場は地方にもあるんだけど、新しいものが多くてスズナリみたいな感じではない。
メール、東京を感じるところがない。立川育ちで、今でもそこに住んでるけど、最近は立川で十分で、都心のありがたみが薄れている。服もCDも映画も本も、一通りある。プチ渋谷。
立川ラブ。大宮もエキュートができて、次は立川。一都三県の大きい駅がこうなってるっていうのはよく聞くよね。
メール、上京してみると大変な街。お金がかかる。渋谷にいくと、地方から来た人がいっぱい。バンドのストリートライブ。
サブカルと都市っていうのが常連のテーマ。津田さんどうですか。

津田:立川は開けてて大都会。逆に八王子が失敗していて、立川に客を取られてる。今日の感想で言うと、僕、23区出身だけど、両親が東京じゃないんですよ。そうなると、東京に対する帰属意識がないんですよ。巨人を応援するとかいうのもないし。そのとき、大学に入って地方から出てくるじゃないですか、あのとき、お盆とか正月に帰省するのがすごい羨ましかった。帰るところがあるのいいなあって。仕事をするにしても、東京で夢やぶれたら、実家の酒屋継ごうみたいな。いや実家はサラリーマンだから酒屋はないんだけど。そういう逃げ道っぽいものがあるのはいいなあって。

佐々木:二つあるのはいいことだよね。

津田:そうそう。帰る場所がないから、とにかくここでやるしかないわ、と。

鈴木:それ俺大学んときすごい言われた。地方から来たっていうと。仲俣さんもそうでした?

仲俣:思ってました。東京ってお正月はどこもお店が閉まっちゃうから寂しいし。僕は両親も東京なんですけど、一人暮らしをずっと東京でしてて、15回くらい引っ越してるんですよ。色んなところに住んでるんだけど、ここに住みたい、って場所がなくて、なんとなくぐるぐるっていうのがあるから、今日は下北沢の話もしたいけれど、そこが東京の文化の中心だとも思わないし、地方の人が東京のイメージを描きにくいっていうのも分かるんですね。東京を象徴する場所なんてどこにもないっていう。

鈴木:街のシンボルって、ランドマークっていうくらいで、ニューヨークならエンパイアステートビルディングや、WTC。今はWTCの跡地に、アメリカ独立記念の年の高さのビルを建てるんですよね。ランドマークへの欲望ってあって、パリならエッフェル塔、ロンドンならビッグベンとかあるわけじゃないですか。

佐々木:そこで第二東京タワーw

鈴木:第二東京タワーか!

仲俣:(ランドマークに)なるのかなあw

鈴木:あのデザインはね。

柳瀬:ならないでしょうね。結局、リリー・フランキーの「東京タワー」、あるいは「ALWAYS」のオープニングで出てくる建てかけの東京タワーっていう、あれが僕ら世代にとっての、ノスタルジーの象徴になってる。そんな感じですよね。

津田:東京の人は東京タワー行かないですよね。

鈴木:東京タワー登ったことのある人は?

仲俣:僕行ったことないです。

鈴木:仲俣さんだけが行ったことないのか。僕も改装してから行ってないですけど。

佐々木:改装したの?

鈴木:改装して、もう「努力と根性」とか売ってないらしいって聞いたんですけど。

佐々木:蝋人形館は?

鈴木:蝋人形館はあるみたいですね。

柳瀬:熱帯魚屋さんとかあったよね。

鈴木:噂によるとオシャレなレストランとかがあるみたいですね。確かにヒルズから見える東京タワーとか、めっちゃオシャレですもん。けやき坂ってあるじゃないですか、クリスマスとかライトアップされる。あそこの上を会社の帰りに毎日通るんですけど、そこから、ライトアップされている青い光の向こうに、赤々とした東京タワーが見えるんですよ。

仲俣:綺麗ですよね。

佐々木:ヒルズができてから、東京タワーは見やすくなったよね。

鈴木:あれはノスタルジアとしての東京タワーじゃなくて、ニューヨークみたいに、色が変わったりするんですよね。ランドマークもそうやって変わっていくし、あと子どもの頃の思い出で言うと、東京って、ものの大きさを測るのは東京の建物なんですよ。「霞ヶ関ビル何杯分」とか。そっからサンシャイン60になって、次が東京ドームですよね。で、その後はないですよね。今でも夏のビール消費量は、東京ドームが基準ですよね。

津田:ドームできる前は後楽園球場ですよね。

鈴木:それ以降、大きさを象徴する建物ってないんですよ。霞ヶ関ビル○杯分って言われて、ああすごい大きさなんだなって思える想像力は、日本人の中にもうないんですよ。

佐々木:大きいものも増えちゃったから、メガロマニアックなものの象徴がいっこに絞れなくなったって言うのもあるよね。

鈴木:あと建築のスタイルがね。ヒルズ○杯分って、どこの何杯分だよっていう。建築がハコモノじゃなくなったっていうのはありますよね。

仲俣:さっき新宿副都心の再開発は失敗だったっていう話が出たけど、僕、結構新宿の高層ビルって好きなんですよ。ランドマークとしてはノスタルジーの対象でもあるし、高校の頃、船橋の辺りの屋上で授業をさぼっていると、新宿とサンシャインが遠くに、マッチ棒くらいの大きさで見えるんですよ。そこに行きたいって思ってましたね。目に見える東京として「あそこにある」っていう。

柳瀬:実際に使うものじゃなく、遠くにある憧れとして、かつてのサンシャインと、新宿副都心とサンシャインって、きらめいてましたよね。

仲俣:行くと水族館とかなんだけどね。

鈴木:今でも中央線で新宿に向かうと、突如として副都心が見えてきますよね。あれ見ると、東京って栄えてるなと思いますよね。やっぱり俺、東京に出てきて最初に渋谷のパンテオンとかに降り立ったのがまずかったのかな。

柳瀬:なくなっちゃったし。

仲俣:東急文化会館のプラネタリウムは好きでしたけどね。

佐々木:もう丸ごとなくなっちゃいましたけど。

鈴木:ビルいっこなくなるって、すごいインパクトですよね。赤坂TBSの隣にあった、BLITZと劇団四季の劇場が、坂ごと全部なくなってて、あれー?っていう。点々っていうマンガみたいな表現で、ピッコンピッコンみたいな。

佐々木:でも僕らなんかだと、さらにその前、BLITZがいきなり出現したってイメージがあるのよ。

柳瀬:あのごちゃごちゃした赤坂の交差点のところにね。

仲俣:記憶の連続性っていうかね、そういうのが再開発で大事だと思ってて。表参道ヒルズができたとき、いいなと思ったんですよ。ランドスケープはそんなに変わってないし、同潤会アパートも、あのまま残してたってしょうがないことははっきりしてたわけだから。代官山の同潤会に比べると、うまくやったなって。六本木ヒルズや恵比寿ガーデンプレイスがあまり面白くないのは、完全に初期化して、地形まで弄っちゃったから。

鈴木:地形が変わってしまう、道が変わってしまうっていうのは大きいですよね。

仲俣:道さえ残ってればね。

鈴木:道が変わると、本当に迷っちゃうじゃないですか。今の秋葉原の中央通り、秋葉原を背にして右側の、UDXとかダイビルのある辺り、あの辺っていうのは僕の記憶で言うと、バスケットコートだったところなので。

津田:でっかい駐車場があってね。

鈴木:あそこは結局道ごと変えちゃったから、迷うんですよ。

仲俣:酔っぱらって帰れたのにね。道さえ残ってれば、体が覚えてるから。

鈴木:で、その道問題で言うと、結局また下北問題に戻ってくるわけで。あの「補助54号線」を、下北沢の周辺に通すので、周辺の店が潰れるだけじゃなくて、ある種下北沢の猥雑な感じがなくなっていくんじゃないかって心配されているわけですよね。なんで道路なんですかね。

仲俣:じゃあそのことだけ簡潔に。下北沢の北口に、補助54号線という、昭和20年に計画された道路が通るってところが話の発端なんだけど、なんでそういう話になったかっていうと、基本的には駅周辺の再開発、土地の高度利用の認可を降ろすために、道路が必要だから通すっていう、変なロジックだったんです。

鈴木:道路が通らないと再開発できないと。

仲俣:線路と道路が二カ所以上で交差するっていう条件を満たすと、要件が緩和されて、商業地とか住宅地の開発がしやすくなる。まさに小泉行革的なものからの流れで、道路を通すということになっているらしいと。もしかしたら道路そのものも必要なのかもしれないけれど、簡単に考えると、人が住んでて街があるところに道路を通すのって、ちょっと横暴じゃないってところから始めたんです。けど、そんな単純なものでもないらしい。

津田:防災のこととかよく言われますよね。消防車が入って来れないんじゃないかって。

仲俣:防災も大事だと思うし、その観点から古い木造建築や狭い路地をどうするかって問題はあるんですけど、太い道路を通すと、(火が広がらなくて)防災上いいって話になってるんですけど、それもおかしいですよね。どっちが焼けるかって話なんだから。こっちが焼けたら向こうは焼けなくていいっていう。いろんなロジックが混じって、ごっちゃになってますよね。

柳瀬:高層ビルは、防災に関してはすごく弱いですからね。その一棟はいいかもしれないけど、大地震で同時多発的に火事になったり止まったりしたら、高層ビルっていうのは、人間の体でリカバリーがきかないサイズなんで。非常に危険を孕んでる。

鈴木:降りられないし。あと最近ジャンプのマンガでやってましたけど、関東大震災の時、ビル風で火事が煽られたっていう。

柳瀬:皮肉な話なんですけど、大きな通りが、風で煽られてファイヤーストリートになっちゃうっていうシミュレーションもあるんです。防災ってそんな簡単な話じゃないし、それを盾にした議論は怪しいと思う。

仲俣:危険ですからね。ただ、誰も反対できないから。重要だと思うのは、下北沢は好きな街だし、今のいいところも残して欲しいと思うけれど、小田急線の地下化って話があるんです。これはある意味では住民訴訟に勝利したんだけど、それで駅前の風景も変わっちゃうわけです。その時に、どうしたいかっていう次のプランに、柳瀬さんが言っていたように、街作りの専門家がいなくて、いいプランが立てられないっていうところに、問題があるのかなと。

鈴木:下北沢問題についてはかなり長文のメールをもらってます。東・北田の『東京から考える』を読んで、個性のある街について考えた。下北沢の再開発。このまま行くと普通の街になっちゃう。北田さんが反対してくれるのは嬉しいけど、下北沢という街の印象は、若者の街やサブカルの街ではない。むしろ、この街に来てから色んな人と友達になった。確かにサブカルのフラグが立ってるけど、実際に街をぶらぶら歩いてみれば、真剣に生きてる色んな人たちと出会える。若者とか音楽ってフラグは個性じゃなくて単なるフラグ。雑多な人種を包み込むだけの包容力を持っているかどうかが大事。この本の中では「裂け目」って言われてたもの。下北を守りたいって人は、それを守りたいんじゃないか。ネットとか情報が増えればタコツボ化しちゃうけど、街にはそれを乗り越える力があるはず。再開発反対はノスタルジーじゃない。既得権益化している反対運動。でもやっていきたい。
再開発がノスタルジーとは違うとか、既得権益を持った人が反対運動をしているとか、ちょっと対立図式が分かりにくいと思うんですけど、仲俣さん、これはどういうことですか。

仲俣:下北沢のことに関してというか、東京で起きている大規模経済開発っていうのでは、経済的な力関係で起きてると思うんですね。下北沢に関して言えば、明瞭な敵とか、やろうとしている欲望の主体って、まだ分からないんですよね。デベロッパー自体も。でも漠然と、防災もしなきゃとか、あとよそから来て個性的な店をやってる人はいっぱいいるんだけど、地元の商店街の活気がなくなってて。

津田:その対立が根深いですよね。

仲俣:そういう部分は大きくて。既得権って言い方は慎重に使うべきだけど、サブカル文化人がノスタルジーで下北沢の記憶を守ろうとしてるっていうのは明らかに間違いだと思うし、もっと複雑な問題だと思いますね。

柳瀬:僕もさっきの話で語弊があっちゃいけないと思うので言いますけど、別に悪いことをしようと思ってる人はいないんですよね。だからこういう話をすると、いい奴・悪い奴の対立構造になりがちだけど、そんな単純じゃない。東京のダウンタウンのほとんどって、戦後の闇市から出てきてますよね。上野も銀座も吉祥寺も新橋も池袋も、全部そう。そこから立ち上がってきた街場の商店、バラック同然の状態が、まだ続いてるんですよ。

鈴木:新宿だってちょっと前までそうだった。

柳瀬:ここが僕は問題だと思っていて、どういうことかっていうと、日本は戦後60年間、ダウンタウンを戦後のバラックから次の段階に移行できていない。バラックの魅力を残しつつ、火災の問題だとか、治安の問題を解決するというグランドデザインを誰もやってないってことが問題なんだと思うんですよ。

鈴木:それについて言うと、東アジアの都市を色々見ている立場からすると、焼け野原になったからバラックになったんですよね。焼け野原になる前の、戦前の建物が残っている都市は東アジアに多いんですよ。それは別種の格差を生んでるんだけど、日本の場合は焼け野原になったっていう特殊事情があったことは、考慮しなきゃいけない。

柳瀬:そう。だから日本の都市って、ある種の先端なんですよ。つまり、焼け野原になった東京が直面したのが、独特のダウンタウンで、たとえばそれはアップタウンやオフィス街、銀座の一部なんかの、大店が残った、まさに京都みたいな既得権だった部分を除けば、ほとんどの部分が、焼け野原の闇市からスタートしたもので、これをどう近代化するかっていうのは、日本人が自分の頭で考えなきゃいけないんですよ。

津田:それって法律の問題で言うと、借地借家法の問題が大きいですよね。

柳瀬:まさにその不動産を巡る法律の問題はすごく大きい。だから簡単にいいとか悪いとか言えるものじゃないなっていうのは、すごく痛感してますね。

鈴木:今の話で一番面白かったのは、焼け野原からの出発ってことだと思うんですけど、実は東京って街は地震と火事で何回もリセットされてきたからこそ、今の姿があるわけですよね。ちょっと今日は80年代以降の東京の話が中心だったんですけど、江戸から続く東京、それが何度もリセットされて出てきた文化、その話をパート2で掘っていこうと思います。

MP3その5


鈴木:萌え萌えなメールが。徳島の女子高生から。体育も好きだけど文化系。やっとバックナンバーを全部聞いたよ。徳島は都心の文化が2年遅れでやってくる。まだ東京ではルーズソックスをはいていますか?こちらではメイドカフェがやっと3軒ほどになりました。しかしスターバックスや電車はありません。東京は日本の中心で、なんでもある。地方ではそれなりにやってる。憧れも悲観もない地方が多いんじゃ。東京に近いところの方がコンプレックスが多いのでは。
スターバックスってあたりに、木更津キャッツアイのモー子が「木更津にスターバックスができますように」ってゆってたのを思い出した。つうか明らかに今、読んでる声が違ってたよね俺。
メール、小津安二郎の「東京物語」。息子が住んでるのは隅田川。堀切が最寄り駅。足立区にある。近くの中学は金八のモデルになった。森田芳光が、この辺りを映画によく登場させている。「の・ようなもの」とか「ハル」とか「未来の思い出」とか。東京の奥地にあるのに、東京の代表になる堀切。昔は出身地で、東京のどこに住むかが決まった。東日本の人は東東京、西日本の人は西東京。大学生として上京する人が増えるにつれて、中野・杉並の方へ。東東京は人を引きつける文化がなくなった。小津や森田は、なぜ堀切を選んだのか。ノスタルジーでは説明の付かないものだと思います。
西東京・東東京問題。サブカルの中の東東京。佐々木さん。森田芳光とか大分独自ですよね。

佐々木:そういわれてみると、なんか拘りがあるってことなんでしょうけど。古き良き東京のイメージって、東の方の下町ってイメージですよね。西の方はどんどん風景も変わり、電車も伸びていった。だからそこは、どこを描いてもそんなに変わらないっていうか。池袋ウエストゲートパークとかはありましたけど、そんなに渋谷と違いがある訳じゃない。あるトポスでフィクションを形成しようとすると、東東京の方が、記憶をくすぐるっていうのはあるんじゃないですかね。

鈴木:東東京出身の仲俣さんはどうですか。

仲俣:これ、一番有名なのが寅さんの柴又。僕はその隣の高砂で生まれたんだけど、あの辺って別に下町じゃないんですよ。むしろ日本橋の方が下町。江東区まで行っちゃうと、今度は「ゼロメートル地帯」っていう、ほんとのダウンタウンになっちゃいますけど。要するに農村と工場の区なので、葛飾のあの辺りは、やっぱり農村の地域なんですよ。だからなんで東京の東側が下町って言われるのかは、すごく疑問でしたね。やっぱり「郊外」って言った方が正しいんだと思う。

鈴木:隅田川か江戸川かって話ですよね。隅田川向こうと江戸川向こうの区別が付かない。

仲俣:江戸じゃないからね、葛飾区って。

鈴木:江戸川超えたら人外の土地なので、狸が化かすって話ですよね。

仲俣:葛飾には猿町って町がありましたからね。猿が出たんでしょうね。

津田:僕はこれって自分にダイレクトな話題で。僕は帰宅出身なんですけど、北区って足立区の隣なんですよ。商店街が寂れてって話で言うと、僕は今はもう北区を捨てて、、、

鈴木:「捨てて」って。

津田:いやほんとに捨てたんですよ。それで杉並の高円寺に住んでるんですけど、やっぱり「捨てた」って感覚がすごくあるんですよ。で、なんで北区を捨てたのかっていうと、北区には文化がないからなんですよ。街を歩いても住宅地だから何もない。で、池袋とかに行く。大学に入って文化のある街を歩くようになって、それを自分の街と比べて、結局そっちの方に行っちゃったっていうのがあるので。だから住んでるところの文化って何だろうって思ったとき、それは商店街の文化だよなあと。僕が小さい頃はまだうちの近くにも商店街が2、3個あったんですけど、それがどんどん寂れて、シャッターが降りていくんですよ。それを見てて寂しくなって、ここはどうなるんだろうって。

鈴木:ただ東東京って、別に下町的なものがアイコンとしてあったわけではない。寅さんから両さんにいたるまでの御神輿わっしょいな下町じゃなくて、梶原一騎の漫画に出てくるような。泪橋だって、もともとは南千住の辺りの実在の土地ですよね。あとお化け煙突とか。工場と下町と格差で言えば、橋本健二さんの「階級社会」って本に、映画「下町の太陽」なんかが紹介されている。格差はあるけれど幸せな下町っていうのが、そこには含意されていた。

仲俣:それって結局「職住接近」なんですよ。基本的に職人の街でもあったから、サブカル的な文化はないけど、地に足の着いた文化が営まれている場所だった時代が、ある時期まではあった。

柳瀬:僕の会社があるのは白金高輪なんですけど、元々あそこは「魚卵坂」って地名なんですね。ジモトの飲み屋のおっちゃんに聞くと、あそこはシロガネーゼのイメージじゃなくて、渋谷川沿いの工場地帯だったんですよ。60年代には高度成長でみんなめちゃくちゃ儲かってて、魚卵坂のあたりには、ちょっとした飲み屋が集まってたんだそうです。その頃から時間が止まってるカラオケ屋とか飲み屋が、まだちょこちょこ残ってるんですよね。なんでそういう話をしたかっていうと、高度成長期にできたのが、東東京や北区の、職住接近型の街。それが消えていったのは、そういう商売の需要がなくなった。で、それ以外に人の供給源は何かっていうと、大学なんですよ。今言ったエリアには、大きな大学がないですよね。東京では東大が一番東の大きな大学で、だから浅草あたりまではその文化圏に入れる。文京区もまだ古い街が動いている。でも、大学がないところは、以前であれば工場に来た地方の若者だとか、次男坊三男坊がいて、給料が出れば、呑む・打つ・買うの遊びに出るわけですよ。墨田区の工場のオジサンが、自叙伝で話してるんですよね、そういう話を。だからいまでもそういう人たちが強いのは、蒲田みたいにそれなりに活気のあるところ。そうじゃないところは、若い人が供給されなくなったんですよね。

津田:職住接近って結構重要で、僕が住んでた北区も、食べるところが何もなかったんですよ。で、うちの住んでるところの近くに、小学生の頃、ロイヤルホストができたんですけど、そこがいつ行っても行列で。

一同:あーわかるわかる!

津田:北区のロイホは、全国でも5指の売り上げを誇ってたらしいですよ。うちの近くには一応外語大もあったんですけど、学生も少ないし、食べるところもなかったなあ。

鈴木:その感覚は分かりますねー。僕のはロードサイドだから北区とは事情が違うけど。ただ物流革命というか、地元の商店のおっちゃんじゃなくて、全国均一で同じものが入ってくるというときに、越智道雄さんとかが言ってる「郊外」っていうのが出てくる。まあ、学生街とサブカルが切っても切れないっていうのは、ソウルでも同じでしたね。ガイドブックに出てくるような街は新宿みたい。でも現地の学生に聞くと、女子大とか美大のある街が、一番、クラブだったりバンドだったりが栄えてるんですよ。

津田:弘大(ホンデ)とかね。下北とまったく一緒ですよね。

鈴木:ホンデには今回も行ってきたんでけど、あとその隣の梨大(イデ)とか新村(シンチョン)とか。この辺は高円寺に近い。どこも発達してくると、最初は労働者が入ってくるので、それにあわせたものが増える。それこそ浅草十二階の下は私娼窟だったわけで。そういう話は、今の浅草を知ってる人は分からないかもしれないけど。

仲俣:風俗の話はありますよね。東側って、消費の場所もなくて、錦糸町と上野と銀座しかない。で、銀座は別格だから、錦糸町は西武が入ろうとして失敗、上野は再開発されずに、文化の中心ってところから離れちゃった。逆に東京的なものは、津田沼とかに行って、ららぽーと的なものに行かないとないわけですよ。

津田:東京の東から北にかけてですよね。

鈴木:ということは南西部東京というのが中心なんだけど、それって何でなんだろう。

柳瀬:皮肉な話で、東京って東から栄えたんだけど、人は西から人が来ていたんですね。

津田:新橋が終着駅だっていう。

柳瀬:で、どん詰まりに集まってきて。今の東京の姿って、ほとんど徳川家康が作ったようなものなんですね。何をやったかというと、利根川を大改修して、霞ヶ浦にくっつけた。で、湾岸の水没地帯の水の管理をして、巨大な公共事業をやったんです。

鈴木:ということは、東京という街は、巨大な灌漑の公共事業で始まり、がんがん火事で燃えては再開発し。

柳瀬:徳川家康こそ、日本最高のゼネコンの親玉ですよね。

仲俣:都市工学(シビル・エンジニアリング)っていうのは、再開発で話題になるけど、日本では普通「土木」って言いますよね。土木こそが都市工学の基本にある。その意味でここ数年の東京の再開発っていうのは、土木を伴った大型なものってなくて、基本的に寂れた地域を小規模再開発している。

柳瀬:中沢新一の「アースダイバー」が明らかにしたのは、東京には地形があったということ、自然があったということ。それが古地図ブームから繋がって、東京の地形を見直そうっていうのとセットになりましたよね。東京って元々河川も複雑で、そんなに住みやすい場所じゃなかった。坂も多いし、川も多い。東側が何故先に栄えたのかっていうと、その開発をやったから。だから東京で一番最初に栄えたのは、八重洲っていう砂州の上にできた町なんですよ。ここが東京の本当のダウンタウン。ここが真っ平らで使いやすかった。

鈴木:ためになる番組だなあー。江戸から東京への流れっていうのは、僕も東東京に越してから意識しだした。たださっき名前が挙がってた『東京から考える』って本は、そういう話からちょっと切れてて、基本的に一番大きいと思ったのは、さっき、下北には色んな人が住んでるって話があったじゃないですか。西東京でも東東京にも色んな人がいるんだけど、街っていうのが、いま、ひとつのライフスタイルしか許容しないものになりはじめていて、たとえば西荻窪とか下北沢に住んでて、子供が生まれると、すごく子どもを育てにくい環境に思えてしまう。だから引っ越さなきゃ、となる。そういう多様性を許容しない街になっていることが問題なんじゃないか。格差の問題もあるんだけど、むしろこの話は、かつての「団地」に近い。団地っていうのは街から切れていて、その均質化された空間の中で、パパ・ママ・ボクの戦後民主主義的な家族を作る場所だった。それが今スライドして、街に相応しい家族を作るということになってるんじゃないか、というのが僕がこの本から読み取ったこと。すごく面白いので是非買ってください。

仲俣:すごいいい本ですよね。

鈴木:最後にすごいスケールのでかい番組を。デンマークのコペンハーゲンに住んでます。地球の裏側にも、文化系の叫びは届いてますよ。ご存じの通り、ヨーロッパでは日本のサブカルが大人気。アニメはもう入り口、ビジュアル系を聞いてる子もいっぱい。東京はもはや聖地。きらめく憧れの街だと思われている。ドイツではビジュアル系のアイドルも出てきた。女子中高生から見れば、東京はディズニーランドのような街なのかもしれない。世界中の何でもが手に入る豊かな都市。日本のみんな、東京はすごいぞ。
アメリカのアーティストでも、エヴァネッセンスは東京、原宿大好きだし、日本でもディル・アン・グレイが大人気で、ビジュアル系のコスプレやメイク、ゴス系のメイクをしてライブに行くって文化は、完全に海外でも定着しましたよね。だから地方と東京っていうのとは比べものにならない距離をあけて、幻影としての東京というのがある。他方で、リアルに住んでる人もいて、どういう人とふれあい、友達になり、お金を稼ぎ、家族を作り、次の世代に東京を渡すということが問題になる。東京をこんなに語りたくなることが一番大きいのかな。
2月はウェブ中継やります。次回は憧れの人。
2007年02月10日(土) 10:36:52 Modified by life_wiki




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