未解決事件・失踪/行方不明事件・印象に残った事件 - 【5府県にわたる連続少女強姦・放火事件】
【5府県にわたる連続少女強姦・放火事件〜希世の強姦・放火魔、尾上力】

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 2003年7月、前月に岡山市で発生した帰宅途中の女子小学生(11)に対する暴行事件で、
住所不定・無職の尾上力(34)が逮捕された。
事件当日貸し自転車を利用したことから尾上が捜査線上に浮かび、逮捕に至ったのである。
この1件の暴行事件が、希世の強姦・放火魔尾上力の所業を明るみにすることになるとは、
この時誰も想像だにしなかったであろう。。
 逮捕された尾上は他に東京・京都・大阪・兵庫において30件あまり、少女に対して暴行をしたと自供。
その後の捜査で2003年6月大阪市内で帰宅した女児(9)の後に家へ侵入し、カッターナイフを突きつけ強姦しようとしたが、
家人が帰宅したため未遂に終わった事件をはじめとする、13件の強姦致傷・同未遂事件について立件され、起訴された。
 尾上が罪を認める中裁判は着々と進み、検察が懲役20年を求刑して後は判決を待つだけだった2004年9月、
尾上は捜査関係者に「私はもっと多くの事件を起こしている。もう一度、警察で調べてほしい」と手紙を出す。
この手紙は罪の意識に苛まされた故の懺悔ではなく、拘置所で同房者からいじめを受けていたことから、
罪を告白すれば拘置所から出られ、いじめから逃れられるという、まったくの自己中心的な理由からであった。
(尾上はいじめが無ければ放火は黙っているつもりだったと述べている)

 公判は中止され捜査が始まった。尾上は以前自供した以外にも少女への暴行を多数行ったこと、
そして放火も数多く行い、その中では死者が出た事件もあると供述したのだ。
その数は先に自供した事件も含め放火約200件、少女への暴行が約40件、強制わいせつが約200件というおびただしいもの。
供述にもとづき捜査した結果、1999年5月に大阪府高槻市内で民家が全焼し女性(62)が死亡した事件を始め、
2001年9月東京都墨田区男性(60)・2002年2月同墨田区女性(80)と板橋区男性(70)・2003年6月の大阪府高槻市女性(74)の
合計5名もの命を奪った放火事件13件と、少女への暴行事件の2件(合計で15件)を追起訴した。

 尾上は大阪府高槻市生まれ。中学時代から女子生徒のスカートめくりに異常に熱中する男だった。
高校卒業後は私鉄会社に就職するも、奈良県で少女強姦未遂事件を起こしクビになる。
その後はさまざまなアルバイトをしながら生活をし、犯行を重ねていた。
 尾上の手口は、自転車で街を徘徊し少女を物色。干してある下着を盗みながら探し、
狙いが定めまると少女の後を尾けて帰宅する様子を伺う。
少女が自ら鍵を開ける様子から家族が留守と確認できると、少女が玄関を開けた隙に侵入する、というもの。
尾上はこの方法を「尾上オリジナル」と名づけ、取調べの捜査官へ得意気に吹聴していた。
(この手口は2010年の多摩地区教師連続少女強姦人事件でも使われている)
侵入すると包丁やカッターナイフを突きつけ「おとなしくせんかったら殺すぞ」
「パンツを脱げ。そこに横になれ」と脅し、タオルを口に詰め強姦しようと試みる。
時には少女の頭をテーブルに数回叩きつけたり、馬乗りになって首を絞めたりもしている。
 また、犯行後には多い時に週3・4回程度被害者宅へ電話をかけ、被害者本人に卑猥な言葉をかけたり、
母親に対して神経を逆撫でするような卑猥な言葉を浴びせている。
少女達の負った心身の傷は計り知れないものであろう。。
しかし不幸中の幸いと言っていいものか、強姦の既遂は1件のみで、他は未遂で終わっている。
 放火についても少女物色中に本人が言う「ゲーム感覚」で放火を繰り返していた。
動機については「消防車が出動し、大勢の人が集まる様子を見るのが快感だった」と述べている。
(尾上は消防無線を傍受するのを趣味としていた)
尾上は取り調べの捜査官に「出所しても同じことを繰り返す。自分が怖い」と述べていたという…

 裁判で検察は死刑ではなく無期懲役を求刑。放火事件における殺意の立証が困難であった為、
殺人罪での起訴を見送った事などが理由と思われた。
しかし、尾上は公判で「死刑と思っていた。罪を軽くしてくれと言うつもりはない」と述べており、
また現住建造物等放火罪の最高刑は死刑なので、裁判官は求刑以上の死刑判決を言い渡すこともできたが、
2007年2月、大阪地裁の中川博之裁判長は「人間性の片鱗(へんりん)も見いだしがたい」と厳しく断罪するも、
放火の告白を自首と認め、更正の可能性が0ではないとして、求刑通り無期懲役を言い渡した。
検察側弁護側双方とも控訴せず、刑が確定している。

◎参考文献
『絶望裁判』 中尾幸司 小学館