当wikiは、高橋維新がこれまでに書いた/描いたものを格納する場です。

二 ウルシハラ


 目に飛び込んできたのは、黒い壁だった。ぼやけている視界が徐々にはっきりしてくる。光源に乏しい牢獄は仄暗く、目が慣れるまでには相当の時間がかかった。どうやら目の前の黒い壁は、鉄製らしい。目を凝らすとところどころに赤錆を生じている。壁は三方を取り囲んでいる。振り返ると、これまた御大層な鉄格子がその面を覆っていた。つまり私は、直方体の檻らしき空間に閉じ込められているのである。
 どうして私が監禁されているのか。理由に関してはとんと見当がつかない。過去の記憶をたどってみても、頭の中は茫漠とした靄に覆われている。
 私は記憶を探るのを諦めて、部屋の中を調べることにした。立ちあがろうとして両手を地面につくと、妙なことに気が付いた。部屋が暗いゆえにはっきりとは分からないが、両の手の甲が真っ白いような気がするのである。私は手の甲に連なる腕を目で追った。腕も全く同じ色である。白い。私はガバと立ち上がって両手で体を触った。私はヨレヨレの黒いTシャツを着ていた。足元に視線を下ろすと、裾口から伸びる両の脚も同じ真っ白な色である。私は半ばパニック状態になりながら上のTシャツを脱ぎ棄てた。あろうことか、胴体も全く真っ白であった。私は、下のパンツも脱いだ。パンツに覆われている部分も真っ白であった。そして、それ以上に私を驚かせたことがある。些か下品な話ではあるが、科学的正確性を期すためにはきちんと記しておくべきだろう。私の両の腿の間には、そこにあるべきものがなかった。目だけでは信じられなかった私は、両の手で股間をまさぐったが、そこは文字通りつんつるてんであった。私は、その場にハタとへたりこんだ。
 このような体の異常に一時は頭の中まで真っ白になったが、すぐに立ち直った私は、部屋の中を調べる前にまず自分の体を調べてみた。以下に私の体の特徴をまとめておく。
・皮膚は、一面真っ白い。実際に視認できたのはもちろん私の目の届く範囲でだが、おそらく顔面や背中も真っ白であるものと思われた。
・体毛は一切なかった。すね毛や陰毛はもちろんのこと、手で触って確認してみたら、頭髪も、眉毛も、睫毛も生えていなかった。
・性器がない。女性器が付いているというわけでもなく、まっさらである。そして、おそるおそる確認してみたところ肛門もなかった。というかそれ以前に、尻が2つに割れていない。
・両の乳頭はない。
・目と鼻と口と耳はある。瞼もあり、閉じることもできた。口の中には歯と舌もあった。指を喉に突っ込んでみたところ、のどちんこはなかった。
・着ている服は上が黒いTシャツ1枚と、下が黒いパンツ1枚であった。私の服かどうかは分からない
・靴ははいていない。足の指は5本に分かれておらず、白い靴下をはいているような見た目だった。

 一体これはどういうことか。私の体は、いつの間に純白無毛の魔物に姿を変えてしまったのか。
 いくら思索をめぐらしてみても答えは出なかったので、私は部屋の中を調べてみることにした。そういえば、ここが牢獄のような場所だとすれば監守が歩き回っていてもいいはずだが、そのような人の気配はなく、至って静かであった。それでも根が臆病な私は、おそるおそる、できるだけ音を立てずに部屋の中を調べ始めた。
 以下、説明の便宜のため、鉄格子で覆われている面を北としよう。まずこの部屋には窓が一つもない。明かりは、鉄格子の向こうから来ているようである。鉄格子の外には東西に伸びる廊下がある。真向かいに牢屋はなく、壁になっている。光は、その廊下の西の方からやってくるようだ。私は光の来る方を見ようとしたが、鉄格子が邪魔してよく分からなかった。階段があり、その上の方から光が漏れているということは分かったが、それ以上のことは分からなかった。廊下の東側はさらに深い闇になっていたが、私の牢屋と同じような構造の牢屋が並んでいるようである。牢屋全体の広さは6畳ほどだ。
 牢屋の南西の隅には、一段のベッドがある。シーツは敷いておらず、茶色い不潔なマットレスが無造作に置かれているだけである。ベッドの下をのぞいたが、特に何もないようであった。そのベッドの隣には勉強机のようなちんまりとした机があった。机の表面には、金庫についている奴のようなダイヤルが設置してあった。ダイヤルは机に直接取り付けられている。ダイヤルの外側には目盛りが机の表面に直接刻まれており、100目盛りで一回りするようになっている。目盛りの更に外側に、10ごとに数字が記されていた。机の表面がみみずばれのように盛り上がって、数字を形作っているのである。ダイヤルを適当に回してみたが、ジージーと音をたてるだけで特に何も起きなかった。抵抗はほとんどなく軽く回るダイヤルだった。
 机には抽斗が一つあったので開けてみたところ、ノートの一頁をちぎったようなメモ用紙が入っているだけだった。紙を手にとってみる。罫線がいやに濃く印刷されている。表には何も書かれておらず、裏返すと「12:33」という記述があった。ボールペンで書かれているようだった。
 「12:33」とはどういう意味であろうか。時刻のことか。それとも他の意味か。私はダイヤルをまずてっぺんの0に合わせてから、次に55あたりに合わせてみた。これで「12時」と「33分」を表したつもりだったが、特に何も起きなかった。
さて、これがこの部屋にある物の全てである。私は他にも何かあるのではないかと考えてベッドを裏を覗いたり、マットレスを引っ剥がしてその下を調べたりしてみたが、目ぼしいものはなかった。机に関しても色々とこねくり回して抽斗の後ろ側まで見てみたが、同様であった。マットレスを引き裂いて中を見てやろうかとも思ったが、そこまでする気力はなかった。
 私は、娑婆にいた時分にインターネットで盛んにやっていた「脱出ゲーム」を思い出した。これは、私と同じようにあるところに閉じ込められた人間が、その中をひっかきまわして鍵となるアイテムを探し、暗号を解いて、そこから脱出するというゲームである。この牢獄も、机の上に意味ありげなダイヤルがあったり、抽斗の中にヒントを示唆しているらしきメモがあったりというところがいかにも脱出ゲームらしい。私は、さっきのメモを手にとってベッドの上にどっかと座りこんだ。これが脱出ゲームであれば、「12:33」が何らかの意味を持っており、その意味に沿ってダイヤルを回せば何か進展が生じることになる。

―ドンドンドンドン

 私がメモを睨みつけたままベッドに倒れ込むと、東側の壁を向こう側から叩くような音が聞こえた。心の臓を縦から貫かれたような刺戟が体に走り、無い身の毛がよだった。先ほどの調査では、東側にはここと同じような構造の牢獄が並んでいるのではないかと結論付けたところだ。実際、隣に鉄格子があるのも辛うじて見えた。では、東側にも私と同じような囚人がいるのか。
 私はメモを強く握ったままおそるおそる立ち上がると、一歩一歩東側の壁へと歩み寄っていった。壁まであと30センチばかりの距離にまで詰め寄ったとき、再び目の前の壁が「ドンドンドンドン」とけたたましく鳴った。すでに次の一歩を踏み出していた私は、不意の一撃に思わず後ろに尻もちをついてしまった。
 私がメモを握ったままの右手の拳を前にゆっくりと差し出していくと、今度は壁の向こうから人の声が聞こえてきた。
「誰かいませんか? 申し訳ない」
 私は更に肝を冷やして振り上げた拳を再び地に下ろしてしまったが、声は構わず呼びかけを続けた。
「誰かー?」
「誰もいないのですか?」
「いたら返事をしてください。申し訳ない」
 妙に人懐っこい声だった。私は、だんだんと声の主に気を許し始めていた。私は、意を決して返事をしたが、まともな声にならなかった。
「い、いるぞ」
 私の声は喉の奥でそのまま元来た道を帰っていき、向こうには届かなかったようだった。
「おーい」
「いるぞ。いるぞいるぞ!」
 今度はできるだけ声を張り上げたつもりだったが、裏返った情けない声にしかならなかった。それでも、向こうの耳には届いたようだった。
「なんだ。いるんじゃないですか」
「き、君は何者だ。何でこんなところにいるんだ」
「僕の名前はブラウニーというようです。何でこんなところに閉じ込められたかは分かりません。申し訳ない。記憶がはっきりしないのです」
「わ、私はウルシハラという。私も何でこんなところに閉じ込められたかは分からん。記憶がはっきりしない」
「なるほど。似た者どうしということですね。いるならもっと早く返事をしてくれればよかったのに」
壁の向こうの相手は訳の分らぬまま閉じ込められているというのにどうも暢気である。
「すまん。出し抜けに大きな音がしたもんだからすっかり気が動転してしまって」
「驚かせてしまったのですか。それは申し訳ない」
「君はいつからそこにいたのだ」
「目が覚めたのは先ほどですが、いつからここに放り込まれていたかは分かりません。申し訳ない。目を覚ましたら、隣で何やら動く気配がするので人がいるのではないかと思い、声をかけた次第です」
「反対側の隣には何もないのか?」
「ちょっと待ってください。申し訳ない」
 ブラウニーと名乗った男(声の調子から男であろうと推察された)は、立ち上がって隣を調べているようだった。それにしてもこの男は「申し訳ない」という言葉を口癖のように多用している。
やがて隣の壁をドンドンと叩く音が聞こえ(考えてみれば、鉄格子の向こうの廊下で2つの監獄はつながっているのだから、わざわざ壁越しに会話をする必要もなかった。廊下を通して声を隣に届けることができる)、ブラウニーはこちらに戻ってきた。
「隣も同じ構造の牢屋みたいですが、反応はないですね。私みたいに寝ているのか、それとも誰もいないのか。あなたの隣はどうですか?」
「私の牢屋が端っこのようだ。隣にはもう牢屋はない」
「なるほど。あ、あとおもしろいことに気が付いたのですが、僕、肌が真っ白ですよ」
 ブラウニーの様子は無邪気なものであったが、私の背筋には戦慄が走っていた。ブラウニーも私と同じような魔物に変貌しているというのであろうか。
 私は、発見した自身の身体的特徴を余すところなく伝え、ブラウニーにボディチェックを要求した。予想はできたことだが、私の体に生じた変化は、例外なくブラウニーにも生じているようだった。ブラウニーも、純白無毛の得体の知れぬ何者かに変貌しているのである。
「なるほど。こいつは興味深いですな。いや、不謹慎で申し訳ない」
 ブラウニーはむしろその変化をおもしろがっている。ここで私は、ブラウニーと私の体の構造が同じなら、部屋の構造も同じかもしれないと思い至り、ブラウニーに聞いてみた。
「ところで、君の部屋には何がある?」
「ベッドと机ぐらいですね」
「机の上に何かダイヤルみたいなものがついてないか?」
「ちょっと待ってください…。申し訳ない。あっ。ダイヤルというかなんというかですが、時計がついてますね」
「時計?」
 私は興奮を抑えられなかった。
「ええ。1から12まで数字が机の表面に直接刻まれてますよ。あ、この針動きますね」
「ちょっと待ってくれ」
「なんですか? 申し訳ない」
「机に抽斗がないか?」
「ありますよ」
「中に何かないか?」
「ええっと、あ、メモが入ってますよ。うーんと、87って書いてありますね」
 私の興奮は更に増していた。
「時計を12時33分に合わせてくれないか」
「なんでです?」
「いや、こっちの机の引き出しには『12:33』って書いてあるメモがあるんだよ」
「なるほど。で、そちらさんの机にはダイヤルがあると。なるほどなるほど。分かりました。申し訳ない申し訳ない」
 ブラウニーという男はその軽薄な口調に反して意外と物分かりの早いところがあった。ブラウニーが机の方まで歩いていく足音が聞こえたので、私も机の下に歩み寄り、ダイヤルを87に合わせた。
「12時33分に合わせましたよ」
 ブラウニーのこの台詞が外の廊下の壁を反射して私の耳に届いたのとほぼ同時に、鉄格子が大きな音を立てて上がり始めた。
「なるほどなるほど。こいつは大層な仕掛けですね」
 ブラウニーは相も変わらず暢気なものだった。それとは対照的に私は、この牢獄から脱出できるのにもかかわらず、拭い去りがたい不安を抱いていた。簡単過ぎる。そう。脱出ゲームにしては仕掛けが簡単過ぎるのである。インターネットにある脱出ゲームはここから二重も三重も仕掛けが重なっており、ややもするとさっきの時計やダイヤルに別の入力もを行って、初めて脱出にこぎつけることができるものである。仮に犯人が我々にそのようなことをさせたい度し難い愉快犯だったとしても、これでは張り合いがなさすぎるのではないだろうか?
 ともあれ鉄格子が全て上がるのを待ち切れずに、私は廊下に飛び出した。既に外に出ていたブラウニーの姿を見て、私は再び腰を抜かしてしまった。
 そう、私はブラウニーと相対することで初めてこの魔物に関する全体的な視覚的情報を得たのである。ああ、そこにいるのは紛れもなく魔物であった。この魔物は、体も不気味であるが、その顔がまた言いようのない恐怖を見る者に生じさせる。身につけている黒のTシャツと黒のパンツは私のものと同じであり、そこから伸びる真っ白い五体はアルビノを連想させる。頭髪も眉毛も睫毛も毛という毛はなく、肌は体と同じく真っ白であって、生気を全く感じさせない。瞼はパチクリと開閉するもののその動きはどこか機械的で、目も白目のみであって瞳はない。
 ブラウニーも私の姿を見て少なからず面食らったようであるが、向こうは私よりも早く立ち直っていた。
「なるほど。向かい合うとこういう姿をしてるんですな。我々は。こいつは、ロボットみたいですな」
 ロボット。このブラウニーの表現は果たして我々の見てくれを一番よく表す言葉であったろう。確かにどこまでいっても無機質で真っ白い我々の表面はロボットを思い起こさせる。それでいて動きはひどく滑らかで人間的であり、ロボットの動きを想起させるようなぎこちなさや非連続性はそこにはなかった。却って、ロボットのような見た目の何物かが人間のようにスムーズに動くという現象は、ひどく恐怖を呼び起こすものであった。
「いや、驚かせて申し訳ない。ところで、行ってみませんか?」
「敵…というか監守がいたらどうするんだ?」
「どうせ鉄格子を開けちゃったんだから、ここに大人しく残っていても怒られますよ。いや、分かってたら申し訳ないが」
 言われてみればその通りである。
「それにね、これは私の憶測でしかないので申し訳ないのですが、私たちをここに閉じ込めた犯人は、どうも私たちにここから脱出してほしいと考えているような気がするんですよ。ここに閉じ込めておくつもりなら、あんな子供じみた仕掛けは用意しないでしょうし、もっと警戒を厳重にしておくでしょうね。それにしては仕掛けが単純すぎるのがひっかかりますが」
「き、君もそう思うか」
「ただ、このあと先に進むともっと難しい仕掛けがあるのかもしれません」
「なるほど。そういう考え方もあるな。この一部屋のみならずもっと広い規模での脱出ゲームなのかもしれない」
「脱出ゲームですか。言い得て妙ですな。いや、申し訳ない」
 ブラウニーは生気のない唇を震わせてけらけらと笑っていたが、急に笑うのをやめると私と真っ直ぐに目を合わせてきた。
「とにかく、進んでみましょう」
「どっちに?」
「明かりが来る階段の方か、もっと奥の牢獄か。セオリー通りに行くと明かりの方に出口がありそうですがな」
「でも、脱出ゲームなら調べられるところは全て調べないと出口にはたどりつけないぞ」
「そうですな。私も同感です。私も、道が2つある場合は先に袋小路の方を徹底的に調べたくなるタチです」
 こうして私はブラウニーと共に奥の牢獄へと向かった。階段の近くからは、暗い廊下の奥は奈落にまで続いているようにも見受けられたが、予想に反して、ブラウニーが入っていた牢獄の奥にある牢獄は一つだけであり、廊下はすぐにどん詰まりになっていた。
 一番奥の牢獄はまだ鉄格子が降りていた。中には、ベッドも机も何もなく、黒い空間が広がっていた。
「ふん。ここは何もなさそうですな。戻りましょう。申し訳ない」
 私たちは元来た道を引き返し、光のやってくる階段を上り始めた。階段は途中で折り返しており、真ん中の踊り場の電灯がここまで届いているようだった。
さすがに折り返した先には何かいるのではないかと恐れた私は、緊張で足がなかなか動かなかった。それを見かねたらしきブラウニーは、私を横から追い抜いてスタスタと階段を上っていった。
「おい」
 私の呼びかけは掠れて空気の中に拡散していった。
「いやあ。多分そんなビクビクすることはないですよ。申し訳ない」
 階段を上りきったらしきブラウニーは、手すりから身を乗り出して声をかけてきた。
「ほら、とりあえず上までなら大丈夫ですよ」
 私はそれでもおそるおそる階段を上った。踊り場までやってきて振り返ると、階段の一番上にはまたドアがあった。ブラウニーはドアのそばで手招きをしている。
「ほら。行きますよ」
「開くのかい?」
「多分。申し訳ない」
 私が階段を上りきる前に、ブラウニーは扉を勢いよく開けた。私は一瞬目を反らしたが、扉の先には誰の姿も見えないようであった。
「大丈夫みたいですよ」
 私が階段を上りきって扉の先の廊下に入った。その廊下では蛍光灯が転倒しており、十分明るかった。床も壁も天井も真っ白で、蛍光灯の無機的な光に照り出された空間には息がつまりそうな空気が充満している。廊下の奥にはまた階段があり、壁の右側には扉が1つ、左側には2つあった。
 ブラウニーは、私になどお構いなしに奥の階段を上っていった。私が小走りで階段の一番下までやってくると、一番上まで到達していたブラウニーがこちらを見ながら言い放った。
「ダメですね。この先はいけません」
 私も息を少しばかり切らしながら上まで一気に駆け上がった。階段には電気がついておらず、廊下の蛍光灯から伸びる光が僅かに届いているばかりである。この階段は下の階段のように折り返してはおらず、真っ直ぐ登りきった先にまた廊下があった。ただしその廊下はしばらくいったところで隔壁のような大きな塊にぴっちりとふさがれていた。
 ブラウニーは、握った拳の手の甲でノックするような形で、例の隔壁を叩いた。鈍い音が響く。
「こりゃあ、相当詰まってますね」
「どういうことだ?」
「申し訳ない。この壁は相当に厚いということです。全然向こうで音が反響する感じがしてません。10mぐらいはあるかもしれないです」
「10m?」
 その数字の根拠はどこから来るのか分からなかった。私もブラウニーの見よう見まねで隔壁を叩いてみたが、確かに詰まっている感じがした。
「とりあえず、下の部屋を調べてみましょう。何か壊す道具があるかもしれない」
「道具って、あんたはここが出口だと考えているのか?」
「だって、私らがいた牢獄から下にのびる階段はないんですよ。窓もないことを考えると、私はあの牢獄は地下のような気がするんです」
「となると、出口は上にあると?」
「そういうことです。申し訳ない」
 ブラウニーはまた一人で階段を下り始めたので、私もついていった。
 さて、例の蛍光灯が点いている廊下には3つの部屋があった。この廊下は牢獄の前の廊下の真上にある計算になり、牢獄に降りる階段を背にして隔壁にのびる階段の方を向いたときに、その方角は、私が設定した方位に従えば、東ということになる。ここで便宜的に、北西の扉を ∨姪譴糧發鬮◆南西の扉をということにしよう。すなわち,鉢は下へ行く階段に近いことになり、△肋紊愍紊覲段に近いことになる。私たちは、この数字の順に扉の中を調べて回った。付言すれば、扉はいずれも真っ白い引き戸だった。この廊下の真っ白い構造は、下の監獄の暗く不潔な印象とは打って変わって、病院や研究室のような建物を想起させる。もっとも、不気味な印象は監獄とさほど変わらなかった。

・,良屋
 この部屋は鍵がかかっていた。ぶち破ってもよさそうだったが、他の部屋で道具が見つかるかもしれないのでとりあえず後回しにした。

・△良屋
 部屋の中は真っ暗だったが、足を踏み入れると蛍光灯がしばしの点滅を繰り返した後、点いた。勝手に点いた電灯に肝を冷やした私は、足を片方部屋の中に入れたまま引き戸にしがみついて固まってしまった。
「なあに、人の気配に反応して自動的につくんでしょう。それにしても、封鎖されているというのに電源が生きてるんですね。この空間は。いや、申し訳ない」
 後ろからブラウニーが体を入れてきた。私も、ブラウニーに続いてもう片方の足をそうっと部屋の中に入れた。
 扉を開けた瞬間から私の目についていたのは、棺桶上の構造物だった。棺桶の蓋は透明で中が覗けるようになっており、その中には我々と同じ姿の純白無毛の魔物が全裸で目を閉じたまま横たわっていた。もう見慣れていた私は腰を抜かしこそしなかったが、少なからぬ恐怖を覚えた。棺桶の中を見たブラウニーは腕を組んで右手を顎に当て、剥き身のライチのような顔をフンフン上下に振っていた。
「こういうのを見せられると、本当にロボットじみてますなあ。申し訳ない」
 棺桶は部屋の中に5基平行に並んでいた。中には全て例の白いゴムを被ったような人型の何かが横たわっている。ブラウニーは棺桶を暴こうとしていたが、びくともしないようだった。
「こいつは固いですね。いやあ、申し訳ない」
 他に目ぼしいものは部屋の中にはなかった。私たちは目で合図しあって、この部屋を出た。

・の部屋
 この部屋は、△良屋よりもだいぶ広かった。私が足を踏み入れると、再び蛍光灯が自動的に点いた。部屋の中にはもう一つ部屋があった。部屋というよりは、扉と壁で仕切られた空間というべきだろう。壁というのは正しくないかもしれない。その壁には大きな窓が付いており、外から中が覗けるようになっていた。ブラウニーは、壁についているドアからスタスタとその空間に入っていった。
 中には、窓の外からも見える位置に玉座のような形の構造物が2台並んでいた上から蓋がかぶせられており中は見えないが、人一人が座れるような空間は確保されていそうだった。玉座は低い音をゴウンゴウンと鳴らしており、電気機としては稼働しているようだった。
 私が右耳をその玉座に近付けてもっとよく音を聞こうとしていると、ブラウニーはすぐさま反対側のドアから出ていってしまった。私も後ろ髪をひかれる思いをしながらその空間を出た。
 外には机や椅子のような什器に加えて、デスクトップのパソコンや何かしらのモニターが並んでいた。机の上には書類や文房具が乱雑に散らばっている。パソコンの電源は軒並み落ちていたため、私は電源をつけようとしたが、スイッチを押しても反応がなかった。私がパソコンを調べている間にも、ブラウニーはクリップボードの方を凝視していた。
「いやあ。こいつは凄いですよ」
「なんだね」
「見てくださいよ。申し訳ない」
 私はブラウニーが突き出したクリップボードを凝視したが、何も挟まれていなかった。
「何もないじゃないか」
「何もないことはないですよ。よく見てください。申し訳ない。ちゃんと書類が挟んであった形跡がありますよ。ほら」
 ブラウニーは書類をはさむクリップ部分を白子のような親指で持ち上げた。はらりと、細い帯状の紙が落ちた。私は地面に落ちたその紙をつまみ上げた。どう見ても破られた紙の片割れであった。元は完全な形だったこの書類をクリップボードから破りとった際に残ったものだろう。私がその紙を子細に眺めると、ボールペンで汚い字が書いてあった。その字の下には下線が引かれてある。
「なになに、デーデキント?」
 確かに書かれてある字は「デーデキント」だった。
「デーデキントというと人の名前ですねえ」
 ブラウニーは出し抜けにニュッと顔を突き出しながら囁いた。
「知り合いがいるのか?」
「私にはいませんよ。申し訳ない。あたなには?」
「私にも心当たりはない」
「そうですか。じゃあ案外あの椅子の中にいるのかもしれません」
 ブラウニーは、窓越しに先ほどの玉座に一瞥をくれた。
「開けてみるか」
「無駄でしょう。多分さっきの棺桶みたいに開かないと思いますよ」
「それにしても、何なのだこの空間は」
「私の感想で申し訳ないですが、この部屋に限って言えば実験室のように見えますねえ。あの椅子で何かの実験をしていて、こっちのパソコンで何やらの記録なり計測なりをするんですよ。その紙切れも、研究者のメモかなんかに見えます」
 なるほど実験室という指摘は的を射ていた。私も怪しげな研究室に閉じ込められたという設定の脱出ゲームをやったことがあったが、その研究室もちょうどこの部屋のようなデザインだった。
「まあ。ここはこんなものでしょう」
 ブラウニーは私からクリップボードを引っ手繰ると、それを元の位置に戻そうと机に向かって歩み始めた。その時椅子の足か何かに蹴躓いたのだろう。途端に前につんのめり、机の辺に額を強打したように見えた。椅子は倒れ、机は大きな音を立てて振動した。
 ブラウニーは床に突っ伏したまま立ち上がれない様子だったので、私は彼に歩み寄って声をかけた。
「おい、大丈夫か?」
 ブラウニーはもぞもぞと上体を起こすと立ち上がろうとしたが、やめてその場に胡坐をかいて座り込んでしまった。
「おい、どうした? そんなに痛かったのか?」
 私は背を向けたままのこの男が心配でもあったが、正直な話へそを曲げられるのが面倒でもあった。
「いや、痛くないんですよ。申し訳ない」
「そうか。そいつは良かった」
「いや、痛くないんですよ」
 刹那、ブラウニーは振り向きざまに私の顔を殴打した。私は後ろに吹き飛んだ。その瞬間は、何が起きたか分からなかった。
「な、何をするんだ」
「申し訳ない。これが一番手っ取り早かったんで。どうです? 痛くないでしょう?」
 私はおそるおそる手を殴られた頬に当てた。確かに、したたかに殴られたにもかかわらず一切痛みはない。
「私も、転んで額を机に強打したのにもかかわらず、痛くなかったんですよ」
「ど、どういうことだ?」
「つまり我々は、肌の色や毛が奪われたのと同じように、痛覚も奪われているのではないですか?」
 私はもうちょっとやそっとのことでは驚かなくなっていった。今度の発見にも、最早驚きはなかった。いよいよ謎が深まるばかりである。

 私たちは再びこの閉鎖空間を2人で隈なく回ったが、特に新しい発見はなかった。,糧發老覿紐かないままだった。痛覚がないのをいいことに私が何度か体当たりしてみたが、扉は相当固いようで、まるで手ごたえがなかった。
 そんな私の様子を後ろで冷やかに見ていたブラウニーが、もう諦めかけていた私に言った。
「まあ、その部屋はもう放っといてもいいでしょう。ちょっと休憩しませんか?」
「休憩?」
 見るとブラウニーは、私が,糧發魍米している間に、の実験室らしき部屋にあった椅子を廊下に持ち出してきていた。
「そんな悠長なことが言ってられるのかね?」
「いや、私には何者かの意思が感じられるんですよ。申し訳ない」
「意思?」
「まあ、掛けてください。申し訳ない」
 ブラウニーに少しばかり抵抗してみたが、私の心ももう折れかけていた。私は、ブラウニーの勧めるままに人形のように椅子に吸いつけられた。
「つまりですな」
 ブラウニーは石膏像のような腕を振り回しながら雄弁に説明を始めた。
「この閉鎖空間は、閉鎖されているにもかかわらず電気が来ているわけです。それは、電灯が点いていることやさっきの椅子らしき何かが動いていたことからも分かる。ではなぜか。事故でこういうことが起きたのならおそらく電気は寸断されているでしょう。だから、ここにこういう閉鎖空間を作ったのは何者かの意思ではないかと私は考えているんです。申し訳ない」
「なんだ。それは我々に脱出ゲームをやらせて自分が作った脱出ゲームの難しさを見て喜ぶ愉快犯かね? 我々が無駄な手順を重ねるのを遠くで見ながら興奮している変質者かね?」
「それは穿った見方ですな。申し訳ない。いや、私にはそうは思えないです。だって、この空間は中から脱出できるようにはできてないですもの。脱出ゲームのヒントらしきものがどこにもありません。少なくとも牢獄を出てから先は」
「じゃあなんなんだね」
「それは私にも分かりませんよ。可能性があるとしたら、いったん誰にも入られないよう閉じておいて、あとでまた取りに来るとかね。ただまた来るまでにあの椅子の中の何かがダメにならないように電気の供給は続けているとか」
「我々のこの体の変化はなんなのだね?」
「それは分かりませんなあ。ただ、さっき痛覚もないと判明したことから、これはロボットじゃないかという疑いを私は一層強くしましたね。我々にない物は何か。毛や性器や肛門や乳首や痛覚。皆人間には必要だけど、人型ロボットには不要な物じゃないですか」
 ブラウニーの洞察力には舌を巻かざるを得なかった。この指摘は確かに正鵠を射ている。ロボットならば頑丈な体があるから毛などという防御機構は必要ない。ロボットは排泄も性活動も授乳もしないから性器も肛門も乳首も必要ない。ロボットは自身の身に迫る危険は他の方法で判断するであろうから、痛覚も必要もない。
「じゃあ、どういうことになるんだ?」
「分かりません。申し訳ない。ロボットの実験か何かかな」
 ブラウニーはしきりに白い顎を上下に動かして頷いていた。確かに彼の仮説は一本筋は通っているが、未だ抽象的に過ぎ、真偽のほどを確かめることはできない。
 何よりこの説の一番の難点は、ロボットの実験だとしてもなぜ人間である我々がロボットの体を抱いているかを説明できていない点である。私は、その点を問いただした。
「我々は人間だぞ」
「意識は人間です。人間の体をロボットに変性させる実験でもしているのかも知れません」
「じゃああの棺桶の中のは?」
「我々と同じように元は人間かもしれません。でも動かないところや棺桶の中にいるところをみると、失敗作かもしれませんね」
 私は背筋が凍りつくようだった。ブラウニーの話が本当だとすれば、私は死体のようなものと一緒に脱出の見込みもない閉鎖された空間にいることになる。そんな私の様子を察してか察せずか、ブラウニーは諭すような口調で言った
「まあ、そんなに悲観することはありませんや。私の話からするといつか人はくるんですから。気長に待つことにしましょう。申し訳ない。1人じゃなくて2人だったことをせめて幸運だったと思いましょうや。こうして話をして時間をつぶすことができるじゃないですか。それに、ロボットだってそんなに悪くないかもしれませんよ」
 今はこの男のポジティヴさが救いだった。黙っていても気持ちが荒むばかりなので、私も話に乗ることにした。
「ロボットね。私も好きなロボットアニメがあったよ」
「なんてやつですか?」
「『空かける大天空』というのだ」
「存じませんな。申し訳ない」
「いや、いいさ。マイナーなやつだからな。私はそこに出てくるノブシというロボットがたまらなく好きだった。全身黒のボディに赤く光る目。身長の何倍もある大刀をブンブン振り回して敵をバッタバッタと薙ぎ倒す…」
「そいつは強そうですな。案外、我々もノブシになれるかもしれませんよ…」
ブラウニーは天井を仰いだ。ブラウニーに対する警戒心も相当薄れていた私は、ノブシの話に続けて自然と身の上話を始めていた。
「私はね。大学生をやっていたんですよ。いや、大学生という割には授業にもいかずに一人暮らしの部屋にこもってインターネットをいじってばかりでした。ただ、部屋の中にいるばかりだとだんだんと時間をつぶせるものもなくなってくるんですね。やるゲームもだいたいなくなって、家にある本や漫画も大体読みつくして、そんな中で出会ったのが脱出ゲームなのです。そりゃあもう、インターネット上に散らばっているやつを100はやりましたよ」
「お暇ですなあ。申し訳ない。大学生がそんな暇なら、私も進学すれば良かったですな。申し訳ない」
「君は?」
「私は高校を出てから実家の工場を手伝ってましたよ」
「工場…。何を作ってたんだい?」
「いや、小さい工場ながら技術は確かだったみたいです。自慢みたいで申し訳ない。なんでもエアコンに使う用の斜板を作ってたとかで。大きな電気屋との契約もだいぶあったみたいですよ」
「なるほど。君みたいに賢ければ、大学に来ても十分通用したよ」
「ただそれも羽振りが良かった時分の話で、最近は不景気で注文がだいぶ減ってたんですな。そしたら工場にいきなり親父の2号がコブつきで押し掛けてきて」
「ほう」
 いきなり重い話になったので私は少なからず面食らった。しかし、このような場所に2人で閉じ込められたとあれば、そういう話もできるようになるほど親しい仲にもなるだろう。
「どうもだいぶ前から親父に養われてたみたいなんですが、不景気で親父が金を捻出できなくなって、それでやってきたみたいなんですね。お袋もそれで親父がそんな大胆な奴だったと知って、呆れ倒してましたよ。いや、身内の恥を話すようで申し訳ない」
「それで、どうしたんだね?」
「結局お袋に全部ばれて、離婚ですよ。ただ工場と敷地は財産分与でしっかりとお袋がいただきましたが」
「それは珍しいね。そういう例だと妻の方が出てくんじゃないかね」
「申し訳ない。親父は経営が苦しくなってからよく分からない外泊が多くなって、工場の経営はほとんどお袋がやっていたんです。多分金が入らなくなった2号さんに吊るしあげられていたんだと思いますけど。それで、慰謝料代わりということもあって工場をもらったんです。ただ、そういうことがあってから私はすっかりぐれてしまって。2号を作っていた親父も許せなかったけど、平謝りする親父をにべもなく工場から追い出してせいせいしたような表情をしているお袋も許せなかった。だから、工場を飛び出して違う街でチンピラみたいなことをしてたんです」
「複雑なもんだな」
「私は両親に仲良くあって欲しかったのですよ。申し訳ない」
「なるほど。私も似たようなものだ。私も両親と一緒に居たくなくて、一刻も早く家を飛び出したくて遠くの大学にいったようなもんだからな。そんな動機だから勉強もあまり身が入らなかった。そうやって親とけんか別れしたという意味では我々は似た者どうしだな」
「何でそんな親御さんが嫌いだったんですか? いや、突っ込んだことを聞くようで申し訳ないが」
「私の実の母は私が物心つく前に死んでな。私の知っている母は父が娶った後妻なのだ。私はその継母とは折り合いが悪くて、継母と喧嘩しているうちに継母の味方の父とも折り合いが悪くなっていったという寸法だ」
「なるほど。確かに似てますね。親が嫌いで家を飛び出して、一人で生活していたというところ。そういう人間ならいなくなってもあまり構われないでしょうな」
「君は何でこういうところに閉じ込められたのか心当たりがないんだっけか?」
「心当たりはないですし、記憶もないです。あなたもそうでしたっけ?」
「私もそうだ…」
 私は再び胸の中に翳が差してくるのを感じて、上に伸びる階段の方を見た。闇が視線を飲み込んだ。

追記
 それから私たち2人は無駄な努力をやめてひたすら助けを待つことにした。有り余る時間は、相撲をとったり、しりとりをしたり、かくれんぼをしたりしながら時間をつぶした。住めば都とはよく言ったもので、時間がたつにつれ私はだんだん棺桶や牢屋にも愛着を覚え始めていた。
 最後に記しておくべきことが一つある。この閉鎖空間には時計がないので正確な時間経過は分からないが、どれだけ時間を経過しようとも、私たちは空腹感も、のどの渇きも、尿意も便意も覚えることはなかったのである。もっとも、私たちの体からはロボットに不要な機能が捨象されているという点は既にブラウニーが指摘していたので、特に驚きは感じなかった。無論、こういったものがないからこそ私たちは長い間飲食物もトイレもない空間に閉じ込められても平気だったのである。
 そして、闇は突然訪れた。
やがて復活した視界の先にあったのは、漆黒の体に赤い目の巨体だった。私には、ノブシにしか見えなかった。このへんは、暇ができたらもうちょっとちゃんと書き直そう。

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