ダニエル・エスト 著




























序説:この壮大な記録、集められた手記が全て真実であると考えるのは自由だが、それは私に確証は出来ない。しかし、この壮大な旅路を記録する執筆・編纂・そして調査旅行において、私は私自身の心の地図上を旅したのかもしれない。それは、壮大な世界旅行だったのである。(マック・デビッド・エスト)



























 『マック・デビッド・エストの壮大な旅路』









 


















 モーセが、約束の土地を前にした時、彼と彼の民は、すこぶる健康で、それまでの苦難の中で何も失われたものはなかった、という。私、マック・デビッドは、父からこの物語を聞いたとき、神の支えの凄さを感じたのだった。




























     第一章 ロベルト書簡との遭遇















 私の名前、マック・デビッドは父が付けたが、デビッド(ダビデ)は聖書の中の、民のリーダーであった男の名である。彼は、偉大な王であったが、一つ、神の前に罪を犯した。彼は、部下の妻を奪い、さらに、その部下を戦地に送り、そこで死ぬように仕向けたのだ。これは神の心には適わなかった。デビッドと、彼が部下から奪った妻との間に生まれた子は、はやくに死んだ。これは神の意の顕れだった。父は私に、このことを思い、神を忘れぬようにこの名を付けたのだ。
 イエス・キリストは、人は天に召され、神の国に入ると、どのようなものになるのか、という問いに対する答えとして、そこ(天国)では、人は、めとる事も、嫁ぐ事もなく、天使のようなものになると教えている。
 ところで私が考えるのは、ダビデ王も、その部下も、その部下の妻も、その子供も、みな、今は天に召され、天使のようなものとなっているのだろう、ということだ。そして、そのことに何か感じるものがあるのだ。
 私を深く愛してくれた、そして天に召された、おじいちゃんたち、おばあちゃんたち、そして私よりも先に天に召された、私を愛してくれた人たち、友、そんな人たちは、みな今は、天使のような者となり、イエス・キリストと語らう日々を過ごしているのだろうか、そして、守護天使となって私を守ってくれたり導いてくれたりしているのだろうか、おそらくそうなのだと思う。
 
 私のこれまでの人生は、旅の多い人生だったが、私の、この壮大な旅路を書物として記すという行為は、何かの意味があると考えている。そして、私は「書物」が好きなのだ。読むことも書くことも。図書館という場所が好きだ。「書物」に包まれるとホッとする。私は、この壮大な旅路を書き記すため、数ヶ月ほとんどを図書館で過ごしていた。そうやっていたら、やはり私の存在に気付く者が出てきて、私に尋ねた、「君は、そうやって、文字といっしょに日々を過ごしているようだが、女性に興味はないのかい。それに、君さ、いつも、なんだか難しそうな本ばかりを参考に見ているようだけど、全部、意味は分かっているのかい?」
 私は答えた、「最初の質問についてだが、女性に対するのと同じだけ、書物が好きなんだ。次の質問だが、私は、ここに抱えている本の中の全てを理解しちゃいないさ。全てを理解しなくても、女性を好きになれるのと同じなのさ」

 そのような日々・・・、私は地元の図書館で過ごし、本にまみれ、ある時、書を離れ旅立った・・・・。

 放蕩の数ヶ月ののち、私、マック・デビッド・エストは、カナダ・バンクーバー市のブロードウェイ駅から続くコマーシャル・ドライブを歩いていた。コマーシャル・ドライブは、そのインターカルチュラルな佇まいによって、多くの若者たちを惹きつける通りだ。

 私は、小説家という職業にあこがれ、自分流ではあったが、多くの文章を書き、ハイスクールではよく友人を読者にして、彼らを楽しませていた。しかし、私の小説を何度かパブリッシング・カンパニー(出版社)に送ってみても、出版に至ることはなかった。私は、文章を書くのと同時に、絵を我流で描いていた。 私の小説への評価はパッとしなかったが、絵の方がよく売れた。私の父親は、キリスト教の伝道師だったから、私は小さい時から、父についてゆき、多くの国や地域を旅した。それで私は複数の言語を、いつのまにか身に付けた。私のルーツはフランス(正確にはコートダジュールに近い南フランスの田舎)であったが、上記の理由から、人生の最初の記憶は、アジアの東に位置するジャポンという国での生活だ。それは、オーサカだった。しかしインターナショナル・スクールやアメリカン・スクールに多く在籍したため、個人的な第一言語は英語なのだ。
(旅の途上で、この記録を書き記したため、部分的に、私の第一言語である英語での執筆になっている。)
* 英語部分の日本語訳は、英文の後に付く。
Osaka,... the city is the second largest civilized area (megalopolis),
but my family and I was living in "Kanan", the small countryside zone,
which is very near the border between Osaka and Nara-prefecture.
In Japon, the pronunciation of the zone name "Kanan" is like "Canaan",
the name of the land that God promised to give to the descendants of
Abram. My memory is not great, so my knowledge might be a little bit
wrong...
I am a son of a pastor, but I have read the New Testament and only
the first several parts of the Jewish Bible. In Osaka, I learned
spoken Japanese language, so I still do not have troubles in
conversations for living in Japon.
I can say I am good at Japanese.

I wrote I am walking on Commercial Drive. So, I had better write how
I came to this place, Canada.(Vancouver)
I remember that was a year ago...
I was holding my artwork exhibition at a gallery in the small countryside
zone Kanan in Osaka, which could be called my spiritually born place for
many reasons.(There I experienced many joyful things and also hard times.)
{英文の訳}
 私の居たオーサカというと、ジャポンの第二の巨大都市(メガロポリス)だが、私のファミリーが住んだのは、カナン町という小さな田舎町だった。たしか、カナンというのは、旧約聖書に登場するアブラムに関係する土地の名前と、ジャポンでは同様に発音する。私の記憶はあいまいだから、違っているかもしれない。私は伝道師の息子だが、聖書は新約と、旧約のはじめの方しか読んでいないのだ。オーサカで、私はジャポンの言葉を覚えたから、ジャポンでの生活のための会話では、今もこまることはない。むしろ私はジャポン語(ジャポネーゼ)が得意だ。

 カナダ・バンクーバー市の、コマーシャル・ドライブ通りを歩いていると言ったが、私がどのようにカナダにやって来たのかを言っておこうか。一年前の今頃、私は何か必然の産物だったのかもしれないが、様々な意味での精神的故郷オーサカの田舎町(そこでは、多くの楽しい事、辛い事を経験した)で絵画個展を開催していた。(上記英文の日訳・了)

 とにかく、移動、また移動の日々の連続が私の人生だった。
 前に言ったように、私のファミリーの事情で、私は本当に多くの場所にいたことがあるのだ。
 ジャポン
 サウスコリア
 タイワン
 米国領マリアナ諸島
 ハワイ州
 上海
 香港
 バンコック
 クアラルンプール
 カリフォルニア州
 マイアミ
 シアトル
 メキシコ
 ニューヨーク
 ボストン
 ロンドン
 パリ
 ローマ
 スイス
 チェコ共和国
 アムステルダム
 ベルギー
 ミューニック
 フローレンス
 ・・・そんなところだ。
 その後、フランスの田舎町に移った。
 私は、あまり敬虔とはいえなかったが、時にはジャン・カルバンの教派のチャーチに顔を出していた。田舎町は、人間の伝統から生じた因習がまだ結構あったので、チャーチに行くことで、頭をすっきりさせることができたのだ。「何が見るべきものか」その方向性を再確認できる所が、チャーチだった。
 そこで私は、一人の日本人に出会ったのだ。彼は、日本にあるカルバンの教派の出身者で、(本人曰く)オーサカの大エレクトロニクス企業から、フランス支社を設立すべく派遣されてフランスに居たのだ。当然、日常勤務はパリだったが、喧騒を逃れて田舎町で週末を過ごしていたのだ。
 私が見た彼の印象は、「勇気と希望」だった。彼はそれらのエナジーを放っていた。私が読んだいくつかの本によると、そうしたエナジーを天性的に放つ者がいて、彼らは天性の起業家タレントを持っていることがある。
 礼拝の後、彼は私に、どこかうまいコーヒーを出すカフェはないか、と聞いた。
 そこは田舎だったから、多くのEAT・OUTプレースはなかった。私は、教会の木造の天井を見上げながら、いくつかカフェを思い浮かべた。アーチ型のハリと柱が天井を支えているのが目に入った。そういえば、アジア風のディッシュも用意しているカフェがあることを思い出した。
 私はオーサカからの日本人を、そのカフェへ連れていった。彼はエスプレッソを、私はチャイティーのラッテをオーダーし、二人とも、"COUSCOUS DE POULET AU CARI"を、その昼のランチにした。話しているうちに、二人とも小さい頃の一時期をオーサカのカナンで過ごしたと分かった。人生には偶然というものはない、という賢人がいるが、私はその言葉を時々おもう。私たちは、二人ともがカナンで生活した経験をきっかけに、多くの話に花が咲いたのだった。それが、のちに私にカナダ・バンクーバー行きをもたらした。オーサカからの男の名は、ヨシエモン・J.S.R.(仮名)といった。ヨシエモンは、ビジネスマン本職であったが、多くのジャポネーゼ・トップ・マネジメントがそうであるように、彼もまた、芸術(美術にも音楽にも映画にも)に深く感動する性質だった。私は、かつてのカナンの光景をモチーフにいくつか絵を描いていたので、それらのPHOTOGRAPHSの、メモリースティックにSAVEしていたいくつかを、ヨシエモンに見せた。彼はそれらをすぐに気に入り、彼のプロデュースのもと、私はカナンに久々に戻り、個展を開催したというわけだ。
 個展期間中、ヨシエモンの会社のCOOがかなりの額で、会社三十三周年記念に私の絵を買ってくれた。(本社の応接室に飾るそうだ。)
 それで私はこのコマーシャル・ドライブ(カナダ・バンクーバー市)に辿り着いたってわけなんだ。
 そして、私は、(企業名を明かすことは出来ないが)その企業のCEOであり、創設者のザビアー・J.S.R.(仮名)から密命を帯びた。ザビアーは変わり者だった。大企業を動かす人物の中には、非日常的な妄想に心を遊ばせることを趣味とする者がいると聞くが、ザビアーもそのような者の一人であった。私は、肯定的ファンタジーは人類にとって大きな宝であると考える人間だ。
それにしてもザビアーの肯定的ファンタジーは、スケールの大きなものだった。それは、あまりにも大きい。私は、世界を旅し「宇宙人が存在する」という信じられるレポートを作成するという役を、ザビアーからもらってしまったのである。作成のための費用は、ザビアー財団から別会計で支給されたが、その金額をここに書くことは出来ない。それは、ザビアーに許されていないのだ。
 
























 二〇〇八年八月八日。
 私はカナダ・バンクーバー市のコマーシャル・ドライブ通りで出会った、とある女性(?)Rとともに、ロッキー・マウンテニア鉄道が有するウィスラー・マウンテニア・トレインに乗って、ウィスラー山にやってきた。私は、躊躇したのだが、Rは私を同室に泊めた。ヒルトン・ウィスラー・リゾートの一室だった。実はトレイン・トリップについては全て、何故かRが出費してくれたのだ。ヒルトンに泊まると聞いて、私はロビーでパリスは居ないかとキョロキョロした。(パリス・ヒルトンはおそらく無料でヒルトンに宿泊できるのでは、と思ったのだ。)
 部屋に入るとすぐに、Rはシャワーを浴びると言い、バスルームに入った。それほど汗をかくような気候ではなかったので、私は、Rがすごく綺麗好きなのだと思った。
 Rがバスルームに入ったので、私はTVをつけた。くしくも今日は8月8日、どうやら北京オリンピックがスタートしたようだ。開会式の映像が流れていた。世界の目がアジアに向けられている今、私は北米にいる。そういうことは私の人生にはよくある。
 私は、先程ホテルにチェックインする前に、ビレッジ・マーケットで買ったものを室内のテーブルに並べ、眺めていた。
 インスタントのパドタイ・ヌードル。
 ミスター・ヌードルズ(ベジタブル味)。
 青林檎。
 たしかトンプソンツインズという名の葡萄。
 パリス・トースト。
 ウィスラーの水。
 ハンガリアン・サラミ(アジアのヌードルによく合う)。
 オレンジジュース(ビタミンの補給が大切)。
 ミルクコーヒー。
 ヘインズのトマトジュース。
 
 時間が経った。
 私は眠ってしまっていた。

 私が目を覚ますと目の前に、Rの光り輝く身体が見えた。
私は、Rの光に包まれた。
 次の瞬間、私はウィスラーの頂きの見える場所にいた。
 側に巨大なシャトーが見えた。
 そして次の瞬間、私はそのシャトーの中にいた。

 シャトーは空に浮かんだ・・・・。シャトーが一つ消えても、この広大なウィスラーで気にする者はいない。
 ウィスラーの連なる峰を背景に空を飛ぶシャトー、きっと絵になる風景だ。

 Rは宇宙から来たのか?

 私は、そのシャトーでしばらく銀河を旅したような気がする。

 しかし、やがて私は気が遠くなり、再び目を覚ますと、ホテルのベッドに一人横たわっていた・・・。これは、壮大な旅路の予兆だったのだ。そして出会いの予兆だった。

 一九九八年のこと、(十年程前になる・・・)バンクーバーの映画産業が注目され始め、その年は空前の宇宙人ブームだった。当時、『Xファイル』なるTVシリーズSFがヒットしていた。これはバンクーバーで撮影された。(バンクーバーはハリウッド・ノースとも呼ばれ、北米第三の映画シティである。)その影響で、当時の旅行者は、バンクーバーの街を歩くと本当にエイリアン・アブダクションが起こるのでは、とさえ思った。(シリーズでは、劇中舞台はワシントンDCとなっているが、多くの観客は、それがカナダ・バンクーバーで撮影されていることを知っていた。)
 私はこれをきっかけに、世界旅行をスタートすることになった。私は富豪ザビアーにだけは、より多くの真実を語らねばならない。彼は、単にお金を出すだけでは私のプライドが傷つくだろうと、私の絵を買ってくれもした。それが、つまりはこの世界旅行の資金の一部にもなっているのだ。資金は世界中のほとんどの地域でウィズドロウできるシティバンクに入れておいた。ザビアーは、『Xファイル』と、本当の宇宙人の存在との、何かの接点がバンクーバーにある、と彼独特の嗅覚で察知したのだ。彼のディレクションの元、放蕩ののちに私はこの街に辿り着いたのだ。ここで、ザビアーの嗅覚は現実のものとなった。
 ザビアーと出会ったばかりの頃の、彼の事を思い出す・・・。
 資金受け渡しの契約のため、ザビアー・J.S.R.と最終面接をする日のことだった。
 ザビアーの執務室のドアを開けると、俳優マウント・サイドが居た。ザビアーは南半球をミスター・サイドに、北半球を私に任せた。ミスター・サイドも資金提供を受けていたが、それで、彼はザビアーのプロデュースする映画シリーズに出演することになっているのだそうだ。ザビアーがどんな映画をプロデュースしようとしているのか知らないが、彼は、一般的にまだ知られていない事実を知りたい性格の男なのだ。

 私にはだんだん、これまで地球人が多くの宇宙人たちに出会ってきている、ということが分かってきた。

 その後、最初にあった出会いは、ロベルトくんとの遭遇であった。
 Rが夢かうつつか分からぬまま、私は一ヶ月だけの宿を一時的に取った。そこは、『ダンズマー・インターナショナル・ビレッジ』というハウジングで、多くの国々からのカナダ滞在者たちが住んでいた。隣には大きなカトリック教会がある。これには安心感を覚えた。名門S.フレイザーU(サイモン・フレイザー大学)大学院経営学府は、バンクーバーの中心を通過するグランビル・ストリートと、バンクーバー中華移民の歴史が積み重ねられたペンダー・ストリートとの交差点にある。それはこの近くだ。ここのあたりでは、多くのエイリアン・アブダクションのTV映画が撮影されたと聞く。(『バトルスター・ギャラクティカ』の二十一世紀・新シリーズもよく付近で撮影されている。)この名門学府を基点に、周辺には多数の学校が存在している。ここは、国際的スチューデント・エリアだ。ダンズマーのハウジングに滞在する多くは、学生である。
 ロベルトくんとは、このハウジングの調理室で出会った・・・。
 これまでの推測通り、バンクーバーには、宇宙につながる何かがある・・・。
 彼は調理室で、日本製のインスタントラーメンにイタリア製のサラミを入れて調理していた・・・。私のテイストに近い何かがあったので、話してみると、彼もまた無国籍的人物であった。そして彼は、明日、宇宙へ旅立つ、と言うのだ。
 私は半信半疑だったが、彼が、宇宙から彼自身の回想録を、私にEメールで送付してくれると言うので、私の任務上、都合が良かった。(それは、読んでみると、ロベルトくんの子供時代からの思い出だった。)
 そして、以下は、そのロベルトくん(ロベルト・ディアス)の回想なのだ。





























(ロベルトくんの回想・原文のまま)
Always I remember ... that landscape ... , the Greek Churches on the islands
of the Mediterranean Sea. I saw them when I was a boy....
They were so beautiful in reflected sunlight from the perfect blue ocean.
For me, my curiosity to women was a big part of my boyhood life.
Some women are still in my memories now....
I remember the days when I was about to be fifteen. I was living in a
white-painted house. From the terrace on the third floor, the Mediterranean
blue waves could be seen. Everyday our lovely dog came close to me and held
me when I came back from school.
I liked science class in school. Some TV programs about NASA's spacecrafts
made me think I would go to outer-space someday.

Dad and Mom adopted me as their child. I am a Japanese origin, but they gave
me a European-like name. My parents-in-law were running a bed-and-breakfast
for tourists during summer season at their own white-painted house. So, in
my boyhood, I met many people from all over the world....
Many foreign people came to the Mediterranean coast to have fun.
As the white-painted house that I was living in was close to the shore,
so, from the terrace of the house, thru my field glasses, I could see
women in beautifully-designed swimsuits walking on the beach. That was
a nice time after school. The chair on the terrace was my favorite
place.

That was a day in June of 1985.
"Roberto, Roberto!"
I heard the voice, then. My school friend, Augusto interrupted my time
for relaxing.
"Roberto, Roberto!"
Whenever Augusto hurried to me, he had found a scene that he wanted to show
me. My parents' white-painted house was near a place, ... a secret place
where a man and a woman were making love. The place was beyond the big
black rock. We could go there thru a tunnel thru the big rock. The field
of the secret place was covered by soft grasses. Beyond the grass field was
a smooth sand beach. Almost nobody knew it, but Augusto went there to see
lovers. Always Augusto was hiding himself behind the long dense grasses
beside the secret beach.
Augusto always came to take me to the secret place when
he had found a man and a woman making love at the place.

Augusto called me excitedly ... , "Roberto! Roberto!"
At that time, I was about to begin drawing some portraits
on my sketchbook. It was one of my hobbies to make
portraits of visitors from the foreign land.
Parents-in-law used to put chairs and tables to drink tea in the
garden of the house of the white wall.
The tourists in the guestroom who took teatime were able to be
seen well from the third floor veranda.
There were lots of man and woman couple guests.
I saw them. In those days, I did not understand the various
interpersonal relationships, especially the man and woman
relation. I saw women with her tears, and I saw men with tears....

"Roberto! Roberto!"
Augusto called me again and again. Yes, I was also very interested
in those things, ... like Augusto. So, I decided to go with him
to the secret place where a man and a woman were making love.
When we were boys, Augusto and I was so interested in the act
between man and woman.

My parents-in-law were very very nice to me. I loved them and I am
still loving them. They influenced me much. Dad-in-law was
drawing and painting lots of sceneries of the sea in his spare time.
Mom-in-law was working for a gallery on the seashore street.
My hometown, Crete is the biggest island in the Mediterranean.
It is 45 minutes to get there from Athens by plane.
In the ancient days, Crete had a unique civilization.
In 1900, Evans the archaeologist and his group excavated
Knossos, it had been the underground labyrinth of Crete.
It was the lost civilization's building.
I remember that my parents sometimes took me to
Iraklion Museum, where artifacts of Crete were exhibited.
Dad was looking at the artifacts so eagerly. I liked to
have coffee at the museum cafe.
I think I also got some influences from the unique
appearance of Crete artifacts.
However, to enjoy summer, people visit the Aegean Sea of
the Mediterranean, ... regardless of such ancient history.
I at that time liked to go to the Greek biggest city,
Athens. Parents-in-law sometimes took me to Athens.
I walked by myself in the towns of Athens after I had
become 12 years old.
I liked the hill of the Acropolis in winter. It is off-
season, and in Greece, winter tourists for the Acropolis
are not many. I was able to enjoy by that. Athens in
winter time is not lively, but I loved that.
I liked the sceneries of lots of roads on the hills of
the famous Parthenon. I liked the hill roads more than
the Parthenon building itself.
In Crete, there were many cute girls, but I felt that the
girls in Athens were much more lovely. I didn't know why.
I made portraits of girls in Athens in their fashion that
made them sexy. We all classmates including Augusto and
myself were fascinated by opposite sex in those days.
Augusto and I went to the secret spot over the black rock
and on the day we witnessed a couple of man and woman
making love.
I felt the spectacle was beautiful....
{ロベルトくんのEメール英文書簡の日本語訳}
 何度も記憶によみがえる風景…。
 少年の頃に見た、エーゲ海の島のギリシア正教会…。それは、海に反射する陽光を受け、美しかった。
 ボクは、女性の魅力に揺り動かされていた。
 女性たちの思い出……。もうすぐ十五になろうとしてた頃……。ボクは、白壁の家に住んでいた。三階のベランダから、エーゲ海の青い海が見えた。毎日学校から帰ると、飼い犬がボクを迎えた。
 ボクは理科に興味を抱いていた。NASAのロケットの映像を見て、いつか宇宙へ行きたいと考えていた。
 ボクは養子だった。養父母は、五月から八月まで、白壁の家のゲストルームに、観光客を宿泊させていた。それでボクは少年時代に、色々な国の人に出会った。
 エーゲ海には、多くの外国人たちが訪れた。ボクが住んでいた白壁の家はビーチに近かったから、午後はベランダの寝椅子で、外国の女性たちが色とりどりの水着で、ビーチを散歩するのを双眼鏡で眺めた。

一九八五年六月のある日、ボクはそうやって、くつろいでいた。
「ロベルト! ロベルト!」
 学校の友人、オーギュストが、門の外からボクを呼んだ。
「ロベルト! ロベルト!」
 そうオーギュストが息を切らしてボクを呼びに来る時は、決まって彼が、ある光景を発見した時だった。
養父母の、白壁の家の付近には、愛し合う男女が集う秘密のスポットが在った。
 それはビーチの奥にそびえる、大きな黒岩の中を通過する洞穴を、抜けていった所だった。そこには草むらが広がっていた。草むらをなんとか、かき分けて進んでいくと、人気のない砂地スポットが在った。オーギュストは、しょっちゅう、そこに張り付いていた。その人気のないスポットに男女が全裸で現れると、オーギュストは急いでボクを呼びに来たものだった、「ロベルト! ロベルト!」と。
 その時ボクはスケッチブックを取り出し、画を描こうとしていた。外国人観光客をスケッチするのは、ボクの趣味の一つだった。
養父母は、白壁の家の表ガーデンに、ティーを飲むためのテーブルを置いていた。三階ベランダから、ティータイムを取るゲストルームの観光客をよく見る事が出来た。男女カップル客が多かった。ボクは、ガーデンで起こる様々な人間関係、主に男女関係を訳も分からず見ていた。涙を流す女性を見た。男性の涙も見た。涙を流していた人が次の日、大笑いしている事もあった。その頃のボクには、それらの多くを理解する事が出来なかった。しかし、ボクはそれらの人々をポートレイトにした。ボクの趣味の一つであり、密かな楽しみだった。
「ロベルト! ロベルト!」
 オーギュストはしつこくボクを呼んだ。ボクは男女の行為に興味を持ちはじめた頃だったから、簡単に彼の誘いに乗った。男女の光景を見る事に、ワクワクしていたのだ。懐かしい思春期の思い出だ。
養父母は申し分なかった。ボクは彼らを愛していたし、今も愛している。彼らはボクに大きな影響を与えた。養父はいくつも海原の風景を、時間を見つけては描いてた。養母は、海辺のアート・ギャラリーを手伝ってた。
ボクが住んでいたクレタ島は、エーゲ海では大きい島で、飛行機でアテネから四十五分で到着する。大昔クレタには独自文明が在った。一九〇〇年、エヴァンス卿の発掘隊が、地下に埋もれていた迷宮クノッソスを発掘した。それがクレタの古文明が残した遺跡だ。ボクは養父母に連れられ、古文明の遺物が展示されているイラクリオン考古学博物館へ何度か足を運んだ。養父は非常に熱心に展示を見ていた…、そんな記憶がある。ボクはミュージアム・カフェで飲むコーヒーが好きだった。
 ボクも、クレタ文明の独自のアピアランスに目を見張る事もあった。だが、そのような古代史と関係なく、人々は夏を楽しむためにエーゲ海を訪れる。
 当時のボクは、刺激的な都会アテネへ行くのが好きだった。養父母は時々、ボクをアテネへ連れて行った。十二才になってからはアテネの街を一人歩きした。ボクは、冬のアクロポリスの丘を好んだ。冬のギリシアはオフシーズンで、アクロポリスの観光客もまばらだ。冬のアテネには活気が無いが、それはそれでボクは楽しめた。アクロポリスの頂上に、有名なパルテノンが在るが、ボクは多くの道が縦横に入り組んだ、丘のふもとが好きだった。クレタにも、かわいい女の子たちが居たのに、アテネの女の子の方に引かれたのは何故だったろう? ボクは、オヘソが見えるファッションに身を包んだアテネ少女たちのポートレイトを、描いたりもした。その頃、オーギュストやボクをはじめ、クラスメートたち皆、異性に興味津々だった。
 その日、オーギュストと共に黒岩の向こう側へ行き……、ボクらは、秘密のスポットで愛し合う一組の男女を目撃した。ボクは、その光景を、美しい、と感じた。
(日訳・了)
















* 私、マック・デビッド・エストは、いくつかに分断されたEメールによる書簡をロベルト・ディアスから英文で受け取ったが、以下は私が全て日本語訳したものである。




























(ロベルト書簡のつづき)
 当時、ボクの家の百五十メートル先にバー・レストランがあった。
 毎日、付近の人々や観光客が、そこに集まっていた。そこのシーフード・パスタは評判が良かった。ボクは、時々そこで働いて、ちょっとばかり小遣いをもらっていた。そこでのボクの役割は、シェフの買い入れを手伝う事だった。市場で買い入れる海の幸を、車に積み、そして下ろす事……。

 その六月、ある女性が、バー・レストランの常連客になっていた。
 六月のある日、シェフとの買い入れの後、ボクが車から積み荷を下ろし、持って店内に入ると、彼女はカウンターに腰掛け、ワインを飲んでいた。
 彼女の目は、少し切れ長で、髪は黒々として、色白だった。アジアの女性の風貌だ。
 ギリシアの女性たちは美しい、と世界中で言われているのを知っていたが、周囲にはギリシア女性がほとんどだったからか、バー・レストランで見たアジアの女性の風貌にボクはたちまち惹かれた。
 ボクは彼女の詳細を知りたくなり、荷物を運びながら、彼女とバーテンダーの間で交わされる話に聞き耳を立てていた……。
 彼女の名はチャン。
「年齢は三十三才。推定年齢よ…」と彼女が言ったように聞こえた。
 チャンは、幼少期の記憶がない、と言った。一度結婚し、離婚後、ある画家とパリで同棲を始めた、ということも分かった。
 彼女は、クレタへ長いバカンスを取りに来ていた。
ボクの世代のギリシア人は、なんとか英語を話せる。
 チャンは英語で、ボクに話しかけてきた。ボクが、彼女の容姿に惹かれて、ずっと見ていたことも、その原因だったろう。
彼女は唐突に言った、「家族というのは芸術ではない・・・、それは、人生の通過点の美しい瞬間の一つ」
 ボクは彼女の言葉を理解出来なかった。ボクは「えっ?」と聞き返した。
「どうでもいいのよ・・・」そういって彼女はグラスに残っていたワインを一気に飲んだ。それから、シーフード・パスタをオーダーした。
「何才?」チャンが聞いた。
「もうすぐ十五…」
 ボクが答えると、チャンは少し笑みを浮かべた。
「分かりやすいね…。今年八五年で十五才…。キミは、一九七〇年に生まれた」
 チャンがオーダーしたシーフード・パスタが出てきた。彼女はそれをつついた。
 ボクは、「それ、美味しいでしょ?」と聞いてみた。
 少し食べてから、「食べる?」とチャン。
「いいの? ここのパスタ好きなんだ」そう、ボクが言うと、彼女は何も言わず立ち上がり、カウンターに代金を置いて、店を出ていった。
 ボクは確かに、シーフード・パスタが好きだった。
 チャンはドアから出る前に、ボクをうつろな眼差しで見た。
 ボクはドキッとした。
 去っていくチャンを見送りながら、シェフは言った、「バーには色んなタイプの客がくる。だけど、あの人は変わってる…。ロベルト、それ、よかったら食べて」
ボクの養父母は、ほとんどバーへ行くことがなかった。たまに二人で、家のディナー・テーブルに腰掛け向き合って、グラスにワインを注いで味わっていた。
ボクが養父母の白壁の家に来る前、そこに彼らの実娘が住んでいたらしい。結婚後、彼女はマニラで生活している。ボクは、あまり規制を受けずに養父母に育てられ、時々ポケットマネーをもらった。ボクがバー・レストランを手伝うようになったのは、海の香りのする市場の雰囲気が好きだったから……。そうこうしている内に、ボクの貯金は増えた。

 ある夕方、仕事を終え、海辺を歩いて、家へ帰っていると、チャンがゆっくりとボクの前を歩いていた。宿泊しているホテルへと向かう途中なんだろうな、とボクは思った。
 チャンの歩く後ろ姿は、映画のスローモーションのように見えた。チャンは本当にゆっくり歩いていた。ボクはドンドン彼女に接近してしまった。チャンを追い抜いたボクは、チラッと彼女の方を振り返って見た。その時、彼女がウインクした……。
 ボクが立ち止まると、彼女は英語で言った、「ワタシが泊まってるホテルに遊びに来ない?」
 チャンのような魅力的な女性に誘われたら断るのは難しい。
 ……だが、同時にボクは恐くなっていた。ボクは男性経験が豊富そうな女性に、憧れと恐怖の両方を感じていた。実際にチャンが男性経験豊富だったのかボクは知らない。ボクはヘンな憶測をしてしまうのだ。ふとボクは、自分の想像が飛躍していることに、気づくのだった。
 ボクは答えた。
「OK」
 ボクの親の世代は、あまり英語が分からなかった。ボクたちは、学校で英語を教えられていたから、他国人と会話する時、英語を使って意思の疎通が出来た。
学校は既に夏休みになっていた。クラスメートの中には、集まってキャンプに行く者もいた。ボクも時にはそういう事に参加したが、当時、ボクは大人の世界に惹かれていた。大人の女性に……。ボクのリビドーは活動的だったのだ。
 チャンの宿泊しているホテルの部屋を見たい、という気持ちはとても大きかった。十五以上年上のチャンには、女性的雰囲気が漂っていた。

 チャンは手招きして、丘の上のホテル「宝石」へとボクを導いた。

 チャンは、部屋の鍵を開けて、先に中へ入った。
「カムイン!」とチャンはボクを中へ誘った。
 チャンは、ボクが入るとドアを閉めて、ワンピースを脱ぎアンダーウェアだけになった。
チャンは言った。
「一人で、ここに来たんだけどね、退屈しちゃって…」
 チャンは明らかに、少年だったボクの動揺を見て楽しんでいた。ボクは思わず、彼女に触れようとしたが、恐怖心もあり出来なかった。
「じゃ…、さよなら!」ボクは、そう言って、急いで部屋を出て行った。

「また、いつでも遊びに来てよ。おもしろい物みせるわ!」
 チャンは去っていくボクの後ろで、そう言った。

 ボクは丘を走り降り、そして後ろを見ると、だんだんホテル「宝石」は小さくなった。

 夕闇のビーチを一人で歩いた。頭の中を整理しようとしていた。

 夕闇のビーチに、一人立って海原を見るお尻の大きな少女を見た。彼女は大きなハットを被り、そのハットと共にステキなシルエットを作り出していた。
 彼女は、ふとボクの方を向いた。その時、風で彼女のハットが飛んだ。
 フワリフワリと、風に乗って、ハットはボクの足元に落ちた。
 ボクはハットを拾い上げた。
 お尻の大きな少女はボクの元にかけよってきた。
 ボクはハットを手渡した。
 彼女は「サンクス」と言った、「キミは、この辺に住んでる子? ワタシ、ドイツから来たのよ、お父さんと」
「ボクは、すぐ近くに住んでる。この島には、色んな国から観光客が来るんだ。エーゲ海は有名だから。キミもバカンスで?」
 彼女は答えた、「ウン、あのホテルに泊まってるの」
 彼女が指差したのは、遠くに小さく見える、ホテル「宝石」だった。
「キミ、何か書くもの持ってる?」と彼女。
 ボクは、ポケットをさぐり、安いボールペンを取り出した。
 彼女は、ボクのボールペンをサッと奪った。そして、ボクの電話番号を聞いた。それを彼女は自身の手の甲に、ボールペンで記した。

 そのドイツ少女が、ボクには、映画に登場するヒロインのように見えた。

 当時、ボクは映画が作り出すイリュージョンの虜だった。
 白壁の家から三百メートル程歩いた所だったと記憶しているが、キオスクがあった。ボクは、そこでよくジェラートを買い食いした。
 キオスクに、アメリカ合衆国やフランス、時に香港の映画スターのグラビアがいっぱいのマガジンが売られていた。ボクは、そんなマガジンが好きだった。
 アメリカ合衆国、フランス…、どこもが、クレタ島から遥か彼方だった。
 しかし、時どき、それらの国々からのロケーション撮影隊がエーゲ海を訪れた。ボクはまっさきに見物に行ったものだ。
 一度、人気のフランス女優がロケーション撮影に来た。ボクは、彼女と握手を交わして、不思議な感激を味わった。
 すました顔をしながらボクは、心で女性たちに翻弄され続けていた。

 ドイツからの、お尻の大きな少女が、その六月のある夜、ボクに電話をかけてきた。養父母は、サーカスを見に行って留守だった。彼女は、ボクを、宿泊していたホテル「宝石」の部屋へ呼んだ。
 心を躍らせながら、彼女の居る部屋のドアをノックした。
 ドアが開いた。
 ドイツ少女は、ボクを部屋の中に入れた。
「今日は、お父さんが、バーに行ってしまって居ないの」彼女は、やや、笑みを浮かべて言った。
「ワタシさびしいの」
 そう言うと、彼女は、ベッドに座っていたボクの傍らで眠りに就いた。ボクも横になり、彼女の傍らで眠りに就いた。
 夢の世界に入る前に、ボクは彼女の名前を尋ねた。
 彼女は小さな声で答えた。
「クララ。クララ・シュミット……」

       ***

 翌朝、ボクは、シャワーの音で目覚めた。その部屋のシャワーは、ドボドボと、かなりうるさい音を出すモノだった。
 半ドアになっているシャワー・ルームのガラス扉を見ていると、全裸のクララが出てきて、彼女はそのまま、ティーを入れて飲んだ。
 彼女は、まだボクが寝ていると思っていたのだろうか?
 ボクは全裸の彼女の大きなお尻を眺めていた。
 そうしていると、彼女はもう一杯ティーを入れた。そして、ボクに向き直り、それを運んできた。
「はやく起きて! お父さんが戻ってくるから!」

 ボクはティーを飲み干すと、部屋を出た。

 その夏、ボクの知らない間に、町に新しいカフェが出来てた。イタリアン・カフェだった。通り沿いのテーブルで二人の男性と三人の女性がスープを飲みながら、イタリア語で話をしていた。通りすがりのボクも、そのスープを飲みたくなり、カフェに入り、オーダーした。
 やがて、「本日のスープ」の香ばしい匂いがしてきた。ボクはスープを受け取り、見回した。空席はなかった。それで、カップを持って、立ちながらスープを飲んでいた。
 ふと、入口付近のカゴにフリーペーパーを見つけた。
 スープを飲みながら、フリーペーパーを読む……、ひとときの幸せを感じられた。
 そんなボクを、さっきのイタリア語を話す五人の中の、一人の男性が、彼らのテーブルに招いた。
「ミスター・アカワという者だけど、キミ、ボクらのテーブルに来ないかい?」
 ミスター・アカワという、三十代後半の人物からの突然の誘いに、ボクは正直、とまどった。ボクが何も答えず彼の顔を見ていたら、彼は「いやいや、そんなにへんな顔されると、ボクもどうしていいのか分からなくなる」と英語で言った。
「ボクはね、ローマからここクレタに来た。そう…、バカンスでね。普段はローマに住んでる。キミはここの子みたいだから、この辺の楽しい場所を教えてくれるかも…、って考えた」
 ミスター・アカワは、アジア系だった。ボクは「なぜローマに住んでるの?」と彼に尋ねた。
「まあ、こっちのテーブルに来て欲しい。こっちで話そう」とミスター・アカワ。
 ボクは、そのテーブルに移った。
「ボクは日本にあるコンシューマー・エレクトロニクス・カンパニーから派遣されて、ローマに滞在してるんだ。ローマに支店を作るためにね。家族で移動したから、まあ、なんとか落ち着いて生活してる。今、ちょっとしたバカンスさ」
 彼自身の自己紹介の後、ミスター・アカワは他の四人を紹介してくれた。

「なにか飲むかい?」とミスター・アカワ。
「ワインを」
 十五にもならないボクの、そんな発言に彼と彼のワイフは笑った。そして同じテーブルのイタリア人男性(ミスター・アカワの旧友)と、その恋人も笑っていた。
 もう一人の女性はかなり若かったが、ボクより三才は上に見えた。ミスター・アカワの娘だった。
 ミスター・アカワはビジネスカードをボクにくれた。ボクは、クレタ島のことをいろいろ彼に話した。
 ボクは自分自身の事を、まだあまり分かっていなかった。そして、日々を過ごしていた。養父母は、父親、母親、そして息子のボク…、という家族の光景を楽しんでいた。ボクの性質はトリッパー的だった。そして、感謝すべき事だが、ボクは健康だった。ボクは町を散策し、その光景を見る事を愛した。

 ボクはそれから、あいかわらずバー・レストランの仕事を手伝っていた。
 ある日、町の映画館へ行くと、あのドイツ少女、クララ・シュミットに再会した。ボクは上映中だったフランス映画に見入っていたが、最中、突然となりの席の客から話しかけられた。それが、クララだった。
 クララは「今日、ヒマ?」とボクに尋ねた。
 ボクは思わず映画上映終了後、チャンの部屋へ遊びに行く、……そして、彼女は、クララと同じホテル「宝石」に泊まっている……というようなことを言ってしまった。特に、そんな予定ではなかったのだが。チャンが見せると言った、おもしろい物は気になっていた。
「チャンって誰? ワタシもキミと一緒に行っていい?」とクララ。
「……OK」ボクは答えた。

       ***

 ボクとクララは、チャンが泊まっていた部屋へ行った。
 ボクがドアをノックした。
「だれ?」チャンの声がした。
「ロベルト…と友人のクララ」
 しばらく、ドアの向こうが静かになった。そしてまた、チャンの声がした。
「ロベルト…、ロベルト…? だれだったかしら?」
「バー・レストランでアルバイトをしている者だけど…」とボクは言った。
 ガチャッとドアが開いた。
 チャンは自室では、アンダーウェアだけで過ごすようだ。ドアを開けたチャンは、アンダーウェアだけだったため、クララはへんな顔でボクを見た。
 とにかく、ボクらはチャンの部屋の中へ招かれた。ボクとクララを中へ招き入れると、チャンは、アンダーウェアのみを付けていた身体を隠すために、急いでダーク・カラーの薄いマテリアルのシャツとタイト・ジーンズを着た。
「ロベルト……だったかしら……、この前ワタシが言ってたおもしろい物を見に来たんでしょ?」
 チャンは微笑み、奥の部屋へボクらを案内した。
 奥の部屋には、その一週間ほど前に出会ったミスター・アカワがいた。ミスター・アカワは、日本のコンシューマー・エレクトロニクス・メーカーからヨーロッパへと派遣された男だった。その風貌は、ややカールした髪に黒い髭……、ちょっとボヘミアン・ルッキングだった。彼はビデオカメラをローマで販売しようとしていた。
「ボクが何故こんなに忙しくて難しい仕事についてしまったのか分からないけど、ボクは自分の仕事を気に入ってる。しかし、時々バケーションを取って気持ちをOFFにする事で、ボクはなんとか業務をつづけてるよ。バケーションはいい」
 そう言う彼は、奥の部屋のソファにゆっくりと腰掛けて、ソルティドッグを飲んでいた。
チャンはミスター・アカワと、バー・レストランで知り合った。
 ミスター・アカワが座るソファを取り巻く壁には、七枚の絵画が置かれていた。
 それらこそがチャンの言う、「おもしろい物」だったのだ。
 それらを描いたのは、パリで、チャンと同棲中の画家だった。
 絵画は、どれも顔の部分が影になっている女性のヌードだった。ヌードの女性の腰には、タトゥーが描かれていた。ボクはハッとした。チャンのヌードを描いた絵画だと気付いたから。
 ボクらが部屋に入ってきた時、チャンは急いで服を着たが、その時ボクは、後ろ姿でジーンズに足を通すチャンの、腰のタトゥーを見逃さなかった。それは小さなタトゥーだったが、変わった形だった。七枚のヌードの中で、その形がしっかりと描写されているものは、一枚だけだった。
だれもが息を呑むような、チャンのスタイルを見ると、ボクはすこし、彼女とミスター・アカワの関係を疑ったが、・・・薬指にリングを付けているミスター・アカワは、チャンとたまたま、バー・レストランで知り合い、絵画に興味がある事を話し、そしてチャンは、彼女の恋人の絵をミスター・アカワに見せて売り込んでいたところだったらしい。
 ミスター・アカワは、自分自身の審美眼を持っている男性だった。
 ミスター・アカワはチャンの部屋にあった、いくつかの絵を静かに見ていた。彼は特に何も言わなかったが心の中では、いくつかの絵に対して、「好き・興味がない・嫌い」を自身の審美眼で決めていたようだった。
「ボクは、アートという表現が好きだ。アーティストに対して批評家が言う批評には、ボクはほとんど関心がない。ボクは、ボク自身が心地よいと感じるアートを欲しいのさ」ミスター・アカワが言った。
「ここには、いい絵があると思うよ。ボクは今、絵を買う程のお金を持ち合わせてないんだ。アメリカの友人に、いい絵があるって連絡するよ。彼の名は、ドクター・トーマス・レブンワース・カールトン・ジュニア。彼は新築した家に飾る絵を欲しがってた。ちょっと、ここの絵をビデオカメラで撮影していいかな?」
「OK!」とチャン。
 ミスター・アカワは、大きな黒いバッグから、ビデオカメラを出した。ボクはずっと、そのバッグに何が入っているのか気になっていた。ボクは映画が好きだったから、ミスター・アカワが取り出したカメラをじっと見ていた。
「キミ撮影してみるかい?」ミスター・アカワは、大きなビデオカメラをボクに手渡した。
「そのボタンを押せばテープが回りはじめる。ボクはね、キミたちの世代が、こういうモノを使って、新しいアートを作っていくと思ってる、ロベルトくん!」
 ボクはそこにあった絵を一つ一つ、撮影した。その間、ミスター・アカワは、彼の友人ドクター・トーマス・レブンワース・カールトン・ジュニアに宛てて、便箋に手紙を書いていた。

* ボク (ロベルト・ディアス)
* クララ・シュミット
* ミスター・アカワ
* ドクター・トーマス・レブンワース・カールトン・ジュニア
* ミステリアス・チャン(クララがチャンをこう呼んだ。)
 五人のコネクションが、ある財宝さがしにつながっていった・・・・。




























(さらにロベルト・ディアスの回想書簡)
 一九八六年七月八日(ボクは十六才になりクレタの暮らしに物足りなさを感じてた)
           
 ボクは、人気のないビーチに座り、外国船がゆるやかに浮かぶ沖を見ていた。
 海に囲まれた島で、日々変化のない暮らしをした。似たような毎日だった。たいくつさを感じていた。幸せな毎日だったのだが。
 歳が近いクララは、ボクにエアメールをくれた。彼女は、ステーショナリー・ショップで、その夏の初めにアルバイトをしたらしい。
 クララのエアメールを読むと、想像したものだ。彼女は、もうずいぶん成長したのではないだろうか、と。ファンタジーの産物が、ボクのリアルになってしまってた。ボクは、アルバイトで得たお金でダンスフロアに通った。踊る女性たちを眺めていた。時には、スチルカメラを持ち、彼女たちを撮影した。

 ボクはビーチで、チャンを見つけた。去年からずっと彼女はクレタに滞在し続けていたのだ。画家の恋人がいる、そうチャンは言っていたが、彼とはこの一年に何回逢ったのだろう、そんな余計なことをボクは思い巡らしていた。

 そうこうしている日々、ある問題が起きた。問題は、チャンを描いたヌード画が盗まれた、という事だった。そのような事が起きるとは、ボクは全く予想してなかった。
 そして、クララが突然、クレタに遊びに来た。
 ボクは、その日、午後一時までベッドの中にいた。リビングルームの電話が鳴った。ボクは、受話器を取るためにベッドから立ち上がった。クララからの電話だった。
「ロベルト、ワタシ! 分かる?」
「クララ?」ボクは、クララが再びクレタ島に来た事に戸惑い、そして嬉しく感じた。
「ロベルト、他におもしろい人も一緒なのよ。声を聞かせるね」
 誰だろう? ボクは考えた。
「やあ」・・・その声は聞き覚えのある、なにかみんなの好奇心を集める声だった。それは、その前年に出会ったミスター・アカワの声だった。
 ミスター・アカワは言った、「ボンジュルノ、ロベルト。一年ぶりだね。一年ののち、キミは、より成長しただろうね。今、ボクたちはイラクリオン考古学博物館にいる。そこのパブリック・フォンから、キミに電話してるんだよ。クララと、さっきここで会ったんだ。ばったりさ。一年前、チャンの部屋で会った時の面影があったから、彼女だと分かった。ミュージアム・カフェに居るから、キミもこっちへ来て欲しい」
 イラクリオン考古学博物館へ行くと、いつもボクは不思議な気分になった。
「何故、今を生きる者は、過去の歴史が残してきた文化に興味を持つのか?」そう、考えるのとウラハラに、ボク自身、クレタの歴史的海洋文化に引かれる事もあった。

 考古学博物館で、クララとミスター・アカワに会った。一年ぶりだった。ミスター・アカワは、チャンから連絡を受けて、イタリアからやってきた。ミスター・アカワは、風変わりな男でもあった。それならば、はやく、チャンに会えばいいのに、友人と博物館を見学していた。ミスター・アカワは、風変わりに時間を使うことで、生活の中のストレスを減少させていたのだった。
 そのとき彼と共に博物館を見学していた男が、ボクがそれまでに、その名前だけを知っていたアメリカ人、ドクター・トーマス・レブンワース・カールトン・ジュニアだった。彼は、少し神経質な面が表出するミスター・アカワと違い、自分を確信するように振舞っていた。
 その日、ボクにとっては、クララとの再会が最も重要な事だった。彼女に再会すると、ふしぎに嬉しくなった。
 ボク、クララ・シュミット、ミスター・アカワ、そして、ドクター・トーマス・レブンワース・カールトン・ジュニアの四人は、ミステリアス・チャンが一人でレンタル・ハウスを借りている住宅街へと出発した。(ボクとクララは、チャンのことを、「ミステリアス・チャン」と呼びつづけた。)ミステリアス・チャンは、長くクレタに滞在している間に、ホテルからレンタル・ハウスへ移っていたようだ。
 ボクたちが、ミステリアス・チャンが住むレンタル・ハウスのドア・ブザーを鳴らすと、彼女が、ドアの向こうから「WHO IS THERE?」(だれ?)と尋ねた。
「THIS IS MISTER AKAWA」(ミスター・アカワだが。)
 ミステリアス・チャンはドアを開けた。彼女は普段、わりと肌を見せる服装なのだが、その日は体を隠す長めのサマーセーターを着ていた。
 ボクは密かに、ミステリアス・チャンの腰に彫られたタトゥーに興味を持っていた。なぜなら、その七十年代デザインに興味を持ったから。
 ボクの養父は七〇年代北カリフォルニアに住んでいた。
 その頃彼が撮影した北カリフォルニアの、街の様子の写真が白壁の家にたくさんあった。 その中に、タトゥーを入れた人々が写っていた。
 ミステリアス・チャンのタトゥーのデザインは、北カリフォルニアのものと似ていることにボクは気付いた。そういえば……、彼女には幼少期の記憶がない。
 アメリカ合衆国、北カリフォルニア……、その地名は、養父の影響で、いつもボクの頭の中に浮かんだ。

 レンタル・ハウスのリビングルームに置かれたソファに、ボクたちは座った。
「そう…、絵が消えたの!」ミステリアス・チャンは話を切り出した。
「どの絵?」とボク。
「ワタシの背中から腰までが描かれたヌード画…」ミステリアス・チャンがそう答えると、ボクは、やはり、あのタトゥーが描かれたヌード画か…、と思った。あの、小さいが、変わったデザインのタトゥーには、何か秘密めいた所があった。
「あれ、タトゥーが描かれてたね。あのタトゥーは、北カリフォルニアと関係があるって、ボクは確信してるんだ」
 ボクの意見を皆の前で言うと、クララ・シュミット、ミスター・アカワ、ドクター・トーマス・レブンワース・カールトン・ジュニア、そしてミステリアス・チャンの四人の視線が、一気にボクに集中した。ボクは、そう確信する理由、養父のことなどを皆に話した。
 チャンは言った、「ワタシの腰には、ワタシがものごころついた時に、すでにタトゥーがあった……」

       ***

 ボクは、クレタ島の海に囲まれた小さな生活範囲から、外に出たくなっていた。クララは、白壁の家のゲストルームに泊まって、クレタ島までの旅路のことを、ディナーの時に話してくれた。
その頃、ドクター・トーマス・レブンワース・カールトン・ジュニアは、ミスター・アカワに、こう提案していた。
「ミスター・アカワ……、ボクは考えたんだよ。あの絵にどれほどの価値があるのか、ボクにははっきり分からない。しかし、ある情報によると盗まれた美術品は、ここから一番近い場所では、イスタンブールで売られることが多い。あの土地には、世界の様々なものが集まるんだ。古代の彫刻から、世界中の現代美術まで……。盗まれた絵はきっと、イスタンブールの市場で見つかる! 行ってみようか?」
 ミスター・アカワは、旅を好む男でもあった。彼が少年の日に夢見たアドベンチャーが、近くに来ていた。さいわいに、彼は、そのアドベンチャーに足を踏み入れるに足る、貯金を持っていた。そして、彼は、その旅……、つまり盗まれた絵を探すアドベンチャーには、他にも仲間がいた方がいい、と考えた。
 ミスター・アカワは、サマー・バケーション中の、ボクとクララをアドベンチャーに誘った。ミスター・アカワは、それまでの仕事で、ある程度の貯金を持っていたが金遣いが荒い人ではなかった。彼は、ボクとクララを二等船室に乗せ、彼自身も同じ船室に乗り、ボクたちはネオ・コンセプト号という名の客船で、クレタを出港した。
ドクター・トーマス・レブンワース・カールトン・ジュニアも、同室だったが、彼は、ワイン好きで、ボクの記憶では、彼はミステリアス・チャンと、客船バーのカウンターで、ずっとワインを飲みながらおしゃべりしていた。
 ミスター・アカワは、一八〇〇年代の探検隊長になったような気分の表情で船旅を楽しんでいた。
 これから、どんな人に出会うのか? 本当にイスタンブールに行けば、ミステリアス・チャンのボーイフレンドが描いた絵を見つけることが出来るのか? ボクにとっては、目的はどうでもよかった。ただ、旅を楽しんでた。甲板から見た海は広く、美しかった。

 ボクが海を見ていると、すこし離れた所で、ミスター・アカワが心地よい潮風を受けながら、NEWSWEEKを読んでいた。ミスター・アカワは、一九四八年日本生れ。
 その昔、旧日本政府の軍隊はアメリカ合衆国の港を攻撃した。そして二国間の戦争が始まり、一九四五年に旧日本軍は敗戦した、と世界史のクラスで聞いた。
 戦争で荒廃した日本が復興に向けて動き出した頃、この世に生を受けたミスター・アカワのジェネレーションは、アメリカ合衆国に憧れる、戦後日本人のジェネレーションだ。
 一九八六年当時までには、日本のインダストリアル・プロダクトは世界で、優れたものとして認知されるようになっていた。ボクは、SONYのWALKMANを持っていた。
 ミスター・アカワは、当時三十八才。
 その時推定年齢三十四才の、ミステリアス・チャンと彼が共に居ると、二人の光景が、恋人どうしの光景のように見えることもあった。

 ネオ・コンセプト号は、陸に着いた。

 そこから、ボクたち五人は列車に乗り、東ヨーロッパを抜け、イスタンブールに到着した。

「マーケットに、あの絵がある」と主張する、ドクター・トーマス・レブンワース・カールトン・ジュニアと共に、無数のテントが立つ、雑踏すさまじいストリートを、ボクたちは歩きまわった。

 ドクター・トーマス・レブンワース・カールトン・ジュニアは、実は、細かい行動を、皆に知られずにする所があると分かった。
 彼が、船内で、ワイン飲みとおしゃべりに興じていた風景しか、ボクには思い出せないのだが、あの盗まれたヌード画の写真を、彼はいつの間にか用意していた。
 ネオ・コンセプト号内で、彼は、一人のセーラーマンを見つけ、セーラーマン室のビデオデッキとテレビを使用する許可をもらった。
 一年前ボクが撮影した、盗まれたヌード画を含む数点の絵画の映像が入ったビデオカセットを、ドクター・トーマス・レブンワース・カールトン・ジュニアは、旅に持ってきていた。それを、セーラーマン室のビデオデッキでPLAYし、モニターテレビ画面を、ポラロイドのインスタントカメラで撮っていた。

 ドクター・トーマス・レブンワース・カールトン・ジュニアは、そのポラロイド写真を、マーケットの売者たち一人一人に見せて、絵画の行方を追った。
「このフォトグラフの絵が、ここのマーケットへ来たとボクは思うんだが…。キミたち、この絵に心当たりはない? あったら、教えてもらえないだろうか」
「その絵は、サンフランシスコから来た人物が買っていった!」誰かが大声で叫んだ。
 ボクらが声のする方を見ると、一人の男がひとごみを逆流して逃げて行った。
 チャンが、追いかけようとした。
「追わない方がいい。彼自身が絵を盗んだ本人だろう。そして彼は、あの絵を、すでに売ってしまった、サンフランシスコから来た人物に。 …そして、その人物は観光客だった。だから、あの男を追っても、今、絵がある場所は分からない。彼はただの泥棒だった。美術品に対して目利きだったが」とミスター・アカワ。

 チャンは、絵の事は、どうでもよくなったようだ。
「もう、いいわ。絵はあきらめる。あとは、イスタンブールの街を見ましょ」

 チャンの執着心のなさから、(ボクはその生き方に共感したが……、)旅は観光となった。

 やがて、皆それぞれのホームタウンへ帰った。

 クララ・シュミットとボクは短い間、恋人どうしだった。

 やがて五人は会うことがなくなり…、十六年の時間が過ぎた。

       ***   ***

 ボクは、三十二才になっていた。(二〇〇二年)
 養父母は、ギリシア・クレタ島で元気に暮らしていた。
 ボクは、アメリカ合衆国に渡り、ノーザン・カリフォルニア、バークレーで映像コンテンツ制作を仕事にしていた。
 バークレーからサンフランシスコまでは、ベイブリッジを越えるだけでいい。
 ボクは時々、ベイブリッジを越えていき、サンフランシスコ・チャイナタウンで食事をした。ボクは、チリオイルをたっぷりかけたバーベキューポーク・フライドライスを好んだ。

 その夜、ボクは、ディナーのフライドライスを食べ終えると、アジア人ばかりが行き交う、奥のストリートを一人歩いた。
 ストリートで一軒のアンティークショップを見つけた。八十年代映画のVHSビデオカセットが、ショウ・ウィンドウに並べられていた。八十年代映画ファンのボクは、なつかしい気持ちになり、店のドアを開けた。ボクは、ひまだったから、その店のアンティーク展示室の中を、ぶらりと歩いた。

 ボクはそこで思いがけないものを見つけた。まるで、再会したかのようだった。
 十六年前に行方が分からなくなった、あの、チャンのヌード画が、壁にぽつんと立て掛けられていた!

 ボクは、思い巡らせた……。どういう経路で、ここまでたどりついたのだろう? チャンの腰にあるタトゥー……、輪になったトゲ付き薔薇の茎が、その内側デザインを囲っている……。

 チャン本人と最後に会ったのは、もうはるか昔だった。
 二〇〇二年……、チャンは五十才くらいになっているはずだった。もう、盗まれた絵のことなど気にもしないだろう。

 中国人らしいマスターが、ヌード画を見ていたボクのそばに来た。
「お客さん、その絵を気に入ったんだネ?」
「いくらなの、マスター?」
「今、いくら持ってる?」
「二百ドル…」
「それでいいヨ。キミ、そのタトゥーに魅了されたネ?」
「ええ」図星だ。
 描かれていたタトゥーは、何かの意味を持っているようだった。それが、ボクの確信だった。

 絵を、バークレーのアパートへ持ち帰り、壁に立て掛けた。ボクは、じっと絵を見た。ノドが渇いた。コーヒーを入れた。コーヒーをすすりながら、絵の中のタトゥーを見続けていた…。

 結局ボクには、そのタトゥーのデザインが何を表わしているか分からなかった。そして、フロアの上で寝てしまった。

 翌朝、九時半頃だった。あるUCバークレーの学生が、ドアのブザーを鳴らした。彼女は、FILM STUDIES(映画研究科)の学生で…、ときどきボクを訪ねた。
 ボクは窓を開けて、手を振った。
「ハーイ、ロベルト!」と彼女。
「やあ、サラ・サイゴン、早いね」
「キミが遅いのよ」
 サラの両親は、ベトナムからアメリカへ来た。
 彼女の両親は、来たばかりの頃、言葉を学習するため、ハリウッド映画をたくさん見た。そして、それが彼らの趣味となり、毎週金曜二人で映画に行く。その影響でサラは映画好き。ハリウッド映画をよく見るらしいが、FILM STUDIESを専攻するようになってのち、ヨーロッパ映画やアジア映画も見るようになった。
ボクは映画界へのあこがれから、ハイスクールを出ると映画制作を専攻した。商業的に成功する映画を作りたい、と思っていたが、実際には、そのような脚本を書けずにいた。
 サラはボクの事を本に書こうとしてた。彼女は、ボクがハリウッドのディレクターになるまでのバイオグラフィを書いて売り出すのだ、と言った事があった。
「サラ…、ボクがハリウッドのディレクターになるなんて……ないと思うよ」ボクは苦笑いでサラに言った。
「今日は、キミをインタビューなんかしない。すごい映像を手に入れたの! それ、見て」
 サラが持ってきたVHSビデオカセットには、クリアに、反重力飛行をしている宇宙船の映像が入っていた。
 ボクは……、その映像のはじめの方を見ただけなら、よくある3D・コンピュータ・グラフィックス・アニメーションを実写映像に合成したものだと思い込んだだろう。反重力飛行をする宇宙船は……、早朝のゴールデンゲート・ブリッジのサンフランシスコ・エントランス上空に浮かんでいた。やがてカメラが、ズーム・インした。TVモニターに、宇宙船が大写しになった。宇宙船の細部が見えた。とてもリアルに作られたコンピュータ・グラフィックスだと思った。宇宙船に、いくつか窓がついていた。
 カメラは、その一つを大写しにした。宇宙船の窓に人影が見えた。
 オート・フォーカスが、その人影をフォーカスした。
 ボクは、宇宙船の窓の中に見える人物に、心底驚いた!
 チャンだ!
 さらに不思議なことに、昔のままだ……。
 ビデオ映像のクオリティから判断すると、映像は新しい。
 歳をとらないのか……?
 彼女は何者……?
 タトゥーは、いつ頃から彼女にあったのか……?
 とにかく、ボクは、彼女のタトゥーがはっきり描かれた絵を持ってる。
 この宇宙船は本物……?
 人類が作ったのか?
 それとも、宇宙人?
 撮影日は……? TVスクリーンの端に、二〇〇二年十月十五日とある。
 はじめは、リアルに見せるために、合成した日付だとばかり思っていた……。
 それからカメラが引きの映像を見せた。
 宇宙船の下方から、「スタートレック」で見る瞬間移動装置のような光の柱が地面に降りた。
 光の柱の中で、二人の人物たちが地面から、宇宙船内へ吸い上げられた。
 その二人は……! なんと、ミスター・アカワと、そのワイフだった!
 やがて宇宙船は、空の彼方へ去った。
「本物なのか……? この映像を撮ったのはだれ?」
「UCバークレーに通ってる友達。早朝にジョギングしてる。その朝、たまたま、彼女の恋人が同行して、ジョギングしてる彼女を撮影してた……。その時の事らしい……。ビデオカメラを恋人から奪って、彼女、突然現れた宇宙船を撮った」そうサラは答えた。
「ボクは、宇宙船に乗って去って行った三人を知ってる。昔の知り合いだ」
「ほんとに?」
「うん。間違いない」

 翌日、ボクは、ビデオに撮影されていたゴールデンゲート・ブリッジのエントランス付近を歩いてみた。
 合衆国軍のジェット演習が、ものすごい音を響かせていた。
 ゴールデンゲート・ブリッジは、よく霧に包まれて、視界が見えなくなる。
 その日は、かなりの濃霧で、目の前は真っ白。
 そんな日、宇宙船が飛行してたら、誰にも発見されないだろう……。
 ボクは、完全に霧に包まれたゴールデンゲート・ブリッジの歩道を、マリンカウンティの方向へと歩き出した。
 霧の向こうから、こちらへ向かって来る人影が見えた。
 それは驚くべき再会だった。
 クララだ!
 彼女は、十代の時の面影を残してた。
「クララ!」
「……ロベルト?」
「うん。クララ…、どうしてここに?」
「ミスター・アカワの事、覚えてる? あの人が、ジャーマニーのワタシのアドレスを覚えてて、封書連絡をくれたの。二〇〇二年十月十五日午前五時半に、サンフランシスコのゴールデンゲート・ブリッジへ、遠くより、ある者が来る、と。だけど、ワタシ、その時間に間に合わなくて……。今日二十日でしょ。もう、その日を五日過ぎた。ワタシ、それで……、一週間くらい、サンフランシスコ市内に滞在することにしたの。今日はね、海を見たくてブリッジの歩道を歩いてたんだ」
 その時、聞き覚えのある声が聞こえた。
「ロベルトとクララ!!」
 ゴールデンゲート・ブリッジの歩道に現れた人物は……、ドクター・トーマス・レブンワース・カールトン・ジュニアだった。十数年ぶりで……、彼の髪には銀髪がかなり混じった。ボクもまた三十代になっていたが。
「いや実はね…」彼は話を切り出した。
「遅れたんでしょ?」とクララ。
「……そうなんだ。アカワが言った時間が早すぎてさ……、寝坊さ。以来、この辺をうろうろ…」
 サラが持ってきたビデオカセットの中の映像と、チャンの絵を、二人に見せるため、ボクはバークレーのアパートに二人を招こうと考えた。
「ドクター・トーマス・レブンワース・カールトン・ジュニア…、」ボクは話を切り出した。
「ボクのアパートに来て。バークレーに住んでるんだ」
「ロベルト、キミ、バークレーに今住んでいるの? ボクもバークレーさ! 今、UCのプロフェッサーをやってる」と、ドクター・トーマス・レブンワース・カールトン・ジュニア。

       ***

 ボク、クララ、ドクター・カールトン・ジュニアは、サンフランシスコ市を出た。ベイブリッジを車で渡り、対岸のバークレー市に着いた。
 ボクのアパートは、UCバークレー(カリフォルニア大学バークレー校)へ徒歩で行ける距離に建っていた。
ボクは、クララたちを部屋へ招き入れた。
「ああっ! あのヌードだ…。十数年ぶりに、見たよ…」ドクター・カールトン・ジュニアが感動したように言った。
「ドクター・カールトン・ジュニア、この絵を撮ったビデオテープ持ってなかった?」とボク。
「この十数年、引越しを何度かして……、いろんな物を捨ててしまった」
 彼は、そう言うと、ゆっくりと絵に寄り、絵の中の、チャンのタトゥーをまじまじと見た。
 しばし、彼は沈黙した。
「オオオー!」
 突然、彼が大声を出した。
「このタトゥー、この図が表わしているのは、風景だ! 薔薇茎サークル内のデザイン…、これはバークレーの、ある場所から見た、風景だ。サークルの中に星マークがあるね、それが、船のシルエットみたいなものの左端と重なっているね、このシルエットは、アルカトラズ島、通称ザ・ロックだよ。サンフランシスコに面した岬に星マーク・・・・・・。」
 ドクター・カールトン・ジュニアが言った。
「風景が見られる場所へ行きたい」
 ボクは、アパートのパーキングプレイスに駐車していたマイカーを取りに行き、アパートのエントランスへ回した。

 ミスター・カールトン・ジュニアの指示通りにボクは車を運転した。
 それは十五分のドライブだった。
 丘に着いた。
 その場所から、ゴールデンゲート・ブリッジを含むランドスケープを眺めることが出来た。手前に、ザ・ロック……。その向こうに、サンフランシスコとマリンカウンティを結ぶ、ゴールデンゲート・ブリッジ……。
 ボクは思った、「確かだ。ここから見た風景が、簡略化されて、あのタトゥーのデザインとなっている。きっと、星マークの場所に何かがある」
「行こう、アルカトラズへ」ドクター・カールトン・ジュニアが言った。
サンフランシスコのシンボル的存在、ゴールデンゲート・ブリッジとアルカトラズ島に、何かの秘密が隠されているのか…、そう考えるとボクはドキドキした。

 アルカトラズ島へ向かう前日、ボクは一人でバスに乗り、ゴールデンゲート・ブリッジ入口周辺のバス・ステーションで下車し、色々な国々の観光客を集めるゴールデンゲート・ブリッジを眺めた。近くには、お土産を売るショップがある。ボクは、そのショップに入り、並べられた色々なプロダクトを手に取って見た。北カリフォルニアに住み始めてから、しばらくになるが、そのショップに入った事は、それまでなかった。奥に、1セント銅貨を潰して、楕円形のスベニアメダルにする機械があった。
試した。
 ゴールデンゲート・ブリッジの絵がメダルに刻まれた。

 次の日、ボクたち三人は、モーターボートを使って、アルカトラズ島へ上陸した。
 そしてアルカトラズ島の、サンフランシスコ・フィッシャーマンズウォーフが対岸に見える岬を調査した。
 やがて、夜が来た。
 満月だった。
 しかし夜霧は深く、特に何の発見もなかった。
 ボクら三人は、霧の間から時折見える満月を眺め、ため息をついた。
 満月が、次第に、大きくなり始めた・・・・・・・・・・。
 いや、月は、別の方角に見える・・・・・・・・・・。
 霧の中から現れたのは、満月ではなかった・・・・・・・・・・。
 宇宙船の下部ライトだ!
 サラ・サイゴンが見せてくれたビデオでは、この下部ライトから、光の粒子が放射された………と思っている矢先、ライトがさらに明るくなった。
 光の粒子が放射された。
 クララ、ドクター・トーマス・レブンワース・カールトン・ジュニア、そしてボクの三人は次々に、光に呑み込まれた。
 次の瞬間ボクらは、地面を離れ体ごと浮き上がった。
「信じられないよ!」ミスター・カールトン・ジュニアが叫んだ。

ボクらは、宇宙船の中で、チャン、ミスター・アカワ、そして、彼のワイフに会った。
 宇宙船を操縦していたのは人型ロボット(ヒューマノイド)だった。
 ミスター・アカワは「ボクが言った時間に来られなかったが、みんな、間に合ったよ。グッドジョブ!」と言った。
ボクは、思い出したように言った、「ボクらは、あのタトゥーのデザインが、アルカトラズの岬を示していると判断して、アルカトラズの岬へ行った。そこへ、この宇宙船が来た。岬に何が隠されているの?」
 相変わらず、美しいスタイルを持つチャンは、答えた。
「ロボットパイロットRP5が話してくれるわ」
 宇宙船を操縦していたロボットが、宇宙船を自動操縦に切り替えた。ロボットは、シートから立ち上がると、ボクの所へ来た。
「ワタシは、RP5。ヨロシク。チャンは、中国系アメリカ人の地球人と、惑星X3T人との間に、一九五二年に誕生。チャンが三才の時、一人で宇宙船から出た。その時、宇宙船は出発した。出発するしかなかった・・・。ワタシたち・・・、それは、惑星X3T人三名と、地球人のチャンの母、そしてワタシ、・・・・・・計五名は、地球の海底にうもれた財宝をさがしていたトレジャーハンターズだった。財宝はある場所にかくしてある、今も。 しかし、地球から六百万光年はなれた小惑星の宇宙海賊が、ワタシたちの事を知り、地球まで追ってきた。 ・・・・・・それで、ワタシたちはいそいで出発した、財宝を残したまま。 チャンが居ない、と気付いた時、すでに宇宙船は大気圏を出ていた。もう、戻れなかった。うしろには、海賊船がせまってきた。彼らのレーザーを受け、ワタシたちの船はエンジンをやられた。ワタシの他の四名は、二組に別れ、脱出用の二人乗り宇宙ボートで脱出。ワタシは気を失い、気が付くと、宇宙は漂流していた」
 RP5が、船内コントロール・パネルを操作した。
 宇宙船のフロントウィンドウの外に見えていた、アルカトラズの岬の崖が、突然、上下に割れた。巨大な崖が上下に割れると、その割れ目の奥が、トンネルのようになっているのが分かった。宇宙船は、トンネルに入って行った。
 トンネルは、ゴールデンゲート・ブリッジまでつながっていた。
 ゴールデンゲート・ブリッジ真下の海底にトンネルの出口があり、宇宙船は、そこから、しぶきを上げて水面に出た。宇宙船の天井ドームが開いた。ボクたちは風を受け、フロアに立った。
 RP5が「これは、トレジャーハンターズのチームマークだ。仲間のみんなの腰にあるんだ」と言って、自分の腰を指差した。チャンのタトゥーと同じデザインが、RP5の腰にも付いていた。
 コンクリートで出来た、橋を固定する建造物に、RP5は背中を向けた。コンクリートの壁面に左右が逆になった、同じデザインの光模様が浮き出た。その部分が大きな穴となり開いた。
その中にあったのは、「財宝」だった。

「ワタシは、今回、チャンをつれもどすため、なんとか地球に来た」とRP5。
 その財宝は、地球の七つの海に沈んでいたものを、X3T星人たちが、彼らの技術を使って、引き上げたものだ、という事だった。チャンは、X3T人のDNAも持つため、地球人とはちがう歳の取り方をする、と知った。

「この財宝をキミたちにも分けようと思う。だから、脱出ボートで脱出し、今も宇宙のどこかで漂流している四名をさがす旅に共に来てくれないか!」
 RP5は言った。
****   ****    
ここまでが、ロベルトくんがEメールで送付してくれた回想録の一まとまりだ。これには、彼の1985年〜2002年の記録があったわけだ。私、マック・デビッド・エストの今回の任務は、ある意味、常軌を逸しているから、私自身まとめるのに苦労している。私は、今回のレポートをライブラリーでまとめるつもりで、そうしてもきたのだが、だんだん、そういった場所での思索活動に息が詰まるようになってきている。多くのデータを集め、分析して、多くの証言から取捨選択せねばならず、私がここにまとめている記録でさえ、何か、幻覚、まぼろしのような気がしてくるのだ。

 ロベルトくんは、同じハウジングに滞在していたが、彼が教えてくれたお気に入りのダイナーが、いま私の仕事場の一つになっている。

 バンクーバー市のメインストリートの一つである、HOWE STREETにあるダイナーで、『フレッシュネス・ナチュラリー』というアジア系カナディアンがシェフをつとめる所だ。ここのチキンライス(トマトソース)が美味しかったから、私は何の文句もない。それが、いい息抜きだ。
他に、アジア人街で、アイ・ポッタリーという洒落たティーカップ・ブランドを見つけてご機嫌になった。




























     第二章 サルバトーレ告白との遭遇














 今は、すこしゆっくりしている。
 二週間前には、一大イベントがあった。そのことを少し思い出して書いてみよう。

 ロベルトくんに会った日は、彼が宇宙に旅立つたった一日前だったのだ。
 彼が、2002年に宇宙に旅立つ事を決意してから、すでに六年たっていたが、ロベルトくんたちは、2008年のその日、まだ地球にいた。
つまりは、宇宙船の再調整が必要になっていたのだそうだ。宇宙船はかなりの部分でダメージを受けていた。これで、広大な宇宙を旅するのは無理だった。それで、とある企業の助力を受けることになったのだという。これは、例のアカワのコネクションだろう。
2008年のその日は、宇宙飛行中だったその企業の宇宙船がもどってくる一日前だったのだ。その宇宙船の推進力と、チャンのルーツの一つである外宇宙の民が住む星の宇宙船が合体するための、システムの開発に六年を費やしたのだ。私は、絶妙なタイミングで出くわしたようだ。この世界に偶然はない、という賢人の言葉を思い出したが、私が、その日にロベルトくんと出会ったのも偶然ではなかったのかもしれない。
推進力となる宇宙船は、次の日、カナダ・バーナビー(バンクーバーの隣町)にあるディア・レイクに特設されたプライベート宇宙飛行場に着陸し、すぐに、もう一つの宇宙船と連結を完了後、ツイン・エンジンシステム・スペースクラフトとなり再びロベルトくんやチャンたちを乗せて星の海へと航海に出たのだ。

 ディア・レイクから飛び立つ宇宙船をたしかに私は見送ったのだ。しかし翌日ディア・レイクに行くと、前日まで存在していたプライベート宇宙飛行場は消えていた・・・。
 あれほどの建造物が一日にして消え去るために要するテクノロジーとはどんなものだろうか。

 私、マック・デビッド・エストは、J.S.R.のサイドに居て、結局はロベルトやアカワたちのコネクションとは関係のない人間なのだ。私は心のどこかで寂しさを覚えた。それは、私自身が「根無し草」のような生活を送っているからなのかもしれない・・。私はそうしたライフスタイルを愛する反面、たしかに、いつかは根をはりたいとも思っているのだ。

 多少時間を持てたので、私はハウジングの側にあるテクノロジー関連専門学校の短期コースで、いくつかコンピュータ関連授業を受けることにした。そこの学生らとも交流関係ができた。
 彼らは、付近のハイスピードINTERNETカフェがどこにあるのか教えてくれた。
その辺りでは、RICHARDS STREET と、PENDER STREET の交差点にあるネットカフェの、INTERNETがハイスピードだという事だったから、そこに入り浸るようになった。
 
   ***

 ロベルトが宇宙に発って、一月くらい経った頃、私のフリーメールに彼からの一通が届いていた。

   ***

(最後のロベルト・メールの日本語訳)
『ボクは、今、窓の外に見える星の海を見ている・・・チャンはもう忘れたかもしれない、彼女の言葉を思い出しながら。
「家族というのは芸術ではない・・・、それは、人生の通過点の美しい瞬間の一つ」

ボクは、子供を大切にする養父母の愛情の中で暖かく育った事を思い出し、感謝した。美しい瞬間は、大きな意味のある時間なのだ。それは、ある一定の時間、輝き、そして、大きな流れに溶け込んでいくのだ。そんな気がした。星の海は人を詩人にするね・・。

 チャンとミスター・アカワの話し声が聴こえた。
「そうだったの」
「そう、RPが教えてくれた。腰のタトゥー、サンフランシスコのチャイニーズ・アーティストの作だって」
「そして、ファミリーのマーク」ミスター・アカワがつぶやいた。

 ボクらは、未知の宇宙へと向かっている。』(ロベルト・メール、了)

   ***   ***
 
 私は、テクノロジー専門学校の側の、デリやダイナーを昼食によく利用したが、その日も付近のダイナーに居た。
『Canadian and Chinese SMILE RESTAURANT』というところにだ。
 テクノロジー専門学校で、何人か友人が出来たが、その中の一人は、日本語を解する者同士だったので交流を持ち始めた。彼に、私が日本の出版社に知人が居ることを話すと、彼はその事にとても興味を持った。彼の名は、サルバトーレ・メイヨー、私と同じ時期に入学した。それもそのはず、彼は、あの地球に帰還した宇宙船に搭乗していたのだ。彼は、地球に帰還するまでの、星空の船旅の最中、体験に基づくノンフィクションを書き上げていた。それは、帰還中の五ヶ月でゆっくりと、数々の記録ノートを元にまとめられたものだという。それは地球外の人々とのコンタクトをも内包していた。
サルバトーレが「ロンドン」生活をスタートし、「ニューカマー」として街のカスタムを習得し、「ワンダータイム」を過ごしたレイトティーンの日々から始まる、コズミックな回想録と告白だ。
そのバインダーをダイナーの私に持ってきたのだ。
 彼は、私の壮大なレポートとJ.S.R.の事を知ると、彼のノンフィクションを、このレポートに全文引用することを許可してくれた。











  サルバトーレ・メイヨーによる告白ノート(彼のバインダーから)

 ある日のことだった。
 私は、先月入学した、ロンドン大学に属する、アート・ギャラリーへと、歩を進めていた。そのアート・ギャラリーでは、日本人アーティストのタケナカという人物が、新作の個展を開催している最中だったのだ。私は、二ヶ月程前から、このロンドンに住み始めた。ここでは、私は、単なるニューカマーなのだ。
 私は、気が付くと、ロンドン大学の学生達で夜な夜な賑わうパブの、正面ドアの前を通り過ぎようとしていた。この大学には、ギリシア人、イタリア人、フランス人、アメリカ人、中国人、日本人、タイ人、シンガポール人、・・・その他、多くの国々から留学生が来ていた。私達は、英語を一つの共通語として、お互いの意思の疎通をしていた。
 そう、それは、香港がまだ、英国から中国へ返還される数年前だった。ロンドンで出会う、多くの中国人は、香港人だった。彼らの中には、中国共産党が行う圧政に対する非難活動をしている者も多かった。ロンドン大学は、そのように、世界の多くの地域から、やって来る者達で、そのスチューデントが構成されていたため、イタリア出身の私も居心地が良かった。
 私は、イタリアの田舎の、あるワイナリー出身の十八歳だった。私にとって、ロンドンは大都会だった。そう、私はイタリアの首都であるローマさえ、それほど知らなかったのだから。多くの英国人は、私がイタリア人だと分かると、「イタリアはファッション・センスが最高だ、すばらしい、車のデザインも個性的でクールだ」と言うが、私は、ミラノ出身ではないので、そういった言葉に、うまく返事が出来なかった。
 私にとって、芸術が身近になったのは、実はロンドンに住み始めた時からだったのだ。それは、一種の、知的で洒落た体験だった。ロンドンには、ICAという現代芸術のギャラリーがあるが、ロンドンという古い街の中心に、こうした新しい物を置くところは、英国人らしい一面だ。ここでは、新しい物と古い物がうまく同居し、機能し合っている。こちらに住み始めて程なく、ICAは、私のフェイバリット・プレイスとなったのだ。
 私の美術鑑賞の経緯は、そのようなものだが、まあ、その日は、タケナカの個展がロンドン大学付属ギャラリーである事を、数日前に買ったのに読まずにTVの上に放っておいたTIME・OUT誌で、知ったのだった。
 タケナカは、時々、ICAに作品を展示していたので、そのアーティストの名のことは知っていたのだが、彼自身に会ったことはなかった。
 そもそも、私は、日本の事もあまり知らない。ただ、日本という国に興味はあった。しかし、正直に言えば、日本と韓国と中国の区別も出来ない。兵馬俑は、中国にあったか、日本だったか・・・、その程度もはっきりしない知識だ。
 私の祖父が日本人の友人からもらったという芸者の人形が、イタリアの私の実家に一体あった。私の日本人のイメージは、そこから来たものぐらいだ。真っ黒な髪の毛を不思議な形に結った人形だった。
 パブを通り過ぎると、赤煉瓦の三階立て建築があったが、そこは、学生の私書箱がある建物だった。私は、まだ、こちらに来て二ヶ月しか経っていなかったので、住所が転々としていた。それで、この私書箱を利用していたのだ。当初、アバディーンホールという学生寮に居たが、その後、ロンドン大学から徒歩で行けるマクミラン寮に移動した。私は、二日に一回、私書箱をチェックしていた。
 そこは、付属ギャラリーに近かったので、タケナカの個展に入る前に、その日も私書箱をチェックした。予想通り、何もなかった。
 まあ、それはそれでいいのだ。私は、マクミランから出て、下町を歩き、パブを通り、赤煉瓦の建物を過ぎ、付属ギャラリーへと行く道のりが好きだったのだ。付属ギャラリーから七十メートル離れた所に、私が、個人的に間借りした倉庫があった。私は、そこで、文学の研究を始めていた。文学、それは、人間の心の地図だ。我々は、自分の人生しか生きられない。しかし、文学は、別の人生を疑似体験させる機能がある。本の中で、我々は、今現在、我々が置かれているのとは違う状況に自分を置き、その状況で、どう考えるべきか、何を選ぶべきか、どういう可能性があるのか、それらを考えることが可能だ。
 多くの文学者、または小説家達は、ある状況においての人間の取りうる態度、抗い得ない感情を文学の中に描き出してきたのだ。そこに、「善」とは何か、「悪」とは何か、それが考察され、それらは、状況に於いて変動する部分を持っている、と文学は教える。人間が知覚する「善悪」は、宇宙のバランスから見ると非常に狭いのだ。我々が「良し」と思ってした事が、後に、そうではなかったと分かり、また、深く考えずに取った行動を、後に反省する。我々、人間の思考等は、感情に支配され、多くの間違いがあることを前提とすべきなのだ。
 結局、我々は、経験を踏まえて、その経験から、次の行動の指針を見つけて行く。まあ、私は、そのような事を文学に於いて研究していた。多くの文学が聖書をその基点に持っていることに納得させられることも多かった。聖書は、けっしてフェアリーテールではなく、それは、人間の心の地図なのだ。聖書が示す知恵の中には、人間が人間である限り、ついて回る本質や、人間を人間たらしめ共同生活を可能にする心の設計図が書かれている。それは心の取り扱い説明書的な力がある。私は、聖書が、人間が神より授かりし書であることを確信するに至った。
 文学者達は、よく、人間と言葉は、密接な関係がある、と言う。人間は、言葉によって支配されうるゆえに、言葉は大切なのだ。
 それでは、私が「言葉」というものに長けていたか、といえば、全く、そうではなかった。どちらかといえば、うまく喋れない人間だった。もちろん、時によって、人は喋らない方が良い時もあるのだ。聖書に出てくる人物が、時々、一時的に神の力によって、言葉を発することが出来なくなってしまうのには、何か理由があった。
 私は、「言葉」について考え、また、それが蔑ろにされる事があることを、これまでの人生で体験した。エゴと嘘との関連性、それが、言葉を不審な物にもする。
ときに私は、言葉の重さ、インポータンスに疲れてしまった。そんな時、今ではクラシックだが、パブロ・ピカソの美術は心地よい。私がタケナカの個展を見たくなった理由は、彼のアートが、ピカソに捧げられた物だったからだ。私は、こちら、ロンドンに来て、文学のクラスと同時に、宗教やアートヒストリーのクラスでも学び始めた。ピカソは、現代芸術の扉を開いたアーティストだったが今ではクラシックだ。彼は論理より感覚に訴えた。
 タケナカの個展は良かった。彼は、日本の中で長い間培われたシンプリシティと、ピカソの持つ、ジョイフルネス、キュリオシティ、イノベーション、フィーリング・ワンダーをうまく融合して、我々西洋人に想像し得ないEASTミーツWESTを見せていた。
 ロンドンは「融合」の場でもあるのだ。私はその時、その事実を認識した。

ロンドン・・・、そこは、多くの物が入り乱れる街だった。それは、良い意味でも悪い意味でも、そうであった。しかし、これだけ多くの物品、情報、サブカルチャー、政治が入り乱れる街でありながら、落ち着きをも持っていた。私は、イタリアの地方から出てきた者だったので、最初にロンドンに到着した時には、その巨大さと複雑な要素が絡み合う構造に圧倒されてしまった。私は、私自身の思考を大きく変えなければ、そこに適応出来ないと分かった。
 イタリアの、田舎のワイナリーのシンプルな風景とは、ここは全く違うのだ。程なく、私は、ICAにも割と近いレスタースクエア辺りが、ロンドンではお気に入りの場所の一つになっていた。レスタースクエアの映画館は、造りも綺麗で、時々利用した。そこから歩いて行ける所に、チャイナタウンがあり、安くて美味しい中華料理を出す店も知った。私をはじめ、多くの西洋人は、中国と韓国と日本の区別がはっきりしないのだが、ロンドンのチャイナタウンにも、中華料理以外に、日本料理の店があった。私は、いつの間にか、そこの常連客になっていた。そのころ、日本のビジネスマンは、アグレッシブに英国、米国をはじめ、世界中を営業していた。私は、その日本料理店のテーブルで、多くのジャパニーズ・ビジネスマンと、ウエスタン・バイヤー達の商談を小耳に聞いていた。はじめは、実は、さっぱり日本語が理解出来なかったが、彼らのアグレッシブな商売魂と、その仕草を、となりのテーブルから見ながら楽しんでいたのだ。それは、実に楽しいエンターテインメントだった。日本のビジネスマンは、商売=エンターテインメントであると教えてくれた。私はそのように、滞在当初のロンドンで時を過ごしたのだ。

 半年が経過した。

 私は、ほとんど、日々、同様なタイムテーブルに於いて活動していたが、相変らず、チャイナタウンの日本料理店をちょくちょく出入りしていた。イタリアのワイナリーに居た頃は、ほとんど知らなかった日本のカルチャーを、間接的な方法で、自分のものにしていた。その日本料理店のコルクボードで、ロンドンにあるセントポール寺院の近くに、ヤオハンという日本雑貨店がある事を知った。私は、サブウェイ(英国英語では、アンダーグラウンドだが)に乗り、セントポール寺院駅に行くようになった。ヤオハンでは、当時、日本のサブカルチャーであったマンガ雑誌が売られていたので、それを購入するようになった。SHONEN JUMPとか言う雑誌だったと思う。私は、それによって、日本語の理解をさらに深めることが出来た。そして、それからも、チャイナタウンの日本料理店で、しょっちゅうジャパニーズ・ビジネスマン達とウエスタン・バイヤー達の商談を聞いていたので、日本語を半年の内にかなり理解出来るぐらいになっていた。こういう経緯で、私は日本語を覚えたのである。
 
 ロンドンに出てきた事から、そのように、自分の可能性を広げられたことも、私にとっての事実であったが、同時に、この雑然とした大都市の中で、その要素を上手く自分の中で消化し切れず、吐き気を催すことがあったのも、また事実である。特に、私のように、田舎のシンプルな世界から、このように大都市に出てきた者は、同様の感覚を覚えるだろう。まず、自分の立ち位置が分からなくなってしまう、という感覚が起こる。多くの要素や可能性が豊富にあるのが、ロンドンであり、それは、比較的民主的な可能性を提示しながら展開されている。これは、非常に恵まれているのである。だがその中で、自分の立ち位置を見つける事は、時間を要する。幼い時からのロンドンっ子なら、その立ち位置が、自ずと分かり、成人になる頃には、自らのポジショニングも完成されているかもしれない。しかし私は、そのポジショニングを、彼らより短期間で獲得せねばならない、という事が分かったのだ。私は、前述の倉庫での研究に於いて、ポジショニング獲得のための考察もしていた。考えを一般化するためには、論理が、一般的合理性、そして人間性をともなっていなければ難しい。しかし、雑然としたロンドンで、多くの新しい経験をしながら、それらを統合し、自分の中で消化してゆくという作業は、想像以上に頭を使う。必要以上に哲学的になってしまう場合も多かった。ともあれ、こうした経験は、私自身のために良いことだ、と思っていた。私はいつも良い方向に考えた。フランス人の作家ベルヌは、彼自身の著作の中で、良い哲学者は、物事をいつも良い方向に考える、と言っている。私は、ベルヌの人生観が好きだった。
 とにかく、良くも悪くも、この雑然としたロンドンという異国の大都市の中で、十九歳を迎えた。それは、私にとって大きな影響があったと考えている。
 ロンドンを首都とするイギリスは、欧州(ヨーロッパ)の国だが、島国であるためか、他の国々と、少し距離を置いているような所もあった。そこに私は居た。それは一九九〇年代の前半だった。古臭い所もあったが、底知れぬ力も秘めている街がロンドンだった。そのため、あらゆるインターナショナル・パワーを持つ団体が、多くの人材をここに派遣している。
 私は、相も変わらず、「人間とは何か」とか、それこそ答えのない古臭い研究を文学に於いて実行していた。その間、ロンドン大学を拠点としてヨーロッパ中の図書館を廻り、古文書文献を漁った。これまで人間について、何が論じられて来たか、を知るためだった。そして、それは多くの場合、宗教とリンクしていた。そのため、私は実際のところ、レバノンや、その周辺地域、そして死海などに於いての発掘調査をしたい、と考えるようになっていた。しかしながら、私には先立つ物が多くはなかった。いや、通常の生活に全く困窮する事はなかったし、文献上で研究を深めて行くには、十分に事足りる資金はあった。 多くの発掘調査というものは、実は現場ではなく、文献、つまり図書館に於いて行われるのである。
 先程も述べたような、ロンドンに集まっていたインターナショナル・パワー団体(企業体)が、その時、私の人生の大きなターニングポイントとなった。

 私は、その日も、例のロンドン・チャイナタウンの日本料理店に居た。
私の日本語も、かなりの腕前になっていたものだから、隣のテーブルに居た二人の商談をかなり正確に聞くことが出来た。一人は、日本企業の人間で、もう一人は米国カリフォルニア州に拠点を置く企業の人間だった。二人の会話は、英語と日本語が混じって進んでいた。どうやら、そのカリフォルニアに拠点を置く企業は、宇宙産業に関係する開発を行っているようだった。はじめ、私は、単なるエンターテインメントとして、その話を聞きながらスシを食べていたため、正確に聞き取れなかったのだが、ロスチャイルド家の資金提供も受けているように聞こえた。まあ、そういう事は、所詮、私などには何の関係も無い話なのだ。カリフォルニアの企業の名は、アイフラワーというらしかった。もう一方の日本企業の方は、どうやら何か、宇宙空間で稼動するユニットの内部構造と、ソフトウェア・アーキテクチャーをやっているようだった。二人の会話は、そのマシンの外観デザインについての話だった。アイフラワー社は、マシンの外観に、かなりのこだわりを持っているようで、デザインにおいては、世界に冠たるイタリアのトップデザイナーに依頼したい考えのようであった。
 この辺で、彼らと私の接点が出来てきたのである。
 アイフラワー社が一九九七年に打ち上げを予定していた宇宙空間ユニットに関して、私は当時、あまり情報を与えられなかった。それは、当然の事である。そのユニットは、非常に珍しい、尚且つ、最先端の、つまりステート・オブ・ジ・アートなユニットだったからである。ともあれ、私は、今までの経緯から、英語、日本語、もちろんイタリア語を、ほぼ、完璧に喋れたし、使いこなせたので、その二人の商談に割り込むうちに、あるジョブを与えられた。つまり、それは、通訳である。日本料理店で知り合ったアイフラワー社の人間は、このプロジェクトに関係する人間については、メイン・ユニット関係(プロジェクトの中枢)以外は、アメリカ合衆国と関わりを何も持たない人間である事を望んでいた。その上、英語と日本語とイタリア語に長けている事を、その採用条件としていた。しかも、プロジェクトそのものが大規模であったため、メイン・ユニット以外の人事に、長い時間をかけられなかった。また、私が、そのプロジェクト(・・・といっても、私が通訳に関われるのは、ユニット外観デザインに関わる業務のディヴィジョンのみ)の通訳係に選ばれた理由は、私が宇宙産業・宇宙工学に使用されるジャーゴン(専門用語)をかなり理解していたからでもある。この点について、私は、自らのSF映画好きに感謝する。私は、イオン推進、月面着陸、バンアレン帯、GPS、ブラックホール、VTOL飛行機、オービター、ゼロ・グラヴィティ訓練、スペースラブ、そして核融合ニュークリア・フュージョン・システムなど、多くの宇宙開発ナレッジを、そこから得たからだ。
 とりあえず私は、そのジョブ・オファーを、その場でОKした。そして、その後一時間ほど、彼ら(アイフラワー社事業関連のインターナショナル・ビジネスマン達)と談笑したり、英国文化について論じたりした。我々は、皆、英国出身ではなかったので、かえって客観的に英国文化を見て、それを楽しんでいたのであった。
 我々の見解では、映画はアメリカ映画の方が面白い、しかし、音楽(特にロック)は、重層構造の英国が勝ちだ、と勝手に決めて、楽しんだ。他、英国文化では、食文化に於いて、「フィッシュ&チップス」の魅力も話題だった。(フィッシュ&チップスは、英国では日常の食文化なのだが、我々オーバーシーの人間にとっては、マニアックな話題なのだ。)
 小一時間、そんな時を過ごした後、私は、自分のロンドンでの連絡先を、彼らに正確に伝えて、チャイナタウンの日本料理店を出た。帰り道、レスタースクエアを通ると、なんとなく、スクエアのベンチに腰掛け、ポケットに入れていたノベルの続きを読み始め、しばらく過ごした。ふと顔を上げると、レスタースクエアの映画館に、スティーブン・スピルバーグ監督の新作『フック』の看板が出ているのが見えた。私は、スピルバーグ監督の映画作品を幼い時から観ていたので、新作が上映される度に、胸躍らせた。もちろん、その日も、その映画館に入ってしまった。
 マクミラン寮に戻ると、香港からの留学生、白玉が、ホールの食堂で映画雑誌『EMPIRE』を読み耽っている様子が見えた。彼は、私が映画を結構よく観ている事を知っていたので、私に話しかけた。「ヤア、サルバトーレ・メイヨー、イタリアの、もてもて男、映画でも、一緒に行かないか?」と白玉は言った。アジア人の中には、イタリア人というと、「もてもて男」だと考えている人間が結構居るのだが、私は、どちらかといえば、内向的なイタリア男だった。「ハロー、白玉。で、今、どんなの、やっているの? 今、フック観てきたとこだけどね」と私は答えた。
「そうだなあ、フックも、まあ、話題性としては、悪くないだろうけど、どっちかっていうと、僕は・・・そうだなあ、今上映している中では・・・」そう言いながら、白玉は、EMPIREをぱらぱらとめくっていた。
「・・・裸のランチとか、UNTIL THE END OF THE WORLDが、観たいな」彼はそう言って、私にウインクした。ロンドン大学の学生達は、ARTISTICでCOOLな映画を皆観たがった。イタリアの私の住んでいた地方では、比較的シンプルで、アクション満載のアメリカ映画が人気だった。
まあ、私は、白玉と共に、ドックランドの映画館に『裸のランチ』を観に行った。私は、その映画を見ながら、あまり映画に集中できず、アイフラワー社の仕事の事ばかり考えていた。まあ、それはそれで、面白くなりそうだった。
しかし、アイフラワー社の仕事は、予想していたより突然スタートした。私は、まだ、ロンドン大学のターム(学期)の途中だったので、焦ってしまった。アメリカ大陸とロンドンを行き来せねばならなくなったからだ。それから、とても忙しい日々がしばらく続いた。旅費は全てアイフラワー社が負担すると言うのだが、体力がついていくか、それが問題だった。
 私は、恋人(イタリアのトスカーナで出会った)にも、両親にも、姉妹にも、兄弟にも、誰にも言わず、突然メキシコに旅立つ事になってしまった。アイフラワー社は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州にあった。正確に言えば、サンフランシスコ市・ノースビーチ地域に、その本拠地HQを構えていた。そして『アイフラワー・ユニット』(その新規開発宇宙ユニットの名前)の生産ドックは、メキシコにあったのだ。メキシコの遺跡ウシュマルの地下、二四〇メートルの所に、ユニット製造ドック、そしてコントロールセンターが置かれているというのだった。私は、意図せず、とんでもない開発計画の一部に参加してしまったのだった。
 アイフラワー社のパワーは、信じられない程であった。私は、ロンドン大学に在籍しながら、(さらに、文学を専攻し、クラスに顔を出しながら)かなりの頻度で、メキシコまで行き来する事をこなしたのだが、やはり、多くのリミットがあり、そのままでは、ロンドン大学での出席日数が規定を満たさなくなる可能性が出てきた。しかし、アイフラワー社は、どういうマジックを使ったのか、私は、出席日数が足りなくても、エッセイを出し、規定のクイズをパスすれば、そのタームをクリアする事が許可されたのだった。これは、アイフラワーにしか出来ないマジックなのだそうだ・・・・・。
 今から、私の最初の『アイフラワー・ユニット・ドック』への渡航について、記そう。
 それは、英国らしい少し小雨の降る日の朝だった。マクミラン寮の、私のROOMの、ドアの下の隙間から、オレンジのエンベロープが、すべり入れられた。ドアを開けて、コリドーを眺めたが、エンベロープを入れた人物は、もう見当たらなかった。そのエンベロープを、愛用のインドネシア民芸のペーパーカッターでOPENすると、いくつかのフライト・クーポンと、レター、そして、二週間程生活が出来そうなぐらいの現金が入っていた。
 レターを読むと、ヒースロー空港に、既に用意されているダッソー・アビアシオンのファルコンがあるので、午前十一時にヒースローの臨時用滑走路に着くように、という内容だった。手が込んでいるが、それは、『アイフラワー・ユニット』の開発がトップシークレットである、という事を窺わせた。私は、即座に出発した。現金が入っていたので、移動しながら、必要な物品、衣類等は購入可能であると考えたのだ。しかも、あまり時間の余裕がなかった。マクミランを出る時に、白玉とすれ違ったが、彼は「ワオ、急いでいるね。デートか」と相変わらずの言葉を私にかけた。私は、彼の、そうした独特のライトな言葉が結構好きだった。私は、少し彼に笑いかけて去った。
 マクミランを出ると、ロンドンの下町の、やや乾いたドライな雰囲気のストリートがあるのだが、ちょっと空腹を覚えた私は、寮の向かいのコーナーにあった雑貨&グローサリーで、ショートブレッドを購入し、ヒースロー空港までのミニキャブの中で食べた。私は、その頃、まだそれ程ロンドンという街に慣れていなかったから、実際、ヒースローがロンドンのどの辺りに位置しているのか、よく知らなかった。英国ロンドンからの国際線と言えば、まあ、ヒースローがCENTREだった。ミニキャブのドライバーに「ヒースローへ」と告げると、私は乗り込み、そして乗車中、外の移る景色を見ていた。ロンドンは渋滞も多い。キャブドライバーは、紙袋から彼のブレックファストを取り出して、もくもく食べていた。それは良い匂いがした。多分、シンガポール・フライド・ヌードルだ。私は、そっちの方が食べたくなってしまったが、しょうがない、ショートブレッドをボリボリと食べながら、都市を出ると広がる英国らしい牧草地の、緑の美しさを眺めていた。ヒースロー方面にはそういった景色も結構ある。
 ヒースローの臨時用滑走路には、確かに、ファルコンビジネスジェットが泊まっていた。私は、それでまず英国を出て、フランス・パリのシャルル・ドゴール空港に行くのだそうだ。手の込んだ移動経路だが、まあ、それも面白かった。シャルル・ドゴール空港にはすぐに到着した。飛行機でドーバーを越えるのは、すぐだ。シャルル・ドゴール空港からは、フライト・クーポンを利用した一般路線だった。パリ発のトランス・ワールド航空(TWA・・・現在はもうない)のフライトで私は、人生で最初のアメリカ大陸の地を踏んだのだった。最初の土地は、合衆国フロリダ州マイアミ市だった。私には、アメリカに親類はいない。関連性と言えば、一つあった。私はイタリアで、ローマ・カソリック教会のハイスクールに居たのだが、そのハイスクールの聖堂の神父が、カリフォルニア州サンフランシスコ・ノースビーチに位置するカソリックチャーチに赴任していた。 Saint Peter and Paul Churchという所だったと思う。まあ、マイアミとは、全く反対の位置にある。
 マイアミ国際空港には、ある人物が迎えに来る事になっていた。その人物は、マイアミ市から近いコーラルゲーブルズに位置する、UNIVERSITY OF MIAMIのドクターであった。ドクター・イニス、そう、彼の名は、ドクター・イニス。知る人は知る、その世界のビッグネームだったのだが、私は、あまり知らなかった。私は、イタリアの田舎の小さな社会で育ったので、世界の大きな動きに関わるインスティテューションとは些細な繋がりさえ、当然無かった訳である。ドクター・イニスとの最初の対面は、このような感じであった。
 私が、トランス・ワールドの飛行機を降りて、コンコースを通り、一般ゲートから外に出ると、そこで、税関の男(彼は警備員の服装だった)に呼び止められ、出口の脇にあった白いコリドーの方へ連れて行かれた。私は、内心ちょっと動揺していた。白いコリドーの奥に小さなホワイトウォールの部屋があった。そこは、どうやら、税関の取調室のようだった。「そこで、ちょっと待っていて」そう税関の男は言った。しばらく待っている間、フロリダオレンジのトロピカーナのJUICEや、フロリダ・ラテン地域で人気があるらしいピニャコラーダ等が出てきた。私は、それらを飲みながら、しばらく待っていた。
 ドクター・イニスがやって来た。彼は当時、UNIVERSITY OF MIAMIのデパートメント・オブ・インターナショナル・スタディーズで教鞭を執っていた。私は、その分野に於いて、前述したように知識が無かった。その事を察知してか、ドクター・イニスは、そのデパートメントの趣旨となるミッション・ステートメントの載ったカタログを私に渡した。
 カタログによれば、国際学(インターナショナル・スタディーズ)の学部は、その中心となる目的としては、以下の趣旨の教育を行っていた。
University of Miami(マイアミ大学)のその学部生と大学院生に、しっかりした社会科学、とくに政治学と経済学を講義してゆき、多くの角度からも見た世界的なシステムの創造に対する先見性を獲得させる、とある。
そして、そこでの修士課程プログラムは、生徒たちに、国際関連業務、国際ビジネス、貿易、そしてファイナンス事業の専門知識を獲得させる。そうした準備期間であると同時に、政府や非政府機関そして国際公務や研究施設での仕事のためのナレッジを会得するための、強力なスクールである。
そして、ドクター・イニスのプロフェッションは、そこでのインストラクターだ。
 つまり、その『アイフラワー・ユニット』のコンストラクションは、世界の経済の動きや、多くの国益、産業に影響を与える可能性があるため、開発されても、長ければ三十年ほどは、シークレット事項になる可能性もある。ゆえに、それに関わる(たとえ、ほとんど内容を知らされていないとしても)従業者は、CIA級の機密コンフィデンシャルを宣誓しなければならず、(ゆえに、この記録もLIMITが存在しているのだが)その私に対する教育係が、ドクター・イニスの役割だったのだ。彼は、USAの人間らしく、(私のようなヨーロッパ・オリジンの人間は、USAの人間をある種のステレオタイプに見る事があるのだが)POPな男であった。彼のタイは、UNIVERSITY OF MIAMIのマスコット・キャラクターであるアヒルのアイビスの柄だったし、彼の重要書類の入ったバッグも、その大学のスクールカラーであったオレンジ&グリーン・デザインのモノで、異様にPOPな出で立ちであったのだ。
 私は、USAのジェットヘリ・アパッチに彼と共に搭乗すると、アパッチの中で、ドクター・イニスから、アイフラワー社の事業に於いての情報に関する対応や、ドックでの、ふる舞い方などを教えられた。(ふる舞いについては、USA企業の特性を反映したフランクな物だった。そして私は、タイをすることはなかった。)
アパッチは、ジェットヘリだったので、マイアミからメキシコのメリダ(ウシュマル近郊のエアポート)まで、そう時間はかからなかった。
 そこから陸路でウシュマルへ・・・。着いたのは夜だった。ウシュマルの夜空は美しかった。ウシュマル遺跡を見下ろす連山は、夜の闇で真っ黒に連なり、後方にそびえ、その山頂辺りには雲がかかっていた。
 入口は遺跡の目立たない所にあったが、地下二四〇メートルに達するエレベーターシステムチューブ・エントランスが、我々を『アイフラワー・ユニット・ドック』へと運ぶリフトの地上ステーションとなっていた。(エレベーターシステムチューブは、かなりの大型で、最近見たJAPANドキュメンタリーの「首都圏外郭放水路」と似ていた。この建設には、日本のテクノロジーが関わっているらしい。)
エレベーターは約五分で、地下二四〇メートルに達した。そこには、分厚い金属製の巨大なドアがあった。ドアには、大きく『AUD』(おそらく、AIFLOORE UNIT DOCKのイニシャル)と書かれていた。AUDのドアがゆっくり開いた・・・。アイフラワー社のCEOが、私を迎えてくれた。彼は、七歳になる女の子のお孫さんを連れていた。その向こうには、ユニットの内部機構が装甲なしのむき出しで、見えていた・・・。
 
 それは、一九九二年頃の事だったかなあ。私は、多くの驚異的体験を非常な密度で経験・体験してしまったので、どうも、どれがいつ起きた事だったか、ハッキリしなくなっている。
たしか、その時、アイフラワー社のCEOは、五十二歳だった、と聞いた。七歳の、お嬢さんの名前は、モアナ・アイフラワー。
 私は、アイフラワー社のCEOであるミスター・アイフラワーに快く迎えられた。
「サルバトーレ・メイヨー君、会えてうれしいよ。君は、英語、日本語、イタリア語に精通しているそうだね。我社の宇宙空間用ユニットの外観デザインチームは、イタリアンのインコーポレイテッドです。君が通訳をしてくれると聞いてうれしく思っています」そう言う彼は蝶ネクタイのお洒落な紳士であった。

 私の通訳の仕事は、日々、進んでいった。アイフラワー・ユニットがどんな機能を持つユニットなのか、全く私は分からなかったのだが、外観デザインは、内部構造の理解とは、ほとんど関係無かった。

 しばらくして、アイフラワー・ユニットに関する仕事の第一期目が、終了した。イタリアンのインコーポレイテッドが完成させたデザインは美しかった。

 私は、チチェン・イツァの遺跡を見たり、本場メキシコのタコスを食べたり、カンクンの青い海を満喫したりして、しばし過ごした。私にとっては、そうしたトロピカルな世界で過ごす事は、人生初であった。
 その後、いまや古巣となっているロンドンに戻った。恋人が、マクミラン寮にやってきた。彼女はトスカーナの女性だ。彼女の一族はイタリアの地方の銀行家一族であった。彼女はある意味、どこか浪費家でもあった。特にファッションには、よく浪費していた。彼女の、当時のお気に入りのブランドはKOOKAIだった。私は、よく彼女のショッピングにお供した。彼女は料理は上手かった。イタリア風の肉料理が得意だったので、私は、それを美味しく味わう事が出来た。私は、パスタ料理が得意であったので、二人で、パスタ&お肉、そしてサラダをつくって、マクミランの連中に振舞う事もあった。彼女は、トスカーナのファッション・スクールに通っていたので、我々は遠距離LOVEだった。
 一九九三年の秋のセメスターから、私は、一年程、UNIVERSITY OF MIAMIに通うことになった。当時の私の、勉学の本拠地は、それでもロンドン大学であったが、UNIVERSITY OF MIAMIで履修したUNITSをロンドン大学のUNITSに変換する事が可能になったのである。こうした多くの手続きを全て、アイフラワー社が代行で行ってくれていた。私は、一年ほど、UNIVERSITY OF MIAMIのピアソン寮に滞在した。これが、アイフラワー社にも都合が良かったのである。私は、そこから、用件があれば、ちょくちょくメキシコ・ウシュマル等に出かけられたからである。その間、どうしてもヨーロッパの方で、いくつかのレクチャーを聴かなければならない時は、ロンドンに戻った。マイアミとロンドンの二都市は、かなりアトモスフィアが異なるのだが、私は、頭の切り替えスイッチを上手く使い、適応した。非常に若かったのである。若い、という事は、適応力が大きいのだ。こうしたUSA滞在の中で、USAのいくつかの都市を見ることも出来た。カリフォルニア州には、アイフラワーのブレイン的なヘッドクオーターズが存在していた。それで、何度かお世話になった。私のオリジンであるイタリア人が多く暮らすシスコのNORTHBEACHも、存在している。

 アイフラワー・ユニットの第二期プロダクション・タームも無事に終了したので、ほぼ、私のアイフラワーでのジョブは、もう無い、と考え始めた。
私はそれでも、アイフラワー社の作っていたユニットが、何の目的であったのか、知らされなかった。
それは、九〇年代末、なんらかの方法で打ち上げられ、実験のため、地球の軌道にあるはずだ。

 アイフラワー社との仕事も終了した私、サルバトーレ・メイヨーは、アメリカ大陸よりロンドンに戻り、文学の研究に没頭していた。
 アメリカからロンドンに移動する時に乗った(公的には発表されていない)VTOLは、感動の経験だった。
 アメリカの未発表テクノロジーは、三十年ほど進んでいるようだ。
 私は、その外観のみ、写真を撮る事を許されたが、一枚のみだった。
 やがて、私は、ロンドン大学を卒業し、その後、ロンドン大学のグラデュエート・コースで、マスターズDEGREEを取得した。専攻は文学であった。
 二〇〇三年より、私は、自分の研究の地をロンドン郊外のルートンに置いた。
 アイフラワー社とは、もう十年、音沙汰なかった。
 私にとっては、アイフラワー社の事は、記憶の彼方になっていた。
ルートンは、小さな町だが、おもしろい町である。フィルムストック国際映画祭(FILMSTOCK INTERNATIONAL FILM FESTIVAL)が開催される事で有名なこの町だが、昔風のマナーハウスが残っていて、のんびりしている。ロンドンとは、時間の進むスピードが違うようだ。
ヨーロッパでは昔から、「アジア趣味」が時々流行するが、二〇〇〇年代も、アジア趣味が流行している。かつては、日本趣味が流行していた所に、二〇〇〇年代は、タイ趣味が広がっている。ルートンにも、美味しいタイフードを出す店があり、店員の人々は、タイ・スマイルで迎えてくれる。ランチにタイフードを好むビジネスマンたちが多く、ストリートには、タイフード屋台が出ている。

 私は、このような地で、文学の研究をつづけた。

 そしてまた二年が経ち、私、サルバトーレ・メイヨーは、フランスの、とある田舎町に住んでいた。

 私は、イタリア出身としては、まあ、当然な事かも知れないが、ローマン・カソリックの教えを小さい頃から受けていた。その日、私はフランスの、その田舎町にある、とあるカソリック教会のミサに出席し、その後、教会を出ようとしていた。
 あれは、二〇〇五年の春だったろうか。
 教会の門の近くで、白いスーツの男が私に声をかけた。
「ムッシュー・メイヨー?」
 私は、答えた、「そうですが、貴方は、どなたですか?」
 彼は、「私は、アイフラワー社から来た者です」と答えた。
 私は、久しぶりに『アイフラワー』の名を聞き、少し動揺した。アイフラワーから連絡が来たのは、ほぼ、十二年ぶりだったからだ。
 私は、その時でも、自分が関わっていた、アイフラワーの宇宙開発プロジェクトに於いて、何が製造されていたのか知らなかった。
 彼(その白いスーツの男)は、その後の事について(つまり、アイフラワー・ユニットの、その後について)、私に語ってくれる、という。
 教会の門の前には、赤い車が停車していた。それは、アイフラワー社の車のようだった。白いスーツの男は、その車のドアを開け、私に搭乗するように言った。
「さあ、レッドカーの中にお入りください」
 その車は、アイフラワー社では、通称『レッドカー』と呼ばれているようだった。
 レッドカーに搭乗した私は、約二時間、ドライブに付き合わされた。
 レッドカーは、かなり山奥の天文台に到着した。
 白いスーツの男は、天文台の中に私を案内した。
 中には、テーブルと豪華なフランス料理が用意されていた。
 白いスーツの男は、「私は、ホワイトマンです。ムッシュー・メイヨー、会えて光栄です」と、改めて挨拶した。
 私は、彼の名が『ホワイトマン』だと分かった時、服装と名前がピッタリだなあ、と思ったが、まあ、そんなことは、どうでもよかった。

 以下が、アイフラワー・ユニットについてである。

 アイフラワー社は、多くの点で、この十二年の間に変化していた。
 まず、アイフラワーと宇宙開発で提携関係にあったVALDAT(日本・熊本県に位置していた多国籍企業)が、地球環境問題を今後の深刻に取り組むべき課題と考え、宇宙開発関連事業部門のSTOCKを全て、アイフラワーに売却し、CO2削減開発に移行したという事だった。アイフラワー社は、その後、VALDATの技術を取り入れ、アイフラワー・ユニットに、多くの改造を行っていた。
 アイフラワー・ユニットは、何だったのか、私は、ついに、その真相を知る事になった。
それは、ワームホール発生装置だったのである。
 ワームホールとは、つまり、ワープ航法の一つの形である。
 一九九〇年代には、いくつかのハリウッド映画(またはTV)で、『ワームホール』が映像的に描かれた。(例:『スタートレックDS9』『スターゲート』『コンタクト』)
『ワームホール』とは、時空構造に生じる現象、または、(SFでは)人為的に発生させうる時空を超えた通路だ。
 時空のある一点から、別の離れた一点へと直結するトンネルである。
 それは、光を超えるスピードで空間移動を可能にし、もしワームホールを人類が使えるような時代になれば、時間旅行も可能と言われる。
 以上、そう、つまり、それがワームホールなのである。
 アイフラワー・ユニットは、ワームホールを発生させながら、広大な宇宙旅行を実現可能にする乗り物の駆動機関だったのである。その一種の宇宙船は、多くの改造のあと、完成し、現在は、『アイフラワー・クルーザー』として、人類史上最高の宇宙船になっているのだった。技術的な事は難しすぎて、私にはうまく説明できないが、つまり、アイフラワー社は、およそ、五百万光年を旅することが可能な宇宙船『アイフラワー・クルーザー』を完成させたのだった。(しかし、公表はされないままだ。)

 結局、私は、またもや、LONDONに戻ることになった。アイフラワー社AIFLOORE CORPORATIONの新規HEADQUARTERSが、LONDONにOPENしたからだ。私は、AIFLOORE CORPORATIONが用意した、ハイテクVTOLで、ヒースローまで送られた・・・。ヒースローの(なつかしい)特別滑走路からENGLAND入りする事になったが、しばらくぶりのENGLANDは、それ以前の、もっと若い時期に感じたENGLANDとは、違って見えた。私が少しは、成長したせいかもしれない。私は、AIFLOORE CORPORATIONが手配してくれたサリードームという滞在施設に入った。それは、LONDONのTATEギャラリーの近くであった。
 LONDONは相変わらず、LONDONであったはずだ。テムズの流れは、これまでのように流れ、ビッグベンは、やはりそこに在った。
 私が、今回、AIFLOORE CORPORATION LONDON HEADQUARTERSに招聘された理由は一つ。あの、MSモアナ・アイフラワーの独断であった。
 MSモアナ・アイフラワー、そう、彼女は、一九九二年、メキシコで初めて会った時、七歳だった、・・・アイフラワー・ファミリーの令嬢だ。
 それから、考えると、二十歳になっているはずだ。
 あのとき、五十二歳だったアイフラワー創業者は、六十五歳になっているはずだった・・。
 元気にしていらっしゃるだろうか・・。

 今回は、ビッグベンで、その令嬢と再会することになっていた・・。

 モアナ・アイフラワーは、やってきた・・・アポイントメントどおりだ・・。

 どんな話が聞けるのだろうか・・?

 二〇〇五年、五月十五日。
 私、サルバトーレ・メイヨー、モアナ・アイフラワーに再会す。

 テムズ川は、静かに流れていた・・・。

 時も、静かに流れる様子を見せていた・・・。

 ロンドン・アイは、ゆっくり回っていた・・・。

 私と、モアナ・アイフラワーは、シャーロック・ホウムズの時代から在るかとさえ思えるようなブリティッシュ・パブに入り、・・・・・・・・・・そこで、レッド・ヴィーネとFISH&CHIPSをオーダーした。これは、ロンドンの定番である。
 ロンドンのウナギ料理もよい。

 私は、モアナ・アイフラワーの写真を撮ったのだが、それは、デジタル・フィルターが入り込み、撮影出来ていなかった。

 アイフラワー家の人間たちは、多くの国際機関を動かしているため、写真が撮れないのである。彼らは、大抵、エレクトロマグネティックFIELDを発生させるバックルを身につけていて、写真を相手に撮らせないように防衛している。

 モアナ・アイフラワーの話は、ある意味、奇妙であった。

 アイフラワー社が開発した新時代宇宙航行システムを搭載したスペースシップは、今まで人類が足を踏み入れたことがない外宇宙への航行を可能にしたのだそうだ。

 しかし、その新時代スペースシップに乗って、遥かかなたの惑星QXQに到着した探査ロボットが撮影し、地球に電送した写真に写っていた生命体は、巨大な怪物だった。

 その怪物と同じ形態の怪物の壁画が、死海の古代遺跡で見つかったのだ、という・・。

 それは、突然のSFファンタジーの幕開けだった。いや、そもそも、私は、そんな話が嫌いではない。むしろ、好きなほうだ。ここに来るまで、ロンドンのチャリングクロスあたりの古本屋をうろつき、そんな本を物色していた。ロンドンの古本屋には、けっこう掘り出し物がある。今日は、一九七七年に公開されたSF映画『スターウォーズ』のコミック版の古本を見つけた。これ、なんと、スパイダーマンのオーサーであり、コミック・アーティストの、STAN LEEが、PRODUCEしているのだ。モアナ・アイフラワーと会う約束の時間まで、私は、とあるカフェで、チャイティーを飲みながら、そのコミックを読んでいたのだ。コミックは、一九七八年の四月十九日に発売されたものだった。映画のHITを受けて作られたコミックであることは明らかだ。この回は、レベル・アライアンスのスター・ファイターが、デススターに攻撃を仕掛ける、という部分がコミック化されていた。映画のクライマックスである、ルークのフォースを使った一撃の、寸前で、コミックは「次回に続く」となっていた。私は、ううん、絶妙なところで終わるな、と感じながら、残っていたチョコレート・チップ・ソフトクッキーを、さっと食べると、マイルス・デイビスの曲が流れていたカフェを出て、同じストリートにあったPCショップの方に入った。さっきのチャイティーの味を思い出して、やはり、チャイは、インド系のお店の方がうまいな、と感じた。次回、チャイを飲むときは、インド系の喫茶に行こう。
 さっきのカフェは、アメリカ系で、コスタリカ産のコーヒー豆を使った美味しいコーヒーを入れてくれることでは有名のようだ。私は、イタリアの地方の田舎町出身だったので、・・・その町には、何軒かのカフェしかなく、選択の余地は無かった。
カフェの楽しみは、ロンドンに来てから知った。
それでも、私の出身の町では、少ない軒数ながらも、その店独自のオリジナルなテイストを作り出している素晴らしいカフェがあったのだ・・・。
 PCショップの商品を見ていると、二〇〇〇年代は、随分、パーソナル・コンピュータが進歩した、と感じた。いや、事実、進歩したのだ。私は、研究の関係で、多くの考古学・文学データを映像として保存し、多くのヘビー・ドキュメントを作成し、学会に向かわねばならなかったので、ハードディスクが急速に安価になり、個人のデータ・ストレッジが増大になったことに、多くの意味で恩恵を受けていた。私は、その日、増設HDDを購入し、IEEEの付いてないラップトップPCのためにカード型の増設IEEEポートも手に入れた。
 コンピュータの処理速度や、OSの使い勝手も驚異的によくなった。私の父が仕事でWINDOWSナインティーファイブやMAC・OS以前のコンピュータを使用していたので、私は、そのコンピュータで、よく初期のウィザードリー、ウルティマなどのロールプレイングGAMEを遊んだのだが、その頃のコンピュータは、同時に二つのソフトウェアを走らせるなどという芸は出来なかったのを記憶している。グラフィック処理も、今のような写真レヴェルの表示は出来なかったし、かろうじて可能だったモトローラの68000系CPUを搭載したコンピュータでも、おそろしく表示に時間がかかっていたものだ。今では、民生用のコンピュータで、グラフィックソフトウェアも、ワードプロセッサも、インターネットブラウザも同時に走る、・・・これは驚異的なことだ。

 そんな時間を過ごした後、モアナ・アイフラワーに会ったのだ。

 FISH&CHIPSのブリティッシュ・パブを出ると、・・・店の傍らには、白いリムジンが待機していた。運転手は、もちろん、アイフラワーの人間だ。
 私は、それに乗せられた。
 車の中で、モアナ・アイフラワーは、言った。
「ミスター・メイヨー、あなた、今日から、正式にアイフラワーの人間よ」
 モアナ・アイフラワーが、差し出したICスキャン付のカードには、私の名前が刻まれていた、「サルバトーレ・メイヨー」と・・・。
 私は、正式に、アイフラワー社に迎え入れられる事になっているようだ・・。
 私は尋ねた、「その、・・・つまり、その根拠は何? 私は、まあ、英語、日本語、イタリア語を使え、文学を専攻し研究したが、私ぐらいの人物は、他に大勢居る。アイフラワー社ほどのグローバル・カンパニーが、私を必要とする理由が不明瞭なのです。どうして?」
「それは、だた、一点のことなの。あっ、私のものの言い方が、大柄だったら許して頂戴ね。私は知っての通り、十九歳でアイフラワー社のシンクタンクで、ブレインの役職をもらって、学業と共に、多くの判断を下す立場を強いられてしまったから、時々、人を不愉快にさせてしまう言い方をしてしまうの。ごめんなさい。・・・そう、つまり、あなたのその質問に対する答えは、ただ、一点のことなのよ。それは、・・・私があなたを選んだのよ。理由はあなたが気に入ったから。いえ、つまり、信頼できる心ある人間か、という点よ。別の意味ではないわ。アイフラワーのINFOMENルームでは、すでにあなたの事は、調べてあって、あなたに、すてきな恋人がいることも知っている。ミスター・メイヨー、私は、あなたを信頼できる心ある人間だと判断して、あなたに人類のフロンティアを見せることにしたのよ」モアナ・アイフラワーは、そのステイタスと裏腹に、ひどく無邪気に笑った。
 アイフラワーのロンドンオフィスの一つは、ピカデリーサーカスに在った。ピカデリーサーカスは、ロンドン・エンターテインメントのオフィスの中心街だが、その一画のビルディングの最上階に、アイフラワーオフィスは位置していた。私には無縁だと思われた、ピカデリーサーカスのビッグ・ビルディングの最上階に私は招きいれられたのである。アイフラワーは、多くのクリエイティブ関連事業にも資金を提供していたようだ。それで、ピカデリーサーカスにオフィスがあるのだ。エンターテインメント・ディビジョンでは、映画製作にも投資しているようだ。
 アイフラワーは、さながら、現代のハワード・ヒューズだと言っていい。ハワード・ヒューズは、航空機産業と映画産業に、そのパワーを君臨させたが、アイフラワーは、宇宙航空産業と映画エンターテインメント産業に力を入れているフロンティアメイカーだと分かった。アイフラワーのオフィスに掛けられた薄型TVパネルに映っているのは、おそらく、アイフラワーが製作に関係している映画作品だ。
 サウンドは、JBLのサウンド・スピーカーから、心地よく聴こえていた。
 モアナ・アイフラワーの仕事部屋に案内され、モアナ・アイフラワーとともに、中に入ると、モアナの秘書は、大友克洋のコミックを読んでいた。秘書は、我々に気付き、ふと顔を上げ、「あ、・・・おかえりなさい、ミズ・アイフラワー」と言って、コミックをたたんだ。
 大友克洋のコミックを読む秘書・・・。
見回してみると、モアナの仕事部屋の、周囲のデスクには、今流行のアニメーション・キャラクターのフィギュア群が並んでいる・・・。ヨーダの等身大のオブジェまである・・。彼らは、スターウォーズの大FANらしいぞ・・。(まあ、私もそうだが。)
 ははー・・・ん、私は、ふと、思った。
「ミズ・アイフラワー」と私。
「モアナと呼んで」モアナは、そう言うと、私をじっと見た。
「モアナ、君たちは、オモチャを開発する事業に参入するみたいだね、そうだろう?」私は、モアナに、そう言ってみた。これまでのストーリーに、どこか疑いを持っていたのだ。
 たしかに、私は、かつて、アイフラワー・ユニットの開発に於いて、デザイン室に居た。しかし、あのアイフラワー・ユニットが太陽系を遥かに越える宇宙船だったなんて、理解できないのだ。
 公式には、NASAが七〇年代に打ち上げたボイジャーが、地球から最も遠くに離れた所に在る人工物である、という常識が吹き飛ばされてしまうのだ・・。
 モアナは、言った。
「この世界には、あなたが、まだ全く知らない英知があるのよ・・・、サルバトーレ・・・」

 ロンドンは、全てを飲み込んでしまう街だ。貪欲に人類の英知を吸収し、その栄養でさらに加速度的に肥大するのだ。
 だからこそ、このような・・・、モアナ・アイフラワーのような人間が闊歩するのだ。
 
 私のようなイタリア半島の地方からやって来た者には、知るよしもないナレッジをすでに自分のものとしている団体やカンパニー、そして人物が存在しているのだ。
 モアナは、すでに、ビルディングの屋上に英国空軍のハリアーが迎えに来ていると言う。
 私は、運よく、計り知れぬナレッジとフロンティアを見ることが許された。それならば、乗るしかないのだ、そのハリアーに。
 ハリアーの行き先は、日本列島の南海・・・。
 そこに、小型スペースシャトルを艦上で打ち上げるためのユニットを設置しているという、アメリカ合衆国の空母アイゼンハウアーが待っている。

 ・・・・・・・・・あれから、二十六時間後、私は、地球の衛星軌道上に待機していた、長距離宇宙船「AIFLOORE」に居た・・・・・・・・・・。
(AIFLOORE SHIP:船籍THE UNITED STATES)

 この深遠の宇宙空間に居ると、それまでの記憶など、どうでもよくなる。

 ここには、時間すら存在しないかのように、静かなる空間の広がりがある・・・・・。

 これまで、私が、記載してきた、私の記憶・・・、イタリアの地方からロンドンにやってきて、その後、このような宇宙空間に来てしまったという旅のジャーナル・・・、それは、いくつか、記憶の間違いから生じる誤りも含んでいると思う。

 しかし、そのような小さなことなど、ここでは、どうでもよくなってしまうのだ。

 ロンドンのニューカマーだった私だが、ここでは、ロンドンの正確な位置すら、なんの意味もなくなってしまうのだから・・・・・。

 船室のモニターに、ビデオ解説で、アイフラワーのコーポレート事業紹介が映っていた。
AIFLOORE CORPORATION SPACE SCIENCE
DIVISION has a moon base for space trips.
Some people always there and the moon base station is for researches.

 さて、私は、地球衛星軌道に静止していたAIFLOORE号に二ヶ月ほど滞在した。これは、なにやら、考古学的PROJETに参加するためだった。
 私が登用された理由は、そこにあったのだ。私は、研究のために、おおくの世界遺産(THE WORLD HERITAGE)を調査していたし、そのファイリングも完成していた。実際に現地調査したANCIENT CULTURE PLACEも多くあったが、ライブラリーの調査のみでとどまっていたものも多かった。しかしながら、考古学調査や、埋蔵金発掘、沈没船の発見の多くは、じつは、そのほとんどの時間が、ライブラリーで費やされるのである・・。
 私は、前述の奇妙な事件{AIFLOORE号によって発見された遙か彼方の惑星QXQの巨大生物と、地球の死海(THE DEAD SEA)のほとりの壁画に描かれた怪物が、おなじであったという}に関わるために、AIFLOORE号について、多くのことに慣れねばならないのだ。
 AIFLOORE号は基本的に快適に、遠方の宇宙まで旅することが出来るワームホール発生装置を装備したスペース・クルーザーだが、その中での生活に慣れるためには、二ヶ月の訓練が必要だった。(ワームホール発生装置は、エネルギー消費が大きいため、旅の全てに使用できるわけではない。)
 無重力空間に寝るというだけでも、はじめは困難であった。なんだか、意識だけが空間をただよっているような、そんな気持ちになったものだ。それから、私は、モンゴル系の乳酸菌飲料が好きだったのだが、宇宙空間で乳酸菌を飲むことは出来なかったので、ちょっとさびしかった。二ヶ月の訓練滞在期間を終了すると、私は、一度、地上に下ろされることになった。それは、いくつかの大規模な地上調査のスタッフの一人にならねばならなかったからだ。
 もっとも重要とされるのは、中東・死海の遺跡だ。
 AIFLOORE号での二ヶ月は、いいものだった。私に与えられたROOMは、2M×3Mくらいの小さな部屋であった。私はそこで、必要なナレッジで、まだ私が獲得していなかったものを学習しなければならなかった。
 基本的に、私は、人文学の世界に身をおいていたので、その方面の書物は、多くの人より読書してきていたと思う。わたしは、当然のことながら、シェイクスピアの全作品を読破して、そこにある意味について多くのジーシスを書いていたし、フランス文学を中心とした人間・そのヒューマニティ・合理のあり方・調和の模索・哲学・社会学・それら関連分野を自分のものとしていた。
 しかし今回は、これらに加え、多くの先端宇宙工学や、理論、サイエンスジャーゴンなど、スペース・エンジニアリングや理論物理学の知識をある程度、頭に入れなければならなかったし、AIFLOORE号の、コンピュータアシストを使用した操縦方法をマスターしておくことをスタッフに望まれていた。
 もちろん基本的に私はパイロットではないので、操縦をしないが、「IN CASE」として、操縦知識は獲得していることが求められたのだ。
それは当然、はじめてあつかうコンソールだった。
多くのパネルは、1M×2MのコントロールDESKに収められていた。
操縦コントローラと、操縦アシストCOMPUTERインターフェイスも、コンパクトにうまくまとまったものであったが、使うとなると緊張した。
 何度も練習をした。衛星軌道付近を、イオン推進で移動するプラクティスが主だった。(ワームホール発生装置は、エナジー消費が多いので練習では使用しない。)
 宇宙科学のナレッジ学習は、難解ではあったが、いろいろ知ることになった。
宇宙とは、永遠に広がり続ける空間らしい・・。(ダークエネルギーが、そのキーとなる。)
 宇宙の知識を学習するのは、かえって哲学的に自らを思考することを可能にする。

 そうだ、それに、宇宙では、我々の筋肉がおちてしまうので、一定の運動も欠かせない。そして、それは、精神的にもよい。私は、フレンチ・スタイルのトレーニングを二ヶ月欠かさなかった。宇宙での生活を思い出すと、なかなか、このように充実していた・・。

さて、やがて、私は、死海へと向かう飛行機に乗る。
 
二〇〇五年八月一日。

 3:00 PM ---

『The Plane is approaching THE DEAD SEA』
 機内コンピュータGPS液晶パネルに、そう表示された。

 私、サルバトーレ・メイヨー、・・・ロンドンを離れて、かなり時が経った。私に、いつか、あの、ふるめかしさと、新しさがクロスする街、LONDONへ戻る日はやってくるのだろうか、・・・そんな気になっていた。

 とにかく、今の私は、流浪の者だ・・・・・。

 死海は、目前だった・・・・・・・・・・。

 死海地域までのフライトは、よいものだった。

 ハワードH財団がリラックス感覚の高いPINKY・VTOLを用意してくれていたから、空の長旅も楽しいものとなったからだ。

 空飛ぶマンションといった感じのペントハウス・エアプレーンだったのだ。

 基本的に私は、その機の中で、自由に歩き回ったり、休んだり、さらに、調理も好きなように出来た。

 その当時は、二〇〇五年の夏であった。比較的暑い夏だった。機のウインドウから空を見下ろすと、PINKY・VTOLは、大積乱雲の上空をゆっくり飛んでいた。

 私は、到着までの十五時間あまりを悠々自適に過ごした。多くの発掘調査上の権威者をピックアップするのに、十五時間という飛行時間が必要だった。

 ハワードH財団のフライト・ケイタリングは素晴らしく、給油も、空中給油が当たり前だったが、さらに、どんな要望も、なぜかかなう。
 私は、機の中で朝を迎えたが、突然、ドライカレーを食べたくなり、機のケイタリング・スタッフに申し出た。 その用意もすでに機のなかにあった。さらに、私、サルバトーレ・メイヨーは、「食の国」イタリアの血筋。やはり、私自身が調理したい。それも、申し出、聞き入れられた。私は、悠々自適にドライカレーを調理し、食べ、その後、機内で、世界のオーパーツについて、より多くの知識を得るために比較的簡単な書物を読書した。
私は、ロンドンで日本食を覚え、そのせいで、時々、風流な日本食がたべたくなる。私は、あの風流な「あじのひらき」をケイタリング・スタッフにたのんだ。それも、不備なく出現した。しかも、『喜多屋』の、うまいSAKEもついて。

 そのように、私の死海への機の中の時間は過ぎたのだ。
 PINKY・VTOLの空調は快適に整えられていたので、よく眠ることも出来た。いいねむりだった・・・・・・・・・・。
 さて、機は、基本構造がVTOL式なので、滑走路を必要とせず、ランディングすることが出来た。

 しかし、実際の目的地からは、すこし離れたところに機は着陸した。

 そこからは、歩きだ。

 私を含む数名の考古学オーパーツ研究チームが、荒れた道をかきわけて、めざすところへと進んでいった。私の胸は高鳴っていた。

***   ***

 いよいよ、その「壁画」が姿を現したのだった。

 惑星QXQに行った探査ロボットが見た宇宙の果てのモンスター・・・。

 その壁画が、なんと死海のほとりに存在している!

 PELDOLATH ・・・ 壁画は、とつぜん現れた付近の老人から、そう呼ばれた。

 ペルドゥーラス ・・・・・・・・・・ ?

 死海沿岸で、PELDOLATHの壁画を見てから、ある種のショックを受けた私サルバトーレ・メイヨーは、その日、ちょっと考え事をするために、HOTELに戻った。
 ここは、アラビックな文化の影響も多い地域である。HOTELは、独特なデコレーションや、独特なサウンドにつつまれていた。
 私は、西ヨーロッパ地域を自らのルーツとしているが、その中には、イングランド、フランス、ベルギー、イタリア、ネザーランズ・・・など、それぞれの文化圏がある。それらは、いろいろな点で、異なる部分があるが、アラビックの影響を大きく受けた土地にやってくると、それらはたいした違いでもないと分かった。
 私は、ここで、あきらかに、カルチャーショックを受けていたのだ。
 しかし、それは、否定的なショックではない。
 私は、むしろ、心のどこかで、カルチャーショックを楽しんでいたのだ。
 しかし、大きな変化を体験することは、楽しいことだとしても、疲れも大きい。
 私は、HOTELの個室で、隊からはなれ、一人、考え事をしていた。
 この地域は、大昔からの伝説の宝庫でもあるのだ。

 ソドムとゴモラも、この辺りで栄え、滅びた。

*尚、ソドムとゴモラが滅びた本当の理由は、そこに暴力が蔓延したからである、と研究されている。暴力の蔓延する所には祝福はない。

 しばし、私サルバトーレ・メイヨーは、これまでライブラリーで読んできた多くの書物と、研究してきた伝説の結合点をさがしていた・・・・、ベッドの上で。

 隊の人間がノックした。
「ミスター・サルバトーレ・メイヨー、ARE YOU ALRIGHT? (大丈夫ですか)」

 私は、その日、いくつか大きなカルチャーショックを受けて疲れていたため(それは、心地よい疲労ではあったが)、会食をお断りした。

 やがて、うとうとと眠くなった。

 夢心地になるとき、私は、イングランドの思い出を思い出していた。

 二〇〇八年!

 ・・・時が経つのは、ときとして、はやくも感じる。

 私、サルバトーレ・メイヨー、けっして、無為な時を過ごしていたわけではないのだ。

 このサルバトーレ、文献をめぐり世界を移動していた、そう、あのPELDOLATHの異様を見てから・・・。

 もう、あれから、三年が経過したのか・・・。

 ともかく、あのPELDOLATHの壁画遺跡を見てから、私には、まだまだ、その謎を解き明かす力量がないことを思い知らされた。

 それで私はロンドンに戻り、そこを拠点に、ヨーロッパ中の古文書を再リサーチすることにしたのだ。そうしなければならない衝動にかられたのであった。

 そして三年近くものあいだ、ヨーロッパと地中海沿岸地域の古文書をあさっていた・・・。

 三年という時間は、世界を変化させた。インターネットによる多くのサービスは、信じられないほど進歩をとげた気がする。
 世界のかなりの地域で、ネットによる情報公開・研究協力がすすんだ。
古文書も、かなり、ネットで閲覧できるようになってきた。

 現代はものすごいスピードで進んでいたにも関わらず、私は、あのPELDOLATHの遺跡壁画にとりつかれたままだった。

 そんななかで、インターネット動画配信サービスを楽しみながら、仕事が出来るようになったことは、いいことだと思った。動画情報には大きな可能性がある。しかし、このサルバトーレ・メイヨー、いろいろ資料が混在していて、うまくまだまとめられない・・・・・。

 そのように、時は過ぎ、私の、この巨大なジャーニーは、つぎのように、コンクルージョンを迎えた。

 サルバトーレ・メイヨーの、このジャーニーは、二〇〇八年三月末、終了した。

 我々は、世界中の図書館を調べ、PELDOLATHについて、かなりの情報を入手して、惑星QXQに向かった。

 PELDOLATHは、かつて地球にいたレビアタンに近い怪物であると分かった。
 古代の英雄は、PELDOLATHを宇宙の彼方に追放したのだ。
 そのPELDOLATHが、惑星QXQに生息しているのだ。
 ほかに、驚いたことは、惑星QXQに、人間がいるような反応があったことだ。
 モアナ・アイフラワーの祖父は、この反応を追って、一人で惑星QXQに入り、その後、行方不明だ。(彼は、個人用のスペースクラフトを所有していた。)
 今回の我々のミッションは、行方不明のミスター・アイフラワーを探し出し、かつ、他の人間達は誰なのか、それを確認し、PELDOLATHに立ち向かわねばならない、ということだった。
 惑星QXQは、緑の少ない惑星だった。
 いや、かつては、緑が多かったのかもしれない。現在の地球も、このような道を辿ってはならない・・・・・。
 我々の宇宙船(アイフラワー号)は、その時の、大気の関係で軌道上に停まっていることしか出来なかったので、探査ユニットによって、我々、探索チームは惑星QXQに降りた。ユニットは、二人乗り、それで、私とモアナ・アイフラワーが惑星QXQの地表に着陸した。
 そこは、ほとんど植物がなく、荒れた大地だった。そのとき、私は、いまのまま、地球の砂漠化が進めば、このQXQと同じになってしまうという懸念を感じたのだ。

 私とモアナは、ユニットに乗って、しばらく砂漠を移動した。
 やがて、砂漠の遠方に、人影が見えた。
 近寄ると、それは、行方不明のミスター・アイフラワーであった。
 モアナは、祖父に再会することが出来たのだ。
 PELDOLATHについて、ミスター・アイフラワーは、私以上の知識を獲得していた。
PELDOLATHは、再び、地球を襲おうと画策している、という。
 我々は、PELDOLATHを倒さねばならなかった。
 ミスター・アイフラワーは、その怪物との戦いの最中、自身のスペースクラフトを失っていた。
 しかし、すでに、ミスター・アイフラワーは、PELDOLATHを倒すことの出来る『命の光』を放つ石を発見していた・・・・・・・・・・。

 PELDOLATHは、まさに『破壊者』だった。つまり、その存在は、『命』の真逆。
『命の光を放つ石』の光は、PELDOLATHを消滅させてしまうのである。

 我々、つまり私とモアナとミスター・アイフラワーの三人は、探査用飛行ユニットに乗って、『その石』を持ち、PELDOLATH退治に出発した。

 砂漠を乗り越えて行くと、やがて、壊れかけたキリスト教会のようなドームを発見した。
 なぜ、それが、教会に見えたかと言えば、ドームの上に十字架が掲げられていたからだ。
 そこに接近すると、そのドームが、巨大な宇宙船であると分かった。球体の宇宙船で、半分は、砂に埋まっていた。

 我々三人は、そのドームの中に入った。中には、七人の子供たちがいた。一人は、高熱で寝込んでいた。
 彼は「七番目の子供」と呼ばれていた。

 ミスター・アイフラワーは、『命の光を放つ石』を使おう、と言い出した。
 しかし、それをここで使えば、PELDOLATHを倒す方法がなくなってしまう・・・。

 ミスター・アイフラワーは、躊躇せず、子供を治すために『命の光』を使った。

「PELDOLATHのことは、あとで考えよう」・・・そう、彼は言った。

 七番目の子供は、回復に向かい始めた!

 我々は、そこにいた七人の子供達に、一体どこから来たのか、聞いた。

 その七人は、地球とは違うが、人類の住む星から来た。
 彼らの先祖は、なんらかの方法で、地球から、その星に移住したのだそうだ。
 その星に移住した民は、聖書を持って移住した。

 七人の子供たちは、春休みのキャンプ旅行で、このQXQにやって来た。
 彼らの星の科学力は、地球以上のようだ。

 しかし、宇宙船のコンピュータをプログラムした七番目の子供が病気になり、帰れなくなっていた。

 ドームの上の十字架は、祈りのために立てたのだという。

 やがて、七番目の子供が、完全に回復したら故郷へ帰れる・・・。
 それは、すぐだ。

 広いドーム内を見渡すと、そこは、かなり深く砂に埋もれていた・・・。砂上に、何か船のバウのようなものが突き出ているのも見えた。多くの機材をキャンプに持ち込んだようだ。

 球体の宇宙船は、多少壊れていたが、プログラムさえきちんと組めば、帰路につくことが出来る。七番目の子供は、コンピュータ・ジニアスだから、彼が元気になれば、それは可能だ。マスター・プログラムが回復すれば、ロボットも動き出し、砂に埋もれた宇宙船内部から、砂を掃きだすこともでき、宇宙船は再び飛び立てる・・・・・・・・・・。

 それが分かると、私と、モアナと、ミスター・アイフラワーは、PELDOLATHを倒すためのクエストに再び出発した・・・・・・・・・・。

 われわれの飛行ユニットは、いくつかのレーザー砲を備えている。
 それで、PELDOLATHを倒すことができるかもしれない・・・・・。

 砂漠は限りなく続く・・・。

 PELDOLATHは突然、地中から砂漠を割って、我々の飛行ユニットの前に、その巨大な姿を現した。その圧倒的力で、ユニットは弾き飛ばされた。レーザー砲は全く役に立たなかった。

 我々は、PELDOLATHに追われ、逃げるだけでやっとのことだった。

 そこに、巨大帆船が現れた。無人で動く帆船だ。
 その帆船を動かしているのは、ロボットのようだった。
 
帆船・・・・・・・? そうだ、私は、その帆船が、子供たちのドームの中にあったものだ、と思い出した。バウに見覚えがある。
おそらく、あの帆船は、彼らの子機なのだ。
七番目の子供が回復して、コンピュータのプログラムを組みなおしたのだ!

 コンピュータ・ロボット制御の巨大帆船は、PELDOLATHに鎖を放ち、PELDOLATHを捕まえた。そして、宇宙のはてに去った。巨大怪物は再び、宇宙の彼方に放逐された。
七人の子供たちが我々のところにやってきた。
 七番目の子供は、それを「お礼」だと言った・・・・・。
 
ミスター・アイフラワーの選んだ道は、間接的に正しかったのだ。
 いや、ベストの道だった・・・・・・・・・・。

 そのように、我々のクエストは終わった。

 (サルバトーレ・メイヨーによる告白ノート・了)















     第三章 エジプシャンストーリーテラーとの遭遇















サルバトーレの記録を読み、私、マック・デビッド・エストは、その冒険を楽しんだ。彼らの舟は、その後、約五ヶ月かけて、地球にもどった。
そしてロベルトくんたちは、その舟の推進力で宇宙に旅立った。

 あれが、二〇〇八年八月十五日だった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 そうだ、あのロベルトくんたちだが、Eメールによれば、彼らは宇宙海賊に打ち勝ち、現在は地球への帰路にあるようだ。多くの旅路で、みな多くの経験をし、心を広げ、そしてまた何処かで再会する、・・・・・・・・・・それが人生の醍醐味だ。

 私は、ロベルト・ディアスやサルバトーレ・メイヨーらと出会い、彼らの物語を知り、私が知らなかった世界を少し知った。人生のコネクションやリンクは計り知れない・・・・・・・・・・。

 一九九七年ごろだったかな、・・・香港がもうすぐ中国に返還されようとしていた時代だった。ウォン・カーウァイという香港映画界の映画監督・脚本家が『恋する惑星』という映画を作った。多くの熱狂的ファンを生んだ。そこでは、一瞬の出会いや人のリンクが、世界を、愛を、紡ぎ出していく事が語られた・・・・・・・・・・。

 私はこれから、どんなことを人生の旅路で経験するのか分からないが、それは私のために与えられる経験なのだと思う。何かの一瞬が、人生に大きな大切な意味を持たせることもあるかもしれない。
 そんな気持ちを抱きながら私は、今回の旅路の、最後の土地を目差していたのだ・・・・・・・・・・。

それは、エジプト。
 
 私の、これまでの、別の次元を探究するための、長い世界旅行も残すところ、あと十日だ。
 多くの宇宙人との出会いが起きたと言われているエジプトに入った。
首都カイロにある国際空港から、私のエジプトでの行動は開始された。
イスラミックなサウンドが響き渡るハウジングに、私は数日の宿を取った。
ここエジプトで、私は、生命について、その神秘について、そのプレシャスさについて、短期のセッションを通して学ぶことになっていた。そこの師が、やはり出会っていたからだ。そう、宇宙人に。
 何かが、ゼロに戻ったような気がした。
 私の気のせいかも知れない。
 人生は螺旋階段のようなものだとも聞く。
 螺旋の円周の同じポイントに居るのかもしれない。
 私マック・デビッドは、その一日を再考するために、ジャーナルをつけることがあるのだ。

{ジャーナル}

 二〇〇九年一月九日
 グローサリーで、米ドル二十八ドル分の買い物をした。
 自分の部屋に戻って、食事を楽しんだ。
 ミスター・ヌードルズ(ベジタブル味)と、ハンガリアン・サラミ。
 わたしの好きな味なのだ。ハンガリアン・サラミが、熱いベジタブル・スープに浸り、すこし固くなった時、ヌードルと一緒に食べるのが旨い。

 二〇〇九年一月十日
 カイロの街中で、ふとキリスト教の伝道者に出会い、ともに、祈りを捧げた。
 私は、キリストの教えを小さい頃から多く聞いたが、キリスト教会を離れたこともあった。しかし、キリストの教えは、真理だと感じることは変わらなかった。
 私の欲望が、教会を離れた原因であった。
 しかし、再び、教会に戻った私を教会は、温かく迎えた。
 
 私には、一種の放浪癖があった。
 長く、同じ状態に居られなかったのだ。
 人間は、難しい存在だと思う。
 
 聖書は、こういう存在である人間について、多くのインストラクションを内包している。
 命について、そこから、学ぶことができる。
 
 人間は現在、多くの自然に対し、危機的状況を作り出しているという。
 しかし、人間は、テクノロジーを必要とする。それがなければ、生きられない。我々は、自然環境とテクノロジーの共存を模索していかねばならないのだ。これは『生命』に関する課題だ。

 二〇〇九年一月十一日
 人生、すなわち地上での生命には段階がある。時がある。
 だんだん歳を重ねると、意外と幸せが身近にあったと気付く。
 私の場合、フランスの片田舎の生活にも幸せを見出せるようになったのは、三十五になってからだ。
 ローカルの小さな料理屋さんの、オリジナルのスープの美味しさや、麦畑の美しさ。
 そうした幸せは、十代では気付かないし、気付けと言っても無理な話だ。
 若さは、まだ見ぬ遠い世界を見たい心だ。
 それは、大切な命の輝きだと思う。

 二〇〇九年一月十二日
 ユーロ系のルーツを持つ私だったが、多くのアジアを含む国々での生活経験から、アジア料理が好きだった。生活空間の中で、いくつかのアジア言語を少しずつ覚えていたが、文字によってアジア言語を読解することは、私には難しかった。こういう現象は、西洋人には、よくあることだ。我々は、ベーシックの部分でチャイニーズ・キャラクターズ(漢字)を習得していないのだ。
 私がカイロを歩いていると、二人のアジア女性に出会い、日本のアニメーションについて会話の花が咲いた。西洋では、『アニメーション』は西洋産のアニメーション映画を言い、『アニメ』は日本産の独特なスタイルを持つアニメーションへの、王冠的呼称として使われる言葉だ。
 アジアでは、西洋より多くの日本アニメが流入しているようで、私の知識は、そこでは、大きくはなかった。我々は、このごろ、『アメリカン・アニメーション』と『アニメ』が、いろいろな所で「結婚しはじめている」(西洋では、二種の文化が混合してゆくことを、文化が結婚する、という表現を多く使用する)ことを面白く話せた。
『アニメーション』(ANIMATION)という単語は、英語の『アニメイト』(ANIMATE)=生命を与える、から出たわけだが、まさに、芸術家たちが、絵に命を与える、絵を動かす、という夢を持っていたことが分かる。神が人を造った、その精神が、人の中にもあって、それが、こうした創造物を生み出す原動力になっているのかもしれない。
 そんな話をしながら、我々は、アジア料理のお店で、食事をし、お酒を飲んだ。私は、エジプトの現地料理であるコシャリやスパイシーチキンなども、すごく好きだったが、その日は、アジアンな1日となった。
 
{アジアのディッシュ}
 ライス、アジアン・ポーク・スープ、アジアンビール、アジアンワイン、アジアン・スパイス・スープ、肉料理アジア風。百十米ドル。
 ラウンジでデザート。十七米ドル。

 その後、二人と別れて、一人、カフェで、コーヒーを飲む。四米ドル。
そして宿泊先に戻る前に、付近のグローサリーショップで水とチョコレート(ミント味)購入。七米ドル。
 私は、富豪JSRから資金提供を受けていたものを、いくつかの銀行に分散して預金し出し入れ出来るようにしていた。そして部分的にSONYのようなグローバル企業の株に変換していた。今回の取材旅行用には、海外を大きく移動する時に比較的利便性が高いCITI系機関に現金引き出し用のアカウントを作っておいた。

 二〇〇九年一月十三日
 午前中、宿のそばのインターネットカフェに行き、必要なグローバル通信を済ませた。インターネットの時代がスタートして十数年、グローバル通信網のおかげで、仕事がやりやすくなっていると感じる。
 宿は、イスラミック音楽がいつもホールで鳴っている。
 午後、私は、これまでの疲れも出たのか、夕食までベッドで寝ていた。イスラミックのサウンドが、心を落ち着けてくれた。

 エジプト・カイロの日射しは、強い。

 のどが乾いて起きた私は、腹が少しへっている事に気付いた。昨日はかなり肉料理を食べたので、この夕食は、粗食にすることにした。宿の自室を出ると、長い廊下があったが、ここの壁は、黄色でペイントされていた。ホールで流れるイスラミック音楽が、この黄色い廊下を吹き抜けてくるのは、気持ちがよかった。エジプトでは、かなり安い値段で宿を取ることが出来た。しかし宿の設備の点では、こうした安宿は、問題もあった。窓を開けようとすると、窓がスライドから外れたりした・・・。

 私は、付近のグローサリーで、インスタント・ヌードルを買い込んで来た。袋には、フランス語が記載されていた。おそらく、フランス製のヌードルだ。
 たしか、こうしたインスタント・ヌードルは、日本の安藤百福さんがオリジナルだと思う。いまや、世界中にインスタント・ヌードルがある。チキン味のフランス製のヌードルを、宿のキッチンでフィックスして食べた。

 それから、すこし外を歩きたくなり、表へ出た。やや砂まじりの風が吹いていた。

 私は、少し賑やかな通りにある『バビロニアン』というミドルイースト・クイジンに入った。風に吹かれると、お腹が空くのだ。私のルーツがユーロ圏だとしても、私はミドルイーストのスパイスにも、なかなか惚れ込んでいた。
チキンのシャワーマと、タプーリを食べた。コークと合う。
店内には中世のバグダッドの大きな絵が飾られていた。

 二〇〇九年一月十四日
 昨夜から、オフロードトラックに乗って、カイロから海岸地域に移動した。エジプトに来てから受けている短期のセッションのフィールドトリップで、スクーバを体験することになったからだ。地球の様々な生命を見ることで、生命の素晴らしさを知ることが目的だ。我々が普段、ほとんど目にすることのない水面下の世界にも、神は生命を溢れさせている!

 海に浮かぶボートの上での食事は最高だ。(たまに船酔いしてしまうと、きついが。)

 エジプトでは、主食につく野菜サラダとして、タプーリ(トマト、パセリ、タマネギ、ニンニクの微塵切りをあえて、オリーブオイルとスパイスをかけるサラダ)をよく食べるが、これが乾燥した気候の中で食欲を増進するのに良い。

 ボートから見ると、イルカが時折、水上に見える。その向こうに、黄色い大地が時々見える。

 水は限り無く蒼い。

 カモメの泣き声も聴こえた。

 空は快晴。深い青だ。

 これが、エジプトの海なのだ。

 旧約聖書のモーゼの時代からの歴史がある海だが、海は多くのものを飲み込んで、そして水が全てを包んでしまった・・・。

 ボートから対岸を見ていると、アジア系の女優が、何かロケーション撮影をしているようだった。私の見たところ、それは日本人女優だった。多くの日本人が、ここエジプトに魅了されてやってくるのだ。多くのフランス人もエジプトに魅了されている。地理的にもフランスはエジプトに遠くない。フランス人は、かつてジュール・ヴェルヌがそうであったように、世界旅行が好きだ。さらに、そこにミステリアスなものがあれば、なおのこと。エジプトは、ピラミッド、スフィンクス、古代神殿、・・・というふうに、フランス人の冒険心をかき立てるのに、十分な魅力を持っていたわけだ。

 二〇〇九年一月十五日

 朝、目がさめると、9時AMごろだった。

 テーブルの上に置いていた、ショートブレッドとオレンジジュースで、イングリッシュ・スタイルのブレックファストをいただいた。イングランドは歴史的に、いくつかのアジアのスタイルを、その文化に取り入れているが、シンガポール風の食事も、その一つだ。シンガポールスタイルのヌードルを少しフィックスしてみた。

 私は、キッチンにいるのが好きな方である。

 昼、白身魚のフライ。
 それから、ダイブをしたあと、ある収集家の家で三十七人の天使図を見る。これは、未公表の考古学レリックだ。

 そして、この日、二度目のダイブをした。
同じボートに、何人かの日本人とフランス人が乗っていた。私たちは、写真を撮りあって楽しんだ。
 
 ダイブの後は、用具を片付けて、塩水を落とすために真水のシャワーを浴びた。のどが渇いていたので、かなりエヴィアンを飲んだ。エジプトの陽は、まだ明るかった。

 沿岸部の町に出た。コーヒーショップでチャイラテ(三米ドル)を飲んだ。ここは、エジプトに旅行に来るフランス人のためのカフェのようだった。フランス人は、何処に行っても、カフェオレとクロワッサンを必要とする。私はアジアでの経験からチャイのような味に癒しを感じることも多いのだ。チャイを入れてくれた女性は、オルガナというフランス系カナダ人だった。私のように世界旅行をしてくると、多くの出会いがあり、また別れがある。それらの人々と再会することもある。
オルガナは、私に「あの人は、おもしろい人よ」と、ちらと目で合図して教えてくれた。その人は、白髪の洒落た老齢の紳士で、窓の横のテーブルについていた。窓からの光が、その人に荘厳な雰囲気を与えていたが、彼の表情はウィットを感じさせるものがあり、私は彼に話しかけることが出来た。
紳士は、ムッシュー・H・ウウズと云った。ムッシューは、フランス語の「ミスター」だが、彼は、自分のことをムッシューと呼ばれるのを気に入っているのだそうだ。
 私は、そのように呼んだ。
「ムッシュー、はじめまして。あなたがおもしろい人だと聞きました」
「おお、若いの。わしは、ナイルの治水技術者だよ。お若いの、あんたは、旅かい?」
「そうです。信じてもらえるか分かりませんが、私は地球外の生命、宇宙の生命の神秘について、研究しながら旅を続けてきました」
「そうかい。ま、信じたって損はないし、信じるよ。私も、エジプシャンストーリーテラーだったこともある。この世界には、たくさんの、おもしろい話があるさ。うちに来なさい。あいにく、今日は車がいかれてしまって、バスだがね」

 ムッシューと私はパブリックバスに乗り、ムッシューのお宅へ向かった。

 私は、ムッシューのお宅で、しばらくお孫さんたちとクリケットに興じ、そして、ムッシューに、これまでの経験の中から、特にコンフィデンシャルでない話を披露した。ムッシューは喜び、彼のコックに、スシ、ハーブチキン、スキャロップ、サラダ、ワイン、ティラミスなどを作らせ、私に御馳走してくれた。感謝である。

 ムッシューは言った、「君を見ていると、若い頃に読んだフランスの冒険小説を思い出すよ。ええと、なんだったかな、有名なやつさ、LE TOUR DU MONDE EN QUATRE-VINGTS JOURS (八十日間世界一周)だ」
 私は、答えた。
「あ、それ、私も読みました。主人公、フィリアスが旅に出るとき、おとものパスパルトゥーに告げる言葉が忘れられません」
「なんだったかな」とムッシュー。
「トランクはいらない。手さげバッグひとつあればOKだ。その中に、ウール製のワイシャツを二つ、靴下を三ペアだ。君にも同じものを。あとは、旅の途中で買おう。私のレインコート、ヒザ掛け毛布を出してくれ。靴はいいやつをね!しかし歩くことはほとんどないだろうが。さあ出発準備だ!」私は、そこを暗記していたのだ。

「最高の出発だ!わははは!」ムッシューは大笑いした。

「一八七〇年代に、こんな名台詞を書いたヴェルヌに乾杯です」
 我々は、おもしろい話、とくにロング・ジャーニーの話がお互い大好きだと分かった。

「今日の世界旅行を愛する者たちは全て、ヴェルヌの子供じゃなあ!」ムッシューは、にこにこして言った。

 ムッシューは、ちょっと席を離れると、ノートを抱えて戻ってきた。 
「君に、面白い記録を見せてあげようか。これは、アメリカの古本屋で発見したノートだよ。十八夜物語と題されている。古本屋で見つけたが、とても新しいノートだ。ここにも、宇宙人の軌跡があるようだよ」

 はじめのページに、『カリフォルニア州ノースビーチのカフェグレコにて、あるストーリテラーから十八夜に分けて語られた物語を記録したものである』と書かれていた。

『信じるか信じないかは君次第さ』とも。

「信じるか信じないかは君次第さ・・・か」
 私はフフッと笑ってしまった。








{十八夜物語}
一日目 ジャパニーズ・ローカル・ミュージシャン・タカギ

タカギは、十九歳の青年だった。
彼は、この二千年代に、よくありがちな、音楽を志す男性。
彼の志すターゲットもまた、何万という音楽青年がフィーバーするロックワールドだった。
タカギは、大学の学園祭ではじめてロックの舞台に立った。
熱い声援!
スポットライト!
エクスタシーにのけぞるWOMEN!
タカギは、ロック・ミュージックの舞台で、あつい、こみあげる何かを感じはじめた。
二千年代は、またストリートロックの時代でもあった。
JAPANのストリートというストリートには、夜な夜な自称MUSICIANが出没!
そこから、メジャーレーベルへと昇華するものもいた!
タカギもまた、学園祭では飽き足らず、ストリートに出た。
デモテープをJAPANメジャーレーベルに何度も送付したが、その反応は今ひとつだった。
タカギは気がついた。
彼のMUSICには、源流がない、と。
ロックは、日本では表層的な文化だ。その源流の魂が欠けている。

二日目 アメリカン・トリッパー・タカギ

タカギは、エンターテインメント音楽の魂の源流をたどると決意するやいなや、ユナイテッドエアラインに乗り込んでいた。
ニューオリンズ。
ここは、古来、エンターテインメント音楽の聖地だ。
タカギはニューオリンズに、おりたっていた。
彼を、その衝動に走らせたエンターテインメントの息吹はニューオリンズの空港にさえ、すでに漂っていた。
ニューオリンズは、フランス人が入植し開発した街だ。
フレンチコロニアルと、ブラックミュージックが独特のアトモスフィアを作り出していた。
ブラックたちは、日常の生活、ささいな自然の変化、時の過ぎ行くさま、人生への感謝、神への賛美、恋人との時間、そんな全てを音楽にした。
一日のはじめ、太陽がただ昇るというだけでも、彼らはそこにエンターテインメントを見出すのだ。
モノにあふれたソサエティからやってきたタカギは、ニューオリンズの人々から、人間の生の本質にある「源流」が音楽と連動したときに生まれるフリーダムを感じた。

三日目 タカギ・ザ・ジャパニーズ・ミーツ・ザ・レジェンド

タカギは、ニューオリンズの風通しの良いフレンチコロニアル街を歩いた。
百年前からある緑と白のペンキで塗装された木造の簡素な建物に挟まれたSTREETは、アメリカの移民の歴史を感じさせる。
ふと見ると、日本人が経営しているのか、すし屋も見える・・。
タカギは、フレンチコロニアルを歩いているうちに、アメリカ音楽の源流の一つであるニューオリンズJAZZを聴かせる店(スモールホール)を見つけた。
タカギの時代はロックの一派として六十年代ビートルズや七十〜八十年代VIRGINレコーズから出てきたブリティッシュ・ロックの動きが、JAPANでも盛んだったので、アメリカの音楽の源流は、一種忘れ去られた感があった。
音楽の歴史家はよくアメリカン・ロックは「風が吹き抜けるようなサウンド」だと言う。
アメリカ=風。
広大な土地を自由に吹く風、それがアメリカの音楽の伝説を作ってきた。

四日目 ブルースマスターX

タカギは、アメリカの魂、アメリカン・ブルースを自分のものにしようと、町の音楽ホールに通い、ニューオリンズのストリートで、ブルースを奏でてみた。
聴衆は、きびしく、「アメリカの魂がまだわかっちゃいないね」と去ってゆく次第。
タカギのフォーク・ギターはパワフルな音色に到達せずにいた。
タカギは、小澤征爾の音楽修行の本を読みながら、世界を求めた音楽家の魂を自分のものにしようとあがいていた。
タカギがニューオリンズの暑さのなかで、フォーク・ギターを地面に置いたまま、安いアイスクリームを舐めていると、ギターの前に「影」が止まった。ふと見上げると、そこに、不思議な東洋人が居た。
「ブルースの魂を理解したいようだね」東洋人は言った。
「アメリカ南部のブルースは、アフロ・アメリカンの歴史と共にある、それを簡単に君のようなJAPANESEが理解することはできない。すごく難しい。また、音楽は理解ではない、FEELだ」
東洋人は、地図を差し出した。
そして去っていった。
地図が示していたのは、ルイジアナの外れ、荒野の中のログハウスだった。
地図の端に「このログハウスに、八時だ」と書いてあった。
東洋人は何者なのか、彼は敵なのか、味方なのか?
去ってゆく東洋人の姿が段々小さくなる。
タカギはASKした、「ヘイ、ユー、オリエンタル・ガイ! あなたを何と呼べば?」
東洋人は答えた、
「ブルースマスターX」

五日目 ログハウス・イン・ザ・グレートフィールド

そこは、風が吹き荒れる荒野だ。
アメリカの荒野には、アメリカの魂がある。
どこまでも続いている荒野。
濃い青の空。
つぎつぎに形を変えてゆく雲。
永遠と無常の土地。
人間の存在を軽く超えてしまう大地。
それがアメリカ。
ログハウスは、そんな荒野の真っ只中にあった!
ログハウスを見つけたタカギは、TOYOTAのランドクルーザーの助手席を出た。
ランドクルーザーを運転しているのは、ネイティブアメリカンの男性だった。
「ミスター。ミスター・タカギ。この土地には、古代からのネイティブアメリカンの荒ぶる魂が吹き荒れている! アイ・フィール・イット! 気をつけて!」
ランドクルーザーの男は「じゃあ、一ヶ月後に、この場所、この時間にミスターを迎えに来るよ」そう言うと、そそくさとエンジンをかけて去っていった。
タカギのショルダーをポンと、誰かの手がたたいた。
振り返ると、さきほどまで何の気配も感じられなかったのに、黒肌の東洋人がそこにいた。
「私は、甲田忠一朗です。ニッポン人です」彼はそう言った。「マスターはアナタをまっておられます」

六日目 ブルース・レッスン

甲田忠一朗は、タカギをログハウスの中へ案内した。
ブルースマスターXは、木彫りネイティブアメリカン人形を彫りながら、甲田忠一朗が開けた扉の方をジロリと見た。
「きたかね」
ブルースマスターXは、脇に置いていたギターをつかむと、ほい、とタカギに投げた。
タカギは、とっさにそれをキャッチした。
「なにか、弾いてみな」ブルースマスターXは言った。
「では、アメリカの大地と、永遠の時間、そして、アフロの魂を一つにした新曲をいきます」そうタカギは言うと、タカギ流のブルースを奏ではじめた。
ブルースマスターXは、それを聞き終えると、「いい線いっとるな」と言った。
「しかし、君は、日本という、システムが完備された社会に毒されている部分がある。それが、君の曲の中に見えるのだ。それは、アメリカのフリーダムの魂、NATUREの魂にうまくなじまない。君は、今から一週間、この荒野で、キャンプをするべきだな。それでは、少なすぎるかもしれんが、すばやくアメリカ大地の魂を理解するには、荒野の夜を越えねばいかんのだよ」
ブルースマスターXはニヤリと笑い顔を浮かべた。
「私も実は、東洋の男、アメリカの魂を学んだのは、十五の時だ」

七日目 ジャパニーズソウル・フォー・ブルース

アメリカは、一見単純に見えるが、実は複雑だ。
タカギは、それを肌で感じていた。
そう、この国には、世界のあらゆる文化が集合しているのだ。
そしてアメリカの大地は、それら全てを受け入れてきた。
だからこそ、この土地は自由の土地なのだ。
ものを言う市民の国。
それがアメリカだ。
タカギは、日本に居た頃に読んだ本を思い出した。
文明開化の時代、多くの日本人たちがアメリカに学んだ。
多くの文筆家たちが、開かれた日本を模索し、この土地を旅した。
その旅は、こんにち、この国を訪れるジャパニーズソウルに繋がっている。

八日目 ソング・フォー・グレートフィールド&インサイド・ザ・ロック

 アメリカン・グレートフィールド・・・・。
タカギは、アメリカの、果ての見えぬグレートフィールドを讃える歌を演奏し始めた。荒野の犬たちが、その音楽を聴いて、遠吠えをはじめた。風に舞い、賛歌はフィールドを被った。
甲田(忠一朗)氏は、そのウタに涙し、タカギの元にやってきた。
「すばらしいです、すばらしいです、あなたは、私には不可能な業をすることができる!」
甲田氏は、謎の男だ。
彼がなぜここに居るのか、タカギは疑問に思っていた。
甲田氏は語りはじめた、「私のひいおじいさんは、文明開化の頃のJAPANより、このアメリカに来たりし小説家だったのです! その名は、甲田久作。ミスター・タカギ、あなたも、その名はご存知でしょう?」
甲田久作、そうだ、あの甲田久作だ。
一八九九年、日本の神戸より出航し、アメリカの西海岸、シアトル港に到着した、あの作家だ。
甲田久作・・・、彼は、しかし謎の人物だ。
タカギは、高校時代の「文学」のクラスで、そう教えられた。
甲田久作の著作は、いくつか日本で出版されベストセラーとなった。たとえば、『うえすたん物語』などは誰もが知っている。彼は文明開化時期に、西洋的個人主義を書いた男でもあった。しかし、当時の多くの日本国民は彼が肌で感じたものを理解しようはずもなかった。彼はいくつかの名作を文明開化時期の日本に残し、自らは国を出た。伝説によれば、彼は自らの財産でアメリカに土地を買い、アメリカの地で、その後の生涯を過ごした。彼のいくつかの著作は知っていても、ほとんどの日本人は、彼のアメリカ生活をトレースしなかった。この甲田忠一朗氏が、まさか、あの甲田久作の子孫だなんて! タカギは、ここで、伝説と交差することになったのだ!
甲田氏はタカギの音楽に心打たれていた。
タカギのうたは、言葉にならない人間のサガを音にしていたのだ。言葉が全てではない。
ソウルは、言葉にならないものがある!
しかし、人は言葉にしたがる存在だ。
言葉を紡げば、それはたしかに洗練されるだろう。そうだ、洗練された言葉があるはずだ!
しかし、タカギは限界も感じていた。
「ひいおじいさんの遺した彼の全てのライティングを、いま、あなたに見せよう」甲田氏は、そうタカギに告げた。
甲田氏は、「きなさい」と言った。
彼は、タカギをグレートフィールドの中にある湖に連れて行った。
「ひいおじいさんは、じつはアメリカに莫大な財産を残しました。私どもは、その一部を使って、超近代化されたストレージを、この湖の地下に建造しました。じつは、この建造物に使われた技術は地球のものではありません。世界の多くの人々が、伝説的に知っているように、アメリカ政府は、極秘的に、地球外の民との接点を持っています。アメリカ人の中の、または、アメリカ永住者の中の、一部、それもごく少数の者たちだけが、彼らとアクセス可能なパスを持っています。基本的には、もはや世界中で伝説的にささやかれている、エリア・フィフティーワンが、そのアクセス本拠地なのです。我々は、その地球外技術を導入して、この地下ストレージを設計・建造したわけですよ。・・・そして、そこに、ひいおじいさんの未発表のライティングが保存されています」甲田氏はそういうと、空に手をかざした。
「これは、手相認証システムです、そして、ボイスサウンド認証システムを作動させます。オープンセサミ!」
湖の中央から、巨大な岩がしぶきを上げて出てきた。そして、その岩の中央に穴が開いた。これは、まさしく、地球外のテクノロジーだ。
「さあ、あそこへ、入ります!」
そう甲田氏は言うが、タカギは唖然としている。
「どうやって、湖を渡ってゆくんだい?」
甲田氏は答えた。
「水の上を歩けます。この岸から、あの穴まで、エレクトロマグネティック・フィールドによって、橋が出来てます、目には見えませんが・・・」
甲田氏は、さっさと、見えない橋に乗り、水の上を歩き始めた。
「さあ、ミスター・タカギ、カモン! インサイド・ザ・ロックへ!」
岩の奥に二人が入ると、そこは、チタン蒸着でコーティングされた超現代型のストレージになっていた。
「ここのコンストラクションとハイテク・コンピューティングには、トーキョーの技術も導入してます」
甲田は、そう言うとホログラム・スクリーンを作動させて、彼の曾祖父の立体映像を映し出した。
甲田曾祖父のホログラム・フィギュアは、リアルだった。
甲田忠一朗は「このホログラムは、曾祖父のDNAによって作成された彼の分身なのです」とタカギに言った。
ホログラムの曾祖父は、タカギを見ると、おどろきの表情を浮かべた。
「この男、この男は百年に一人の男。世界のスーパースターになる素質の男! フェスティバル・エンターテイナー! 私は待っていたのだ、私は・・・!」
甲田忠一朗はタカギを見つめた、「やはり、キミか」
そこへ、ブルースマスターXが入ってきた。
「ふふふ、やはりキミだったのか。実は、一年前、星を読むインド人と出会った」

九日目 フレンチ・コロニアル・エリア・ワン・イヤー・アゴー

一年前のニューオリンズ・・・。
ニューオリンズは、特殊な町だ。アメリカ合衆国の建国の魂がいまだに感じられる開拓地の雰囲気を持ち続けている。
馬が引く馬車が行き交い、馬の蹄鉄が石畳を踏みつける音がこだまする。
そしてフレンチコロニアルの建物とストリートとプラザに雑踏が集まる。そこでは、ブラックたちがジャズを演奏している。ストリート・パフォーマーといっても、世界でも一流のミュージシャンのレヴェルを持つ。
フランス系移民とネイティブが混血を繰り返してきたので、女性はフレンチ風のオールドスタイル・ワンピースとフレンチスタイル・パラソルをかざして、通りをおしゃまに歩いている。本場ヨーロッパのそれとも違うが、サザンステート・パリジェンヌたちは、陽気で楽しい。
そんなフレンチ・プラザをブルースマスターXは歩いていた・・・。
プラザは、多くの人々でごったがえしていた。
ヨーロッパからの観光客、アジアからの商人、・・・様々の肌の色。
プラザの入り口に、「スターリーダー」と看板を掲げたインド人風の男がいた。
目がぱっちりしていて、麻色の肌、濃い色の髪と眉、そして濃い口ひげを蓄え、白いターバンを頭に巻いていた。
ブルースマスターXを見ると、そのインド人風の男は口を開いた。
「そこの東洋人、あなたは、さがしている。そうだ、あなたはさがしている。ブルースの星を」
「わかるのか」とブルースマスターX。
「一年後、ここへ、この場所へ、ここ、この同じ場所へまた来なさい。私はインドから来たスターリーダー、星を読む男。ここで出会いが起こることを星が示している。ここで星同士が出会うのだ」スターリーダーは答えた。
その日は、暑い日だった。ブルースマスターは、額の汗を拭いて、ギラギラに照りつける太陽を一瞬見た。
そして、インド人のスターリーダーの方へ目を下ろすと、もう、そこには誰もいなかった。
「夢、白昼夢・・・?」

十日目 ポーカーシップ・オン・ミシシッピ

荒野を流れる巨大な川・・・。
ミシシッピ。
そこにゆったりと浮かぶ、客船・・・。
客船の甲板には、三人のフエルト帽を被った男たちがいた。
そうだ、その男たちとは、ブルースマスターX、甲田忠一朗、タカギ。
三人の東洋人。

十一日目 ソウルフル・デイズ・アンド・ドリーム

マスターXは、甲板から更けてゆく夜を見ていた。
マスターXは口を開いた。
「なあ、甲田君、タカギ君、我々三人は、ひょんなことから、極東の同じ島国に生まれ、今ここにこうして三人でいる。この船はポーカーシップ。ここで、ポーカーでな、私の資本を数十倍にする。私は、生まれつきのギャンブラーでもある。ここで作った資金を使って、アミューズメント界へのりこむのだよ。アミューズメントとは・・・、アミューズメントとは、人々を楽しませるビジネスなのだ。私は、ショウマンだった。私も、観客を取り込み、人々に時間を忘れさせるようなショウを見せていたときもあった。今はすこし歳をとりすぎたよ・・」
甲田は悲しい顔を見せた。そして言った。
「マスターX、そんな悲しいことをおっしゃって・・」
マスターXは甲田に答えた、「いや、悲しいストーリーではない。私は、じょじょに、現代に響く言葉を失いつつある。それが分かる。時代はかわる。今のヤングたちには、ヤングの言葉がある。その時代は、その時代の者によってつくられてゆく。わかるかね、甲田くん。そして、・・・タカギ君、君はいいモノをもっているよ。君にここで増やした資本の一部を渡そう。それで、アミューズメントの世界の扉をひらいてくれ。私は君を見守っているよ。それに、・・・タカギ君、きみは、甲田くんの曾祖父の遺産であった奇跡のライティングも手に入れた。君の人生は、試練もあるだろうが、きっと輝く」
タカギは涙した。
「ありごとうございます、マスターX。しかし、まだまだ、あなたの力には及びません。あなたは、わたしに、多くの音楽の技をみせてくださった。その見せてくれた業に驚き、私は、吹き飛ばされそうなパワーさえ感じました。あらぶる風をも、あなたの音楽は、簡単に鎮めた。数日前の荒野のレッスンのとき・・・、あなたは大風を鎮めた。あの、我々の前に突然吹いてきた大風、わたしは、その挑戦にすくみました。アメリカ南部のあらぶる大風は魂を持っています。あなたは、それを、すばらしい音と言葉でしずめたではないですか。ネイティブ・アメリカンの勇敢な男でも恐れる、あの、荒野のあらぶる風・・・。わたしなど、ちびりそうになりました。なんの言葉もおもいつかず、ただ、たたずみました。その大風の挑戦を、あなたは受けて立ち、音楽によって、その心と魂を鎮めました!」
マスターXは、すこし空を見ると、タカギに言った、「タカギ君、君は、まだ場数を踏んでいないから、そう思うのだよ。君は十分な才能、タレントを秘めているよ。たしか、君はJAPANのストリートで、魂の言葉を学んだ、そう言っていたね。それは、間違いではなかったのだよ。君は百年に一人の男だ。君はアミューズメント・キングだよ。君の血がそうさせるのだ。君はできる」
タカギは困惑した。
「しかし、マスターX、私は、JAPANのストリートですこし学び、そして、このブルースの大地に来てそれほどもたちません。私はもっと、あなたに教えをいただかねばならないのでは?」
マスターXは答えた、「タカギ君。いや、君は無意識に多くのことを学んだはずだ。あとは、選択するのだ。君自身の本来の姿になるために、君は君の得たものから選択せねばならないのだ。私は、一瞬のきっかけでしかなかった。君は、このポーカーシップに乗る前の一週間、荒野でキャンプしながら、その修行のなかで、学んでしまっている。君はそれほどの男だよ。私には分かる。だから、私は安心して去る。私は実は、ここで、資本を増やしたら、多少の社会奉仕をしたあと、南ヨーロッパに移り住むのだ。そこで、すこしばかり引退的アミューズメントビジネスをやる。甲田君も、いままで、よく私のために仕事してくれた。ありがとう」
そんな三人を見る一人の女性がいた・・・。

十二日目 ザ・ウーマン 

ポーカーシップは、ゆるやかに大河を進んでいた。
タカギはまだ甲板に居た。
タカギのそばに女性が歩いてきた。
茶色のショーカットで、印象的な目をしていた。
「私はサンセット。あなたに一目ぼれ!」
女性はそういうと、タカギに寄り添った。
タカギも彼女をかわいいとおもった。
彼女は、ポーカーシップのショウダンサーだった。
甲田は自分の船室で、天井を見ながら、すこし涙を浮かべていた。
バンドマンたちの音楽が響いていたかと思うと、とつぜん止み、大きなベルが鳴った。
「優勝者が決まりました!」
そういうアナウンスが流れた。
タカギがポーカーシップのセンターにあるポーカー会場にやってきた。
マスターXが、一億ドルの小切手を三つもらっているところだった。
マスターXは、その一つをタカギに渡した、「君のものだ」
タカギはすこし困った顔をした。
マスターXは言った、「うけとりなさい。私は君の才能、そのタレントに、これだけ出すのだ。遠い南ヨーロッパで、いつも君を見ている。私をたのしませてくれ。これは、その準備金だ」

十三日目 ワン・オブ・ア・ハンドレッド・イヤー

タカギは深く礼をし、一億ドルの小切手を受けた。
そばには、サンセットがいた。
「もう、ガールフレンドができたのか、それもいいことぢゃ」マスターXは楽しく笑った。
「タカギ君、君は、つよく歩いてゆける。君は、私が音楽と言葉で、ネイティブ・アメリカンの荒野に吹くあらぶる風を鎮めたのを見ただけで、多くを学んだ。それにもっと深いオリジナリティをみつけることが出来れば、もっと素晴らしい創造が君のマインドにおとずれる。私は、私のサウンド、私のライティングで、あらぶるSOULをしずめたが、君は、君自身の技を、おおくのヒントから見つけ、創造すればいい。それがとてもいい。君は、私が得たサウンドの言霊、そしてライティングからヒントを得ることもできる。アメリカ南部の旅から授かった魂の言葉のライティング、甲田曾祖父のライティングからも得られるのだ。それに君の時代の息吹を重ねてゆけ。君は百年に一人の男。君が選択し、君の道をゆけ」

十四日目 ソウルフルブック

タカギは、自らに言った。
「・・・魂の言葉のライティング、そうだ、あのときの!」
 タカギのマインドは、あの日、甲田の先祖の忘れがたみであった、あの魂の言葉が綴られたライティング本「ソウルフルブック」を得たときの光景を思い出していた。
それは、湖の中央に突然そそりたった電子岩盤の中・・・。
地球外から数世紀未来のハイテクをすでに得ていた一族の、曾祖父のSPIRITとの出会い・・。
さらにそのSPIRITを遺すことに成功した現在の甲田氏・・・。
甲田は、ハイテクにハイテクを重ね、つねに前進していたのだった・・・。
そのハイテクが、甲田曾祖父とタカギを結びつけた。
ホログラムとなった曾祖父のSPIRITは、タカギを見ると、おどろきの表情を浮かべた。そして、言葉を発した、「この男、この男は百年に一人の男。世界のスーパースターになる素質の男! フェスティバル・エンターテイナー! 私は待っていたのだ、私は・・・!」
SPIRITは究極の光を放った! タカギは光に包まれ、視界は真っ白になった。目を凝らすと、その光の中に、あらゆる「魂の言葉」が浮かび上がった。魂の言葉、それは生命の言葉、いのちを生き生きとさせる光の言葉。音楽が聴こえはじめ、ソウルフルワードがつぎつぎに姿を現し、音となって、タカギをつらぬいた。
タカギは、気づくと、晴天のホライゾンにいた。
そばには甲田氏が立っていた。「ソウルフルブックは君を選んだ」
魂の言葉が記されたソウルフルブックは、タカギの頭上でくるくる回っていた。
「とりなさい」甲田は言った。
タカギはパッと、ソウルフルブックをつかんだ。
中を開くと、さっき見た命のワードが無数にならんでいた。
「君のものだ」甲田は言った、「本が君を選んだのだから」
その本をつかまえることができた人間は君だけだ、そう、君だけなんだよ、タカギ君、・・・甲田はそういうと、晴天のホライゾンで空を見た。
雲がきらきら流れていた。
タカギがマインド・トリップから覚め、ハッと気づくと、ポーカーシップの甲板ではダンスパーティが始まっていた。
マスターXは言った、「ミスター・タカギ、君は、ソウルフルブックが選んだワンハンドレッド・イヤーズに一人のマンなんだよ・・。甲田曾祖父のスピリット、そして現代の甲田氏、また私、・・・この三人がそれをはっきり見た」
甲田はそれに続けて言った、「もうすぐ別れだ。君とあえてうれしかった。ありがとう。でも、いつも、おぼえている。ここで、我々ができることは終えた。君の道へとおおいなる力とともにあゆんでくれ」

十五日目 ネオホライゾン

晴天のホライゾンにタカギとサンセットがソウルフルブックを持って立っている。
とおくから砂煙をあげて、ランドクルーザーが見えてきた。
タカギたちは、クルーザーに乗り込むと、言った。
「一番近い空港にいってくれるかな」

十六日目 新生活ネオライフ

 タカギとサンセットの新生活が始まった。
タカギとサンセットは、大いなる生命と愛を感じ、激しく愛し合った。
ある日、サンセットは、いなくなっていた。
タカギは、その数ヵ月後、再び戻ってきたサンセットを見た。
またすぐにサンセットは、いなくなっていた。
そして、さらに数ヵ月後、タカギのもとに戻ってきたサンセットは、小さな赤ちゃんを連れてきた。
おどろいたことに、その子は、タカギの子だということだった。
タカギは、受け入れ、しばらく三人で暮らした。
タカギには、このことで、何か気持ちの変化が芽生えていた。
それはワンダフルなことだという気がした。
ある日、サンセットはまた、いなくなった。
タカギは、残された子と、楽器を奏で楽しんだ。
タカギの子はまだ難しいことは当然わからないが、楽器から出る音を楽しんでいるようだった。

十七日目 アメリカ、北米、ジョイ

時がしばしたった。
愛がもどってきた。
そうだ、サンセットだ。
サンセットがドアをあけて、アパートメントにもどってきた。
サンセットは、しばし、まどろみ、ねむった。
あふれる愛をタカギはおもいだしていた。
タカギの子は、音楽とともに育った。
サンセットは、トランペットのテクニックをもっていた。
タカギのギター、サンセットのトランペット、そしてタカギの子ロームシーの歌。
三つがあいまって、新しいサウンド、神への賛美がうまれた。
バンドは、やがてアメリカで知られるようになり、ついに、NEW YORKのホールでのコンサートが決まった。
バンドはメジャーな存在となった。
サンフランシスコでのショウも成功した。
タカギは過去のことをおもいだしていた。
過去のあやまちに対する神の赦しを乞うた。
自らのエゴの重さからとき放たれ、サウンドはいっそうの力をおびた。
サンフランシスコでの公演が成功した後だったが、ロームシーが熱を出してしまった。
ロームシーは、ドクターとナースの熱心な治療でまた元気になった。
タカギは、ドクター、ナースたちの仕事をほんとうにすばらしいとおもった。
あるとき、タカギは聖書のページを何気なく開けた。

旧約聖書・続編、シラ書、三十八。
医者をその仕事のゆえに敬え。
主は、大地から薬をつくられた。
医者は、薬によって人をいやし、痛みをとりのぞく。
医者もまた、主に祈りもとめているのだ。

タカギは、おおくのことでまよっていた・・。
しかし、神への感謝の気持ちをもった。
 この気持ちが、これまでの難局を乗り越える力になってきたのだ。

 十八日目 伝承へ

「THE SHOW IN NEW YORK」は人気のショウとなった。
タカギたちのバンドは、ザ・サンセット・アンド・コーと呼ばれていた。
NEW YORKの、MUSICホールでのショウはいつも成功した。
JAPANから、タカギの両親もショウを見にきた。
二人とも、アメリカでついに成功したタカギを見てよろこんだ。

     (ノート・了)


 信じるも信じないも、私マック・デビッドは、タカギのものがたりに希望を与えられた。人生に立ち向かう勇気を感じた。
 それから夜になり、私は海岸の宿舎までの、帰路の途中、インターネットカフェで、JSRのヘッドクオーターズに報告をした。
  
二〇〇九年一月十六日 
 その日は、師と個人的に話をする時間を持つ日だった。
師は、コプト・カルチャーの中で、マインドレッスンをしていらっしゃった。
 人生の神秘は、地上での生活の最後の一瞬まで、少しずつ見てゆける、と彼は教えてくれた。私は、まだまだ若すぎて、今見えない事もいっぱいある、と。
師は、私に言った、「あなたは、芸術家だ。それは、他を幻惑の世界に連れ込む、という大きな力を持っている。しかし、その力は、あなたに預けられたものであって、あなたのものではない。あなたが、それで慢心を持って振舞うなら、その特殊な力は、あなたを去るだろう。しかし、それが人々に夢を与え、あなたが、その働きの中で慢心を捨てるなら、そして、世界を繋げる役割の一部を果たそうとする意志があるなら、あなたは、その与えられた力によって、地上での時間が満たされる。その仕事が終われば、天上への時さ」

 二〇〇九年一月十七日
 師は、私に卵料理を作ってくれた。
 師は言った、「われわれ人間は、矛盾の固まりさ。しかし、それで、われわれは、うまく出来ているのだ。うまく造られているのだ。われわれが全て計算でうまくいくように出来ていたら、われわれは、慢心を捨てる事ができないだろう。慢心を捨てることが、命について分かっていく道なのだと思うな。」

 二〇〇九年一月十八日
 師や友たちとの食事会だった。

 二〇〇九年一月十九日
 帰路へ。
 広大な世界旅行の間にいくつかの取り決めがなされ、富豪JSRは、彼自身のオフィスをサンフランシスコに移動させていた。

 エジプト・カイロ国際空港→ギリシア・アテネ国際空港→パリ・ドゴール空港→マイアミ国際空港→サンフランシスコ国際空港、・・・かなりの距離を空路移動し、サンフランシスコに私は着いた。
 旅の移動時間は、自分と向き合える時間にもなる。私はときどき、聖書を思い出すことがある。そんなときに、LOVE=LIFE=GODであると感じた。LOVEが大切。
かつて創造主はモーゼを通して人間に十のルールを与えた。それはたしか・・・、
●創造主の存在への信仰を持て。
●偶像を崇拝するな。
●神の名を空しく使用してはいけない。
●週1の休みと礼拝を持て。
●父母への敬意を持て。
●殺人はいけない。
●うその証言はいけない。
●不倫はいけない。
●盗みはいけない。
●人の妻、家を欲してはいけない。
・・・だった。
これに加えて、イエス・キリストは言った。
●神を愛しなさい。
●隣人を愛しなさい。
こういうことを今一度思い出すと、これらのルールはいいものだと思った。
 こうした言葉を聞くことで、大冒険の最中でも守られる。
 
結局、私は宇宙人の軌跡を捜し求めながら、人生の旅路を深めていたのだ。

JSRに会ったら、それが報告の最後につける言葉だろう。 (おわり)

* おおくの方の、本を書くための心の応援を感謝します。
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