オッカムのウィリアム

オッカムのウィリアム

 オッカムは、オッカムのウィリアムと呼ばれているます。
 オッカムのウィリアムは、フランシスコ会会士、後期スコラ学を代表する神学者・哲学者です。
 通例オッカムとよばれますが、実は、オッカムは姓ではなく、イングランドのオッカム村出身なので、オッカムとよばれています。
 オッカムの生没年については、諸説があり、没年には1349年にペストでなくりました。
 たし、オッカムの生い立ちは、オックスフォード大学で学んで、フランシスコ会に所属したけど、学長と対立しました。
 フランシスコ会の会則の解釈をめぐり、いわゆる清貧派の立場をとりました。
 オッカムは、神の節約の原理 オッカムの剃刀の提唱者として知られていまう。
 この原理をつかって、オッカムの剃刀を提唱しました。
 説明するためには、必要以上に多くの前提を仮定するべきじゃないっていう考え方で、オッカムは普遍論争では唯名論の立場をとりました。
 でも、オッカムの剃刀の名の通り鋭い指摘は、議論で勝てない相手からは、異端だとして訴えられました。
 オッカムは、逃亡して神聖ローマ帝国皇帝バイエルンのルートヴィヒの保護を受けたけど、オッカムは、ミュンヘンでペストで没し、市城壁外のペスト死亡者用墓地に葬られました。
 オッカムは、主意主義を徹底させ普遍的本質の存在を否定し、神を知的な学問の対象にすることはできないと主張しました。
 つまり、オッカムは、世界の根本原理は、意思にあるって主張しました。
 そして、オッカムは、認識対象を具体的個物としてとらえ、とても具体的にはあてはめられないようなことは、切り落としていこうという節約原理に基づいた姿勢をもちました。
 このオッカムの姿勢は、近代自然科学成立の基礎を築いたと言えます。
 また、オッカムは、神や故人の遺志を重視し、合理的秩序より、個物を優先させる主意主義は、オッカムによって、頂点に達したとも言われています。
 このオッカムの哲学は、知的に理解される合理的秩序を重視する主知主義にたいし、オッカムの見解は、過激だったと言えるでしょう。
 オッカムの主張は、個物は相互に共通点を持たなくて、本当に存在するものは、個々の事物のみで、すべてがユニークであると考えました。
 認識と呼べるのは、個物についての直観だけだとオッカムは考えました。
 そして、オッカムは、普遍的な本質や概念があるから、一人一人の個人を、大きな枠で人間と抽象的に分類するのは、多くの個人に、人間という名称があるのにすぎないと主張しました。
 オッカムは、真に存在するものは、個々の事物のみとし、いわゆる普遍は、記号もしくは、名辞にすぎないと考えました。
 つまり、普遍的な物っていうのは、全部記号とか表現であって、真に存在するものじゃないってことです。
 ちなみに、記号には、習慣に基づくものと自然に基づくものがあります。
 習慣に基づくものは、いわゆる名詞などにあるような名前や、書かれたりする言葉は習慣的な記号で、自然に基づくものはいわゆる感嘆詞でした。
 そして、オッカムは、概念は事物を示す自然的な記号だと考えました。
 記号がただ一つの事物の記号であるときは固体概念であり、多くの事物の記号であるときは、普遍概念であると考えです。
 それで、固体概念っていうのは、自身の性質や規定をもって、他とは区別される単一固有の独自の存在について、考によって捉えられたり表現される時のイメージになります。
 普遍概念は、ウサギや人といったような、固有のものではなく、その記号や名辞が多くの個体を指す場合の概念です。
 オッカムの唯名論によって、これまでの実在論の上に築かれた、神の存在の証明といった、キリスト教的軽視上学的理論は、論証不可能な説として単なる信仰の領域へと追いやられました。
 いわゆる、知と信の分離です。
 主意主義の観点から考えれば、神は、絶対の自由意思を持つことになって、神を知的に分析しようとすること自体、矛盾しているってオッカムは指摘たのです。
 つまり、オッカムは、神は人間の知性をはるかにうわまわっているわけで、人間が神のすべてを分析できない以上、人間が知的に分析することは不適切だって考えました。
 つまり、オッカムは、信仰と学問を混在させるのではなく、信仰は信仰、学問は学問として分けて考えるべきだと指摘したわけです。
 学問は天上の神じゃなくて、地上の自然現象を研究することに限定されていて、天上の神が学問の研究対象であるはずがないと、オッカムは主張しました。


WRITER:呟き尾形
(注:呟き尾形の解釈です)
2014年04月06日(日) 22:06:15 Modified by tubuyaki1




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