舞浜駅からモノレールに乗り換え、三つ目の駅で降りた先にディズニーシーがある。
夏休みの真っ只中ということもあり、パークの周辺は家族連れやカップルたちで賑わっていた。
今日は約束した通り、入場口前にある待ち合わせスペースでさゆと会うことになっている。

現在の時刻は、午前九時四十一分。
さゆとの約束の時間である十時まで、まだ少し時間がある。
私はタッチパネル式の携帯電話を操作し、つい二時間ほど前にさゆから届いたメールを開いた。



『白ワンピ。草原にいそうでしょ(笑)』

そんなメッセージとともに、鏡の前でカメラ付き携帯電話を操作しているさゆの画像。
どうやら、今日はこの画像にある格好をしてくるようだ。

私はさゆの愛くるしい姿に一人で頬を緩ませた。
里沙が私の家に訪れた日、さゆは少し情緒不安定のようになっていたが、その日以来、特に変わった様子はない。
里沙の言葉の意味は分からないままだが、私の現在の恋人がさゆである以上、私が考えるのはさゆのことだけでいい。
そう思った私は、気分転換を兼ねて、今日はさゆに目一杯楽しんでもらわなくてはいけないなと、
もう一度念入りにデートプランの確認をすることにした。
どのアトラクションが何時頃に空くだとか、どこのレストランの料理がおいしいとか、そういった評判は大体把握してあったが、
それでも決めかねていたのは、パーク周辺に何種類かあるホテルのうち、
予約の取れた二つの部屋のどちらに泊まるか、ということだ。

あれこれ考えながらも、絶え間なく流れていく人波の中からさゆの姿を見つけようと前方を眺めていたときだった。
私は人混みの中にいた一人の男に目を奪われていた。
見覚えのある姿だった。年齢的には、私と同じか、一つか二つほど彼の方が若いくらいだろうか。
彼を見たのは、さゆの学校だ。
彼は私の視線に気付き、わざわざこちらに近寄ってきた。

「何かご用ですか?」

私が彼から目を逸らす前に、その彼が馴れ馴れしく話しかけてくる。
少し戸惑いながらも、私は答えた。

「ガールフレンドを待ってるんだ。彼女の姿を探していたら、君と目が合ってしまった。
不愉快な想いをさせたなら、すまなかったね」

軽く頭を下げる。
そういうことなら、と彼は頷き、私の隣に立った。
彼も誰かと待ち合わせているのだろう。
彼は私のことを知らないはずだったし、それから会話はなかった。

彼とさゆの関係を考えれば、私はさゆが到着するよりも前に彼から離れておくべきだったが、
それよりも、彼はどういう男なのか、そんなどうでも良いはずのことに好奇心を煽られていた。
私とて、付き合っている彼女の前の恋人というのは、それが彼女の片思いだったとしても気になるのだ。

私は今度こそ彼に気付かれぬように、横目で彼の様子を窺った。
彼はポケットから取り出したオレンジ色の携帯電話に目を落としていた。
その横顔は中性的な顔立ちで、見惚れてしまいそうなくらいに美しい顔をしていた。
私の通っている芸能スクールにもこれほどまで容姿の整った者はいなかった。
加えて、ただ格好良いというだけでなく、まだ無邪気さの残る高校生らしい仕草と表情はどこか儚げで頼りなく、
それが彼に愛嬌を与え、彼を見る者に親しみを抱かせていた。

そして何より、彼は私よりも少しばかり背が高い。


「あれ、さゆじゃん」

私がさゆを見つけるよりも速く、彼が『さゆ』と名前を呼んだ。
さゆは私たちの十メートルほど先まで歩いてきて、そこで棒立ちのようになった。
彼がここにいるのを想像していなかったのだろう。
彼がさゆにすたすたと近付いていく。私も急いでその後に続いた。

「あ、あの…絵里君?」

さゆが不安と困惑の表情を彼に浮かべる。
私はさゆに、

「さゆ、待ってたよ」と言いながら彼を追い越して、正面からさゆの手を握った。

「彼とは、さっきそこで会ったんだけど…」

私は振り返って彼を見た。
彼は笑顔だった。彼も私を見た。

「あなたの言ったガールフレンドって、さゆだったんですか」

私は頷いた。

「ああ。わざわざ言うことでもないと思って黙ってたんだけど。
 実は一度だけ、さゆの学校で君を見かけたことがあるよ」

「へえ。これは何とも奇遇だなあ」

破顔という言葉がぴたりと似合う。誰にも何も気取らない、無防備な笑い顔。
なるほど、さゆが彼に惚れてしまうのも無理はない。
私の知る限り、ほとんどの女性は男のこういった表情に弱いからだ。

「絵里君は、どうしてここに?」

恐る恐る、といったさゆの問いに、男が答えた。

「僕もデートだよ。さゆたちと同じさ」

男が手の平を私たちに振る。
私とさゆはそれに応えながら男に背を向け、パークの入場ゲートへ向かって歩き出した。

「さゆ?どうかしたの?」

さゆはまだ後ろを振り返って彼のことを気にしているようだった。

「絵里君が、デートなんて」さゆが首を横に振る。

「さゆみとも、したことないのに…」

私は何も言わなかった。
今すぐさゆの唇を奪って彼に見せつけてやりたくなるほど、私が彼に嫉妬するには十分だった。




僕は上機嫌だった。

右を向いても左を向いても、ここには大勢のカップルたちで溢れていた。
そのどれもが同じように歯を見せて笑い、手を繋いで、時には甘い言葉を囁き、口付けを交わし、
夜が来れば、裸になって抱き合い、セックスをする。
そのどこにも愛など存在しない。
自分に嘘を吐いて、言い訳をして、肉欲の赴くままに、互いの身体を貪り合う。
それだけの関係。それだけの存在。それだけの生命。
碌な生き物じゃない。

れいなの姿が見えた。

僕と彼女は違う。僕と彼女だけは。
それを証明してみせるのに、これほど相応しい舞台は他にない。

「れいな、待ってたよ!」

僕は手に持っていた携帯電話をジーンズ右前のポケットに仕舞った。

愚か者に教えてあげるのも良い。
君たちが愛と勘違いしているもの。君たちが、いかに間違っているのかを。

「なに笑ってると?キモイっちゃけど」

彼女が言った。

笑うさ。
僕は上機嫌だったし、左のポケットには、もう一つ、携帯電話が入っているからだ。




デート。初めて、歳の同じ男子と二人っきり。
相手は、よりにもよって、この男。

「れいな、待ってたよ!」

亀井絵里。

「ごめん、遅れてしまったと」

男が差し出したチケットを受け取る。

「ん?どうかしたと?」

「いやあ。私服のれいなが、何だか新鮮でさ」



男がまじまじと見つめてくる。急に恥ずかしくなってきて、

「そんなの、お互い様やろ」

と、やっとのことで言い返した。それから、れいなも男のことを眺めた。
男は淡い空色のカットソーを一枚で爽やかに着こなしていて、学校で会っていたときの姿より大人びて見える。
格好良いやん、などとは、口が滑ったとしても言うつもりはなかったが。


れいなの友人達は他の同級生に比べても早熟なほうだったと、自分はそう認識していた。
高校生ながら、大学生や社会人と付き合っている友達もいたし、十人以上の男と経験がある友達もいた。

そんな友人達を前にして、恋が出来て羨ましいっちゃね、などとれいなが言う度、
あんたはモテるんだから、その気になればすぐ付き合えるでしょ、などと返され、笑われることもあった。

現実は友人達の言うほどそう簡単なものではなく、派手なれいなの見た目からか、
軽い性格の女の子として見られることが多く、
言い寄ってくる男達は皆、恋に恋をしてしまっているような、
相手がれいなでなくても愛情を注げる量は同じ、という男ばかりだった。

そうして男達を何度も振っているうちに、知らず知らず育まれてきてしまった自分の恋に対する憧れは更に強くなり、
性格も災いしてか、決して妥協を許すものではなくなった。

そんな自分が、今現在ここでデートをしていると思うと、何とも不思議な気分に駆られた。
相手はついこの前まで、れいなが世界で一番嫌っていた男である。
男は今までの男達とは違い、れいなが何度冷たく接しても、その意志を曲げることがなかった。
世界で一番、自分に恋をしてくれている男なのだ。

ゲートをくぐり、パークへ入場してからもずっと、胸がどきどきした。
一度気を許してしまったせいだろうか、男がとても格好良く思える。
男のことを考えると、胸が締め付けられるように、きゅっ、と切なくなりもした。

やばっ、この男のこと、マジで好きになってきたかも。

男と手を繋ぎたくなって、男の横顔を見上げた。
男は微笑みを返してくれたあと、そっとれいなの手に触れてきた。

ささくれ一つない、手入れの行き届いた男の指先。
れいなは絡めるようにしてその手をしっかりと握った。
それだけで、何だか本当にデートらしい。

次第に緊張がほぐれてきた。男に甘えるときの照れ臭さもなくなり、
男の名前をまだ一度も呼んでいなかったことに気が付いた。

一つ呼吸を整えてから、男に言った。

「絵里!れいな、『タワー・オブ・テラー』乗りたい!」



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