高橋維新のページ - 筆者への批判に対する総合的な反論
 私(高橋維新)に集まっているネット上の批判について総合的に反論をさせていただきます。

1.私がメディアゴンで原稿を書いている経緯について
 メディアゴンというウェブサイト自体の運営には、私の父で放送作家である高橋秀樹が大きく関わっています。私は、父から依頼されてメディアゴンに寄稿をしていますので、コネでメディアゴンに原稿を書いているというのは間違いのない事実です。ただ、原稿料は一切もらっていません。私の現在の本業は弁護士であり、弁護士としての収入だけで十分食えています。原稿料がもらえないのに寄稿を続けているのは、単純に言いたいことがそれだけあるからに過ぎません。私は、言いたいことをインターネットを通して発信しているだけです。ちょっと勉強すれば、誰にだってできることです。それがなぜコネだのなんだのと批判されるか分かりません。
 私がメディアゴンにコネで掲載できているのが腹立たしいのでしょうか。でも、なぜメディアゴンのような弱小サイトに掲載できる地位をうらやましく思うのかが分かりません。メディアゴンも貧乏なサイトであり、ネームバリューのある執筆者もまだまだ少ないです。
 メディアゴンは、ネームバリューがあろうとなかろうと、中身のある原稿であれば掲載させていただく方針だと聞き及びます。コネがあろうとなかろうと、メディアゴンでの原稿の掲載はできるのです。書きたい人は、どんどんメディアゴンに原稿を送ってください。ただ原稿料は払ってくれないので、金が大事な人は別ですが。

2.私は弁護士です。趣味で投稿活動をしてはいますが、お笑いを「仕事」としてやったことがないのは確かです。その私がなぜここまでお笑いというものにこだわっているかは別途説明をしようと思っていますが、私は現時点でお笑いに関して自分が発言している諸々が間違っているとは毛頭思っていません。
 私の意見を的外れだという批判はよく見ますが、的外れだと考えるなら、どこがどう的外れなのかを具体的に指摘してください。具体的な指摘は、あまり見たことがありません。そのことが却って、「私の言っていることが正しいから具体的な批判ができないだけではないか」という私の確信を強くしてしまっています。私の意見を批判ばかりするのに具体的にどこがどうおかしいかを指摘できないのは、逆に私が本質を突いているからではないでしょうか。
 人は本当のことを言われると怒るものです。本稿を読んでイラッときたあなたにも同じ言葉を差し上げましょう。本稿を読んでイラッと来たなら、それは私が本質を突いた発言をしているからですよ。
 弁護士という門外漢が、お笑いについて語っても正しいことは言えない、という主張もよく見ますが、著者の属性だけに注目してその主張の成否を云々するというのは、全く理性的とは言えないやり方です。だから、「親のコネで書いているから正しいわけないだろう」という主張も通りません。
 中身を読む時間がない、あるいは読む能力がない場合の手抜きのやり方です。白人が「黒人の言っていることだから正しいわけないだろう」というのと一緒です。それは、人種差別と言うのです。「不良がいくら『やってない』って言っても信用できないよな」という考え方が冤罪を生むんですよ。
 専門家でもない弁護士がわけのわからないことをピーチクさえずっているだけなら、無視すればいいじゃないですか。無視せずにムキになって反論するから、却って私が本当のことを言っているのではないかと思ってしまうんですよ。特に、ネームバリューのある人なら、無名の私の意見なんていちいちつぶしておく必要はないでしょう。

3.著者の属性に着目するなら、逆にテレビと全く関係ない位置にいる市井の弁護士の方が正しいことを言えると思いませんか。テレビのスタッフや、放送作家や、タレントや芸人さんは、テレビ局からお金をもらってご飯を食べる立場にあるので、テレビ局と敵対することは難しいはずです。テレビをけなすと仕事が減るかもしれません。嘘でもテレビを褒めておいた方が仕事が来るかもしれません。

4.筆者の書いているようなことを「個人のホームページで発表するならともかく、ヤフーやブロゴスで掲載するのはどうなのか」という頭の悪い意見も見たことがあります。メディアゴンの記事がこれらのサイトに配信されているのは確かですが、筆者が自分のホームページで発表するのと何が違うのでしょうか。
 筆者がテレビを見た感想をインターネット上で配信している点に変わりはありません。おそらく、これら既存のサイトが持つ権威が筆者の意見に付与されるのが嫌なだけでしょう。それは、権威付けがされると(批判者が否定したい)筆者の意見が幾分か正しく見えてしまうことになるからでしょう。筆者がコネでこれらのサイトの権威付けをいただいているのは確かですが、批判するなら中身の批判をしてください。私は、何度も言っている通り自分の普段感じていることを述べているだけで、それ以上でもそれ以下でもありません。それが正しいか否かは内容を見て各自で判断していただくことになります。
 反論があれば、あなたにもそれを自由に言う権利があります。それが、民主主義というものです。あなたは掲載されている媒体の権威だけで主張の真否を判断するのですか。個人のブログに書いてあることよりヤフーニュースに載っていることの方が、ヤフーニュースに載っていることより全国紙の朝刊の一面に載っていることの方が正しいのですか。そういう手抜きの判断ばかりしているということは、日常生活で頭を使っていないということですよ。

5.弁護士という門外漢にここまでお笑いについて口うるさく言われるのが嫌なのかもしれません。放送作家や芸人さんみたいなお笑いのプロは、自分が仕事でずっとやっているのに、仕事でやっていない一弁護士が自分以上にお笑いを知っているというのを認めたくないのかもしれません。
 それを認めると、自分の能力についてもさることながら、「お笑い」自体がその程度のもの(プロじゃない弁護士にも本質がつかめてしまう程度のもの)に堕してしまうことになるからです。
 でも、悲観の必要はありません。まず、筆者もお笑いのことは全く分析しきれていません。特に、一番重要な「どういうボケが人にウケるのか」という点は、全く体系だった議論ができていないのが現状です。
 次に、お笑いというものが言葉で完璧に説明できたとしても、悲嘆に暮れることはありません。それはお笑いが大したことのないものだということではなく、言語というものがすごいものだということにしかならないからです。
 世の中には、ウナギの焼き方とか、寿司の握り方とか、全く言語によるマニュアル化ができておらず、「何年・何十年と修行して体で覚えるしかない」分野がまだ五万とあるように思えますが、筆者は単にそれに従事している人にやり方を言語化・マニュアル化する能力がない(あるいは技術の流出を避けるために故意に隠している)だけではないかという仮説を立てています。言語の力を、信じているのです。お笑いも、同じでしょう。だから筆者は、「ボケ」の部分のマニュアル化の努力を鋭意進めているところであります。