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私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!


 漫画。重度のいわゆる「コミュ障」である主人公・黒木智子(もこっち)の普段の生活を描いたギャグ漫画。
 コミュ障にも色々あるが、もこっちは、話はできるけど意味が全然分からないとかそういうレベルでなくて、「慣れていない人を前にするとまともに声が出せなくなる」という極めて重度のコミュ障である。まともに話せる「慣れている人」が、作中の登場人物だと父・母・弟・いとこのきーちゃんと、中学からの友人のゆうちゃんと小宮山ぐらいなので社会生活にかなりの支障を来している。こういう人の中には、例えば「コンビニの店員みたいな全然知らない人相手だったら普通に話せる(逆にそんなに親しくないクラスメイトなど、中途半端に知ってる人とは話せない)」人もいるのだが、もこっちは上記の「慣れた人」以外を前にすると例外なくまともに声すら出せなくなる(まあ、イベントで声優と話している描写等もあったが、あれはギャグを成立させるための例外だと思われる)。

 もこっちを診たら、「社交不安障害」など一定の診断を下す医師は確実にいるだろう。

 ところがこの国ではおかしな人のおかしさに「障害」という名前がつくと笑えなくなってしまうため、作中ではその点は明確にされない。それでもなお、もこっちのコミュ障っぷりは笑うことが憚られるほどのかなり重度なものなので、筆者は読んでいて可哀想だった。結構、読むのが辛かった。それでももこっちのコミュ障っぷりを笑えるのは、彼女が自分のことを棚に上げて他人(特にリア充)のことを排撃しまくるクズだからである。こんなクズだから笑っても問題ないだろうと読者も思えるのである。まあ彼女のこのクズさもこれまでの大変な社会生活の中で徐々に醸成されたもののような気がするので、そこまで深読みするとやっぱり可哀想になってしまうのだが。

 この作品は、どういう層にウケているのだろうか。リア充が彼女の無様さを見て笑っているのだろうか。でもリア充はそもそも人と話ができない人がいるなど想像もつかないと思うので、この作品を読んでも一切ピンと来ない気がする。やっぱり、ある程度彼女の振る舞いに共感できるコミュ障気質を持った人がこれを見て笑っているのだろう。彼女を笑えるということは、自分は彼女ほどひどくないと思っているということなので、そこには同病相哀れむというか、自分より下を見て安堵している悲しさがある。それは結局同属嫌悪なので、そんなことにエネルギーを使っていても一生リア充には勝てないのだが。

 巻末のあとがきなどを見ていると、作者の谷川ニコ(男性の原作者と女性の作画者の2人組らしい)のうち、女性作画者の方はもこっちとかなり近い気質を持っていることが想像できる。そういう意味ではこの漫画も自伝的なマンガ家マンガである。だから何だということではあるが。

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