当wikiは、高橋維新がこれまでに書いた/描いたものを格納する場です。

 筆者は、メディアゴンに主にお笑いをテーマとした記事を寄稿している。
 一弁護士の筆者が、なぜここまでお笑いにこだわりを持っているかを疑問に思っている声も聞くので、今回はその理由を説明したいと思う。内容の性質上、どうしても益体もない自分語りになってしまうことはご容赦願いたい。

 筆者の父は、もうバレているので隠す必要もないと思うが、放送作家の高橋秀樹である。この父は、かなりの変人だった。
 父は、欽ちゃんやたけしさん・さんまさんと仕事をしてきた。だから、かは分からないがいわゆるお笑い第三世代(ダウンタウン・ウッチャンナンチャン・とんねるず)が全部嫌いだった。筆者が小学生だった1990年代は、お笑い第三世代の全盛期だったが、父はこの3組の芸人をひた隠しにしていた。息子が自分の嫌いな芸人にハマるのが許せなかったのだろう。筆者と、弟は、90年代の全盛期にこれらの芸人をテレビで見ることなく育った。母も働いていたので、兄弟は学校が終わると家に放っておかれることが多かったが、父は兄弟に自分の好きな映像作品のVHSを与え、これで暇つぶしをさせた。その内容も、今振り返るとかなり偏っていた。

「タイムボカンシリーズ」「チキチキマシン猛レース」「トムとジェリー」「ウルトラマンの戦闘シーンだけを編集で集め直した系のビデオ(ウルトラビッグファイト等)」「仮面ライダーストロンガー」の最後の3話……などなどである。

 兄弟は、暇さえあれば一緒にこれらのVHSを見ていた。本当に繰り返し繰り返し見ていた。小学校の同級生が「少年ジャンプ」や「ごっつ」「ウリナリ」「生ダラ」の話をしていても、ついていくことができなかった。そのうえ、偏屈で孤独な父をずっと見て育った筆者は、同じように校内を一人でうろうろして遊ぶ変人になっていた。体型も、当時は今よりもっと分かりやすく丸々と太っていた。「常に一人でウロウロしていて未だに仮面ライダーやウルトラマンの話しかできないデブ」を、小学生が放っておくはずはなかった。中学生も、高校生も、大学生も一緒である。

 筆者は、物心ついてからは、所属するコミュニティではずっと「イジられキャラ」だった。

 そのくせプライドだけは人一倍高かったので、最初のうちは笑われることが理解できなかった。筆者は、(自分なりに)自然に行動しているだけなのに、周りはそれを笑いの対象として、はやし立てる。なぜ、自分だけ笑われるのだろうか。筆者は世の中で生活することにどんどんと自信を失っていった。これでは、あまりに辛い。そこで筆者が編み出した解決手法が、「発想の転換」である。自分は、周りに笑われているんでなくて、周りを笑わせていると思うことである。森三中の大島さんも、テレビで小中学校時代ひどいいじめを受けていた経験をお話ししている。大島さんも、いじめっ子たちを自分が笑わせているんだと思うことでずいぶん楽になったということを仰っていた。筆者が受けていたイジリは、大島さんが受けたイジメに比べれば全く大したことはなく、上品なものだったが、それでもそういう発想の転換が必要なほどのレベルには達していた。
 すると、どうなるか。筆者は周りを笑わせないといけないので、イジリを受けても泣いたりムッとしたりしてはいけない。かといってキレて笑いをとる芸もないので、ヘラヘラして受け流すしかない。受け流すようになると、相手は「このくらいならやっても大丈夫なんだな」あるいは「アイツが本気で嫌がるようなことをやらないとおもしろくない」と考えて、内容をエスカレートさせていく。エスカレートしていくと、筆者が笑って受け流せないようなレベルのものも出てくる。それを避けるために、自ら率先して笑いをとることを考える。相手は、基本的に楽しいから私をイジってくるのである。ならば私がまず彼らを笑わせてしまえば、それ以上のことは来ない。
 筆者は、イジられキャラだった小・中・高・大の合計16年間、どうすれば相手が笑ってくれるかをずっと考えてきた。それは司法試験を受けて弁護士になってからも同じである。大人も、子どもとやることは変わりはない。私をイジる人は、自分が楽しいから私をイジってくるのである。弁護士の中にもそういう人はいる。筆者の意思は、二の次なのである。
 筆者は今年で29歳になるが、物心ついてから20年以上「どうやれば周囲に笑ってもらえるか」を考えてきたのである。おこがましい言い方かもしれないが、それだけの芸歴があるということなのである。それは、筆者は笑われているんではなくて周りを笑わせているんだと自分の中で納得して、自らのプライドと折り合いをつけるための戦いであった。
 この戦いは、ヘタするとバラエティ番組の現場より過酷である。まず、ギャラは当然ながらもらえない。ボケはイジられキャラの私一人だけであって、助け船を出してくれる人はいない。イジる側はプロのような加減を知らない。プロとして現場にいるわけではないから、本当におもしろくないと笑ってくれない。演技で笑って、周囲の笑いを呼び起こすということもしない。そのくせ私から逆にイジって笑いをとろうとすると不機嫌になり、これを禁止してくる。筆者の弁当は平気で奪い、筆者の鞄は平気で暴く癖に、筆者が同じことをやると怒るのである。全くもって、傲慢というほかない。
 中には、単なるイジリとして笑って受け流せないようなこともあった。筆者が受けていた「イジリ」は、筆者自身がヘラヘラしていなければ、確実にイジメといっていいレベルに達していただろう。イジる側は「愛さえあればイジメではない」などということを言うことがあるが、それこそ強者の傲慢な論理である。セクハラと一緒で、受ける側が嫌がればそれは全てイジメだと筆者は考えている。愛さえあれば嫌がる相手のケツを触っていいことにはならないだろう。
 ずっとこのような生活を続けてきたため、小・中・高・大あるいはそれ以降で筆者の近くにいた人は、筆者をひょうきんなボケキャラ・イジられキャラと考えている人が多いと思われるが、それは全く本質を見誤っている。そのキャラは、前述の通り筆者が自分のプライドと折り合いをつけるために作り上げた妥協の産物でしかない。筆者は、できることなら「維新くんは天才だね」という手放しの賞賛をずっと受けていたい俗物なのである。
 だから、イジられキャラに飽き飽きしてあまり真面目に周囲を笑わせるための行動をとらなくなったこともあった。これは、何をやっても周りから笑われる「芸人」という仕事を長いこと続けていると、ふと陥る心理だと思う。でも、筆者がそうやって「芸人」をやめた瞬間に、周囲はおもしろくなくなり使いでのなくなった筆者から離れていった。実に、現金だと思った。
 そして筆者も、長いことこのキャラを続けていた結果、笑わせることはおろか、笑われることにも一定の快感を覚える体になってしまった。
 だから、過度に笑われたくはないが、全く無視されるのも嫌だという贅沢な望みを抱いている。この心情の機微は、きちんと描ききれば立派な純文学になるだろう。

 筆者はこのような生活と並行して、テレビ・舞台・映画・漫画と様々なお笑いの媒体にも触れていった。歳を経るにつれて、父が隠していた様々なテレビ番組を「発見」した。こういった生活の中で、「笑いをとる手法」について一定の体系だったマニュアル化ができた部分があった。筆者の原稿は、全てこうやって体系立てた基礎理論に端を発している。今は門外漢が何を言うのかと笑っている人の方が多いだろうが、前述の通り筆者は自身の20年以上の経験に基づいて、自分の言っていることが何一つ間違っていないと確信している。笑うのは構わないが、筆者のことを笑う人は筆者から笑われることも覚悟しなければならない。筆者に水風船を投げつけておいて自分が投げつけられると怒るというのは全く対等でない。
 「芸人」としてのプロ意識が足りない行動である。
 人を笑っていいのは、笑われる覚悟のある奴だけなのである。そういう意味では、この世にいる人は全員が芸人なのである。

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