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法律学入門 まえがき
法律学入門 2.趣旨からの解釈


法学とは

 法学にも、色々な分野がある。外国の法を研究し、これを自国の法と比較対照する比較法学、どのような法がどのように制定されてきたかを研究する法制史学などは、その一例である。
 本書が対象とするのは、様々にある法学の分野の中でも、法解釈学と呼ばれる分野である。この学問は、法学の中でも大きなウェイトを占めており、大学の法学部レベルで教えられる「法学」はこの法解釈学がほとんどである。
 では法解釈学とはどのような学問か。この質問に答えるにあたっては、そもそも「法を学ぶ」「法律を勉強する」といわれる行為がどのようなものであるかを理解してもらうのが有用である。
 「法律の勉強というのは、法律の条文をひたすら覚えていくことである。だから司法試験も難しいと言われるのだ」というようなイメージを持っている人もいるのではなかろうか。筆者も恥ずかしながら、法学を学び始める前はこのようなイメージから完全に脱却できてはいなかった。だからこそ、「単に覚えるだけなら授業で教えてもらったりしなくとも自分でできる。なぜ法学なんぞが学問として大きな顔をしているのか」と、法学に対する無用な反発心も持ってしまっていた。この反発はその通りで、法律を学ぶというのはただ単に法律の条文を覚えていく作業ではない。それだけであれば、法解釈学などという学問は必要ない。

法解釈学とは

 では条文以外に何を教えているのか。ここでは実際の条文を例に出してみよう。

(窃盗)
刑法第二百三十五条  他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

 いわずとしれた窃盗罪の条文である。
 ちなみに、こういった法学の入門的な書物においては、まずは民法を例にすることが多い。筆者が敢えて刑法を例に出してきたのは、二つの理由がある。まず、初学者には、「法律とは国家が国民をしばるものである」というイメージが強いと考えられ、刑法はそのイメージにぴったりなのである。それに対して民法は、そもそもどのようなことをやっている法律かというのがあまり理解されていないと思われる。
 第二には、筆者が刑法の方が好きなのである。
 さて条文を見ると、前半が窃盗がどのような犯罪であるかについて、後半は窃盗罪に科され得る刑の範囲について定めている。後半(刑の部分)は問題にされることが少ないので、ここでは前半について考えてみる。
 この意味は、一見明白である。 崑梢佑痢廰◆嶌睚を」「窃取した」ぁ崋圈廚棒狹雕瓩成立するのである。典型例はすぐに思い付くだろう。コンビニでの万引きは、コンビニという他人が所有する財物を窃取したので窃盗罪であるし、空き巣も他人が所有する財物を窃取するものであって、窃盗罪に当たる。また、い痢崋圈廚録佑里海箸任△襪ら、チンパンジーが´↓を満たす行為をしても、窃盗罪は成立しないことになる。これについては、あまり問題はない。
 しかし´↓については、それぞれ問題がある。
 便宜上、分かりやすい△ら考えてみよう。「財物」とは何だろうか。現金や、宝石や、美術品は、窃盗罪の典型例を考えてみても、おそらく「財物」であると思われる。では、電気・空気・情報といったような形のない物はどうだろうか。家や土地といったような不動産はどうなのだろうか。人それ自身や、その身体の一部はどうなのだろうか(例えば人の髪の毛や皮膚をむしり取った場合に、傷害罪の成立とは別に窃盗罪が成立するのだろうか)。
 ,睫簑蠅任△襦そもそも「他人の」とはどういう意味か。他人が所有しているという意味なのだろうか。そうだとすると、空き巣がAさんの家でゲームソフトを盗った場合、そのゲームソフトがBさんからの借り物だったとすると、Aさんは右ゲームソフトに所有権を有するわけではない以上、窃盗罪は成立しなくなるとも思える。この点についての議論は長くなってしまうので省略するが、上記のような場合に窃盗罪が成立しないのはおかしいというのも一つの根拠として、「他人の」とは「他人が占有している」という意味だと解されている。つまり、所有権を有してなくても、占有していれば基本的に窃盗罪が成立するのである。
 しかしこの「占有」の意味がまた簡単には定まらない。素朴に考えれば、落とし物については、「占有」していることになりそうもないから、窃盗罪は成立しなさそうである。ただしこの場合も、以下に掲げる占有離脱物横領罪(遺失物等横領罪)が成立する。

(遺失物等横領)
刑法第二百五十四条  遺失物、漂流物その他占有を離れた他人の物を横領した者は、一年以下の懲役又は十万円以下の罰金若しくは科料に処する。

 では「落とし物」とそうでない物との差はなんなのか。散歩をしている人がポケットに入れていた財布を落としたら、もうその瞬間からその財布は落とし物なのか。落としてから時間的にもそれほど経過しておらず、また場所的にもまだそれほど離れていないのであれば、未だ「落とし物」ではなく、窃盗罪が成立するのではあるまいか。どこで線を引くべきか。
 このように考えてくると以下のような疑問も生じる。例えば、通勤の際に最寄駅まで自転車を用いているCさんが、駐輪場に自転車を停めた際に財布を落としたとしよう。Cさんが電車で1時間半ほどかかる会社に着いたときに、泥棒がこの自転車と財布を両方とも盗ったとする。素朴に考えれば、自転車については窃盗罪が成立するが、財布については「落とし物」であるために、占有離脱物横領罪しか成立しなさそうである。時間的・場所的な隔たりの度合いは自転車も財布も同じなのに、なぜ前者については「占有」が認められ、後者については認められないのだろうか。それとも結論の方がおかしくて、両者について成立する犯罪を揃えるべきなのだろうか。
 また、次のような問題もある。肌身離さず持ち歩いていなければ「占有」と認められないわけではない。自身の支配する空間(典型例は自分の家である)においてある財物であれば、自身がその空間から遠く離れた場所にいても、占有は成立すると考えられている。これは、自身が海外旅行中に家に入った空き巣にも窃盗罪が成立するべきことを考えると、常識的な結論である。ではどの程度であれば自身の支配する空間といえるのだろうか。3年に1回しか行かないような別荘に置いてある財物はどうだろうか。山の中にある荒れ果てたお堂にある仏像はどうなのだろうか。

 このように、窃盗罪のような身近で分かりやすそうな例をとっても、問題百出である。法律は、条文を覚えただけではとても太刀打ちできない世界だというのが分かっていただけだと思う。ここで登場するのが、法解釈学である。
 法律の勉強においては、まず条文を読む。そのうえで、その法律が適用される典型例を理解する。それは、窃盗罪の例でもやっていただいた通りである。最後に、「典型例」の外側にある限界的・例外的な事例について、どこまでその法規定が適用されるかを、明らかにしていく。この最後の工程が、「解釈」と呼ばれる作業である。窃盗罪においても「人の髪の毛をむしりとった」「落とした財布」「荒れたお堂にある仏像」などの様々な事例を取り上げて問題提起をしてみた。これらは、「窃盗罪の規定が適用される」と直ちに断言することのできない、例外的な事例である。ここにおいては、窃盗罪という犯罪の境界が漠としており、直ちにクリアーに看取ることはできない。解釈とは、これらの事例について、ひとつひとつ、適用の有無を決定していく線引きの作業なのである。
 この線引きの作業も、行き当たりばったりにやることはできない。何の理屈もなくなんとなくで線を引いていては、対応に食い違いが生じ、実際に窃盗罪で刑事裁判の場に出てきた被告人から、「なんであいつは無罪放免なのに俺だけブタ箱行きなんだ」といった文句が出かねない。解釈は、一定の指針に基づいて、統一的に行う必要がある。
 この指針となるのが、法規定の「趣旨」である。「趣旨」とは「存在理由」とも言い換えられる。要は「なぜその法規定があるのか」「その法規定がないと何が困るのか」といった事情である。
 この趣旨からの解釈を、ここでひとつやってみよう。ここでは前述した窃盗罪の要件のうち、 崑梢佑痢弊衢)」についてとりあげる。なお、以下の説明はあくまで一つの説明であって、正確さよりも分かりやすさを重視している部分がある。もっと詳しい議論が知りたい人は、きちんと法学に触れてみてほしい。
 では窃盗罪が 崑梢佑痢弊衢)」という要件を課しているのはなぜなのか。この占有という要件がないと、占有離脱物横領罪しか成立し得ないというのは前述した通りである。もう一度前に戻って窃盗罪と占有離脱物横領罪の法定刑を見比べてほしい。窃盗罪の方が、かなり重くなっているのが分かると思う。
 なぜ窃盗罪の方が重いのか。占有離脱物横領罪は、「落とし物」を盗ったときに成立する。「落とし物」の方が、他人が「占有」している物よりは盗りやすいのが人情だろう。つまり、ごくごく簡単に言えば、他人の占有している「盗りにくい」物を敢えて盗った奴の方が、より悪い奴だから、より重い刑を科せるようにしたということなのである。こう考えてくると、占有の有無を考慮するにあっては、この「盗りやすさ」を考慮することになる。ではどのようなものが盗りやすいといえるか。落とし物であっても、落とした当人がその物からまだ場所的にも時間的に離れていない場合は、発覚の可能性が高いから、「盗りにくい」といえるだろう。このような場合に占有が認められるのはこのような理由による。また、先ほど挙げた自転車と財布の例においては、財布はCさん自身が落としたことに気が付いていないが、自転車はCさんが自らの意思でそこに置いているものであるため、自転車の方が財布よりも「盗った」ことが発覚しやすいといえる。そのため、自転車についてのみ「占有」が認められるのである。このように、「盗りにくさ」を考えるに当たっては、Cさんのような「他人」の意思をも考慮することになる。
 いかかがであろうか。これが趣旨から導く解釈論の一端である。このような知的作業に、「論理的で素晴らしい」といった魅力を感じる人もいる。とはいえやっている議論では「こういう例外はどうか」「こういう例外はどうか」といった例外処理の部分が多くなってしまうことも確かである。この議論はしばしば、実際には起こりそうもないような例(外)についてまで話が波及してしまう。先の例でいえば、「駐輪場で落としたのが財布ではなくペットのアフリカゾウだったらどうか。その場合はさすがに落としたことに気が付くのではないか」などといったものが考えられる。
 こういった点を捉えて、法解釈学が「中心部ではなく細かな周辺部にばかりかまけている」「起こりそうもないような例についてばかり話題にする揚げ足取りの議論」といった批判を受けることもある。実際に筆者も学びたての頃はこのように考えることがあった。しかし、だからといって法解釈学が不要になることはない。
 まず、実際に限界的な事例は起きるのである。世の中に一つとして同じ窃盗罪はなく、極論すればすべてが限界事例といっても過言ではない。実際に起きた事例については、窃盗罪の成否を(裁判官が)判断する必要がどうしてもあるのである。そして、その判断を行き当たりばったりにやっていたのでは、「裁判官による恣意的な法解釈」との批判を招き、似たような限界事例についてある事例には窃盗罪が成立し、ある事例については成立しないという不平等が生じて、最終的には国民の遵法精神が失われていってしまう。だから、統一的な理屈・指針に基づいて、一貫した解釈を行う必要があるのである。解釈に一貫性があれば、その主張は論理的となり、他者に対する説得力を持ち、国民を納得させることもできる。またこの説得力は、ミニマムなレベルでは、検察官や弁護人が自身の主張に基づいて裁判官を説得するためにも必要である。
 また、「中心部ではなく周辺部にばかりかまけている」という批判に対する反論だが、この周辺部こそが法解釈学の出番なのである。世に起こる事例が中心部の典型例だけであれば、頭を使わずとも法の適用の有無が判断できるようになるため、法解釈学も、法解釈学者も、裁判官も不要となってしまう。まさに周辺部に対応するのが法解釈学であって、そのことを誇るべきなのである。誇れないとすれば、それは最早好き嫌いの問題である。

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