当wikiは、高橋維新がこれまでに書いた/描いたものを格納する場です。

 さて今般、爆笑問題・太田さんがラジオ「爆笑問題カーボーイ」の3月8日放送回で私のことをボロクソに言っていたというお話を聞いたので、それに対して若干ながら反論をさせていただきます。

 高橋維新は、2016年2月13日に放映された「ENGEIグランドスラム(フジテレビ)」で爆笑問題が披露した漫才について、メディアゴンで以下のように書きました。

 「太田はアドリブでもあれくらいの(編註:今回の漫才くらいの)ボケはどんどん出せるので、漫才という形でやるならもっと台本を練らないといけない。いつまで経っても改善しないのは、練った台本が書けないか、手を抜いて練らずにやっているかのどちらかである」

 2015年12月20日に放映された「THE MANZAI2015(フジテレビ)」での爆笑問題の漫才については、以下のように書いています。

 「何度でも言うが、これも典型的な足し算の漫才に過ぎない。太田は、アドリブで暴れた方がおもしろくなる。隣には田中という最高の御者がいる。もっと分かりやすく言うならば、サンジャポの合間の爆笑問題の方が、確実にネタをやる爆笑問題よりおもしろいのである。それは、ネタという形でやっている(はずな)のに、サンジャポの合間でしゃべる時と全然クオリティが変わっていないからである。クオリティが変わっていないのにおもしろくなくなるのは、『事前に台本を考えているからにはおもしろくなっているだろう』と考えた視聴者のハードルが上がっているからである」

 ここからは、太田さんの反論に対する再反論です。

 太田さんは私に漫才をやれと仰っています。ラジオでの発言なので、ウケ狙いで言った部分もあるでしょうから、どこまで本気かは分からない前提でお答えしますが、「そんなに言うならお前がやってみろ」というのは、プロが言ってはいけない反論だと考えています。
 素人は、「お前がやってみろ」と言われても、できないことは十全に分かっています。できないからこそ、できるであろうプロにお金を払って頼むのです。筆者も弁護士をやる中で、「弁護士ではない」依頼者から様々なお叱りや苦言を受けることがありますが、「じゃあお前がやってみろ」とは絶対に言いません。テレビの演者は、舞台の場合と違って、視聴者から直接お金をもらっているわけではありませんが、視聴者に向けて漫才をやっている以上、我々も舞台のお客と同じように意見を言う権利はあると考えています。
 何より、爆笑問題は素人の漫才に勝った負けたなんていうレベルの低いところで勝負している芸人さんではないでしょう。

 爆笑問題の漫才は、テレビ番組で見せるフリートークとクオリティが変わらないと考えています。これは、悪い意味で言っています。もちろん、フリートークで何をしゃべるか(=どういうボケを言うか)かも太田さんは(というよりプロの芸人さんは)事前に考えるのでしょうが、このような形で考えたボケ(と、それに対する田中さんのツッコミ)を順番に並べ立てただけの漫才になっているというのが筆者の印象です。
 フリートークと違って、「漫才」という形でこれをやると、見る方は「漫才であるからには今からおもしろいことをしゃべるのだろう」と(それはそれは無意識に)考えて、ハードルが上がってしまいます。この上がったハードルに応えるには、考えたボケを並び立てるだけじゃなくて、天丼や伏線張りみたいなボケの前後の相互作用を入れ込む必要があると思うのです。ボケ(とそれに対応するツッコミ)を並び立てただけの漫才になっているのは、ツッコミの台詞のチョイスにも原因があると思います。田中さんのツッコミは、概して三村さんのツッコミのように思ったことをそのままストレートに言っており、次につながっていかないのです。これは、父の言っていることですが、ツッコミは本来次につながるフリの役割も果たすべきだという言説があります。例えばタカアンドトシの「欧米か!」というツッコミは、ツッコミであるとともに、「次にまた欧米っぽいボケを出せ」というフリにもなっているから優秀だということらしいです。「ちげえよ!」とか「そうじゃねえだろ!」みたいな見たまんまのツッコミでは、それだけでそのくだりがブツッと終わってしまいます。ツッコミに「欧米か!」みたいな橋渡し的な要素を入れるだけで、ぶつ切り感はだいぶ減ると思うのですが、どうでしょうか。

 こうやってボケどうしの相互の作用を考える作業が、筆者の言う台本の「練り」の作業です。尺を埋めるだけの数のボケ(とツッコミ)を思いついた段階では、台本は未完成なのです。そして、この「練り」をせずに、ボケとそれに対応するツッコミを並び立てただけの漫才を、「足し算の漫才」と呼んでいます。太田さんは十分に練っていると仰いますが、ボケを思いついただけで終わっているのではないでしょうか。「足し算の漫才」ができただけで終わっているのではないでしょうか。太田さんは筆者にライブに来いと仰いますが、ライブの漫才はもっと練っていておもしろいということでしょうか。でも、そうだとしてもテレビの漫才で手を抜いていいことにはならないと思うんですが。

 「足し算の漫才」以上に練っていく作業が(時間的な制約などで)できないなら、「漫才」という形でハードルを上げるのではなく、フリートークのように見せる演出をすべきだと思います。アドリブのフリートークのように見せれば、見ている方のハードルも上がりません。筆者が念頭に置いているのは、「笑っていいとも」の放送終了後のトークのような雰囲気です。衣装はいかにも「これから漫才をやります」というようなスーツじゃなくてもっとカジュアルにして、登場時も大仰な効果音やMCは入れず、雑談のような感じで話しはじめて、フラッと帰る。これが理想でしょう。

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