当wikiは、高橋維新がこれまでに書いた/描いたものを格納する場です。

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エンターテインメントとしてのエロ

 平成28年度北海道弁護士会連合会定期大会記念シンポジウム「性暴力による被害の実態〜被害者への支援のあり方を考える〜」(2016.7.22開催)を聞いて思ったこと。

A.

 AVというのは、エンターテインメントの一種です。AVに限らず、あらゆるエロ媒体(エロ本・エロ漫画・エロゲー・風俗etc.)は、エンターテインメントの一種です。
 エンターテインメントというのは、それに触れた者をいい気持ちにさせてくれるものです。「いい気持ち」にはいくつか種類があって、笑いであったり、感動であったり、知的好奇心であったりします。エロ媒体は、性的好奇心という観点から人をいい気持ちにしてくれるエンターテインメントです。まあ、もっとダイレクトにいい気持ちにしてくれる部分もありますが(この点、「チン太のこと」の解説の解説も参照のこと)。

 そして、ひとつの前の随想集25.でも書いた通り、エンターテインメントであるからには「嘘」です。現実というのは、もっと苦しくてもの悲しいものなので、現実にあり得ないような嘘を描いてこそ、人はいい気持ちになれるのです。

 エロ媒体にも、様々な嘘があります。
 まず、身の回りにあんなにたくさん魅力的な異性はいません。
 あんなに乳の大きな女性も、そう簡単にはいません。
 魅力的な異性は、あんなにたやすくヤらせてはくれません。ヤらせてくれるとしても、少なくともタダでは済まないはずです。
 ヤらせてくれるとしても、あんなにサービス精神旺盛ではありません。フェラなんか、してくれません。あんなに喘いでもくれません。
 まして強姦されている女性が性的快感を感じてくれるなど、まずありえない話です。

 ここに書いたのは全部男性目線の話ですが、そういうことです。現実にはあり得そうもない(けれども男が願望している)からこそ、男はそのシチュエーションに大きく性的好奇心を刺激されるのです。

 しかし、周知の通り、世の男性はあの「嘘」で性にまつわる情報の大部分を仕入れています。その現状は、かなりの歪みを生んでいる気がするので、いずれ何とかした方がいいと思うのですが、どうでしょう。もっと、きちんとした性教育をしていく方向で。

 私に言われるのも癪でしょうが、世の中学生諸君は、あれがエンターテインメントという嘘だということをきちんと肝に銘じておいた方がいいです。じゃないと、いざというシチュエーションで引かれますよ。

B.

 しかし、エロ媒体の中でもいわゆる「レイプもの」というのは、常に一定の需要があって、一定の数がある気がします。印象論にしかならないのが恐縮ですが、スカトロみたいにすごくニッチな分野というわけでもなく、国会だったら一定の発言力を持った徒党を組めるぐらいの量の支持者がいると思われます。

 これは、そういう内容に性的興奮を覚える男性がいるからです。
 それがいけないことだと言うのは簡単ですし、現実ではやってはいけないということを理性に叩き込むのも大事ですが、そういう内容に性的興奮を覚える男性が結構な割合でいるということは、何らかの意味があって、何らかの原因があるからこそだと思うので、その点の分析もまた必要不可欠だと思うのです。そこに目をつむって「レイプはダメだからやっちゃダメだ」と叫び続けるだけでは、状況は根本的には改善しません。

 筆者が今のところ考えている仮説は、「レイプに性的興奮を覚える」ということが進化的に一定程度適応的だったから、そういう考えの男性が今も一定割合でいるのではないか、ということです。まあ、「性行為の際に相手の女性のことをあまり考えずに多少強引に行ける(あるいは行きたい)人の方が、多く子供を持てる」→「だからそういう考えの人間が増えていく(※子供もそういう考えになるのは、遺伝的な側面と、そういう親に育てられるという環境的な側面とが双方あると思います)」というのは直感的には理解しやすいのではないでしょうか。
 まあ、この仮説を学問的にインダストリアスに検証する気はさらさらないので、誰かやる気のある若手がやってみてください。偉くなった学者は、適当に喋った仮説でも有り難がられて周りの若手研究者が勝手に検証してくれたりするので、うらやましいですね。

 ただ近代に入ってからの女性の人権の向上、男女平等の人権意識の向上(からの性暴力の犯罪化・厳罰化)などで、「レイプに性的興奮を覚える」という性的思考が必ずしも適応的でなくなってきている側面はあります。この状況が続けば、そういう人が減っていく可能性はあると思います。

 翻って考えるに、近代以前は、女性の人権は男性より弱くて、男女平等の人権意識も希薄なうえ、国家の警察や司法制度も今ほど発達していなかったのだから、女性は今より性暴力の被害に遭う危険性は高かったはずです。
 現代、性暴力被害に遭った女性が肉体的・精神的に痛烈なダメージを追い、なかなか社会復帰も難しくなる状況にあるというのは広く知られていますが、筆者は単純に「昔は、今より性暴力に見舞われる危険性が高く、その被害者も多かっただろうから、一回の性暴力で現代に生きる女性並みにダメージを受けていたのでは生き残るのが難しかったのではなかろうか」という疑問を覚えています。
 逆に近代の人権教育で、女性が「自分の性的自由は守られて当然」という意識が植え付けられたから、性暴力被害に遭うと「守られて当然のものが侵害された」と考えて大きなダメージを受けてしまうというような状況はあるのではないでしょうか。昔の女性が「性暴力は受けて当然」と思っていたとしたら、今の女性ほどダメージを受けていなかったのではないでしょうか。逆に、それぐらいに思っていないとやっていられなかったのではないでしょうか。
 これも一つの仮説ですが、検証する気はさらさらないので、お任せしましょう。つくづく思いますが、ラマヌジャンになりたいですね。同趣旨のことはシトラス三国志156回にも書いています。

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