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すごい

 「すごい」は形容詞です。
 形容詞なので、動詞や形容詞や形容動詞といった用言を修飾する場合は、連用形の「すごく」を使います。「すごく悲しむ」「すごくうれしい」「すごく不謹慎である」です。
 ところが、この「すごい」という形容詞と、ここから派生した「ものすごい」と言う形容詞は、連体形だか終止形だかは分かりませんが、「すごい」という形のまま用言につなげる用法がかなり広く人口に膾炙しています。「すごい悲しむ」「すごいうれしい」「ものすごい不謹慎である」という日本語を聞いても、あまり違和感がないのです。
 他の形容詞だとこうはいきません。「ひどい悲しむ」じゃなくて「ひどく悲しむ」だし、「素晴らしいうれしい」ではなくて「素晴らしくうれしい」です。
 「すごい」と「ものすごい」の他にこういう用法で違和感がない形容詞を探していますが、今のところ見つかっていません。唯一、「ヤバい」は、この2つよりは定着度が落ちるでしょうが、あり得るかなと思いました。「ヤバいうれしい」みたいな。ただまだ動詞や形容動詞につなげたときは違和感があります。「ヤバい楽しむ」「ヤバい楽観的な」みたいな。
 あと、これはこれを書いている最中に思い付いたのですが、「えらい」はどうでしょうか。「えらい不遜な」とか言う気がするんですが。でも「えらい」は「ヤバい」とは違って動詞や形容詞とつなげると違和感があります。「えらい怒る」「えらい分かりにくい」といったような。そうでもないかしら。まあ、個人差でしょう。
 いずれにせよ、3語に共通するのは、程度を修飾する語だということです。ゆえに、(体言のみならず)用言につなげる用法が他の形容詞よりは多いのでしょう。そうするとなぜ連用形による修飾というルールが崩れていくのでしょうか。
 こういう疑問が学問の萌芽ですが、ここから先は学問らしいえらくインダストリアスな世界です。それはまたおいおい説明します。

追記。
 なんで「すごいうれしい」とか言うようになったかを考えるに、やっぱり形容動詞のグラグラさに起因しているような気がします。
 「すごいグルメだ」といった場合、「グルメ」という言葉を「食通」という意味の名詞と捉えれば正しい用法です。ただ、「食に詳しい、うるさい、こだわりがある」という意味の形容動詞的な用法だとすれば、基本的には誤用ということになります。なんちゅうか、形容動詞と名詞の境目がそもそも曖昧だからこういう誤用にあまり違和感がなくなったとかなんとか。そもそも「グルメ」が西洋からの外来語という点も関係しているかもしれません。


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