*この作品は、作者のフィクションである。



序説:この壮大な記録、集められた手記が全て真実であると考えるのは自由だが、それは私に確証は出来ない。しかし、この壮大な旅路を記録する執筆・編纂・そして調査旅行において、私は私自身の心の地図上を旅したのかもしれない。それは、壮大な世界旅行だったのである。(マック・デビッド・エスト)

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壮大な小説のはじまり・・・・・・・

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 『マック・デビッド・エストの壮大な旅路』
            ダニエル・エスト


 モーセが、約束の土地を前にした時、彼と彼の民は、すこぶる健康で、それまでの苦難の中で何も失われたものはなかった、という。私、マック・デビッドは、父からこの物語を聞いたとき、神の支えの凄さを感じたのだった。

 私の名前、マック・デビッドは父が付けたが、デビッド(ダビデ)は聖書の中の、民のリーダーであった男の名である。彼は、偉大な王であったが、1つ、神の前に罪を犯した。彼は、部下の妻を奪い、さらに、その部下を戦地に送り、そこで死ぬように仕向けたのだ。これは神の心には適わなかった。デビッドと、彼が部下から奪った妻との間に生まれた子は、はやくに死んだ。これは神の意の顕れだった。父は私に、このことを思い、神を忘れぬようにこの名を付けたのだ。
 イエス・キリストは、人は天に召され、神の国に入ると、どのようなものになるのか、という問いに対する答えとして、「そこ(天国)では、人は、めとる事も、嫁ぐ事もなく、天使のようなものになる」と教えている。
 ところで私が考えるのは、ダビデ王も、その部下も、その部下の妻も、その子供も、みな、今は天に召され、天使のようなものとなっているのだろう、ということだ。そして、そのことに何か感じるものがあるのだ。
 私を深く愛してくれた、そして天に召された、おじいちゃんたち、おばあちゃんたち、そして私よりも先に天に召された、私を愛してくれた人たち、友、そんな人たちは、みな今は、天使のような者となり、イエス・キリストと語らう日々を過ごしているのだろうか、そして、守護天使となって私を守ってくれたり導いてくれたりしているのだろうか、おそらくそうなのだと思う。
 
 私のこれまでの人生は、旅の多い人生だったが、私の、この壮大な旅路を書物として記すという行為は、何かの意味があると考えている。そして、私は「書物」が好きなのだ。読むことも書くことも。図書館という場所が好きだ。「書物」に包まれるとホッとする。私は、この壮大な旅路を書き記すため、数ヶ月ほとんどを図書館で過ごしていた。そうやっていたら、やはり私の存在に気付く者が出てきて、私に尋ねた、「君は、そうやって、文字といっしょに日々を過ごしているようだが、女性に興味はないのかい。それに、君さ、いつも、なんだか難しそうな本ばかりを参考に見ているようだけど、全部、意味は分かっているのかい?」
 私は、答えた、「最初の質問についてだが、女性に対するのと同じだけ、書物が好きなんだ。次の質問だが、私は、ここに抱えている本の中の全てを理解しちゃいないさ。全てを理解しなくても、女性を好きになれるのと同じなのさ」

 そのような日々、私は地元の図書館で過ごし、本にまみれ、ある時、書を離れ旅立った・・・・。

 放蕩の数ヶ月ののち、私は、カナダ・バンクーバー市のブロードウェイ駅から続くコマーシャル・ドライブを歩いていた。コマーシャル・ドライブは、そのインターカルチュラルな佇まいによって、多くの若者たちを惹きつける通りだ。
 私は、小説家という職業にあこがれ、自分流ではあったが、多くの文章を書き、ハイスクールでは、よく友人を読者にして、彼らを楽しませていた。しかし、私の小説を何度かパブリッシング・カンパニー(出版社)に送ってみても、出版に至ることはなかった。私は、文章を書くのと同時に、絵を我流で描いていた。
 私の小説への評価はパッとしなかったが、絵の方がよく売れた。私の父親は、キリスト教の伝道師だったから、私は小さい時から、父親についてゆき、多くの国や地域を旅した。それで、私は複数の言語をいつのまにか身に付けた。私のルーツはフランスであったが、上記の理由から、人生の最初の記憶は、アジアの東に位置するジャポンという国での生活だ。それは、オーサカだった。

 (旅の途上で、この記録を書き記したため、部分的に、私の第一言語である英語での執筆になっている。)

* 英語部分の日本語訳は、英文の後に付く。

Osaka,... the city is the second largest civilized area (megalopolis),
but my family and I was living in "Kanan", the small countryside zone,
which is very near the border between Osaka and Nara-prefecture.
In Japon, the pronunciation of the zone name "Kanan" is like "Canaan",
the name of the land that God promised to give to the descendants of
Abram. My memory is not great, so my knowledge might be a little bit
wrong...
I am a son of a preacher, but I have read the New Testament and only
the first several parts of the Jewish Bible. In Osaka, I learned
spoken Japanese language, so I still do not have troubles in
conversations for living in Japon.
I can say I am good at Japanese.

I wrote I am walking on Commercial Drive. So, I had better write how
I came to this place, Canada.(Vancouver)
I remember that was a year ago...
I was holding my artwork exhibition at a gallery in the small countryside
zone Kanan in Osaka, which could be called my spiritually born place for
many reasons.(There I experienced many joyful things and also hard times.)

 {英文の訳}
 私の居たオーサカというと、ジャポンの第二の巨大都市(メガロポリス)だが、私のファミリーが住んだのは、カナン町という小さな田舎町だった。たしか、カナンというのは、旧約聖書に登場するアブラムに関係する土地の名前と、ジャポンでは同様に発音する。私の記憶は、あいまいだから、違っているかもしれない。私は伝道師の息子だが、聖書は新約と、旧約のはじめの方しか読んでいないのだ。オーサカで、私はジャポンの言葉を覚え、ジャポンでの生活のための会話では、今もこまることはない。むしろ、私はジャポン語が得意だ。

 コマーシャル・ドライブを歩いていると言ったが、私がどのようにカナダにやって来たのかを言っておこうか。1年前の今頃、私は、たまたま、様々な意味での精神的故郷オーサカの田舎町(そこでは、多くの楽しい事、辛い事を経験した)で絵画の個展を開催していた。(上記英文の日訳・了)

 前に言ったように、私のファミリーの事情で、私は本当に多くの場所にいたことがある。
 ジャポン
 サウスコリア
 タイワン
 米国領マリアナ諸島
 ハワイ州
 上海
 香港
 バンコック
 クアラルンプール
 カリフォルニア州
 マイアミ
 シアトル
 メキシコ
 ニューヨーク
 ボストン
 ロンドン
 パリ
 ローマ
 スイス
 チェコ共和国
 アムステルダム
 ベルギー
 ミューニック
 フローレンス
 ・・・そんなところだ。

 その後、フランスの田舎町に移った。
 私は、あまり敬虔とはいえなかったが、時にはジャン・カルバンの教派のチャーチに顔を出していた。田舎町は、人間の伝統から生じた因習がまだ結構あったので、チャーチに行くことで、頭をすっきりさせることができたのだ。「何が見るべきものか」その方向性を再確認できるチャーチだった。
 そこで、私は、一人の日本人に出会ったのだ。彼は、日本にあるカルバンの教派の出身者で、オーサカの巨大エレクトロニクス企業から、フランス支社を設立すべく派遣されてフランスに居たのだ。当然、日常勤務はパリだったが、パリの喧騒を逃れて、その田舎町で、その週末を過ごしていたのだ。
 私が見た彼の印象は、「勇気と希望」だった。彼はそれらのエナジーを放っていた。私が読んだいくつかの本によると、そうしたエナジーを天性的に放つ者がいて、彼らは天性の企業家タレントを持っていることがある。
 礼拝の後、彼は私に、どこかうまいコーヒーを出すカフェはないか、と聞いた。
 そこは田舎だったから、それほど多くのEAT−OUTプレースはなかった。私は、教会の木造の天井を見上げながら、いくつかカフェを思い浮かべた。アーチ型のハリと柱が天井を支えているのが目に入った。そういえば、アジア風のディッシュも用意しているカフェがある、と思い出した。
 私は、そのオーサカからの日本人をそのカフェに連れていった。彼はエスプレッソを、私はチャイティーのラッテをオーダーし、二人とも、"COUSCOUS DE POULET AU CARI"を、その昼のランチにした。
 話しているうちに、二人とも、小さい頃の一時期をオーサカのカナンで過ごしたと分かった。
 人生には偶然というものはない、という賢人がいるが、私はその言葉に時々同意する。
 私たちは、二人ともカナンで生活した経験をきっかけに、多くの話に花が咲いたのだった。
 それが、のちに私に、カナダ・バンクーバー行きをもたらした。彼の名は、ヨシエモン J.S.R.(仮名)といった。ヨシエモンは、ビジネスマン本職であったが、多くのジャポネーゼ・トップ・マネジメントがそうであるが、彼もまた、芸術(美術にも音楽にも)に深く感動する性質だった。
 私は、父がアルバムに保存していたカナンの光景写真をモチーフに、いくつか絵を描いていたので、それらのPHOTOGRAPHSのメモリースティックにSAVEしていたいくつかをヨシエモンに見せた。
 彼は、それらをすぐに気に入り、彼のプロデュースのもと、私はカナンに久々に戻り、個展を開催したというわけだ。
 その個展でヨシエモンの会社のCOOが、かなりの額で会社33周年記念に、私の絵を買ってくれた。
 それで、私は、このコマーシャル・ドライブ(カナダ・バンクーバー市)に辿り着いたってわけなんだ。

 そして、私は、(企業名を明かすことは出来ないが)その企業のCEOであり、創設者のザビアーJ.S.R.(仮名)から、密命を帯びた。ザビアーは、変わり者だった。大企業を動かす人物は、非日常的な妄想に心を遊ばせることを趣味とする者がほとんどと聞くが、ザビアーもまた例外ではなかった。私は、肯定的ファンタジーは、人類にとって大きな宝であると考える人間だが、ザビアーの肯定的ファンタジーは、スケールの大きなものだった。それは、あまりにも大きい。私は、世界を旅し「宇宙人が存在する」という信じられるレポートを作成するという役をもらってしまったのである。その作成のための費用は、ザビアー財団から別会計で支給されたが、その金額をここに書くことは出来ない。それは、ザビアーに許されていないのだ。
 
 2008年8月8日。
 私は、カナダ・バンクーバー市のコマーシャル・ドライブ通りで出会った、とある女性(?)Rとともに、ロッキー・マウンテニア鉄道が有するウィスラー・マウンテニア・トレインに乗って、ウィスラー山にやってきた。私は、躊躇したのだが、Rは私を同室に泊めた。ヒルトン・ウィスラー・リゾートの1室だった。実は、トレイン・トリップについては全て、何故かRが出費してくれたのだ。ヒルトンに泊まると聞いて、私はロビーでパリスは居ないかと、キョロキョロした。(パリス・ヒルトンは、おそらく無料でヒルトンに宿泊できるのでは、と思った。)
 部屋に入るとすぐに、Rはシャワーを浴びると言い、バスルームに入った。それほど汗をかくような気候ではなかったので、私は、Rはすごく綺麗好きなのだ、と思った。
 Rがバスルームに入ったので、私はTVをつけた。くしくも今日は8月8日、どうやら、北京オリンピックがスタートしたようだ。開会式の映像が流れていた。世界の目がアジアに向けられている今、私は北米にいた。そういうことは、私の人生にはよくある。
 私は、先程、ホテルにチェックインする前に、ビレッジ・マーケットで買ったものを室内のテーブルに並べ、眺めていた。
 インスタントのパドタイ・ヌードル。
 ミスター・ヌードルズ(ベジタブル味)。
 青林檎。
 たしかトンプソンツインズという名の葡萄。
 パリス・トースト。
 ウィスラーの水。
 ハンガリアン・サラミ(アジアのヌードルによく合う)。
 オレンジジュース(ビタミンの補給が大切)。
 ミルクコーヒー。
 ヘインズのトマトジュース。
 
 時間が経った。
 私は眠ってしまっていた。

 私が目を覚ますと、目の前に、Rの光り輝く身体が見えた。

 私は、Rの光に包まれた。
 次の瞬間、私は、ウィスラーの頂きの見える場所にいた。
 側に巨大なシャトーが見えた。
 そして次の瞬間、私は、そのシャトーの中にいた。

 シャトーは、空に浮かんだ。
 シャトーが1つ消えても、この広大なウィスラーで気にする者はいない。
 ウィスラーの連なる峰を背景に、空を飛ぶシャトー、きっと絵になる風景だ。

 Rは宇宙人だったのである。

 私は、そのシャトーで、しばらく銀河を旅したような気がする。

 しかし、私は、気が遠くなり、再び目を覚ますと、ホテルのベッドに1人横たわっていた・・・。
 これは、壮大な旅路の予兆だったのだ。そして出会いの予兆だった。

 1998年に、バンクーバーは映画産業が注目され始め、その年は空前の宇宙人ブームだった。当時、『Xファイル』なるTVシリーズが大ヒットしていた。これは、バンクーバーで撮影された。(バンクーバーは、ハリウッド・ノースとも呼ばれ、北米第3の映画シティである。)その影響で、当時の旅行者は、バンクーバーの街を歩くと、本当にエイリアン・アブダクションが起こるのでは、とさえ思った。(シリーズでは、劇中舞台はワシントンDCとなっているが、多くの観客は、それがバンクーバーで撮影されていることを知っていた。)
 私は、これをきっかけに、世界旅行をスタートすることになった。私は、富豪ザビアーにだけは、より多くの真実を語らねばならない。彼は、単にお金を出すだけでは、私のプライドが傷つくだろう、と私の絵を買ってくれもした。それが、つまりは、世界旅行の資金になっているのだ。資金は、世界中のほとんどの地域で引き出せるシティバンクに入れておいた。ザビアーは、『Xファイル』と本当の宇宙人の存在の、何かの接点がバンクーバーにある、と彼の独特の嗅覚で察知したのだ。それは、現実のものとなった。

 資金の受け渡しの契約のため、ザビアーJ.S.R.と最終面接をする日のことだった。
 ザビアーの執務室のドアを開けると、俳優のマウント・サイドが居た。ザビアーは南半球をミスター・サイドに、北半球を私に任せた。ミスター・サイドも資金提供を受けていたが、それで、彼はザビアーがプロデュースする映画シリーズに出演することになっているのだそうだ。ザビアーがどんな映画をプロデュースしようとしているのか知らないが、彼は、一般的にまだ知られていない事実を知りたい性格の男なのだ。

 私には、これまで地球人は、多くの宇宙人たちに出会ってきているということが分かってきた。

 その後、最初にあった出会いは、ロベルトくんとの遭遇であった。
 Rが夢かうつつか分からぬまま、私は、一ヶ月だけ宿を一時的に取った。そこは、『ダンズマー・インターナショナル・ビレッジ』というハウジングで、多くの国々からのカナダ滞在者が住んでいた。隣には、大きなカトリック教会がある。これには、安心感を覚えた。名門S.フレイザーU(サイモン・フレイザー大学)大学院経営学府は、バンクーバーの中心を通過するグランビル・ストリートと、バンクーバーの中華移民の歴史が積み重ねられたペンダー・ストリートとの交差点にある。ここのあたりでは、多くのエイリアン・アブダクションのTV映画が撮影されたと聞く。この学校を基点に、周辺には多数の学校が存在している。ここは、国際的なスチューデント・エリアだ。ダンズマーのハウジングに滞在する多くは、学生である。
 ロベルトくんとは、このハウジングの調理室で出会った・・・。
 これまでの推測通り、バンクーバーには、宇宙につながる何かがある・・・。
 彼は、調理室で日本製のインスタントラーメンにイタリア製のサラミを入れて調理していた・・・。私のテイストに近い何かがあったので、話してみると、彼もまた無国籍的人物であった。
 そして彼は、明日、宇宙に旅立つ、と言うのだ。
 私は半信半疑だったが、彼が宇宙から彼自身の回想録を私にEメールで送付してくれると言うので、私の任務上、都合が良かった。
 そして、以下は、ロベルトくんの回想なのだ。

(ロベルトくんの回想・原文のまま)
Always I remember ... that landscape ... , the Greek churchs on the islands
of the Mediterranean Sea. I saw them when I was a boy....
They were so beautiful in reflected sunlight from the perfect blue ocean.

For me, my curiousity to women was a big part of my boyhood life.
Some women are still in my memories now....

I remember the days when I was about to be fifteen. I was living in a
white-painted house. From the terrace on the third floor, the Mediterranean
blue waves could be seen. Everyday our lovely dog came close to me and held
me when I came back from school.
I liked science class in school. Some TV programs about NASA's spacecrafts
made me think I would go to outerspace someday.

Dad and Mom adopted me as their child. I am a Japanese origin, but they gave
me a European-like name. My parents-in-law were running a bed-and-breakfast
for tourists during summer season at their own white-painted house. So, in
my boyhood, I met many people from all over the world....

Many foreign people came to the Mediterranean coast to have fun.

As the white-painted house that I was living in was close to the shore,
so, from the terrace of the house, thru my field glasses, I could see
women in beautifully-designed swimsuits walking on the beach. That was
a nice time after school. The chair on the terrace was my favorite
place.

That was a day in June of 1985.
"Roberto, Roberto!"
I heard the voice, then. My school friend, Augusto interrupted my time
for relaxing.
"Roberto, Roberto!"
Whenever Augusto hurried to me, he had found a scene that he wanted to show
me. My parents' white-painted house was near a place, ... a secret place
where a man and a woman were making love. The place was beyond the big
black rock. We could go there thru a tunnel thru the big rock. The field
of the secret place was covered by soft grasses. Beyond the grass field was
a smooth sand beach. Almost nobody knew it, but Augusto went there to see
lovers. Always Augusto was hiding himself behind the long dense grasses
beside the secret beach.

Augusto always came to take me to the secret place when
he had found a man and a woman making love at the place.
Augusto called me excitedly ... , "Roberto! Roberto!"

At that time, I was about to begin drawing some portraits
on my sketchbook. It was one of my hobbies to make
portraits of visitors from the foreign land.

Parents-in-law used to put chairs and tables to drink tea in the
garden of the house of the white wall.
The tourists in the guestroom who took tea time were able to be
seen well from the third floor veranda.

There were lots of man and woman couple guests.
I saw them. In those days, I did not understand the various
interpersonal relationships, especially the man and woman
relation. I saw women with her tears, and I saw men with tears....

"Roberto! Roberto!"
Augusto called me again and again. Yes, I was also very interested
in those things, ... like Augusto. So, I decided to go with him
to the secret place where a man and a woman were making love.
When we were boys, Augusto and I was so interested in the act
between man and woman.

My parents-in-law were very very nice to me. I loved them and I am
still loving them. They influenced me much. Dad-in-law was
drawing and painting lots of sceneries of the sea in his spare time.
Mom-in-law was working for a gallery on the seashore street.

My hometown, Crete is the biggest island in the Mediterranean.
It is 45 minutes to get there from Athens by plane.
In the ancient days, Crete had a unique civilization.
In 1900, Evans the archaeologist and his group excavated
Knossos, which had been the underground labyrinth of Crete.
It was the lost civilization's building.

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