クザーヌス

クザーヌス

 ニコラウス・クザーヌスは、ドイツの哲学者・数学者・枢機
卿です。
 クザーヌスは、ドイツのモーゼル河畔の港町クースに裕福な船主の子として生まれました。
 ハイデルベルク大学で自由学科を学び、パドヴァ大学で教会法の博士号を取得しました。
 その後、クザーヌスは、ドイツに戻り、ケルン大学にて教会法を講じつつ、ハイメリクス・デ・カンポのもと偽ディオニシウス・アレオパギタ、アルベルトゥス・マグヌス、ライムンドゥス・ルルスらの思想に触れました。
 ディオニシオス文書といわれる一連の文書の著者とされていますが、著作はもともと自らを使徒行伝に現れるアテネのアレオパゴスのディオニシオスと名乗っていました、中世以降その成立年代が特定され、偽という名前をつけて呼ばれるようになったそうです。
 その後、枢機卿やブリクセン大司教を歴任し、1464年トーディにて死去しました。
 クザーヌスの哲学は知ある無知や反対の一致などという独創的な思想を唱えました。
 また、クザーヌスの生涯は教会政治家としての実践と、思想家としての理論が融合した類い希なものでした。
 さて、クザーヌスは対立の一致という独創的な思想を展開しました。
 まず、クザーヌスは、世の中にありとあらゆる事物は、やがては形を変えたり、消滅しているという変化に着眼しました。
 そして、こうして形を変えたり消滅するということは、有限であるこをとを意味するとクザーヌスは考えたのです。
 つまり、永久不滅じゃないから有限ってことです。
 そして、クザーヌスは、有限な存在の本質は、多様であり、それぞれが異なっているとクザーヌスは考えました。
 それに対して、神は絶対的な物であり、無限であり、ただ一つの存在であるとクザーヌスは考えました。
 そのため、神の本質は、あらゆる対立の統一=反対者の一致ということになると考えたのです。
 さて、一見矛盾する様なこの一致についてですが、たとえば、円という形はは有限であり、三角という形も有限です。
 そして、円と円の中心になる点は異なるもので対立しますが、円をどんどん小さくして、極限まで小さくすれば両者は一致します。
 三角形とただの直線は異なるもので対立しますが、三角形の底辺を極限まで伸ばせば両者は一致します。
 つまり、クザーヌスは、対立するもの同士を極限まで追い込んでいくと、両者は一致してしまうと考えたってことです。
 この考え方で、クザーヌスは、対立するもの同士を極限まで追い込んでいくと、両者は一致してしまうと考えました。
 それは、無限の中ではすべての有限なものは、同一であることを意味します。
 こうして、クザーヌスは対立物の一致を説いたわけです。
 実際、世の中にあるものを、どんどん拡大すれば、私たちが普段見ている形とは異なる形として認識されてしまいます。
 つまり、私たちが普段見ている形だけが正しい形というわけでもありません。
 クザーヌスにおける対立の一致の考え方の重要性は、有限な次元を量の次元として、無限な次元を質の次元として捉えていることです。
 これは、量と質というのは、本質的に違うからこれを変化させること自体は本質的な影響を与えないってことです。
 量と質は同じように感じられるかもしれませんが、本質的に異なるものだということです。
 そして、クザーヌスは、すべての被造物は神の映しであり、それぞれの独自な個性を持ちながらも、相互に調和していると考えたのです。
 中でも人間は自覚的に神を映し出す優れた存在であり、認識の最終段階においては神との合一が可能であると考えました。
 さて、神との合一といえば、エックハルトも神との合一のこと述べていました。
 でも、クザーヌスは、また違った角度で考察していたようです。
 まず、エックハルトは、自己から離れ、神の自己に溶けこむ、文字通り神と一体になることでした。
 つまり、エックハルトの哲学においての神との合一は、神にすべてをゆだねられる存在ということです。
 クザーヌスは、認識の最終段階においては神との合一が可能であると考えたわけです。
 これは、高度な認識において、神と同じ視点に立ちうると考えたわけです。 
 これは、エックハルトは神に身をゆだねるように溶け込んで文字通り一体になることを意味するけれど、クザーヌスは神と同じ視点に立てるということです。
 では、神と同じ視点というのはどういうことでしょうか?
 神は無限者であり、無限の神においては、あらゆる差別、対立、矛盾は消失し、一致するというものです。
 神は大小の有限な差別を超えた絶対的最大者であり、従って、最大であると同時に最小であると考えられました。
 神の認識は、人間の理性以上の知とも言うべき、無知の知によってなしうるとクザーヌスは考えました。
 そして、すべてを包括する神の本質が、空間と時間のうちに展開したものが世界であるとしたうえで、世界は空間的にも、時間的にも無限だとクザーヌスは主張します。
 この無限というのは、どこかに不動の中心を持つものではありません。
 それゆえ、あらゆる場所が中心であると同時に周辺となるわけです。
 そもそも、世界が世界の中心に制していることはありえないとクザーヌスは考えました。
 つまり、世界が中心に静止していることはありえないということです。
 私たちは、この地球の大地に止まって立っていると思っていても、地球は自転や公転をしているので、常に動いているのです。
 つまり、世界は神の展開であるから、世界の各事物も、それぞれの仕方で神の表現であるとクザーヌスは考えたのです。
 クザーヌスの思索は中世の混沌のなかから近代的思考を準備したと高く評価されています。




WRITER:呟き尾形
(注:呟き尾形の解釈です)
2014年06月23日(月) 19:27:49 Modified by tubuyaki1




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