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 2017年10月26日放映のアメトーークを見た。テーマは「捨てられないものトーーク」である。

 このテーマを聞いて真っ先に筆者が思い出したのは「ガキの着ぐるみトークで似たようなことをやっていたな」ということである。調べた限りでは、おそらく2013年11月24日の放映である。別にパクリだと言いたいわけではない。多分、もっと過去から似たような企画は何度もやられている。

 実際に見てみての感想だが、ガキの方がおもしろかった。
 捨てられない物を漫然と紹介しても、笑いは生まれない。「捨てたいのに捨てられない」ということは、裏を返すと持っていても使いでがないということであり、その使いでのなさ、役に立たなさをツッコんでいく段階で笑いは呼び起こされる。そして、ガキの縁者は全員そこを意識して物を選んでいた(方正は意識できていなかったが、そのポンコツさがキャラクター通りの笑いを生んでおり、番組のアクセントにもなっていた)が、今回のアメトーークでは演者の意識に差があった。全体的には、ただ単に要らない物、捨てられない物を持ってくるのではなくて、それ自体変な物か、背後のエピソードが笑える物を選別して持ってくることにもっと注意を傾けた方が良かったと言える。そして、せっかく現物を持ってくるのだから「ただ単に笑えるエピソードがある物」よりは「それ自体笑える変な物」の方がいいと思う。

 特にアンゴラ村長はただただ捨てずにとっている物を紹介している感が強かった。筆者に言われるのも癪だろうが、全体的に素でテレビに出すぎなのでもっと「笑いをとるために必要なキャラクターを演じる」ということを意識した方がいい。「アンゴラ村長」という妙な芸名の由来は絶対に聞かれるのだから、それに対する返答は笑えるものの方がいいのは自明の理だろう。別に、正直を貫く必要はない。笑いを生むような返答ができないのであれば、こんな妙な芸名は逆に邪魔臭いだけだと筆者は考えている。ウケ狙いでつけているように見えてしまうので、天然の不思議ちゃんの部分が収録中に出ても視聴者が無意識に「ウケ狙いで芸名をつけるようなやつだからあの天然も計算尽くに違いない」と考えて笑いを阻害するような気がするのである。
 あと山内は中学生の時に自作した歌の歌詞を、出川は小学生の時分に自分で描いた漫画を紹介していたが、そういう恥ずかしいものは他人から無理やり暴露される展開の方が絶対に笑えるはずである。そのうえで、暴露されている方はきちんと恥ずかしがったり紹介を妨害しようとしたりといったリアクションをとるのである。こういう物を自分で紹介してしまっては白けるというもんである。

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