当wikiは、高橋維新がこれまでに書いた/描いたものを格納する場です。

 2016年3月24日放映のテレビ朝日「アメトーーク」、テーマは「ローカル番組やってます芸人」である。
 ローカル番組に出演している芸人たちがひな壇に集まって、ローカル番組の収録にまつわるエピソードを順々にトークするという内容である。このテーマの方向性として、まず単純なローカル番組の告知宣伝に堕してしまう危険性がある。芸人たちが自分たちの出ているローカル番組を(本当はおもしろくなくても)「こんなにすごくて、おもしろいんですよ」と喧伝し、聞き手のMCが「おお〜」とその話に感心する。この方向性でいくと、テレビショッピングと同じ貼り付いたような嘘くささが画面を支配することになる。
 しかし今回の放送は、テレビ朝日系列以外のローカル番組も紹介されており、ローカル番組の告知宣伝という形にはなっていなかった。
 そうなると考えられるのは、もう一つの方向性である。ローカル番組をバカにして、笑いをとるという形である。ローカル番組の「緩さ」「垢抜けなさ」「低予算っぷり」などをイジって、笑ってもらうのである。ただこのやり方は、まず、ともすれば「ローカル番組」だけではなくて「ローカル」そのものをバカにする方向に行きかねず、地域差別だというクレームが入る可能性がある。
 この方向に行かないようにするためには、なかなかのバランス感覚が求められる。ローカルそのものではなくて「ローカル番組」とその作り手をバカにするであるとか、ローカル番組に出ている「自分たち」の自虐をしゃべるだとかのレベルに止めないといけない。
 ただ、今回のアメトーークは、全体的にこの「配慮」をしすぎているように見えた。結果として出てくるエピソードも小粒なものばかりであり、狩野英孝や田中卓志(アンガールズ)といったイジられ芸人の自虐も結構な割合を占めていた。狩野や田中の自虐なら、他のテーマでもできることなので、わざわざ「ローカル番組やってます芸人」というテーマでやるようなことではない。翻って鑑みるに、ともすれば地域差別とも言われかねない「ローカル」イジりは、笑いの究極の形態であって、バカにする側の方に立てれば「おもしろい」のも確かなのである。バカにされる側からするとたまったものではないから、そういう人たちがクレームを入れるようになった結果、テレビからこの手の笑いは駆逐されたのだが、だからテレビはつまらなくなったのも確かである。
 今ではこのような他人を傷つける度合いが高い笑いは、もっぱらインターネットが担っている。笑いは、根源的に対象を傷つけることで自分が癒される作用だと筆者は考えている。そこは、綺麗事を言ってもしょうがない。
 だから、原則的にはつける傷が深ければ深いほど、笑いの質も上がっていく関係にある(無論、深すぎると客を引かせてしまい、笑いが起きなくなるのだが)。アメトーークも、笑いを第一命題とする番組なのだから、「月曜から夜ふかし」みたいに開き直ってローカルそれ自体をイジり倒し、人を傷つける笑いへの原点回帰を図ってほしいところではある。

 ちなみに今回アメトーークの台本の一節が画面上に出てきた瞬間があった。オープニングの、出演者を紹介する場面の台本だった。
 MCが冒頭にひな壇の面々を紹介しつつひとしきり絡んだ後に、横に座っている品川祐(品川庄司)を紹介するくだりの台詞が画面上に出てきたのだが、宮迫が品川に発言をフる台詞と、それに対する品川の自虐の台詞が指定されていた。実際の品川は、同趣旨の自虐こそ喋っていたが、指定されていた台詞は全然守っていなかった。まあ、流れを見つつこれぐらいアドリブを利かせた方がおもしろくなっていくのがお笑いなので、品川が台本を守らなかったことはむしろ賞賛に値すべきことである。
 筆者が言いたいのは、台本が少し細かすぎないかということである。あの感じだと、冒頭以外の部分にも結構細かい台本があると推察される。品川みたいにアドリブのできる芸人ならいいが、そうでない人は台本を忠実に守ってしまうのではないだろうか。そうなると、「生活笑百科」のような予定調和のコントになってしまう。そもそも台本を作る手間も尋常ではないだろう。そのせいで放送作家に払うお金が増えているとしたら、そこをもっと違うところに回した方がいい。
 もっと、ざっくりとした台本でいいのではないだろうか。例えば、コーナーの順番と、エピソードトークの部分を誰がどういう順番で話すかと、そのエピソードの大まかな内容を指定するぐらいのものである。

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